交響曲第1番
○ツィピーヌ指揮ORTF(INEDITS)LP
うう、ジョリヴェだ・・・この半音を行き来する極端に少ない音からなる旋律線のエキゾチシズム、オネゲルのにおいを残しながらも明らかにメシアンと共に歩んだ形跡のみられる独特の音響、何よりバーバリズム!ストラヴィンスキーの子であることには間違いないが、そこにアフリカ植民地の香りを持ち込んだのがいい意味でも悪い意味でもジョリヴェの持ち味となった。抒情性漂う若干のロマンチシズムも聞きもので、メシアンの硬派にくらべ落ちて見られるゆえんでもあるが、比較的浅いマニア受けするゆえんでもあり、とにかく打楽器奏者のみならず楽しめるリズム系交響曲でも、ゲンダイオンガク大好きコンテンポラリー系交響曲でも、伝統的な長さと形式をもった「正統な交響曲」でもある。たぶん私は1番がいちばん好きだな。驚くほど明晰なステレオ。比較対象がないので○。ライヴかもしれない。
○作曲家指揮ベロミュンスター管弦楽団(LYRINX,INA)1963/9/7live
冒頭のバスドラの打撃からいきなりもうウォルトン円熟期の世界である。ご丁寧に高音楽器のトリッキーな装飾音までウォルトンの2番シンフォニーを彷彿とさせるものである。音要素は確かにフランスの伝統+エキゾチシズムを思いっきり取り入れていて、構造的な要素は完全にオネゲル、音響やポリリズム要素的にはバーバリズム時代のストラヴィンスキー、そういった両端楽章を持ったけっこう取り付きやすい感じになっているが、起承転結がはっきりせずどこか散漫でブヨブヨしているというか、ジョリヴェがメシアンと違うところで、やっぱりどこか脇が甘い。でもそういう言い方でいくとウォルトンなんか脇から腐臭が漂うとか書かなければならなくなるので、同時代同国内の相対的かつ理知的な評価ではなく、あくまで素直に聞けるかどうかで判断すべし。2楽章のドビュッシーと新ウィーン楽派が融合したような静謐で禁欲的なのにエロティックな世界は非常に効果的で私は好きである。ジョリヴェは後の作品になるともっと削ぎ落とされそのぶんパーカスが増強されておおいに客席からのブーイングを買うようになるが、世界観は余り変わらない。エキゾチシズムとともにアフリカンなリズム要素が一層強められるものの、メシアンのような計算しつくされ厳選された音響やラインを芯に持たないせいか、相変わらずオネゲル的な旧来の協奏型式に拘るせいか、こじんまりした感じがありアピール度は低い。構造的かと思いきや弦楽器なんて殆どユニゾンで刻んでいたりして、アイヴズぽいと一瞬感じるのはそういう弦楽器に冷淡な書法ゆえだろう(メシアンも同じようにユニゾンが多いが芯がまったく異なる)。2番とほぼ同じような音響世界の上に展開される有名な「赤道協奏曲」が今や殆ど忘れられているのは何もイデオロギー的な音楽外要素での時代の趨勢だけではない。音響要素の追求ゆえ拡散的な方向に向かったメシアンに対して、リズム要素の強化により凝縮の方向に行くべきジョリヴェが何故か拡散しようとしたのが交響曲という型式であり、1番は前時代同時代の交響曲を意識した型式のわりとはっきりした聞きやすいものだが(独特のスケルツォへの解釈を表現した3楽章も特筆ものである)、ここが限界のようにも思った。2番がジョリヴェらしさが一番出ているとすれば3番は前衛を意識しすぎ、1番は過去から脱出できていないというか。1番のエキゾチシズムは伝統の意識という意味ではルーセル的でもある。2番で完全にジョリヴェになる。ジョリヴェの指揮は達者だったが(でないとこういうリズムや音響構造は処理できないだろう)この演奏も過不足なく、オケが意外とよくついていっているのが聴きもの。モノラルで悪くない録音。○。
交響曲第2番
○作曲家指揮ORTF(LYRINX,INA)1960live
これもモノラルだが、ブーイングが響く拍手までえんえんと「赤道協奏曲」の世界である。1番よりも拡散的で、パーカスが大幅に増強されてもう、アフリカかジャマイカかといった耳の痛くなる音楽がわりと前衛的なメシアンチックな「真面目な音楽」と同時進行する。余りアタマに残らない音楽だと思うが、ジョリヴェマニアなら1番よりこちらが好きだろう。オネゲル的な部分はかなりなくなっている。ジョリヴェは1番にくらべ更にめんどくさくなったこのスコアをさすが作曲家、ORTFの限界まで表現させている。冒頭のランドウスキなんかに似たこちょこちょした木管高音の蠢きはさすがに壊れかけてやばい感じがするものの、その後は複雑なリズム処理がしっかりしているせいか聞きにくくなることはなく、欧州の人間がアフリカに抱く幻想怪奇の世界をよく反映したものになっている。稀有壮大な感じも出ていてこのモノラル録音があればとりあえずコトは足りる。○。
弦楽のためのアンダンテ
ブール指揮シャンゼリゼ歌劇場管弦楽団(EMI)CD
前半はひたすら分厚い不協和な和声のうねりで非常に聞き辛い。無調やセリー慣れした人のほうが聞くに堪えないと思う。非構造的なジョリヴェの書法はどんどんドツボにハマっていくようで、はっきり言って弦楽合奏でやる意味すらわからない、室内楽で十分だ。無駄な規模の拡大はジョリヴェの持ち味とも言えるけれども。中盤より音が整理され音域が上がっていくと、おそらく狙いどおりに清新な響きが支配するようになり、依然非構造的ではあるが動きも若干出てきてあざといくらいに美が発揮されるようになる、だがこれもブールの腕により「聞ける音楽」に仕立てられているだけなのかもしれない。本来の意図は無秩序な音の押し付けがましい暑苦しさか、ウェーベルンはおろかベルクすら舌を巻くような鬱進行に、演奏以前に無印。
素敵な恋人たち
○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(DA:CD-R)1962/11/18live
擬古典的な作品で恐らくリュリの歌劇「はでな恋人たち」からの抜粋編曲だと思われる。基本的には古典派の流儀に忠実で、ただ楽器の重ね方が過剰でジョリヴェなりの新鮮さを感じさせるところが僅かに織り交ざる。セルはセルと聴きまごうほど力強く前のめりの演奏を仕掛けている。ジョリヴェ・マジックだろうか。最初ミュンシュかと思った。しかし曲が曲なので、それ以上の感情はとくに沸き立たされなかった。○。
5つの儀式の踊り
○ブリュック指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LIVE・LP
非常に盛大な拍手で終わるライブ記録だが曲はきわめて世俗的なイメージに沿った異教徒の儀式ふうのソレとなっている。つまりハルサイだ。ドビュッシーやオネゲルやかつて肩を並べたメシアンのやり方を取り入れているふうの部分もありキャッチーで、かつ演奏効果は高い。けして素人書きの作品ではない。演奏はやや鄙びており木管も一部たどたどしいがライブならではか。ブリュックらしく力のある表現で面白いが新しい音できくべき曲だろう。モノラル。○。
打楽器と管弦楽のための協奏曲
○グッフト(Pr)ブリュック指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP
ヴァレーズの弟子ジョリヴェらしい打楽器主義の曲で、ソリストはえらく忙しいだろうと思わせる。各楽章にメインとなる打楽器が設定されており、個人的には3楽章のビブラフォンが鳴り響くちょっと電子的な匂いも漂わせる世界観に惹かれたが、両端楽章のドラムセットの叩きっぷりでセンスのあるなしがわかると言ってもいい。異教的な平易な楽想はそこそここの曲の知名度を裏付けるものとなっている。のだめよく知らない。ブリュックは肉感的だ。グッフトもスタジオ録音と思われる中でライヴ感あふれるリズムを弾ませている。盤面が非常に悪いので、ちょっとわかりにくいところもあるのだが、○。
○ドロウワ(Pr)作曲家指揮ORTF(FRENCH BROADCASTING SYSTEM)LP
ブリュックのものに比べて響きが透明で正確な感はあるが魅力は減退している。ソリストにやや生硬で萎縮したものを感じる。とはいえ、曲が曲だけに異教の祝祭的なドカンドカンを大つかみでやってくれる、そこは魅力的。○。CD化していたと思ったのだが。
ピアノと管弦楽のための協奏曲(赤道協奏曲)1940ー50
○アントルモン(P)作曲家指揮パリ音楽院管弦楽団(CBS/tower)CD
どんどこどんどこ始まる1楽章からやや前時代的なバーバリズムが展開。初演当時センセーションを巻き起こしたジョリヴェ畢生の大作。フランスという国は音楽にイデオロギー的な要素を絡めて評価する癖があるようで、この曲も植民地問題に関連していると見られたのが騒動の一因であった。ジョリヴェの特徴ではあるが常に叙情性が漂い、繊細で美しい場面も数多くある(2楽章)。スクリアビン後期管弦楽作品の隔世的影響を強く感じるのは何もこの曲に限ったことではないが、ヴァレーズ譲りの打楽器要素がやはり何といっても楽しい。3楽章のジャズも微笑ましく感じる。若きフランス仲間メシアンとは豊かな(濃い)色彩性や複雑?なリズム要素に近似点を感じるものの、もっと無邪気で筋肉質な娯楽性がここにはある。ここのアントルモンは巧い。ジョリヴェの棒も申し分なくオケも言わずもがなである。このレコードでとりあえず事は足りる。,
デカーヴ(P)ブール指揮
◎シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI/PATHE/DUCRET-THOMSON)CD
○ストラスブール放送交響楽団(SOLSTICE)1968/1/22LIVE・CD
デカーヴは最近ラヴェルの三重奏のエラート録音がCD復刻された。戦中戦後フランス・ピアニズムの大御所である。ジョリヴェとは家族ぐるみのつきあいがあり、この有名な協奏曲もデカーヴとジョリヴェ自身により初演された。後者ライヴの終演後にブーイングが聞かれるが、まさに初演時も演奏会場を二分するブーイングとブラヴォーの嵐が巻き起こったそうである。これは政治的理由によるところが大きく、作曲家も嫌気がさしたのか後日「赤道」の文字を取り除いている。純粋に楽曲だけを聞けばこれは楽しくまた充実したラテンもしくはアフロとのミキシング・ミュージックである。書法的にはシマノフスキの交響的協奏曲あたりに近い感じがする。否この音線はむしろスクリアビンか。ブールの冷徹な棒は熱気ムンムンの楽曲に硬質のフォルムをあたえとても入り易い演奏にまとめあげている。とくに前者にその傾向は大きい(もっともモノラル録音だからまとまりよく聞こえるのかもしれないけれど)。前者では各種打楽器のさまざまなリズムはきちんと整理されていて、楽曲の拡散肥大傾向を極力抑えている。どちらが好きかは人によるかもしれないが、ピアノ協奏曲としてのまとまりを重視するならば前者がお勧めである。後者は限りなくモノラルに近いステレオ録音である。ようはマイクが客席後方にあり、舞台が遠く立体感のある音が捉えられない状況にあったということだ。これでは擬似ステレオと変わらない、と思うがスタジオ盤とは異なる演奏模様が聞けるのは魅力的である。ここではやはりブールだけにグズグズな演奏にはならないものの、アントルモンとの自作自演盤に近い白熱した響きのぶつかりあいが魅力的で、響きが一点に凝縮され蒼白い輝きをはなつスタジオ盤にはない破天荒さというか、ヴァレーズ的な騒々しさが楽しい。まあ、けっこうボリュームの有る曲なだけに、いいかげんイヤになる可能性はあるが。大部分無旋律であっても十分聴くに耐えうる抒情性をはらんだ楽曲、白眉は2楽章中間部(後者で3分弱のところ)の極めて美しい旋律。ホルストを思わせるきらきらした夜空のような音楽はヴィラ・ロボスのように生暖かくはなく、清潔で透明な感傷をあたえる。びっくりするほど抒情的なので、注意して聞いていただきたい。たんなる「打楽器音楽」でないことがわかります。個人的に前者◎としておく。名演。,
オンド・マルトゥノ協奏曲(1947)
ジネット・マルトゥノ(OM)作曲家指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(ADES)1955
ロリオ(OM)作曲家指揮
~異教の寺院に流れるのは麻薬の香りとオンド・マルトノ。ジョリヴェの神秘主義が結構露骨に現れている。ややわかりにくい要素もあり、静かな場面でのマルトノの響きには心響くところはあるものの、全体的には余り面白くないかも…マルトノの用法としてはありがち、かもしれない。,
フルート協奏曲
○ランパル(fl)リステンパルト指揮ザールブリュッケン室内放送交響楽団(HORIZONS、AJPR)1954/6,66/3・CD
曲はちょっと聴き平明(旋律が美しい)だが何度も聴くとノイズ的に絡んでくるバックオケの存在を無視できず、ああ、「赤道」の人なんだなあ、という感触を受ける。フルートというソプラノ楽器を使うわりには地味なところも否定できず、もうちょっと旋律を引き立たせるオケを書けばよかったのに、とも思うがジョリヴェの否定になってしまうのでそこはそれ。ランパルだからこその「どんな曲も吹いてみせるわ」の意気が若さとあいまって「この曲くらいなら特に何もしないわ」というそつのなさをみせている。
クリスマス牧歌(1943)
◎ラスキーヌ(HRP)カスターナー(FL)ファイサンダー(BASSON)作曲家監修(ADES)1957
~モノラルだが同曲を語るに欠かせない古典的名演。,
○フィラデルフィア木管五重奏団のメンバー、マリリン・コステロ(HRP)(BOSTON RECORDS/COLUMBIA)1963/10/16
落ち着いたテンポで明快なアンサンブルを聞かせるフィラデルフィア木管五重奏団のメンバーによるジョリヴェの佳品。ハープ伴奏にフルートとファゴットの旋律線が乗る。あきらかにドビュッシーの系譜に連なるハープ・アンサンブルだが、エキゾチシズムがより強く感じられ寧ろルーセルに近いものを感じる。戦火に包まれた1943年のクリスマス・イヴに初演された作品であるが、驚くほど繊細で素直な曲想に嘆息させられる。音楽への人間性の回復を叫んだこの作曲家が行き着いた境地を知らしめるものだ。美しく、しかしどこか孤独な旋律に込められた静謐な祈りの気持ちが痛いほど伝わってくる。この演奏はいくぶん隈取りが濃く、静謐さがやや損なわれているきらいがあるが、背景を見ずに純音楽的に解釈したものとして客観的に聴くことができる。1楽章:星、2楽章:東方の三博士、3楽章:聖母とみどり児、4楽章:羊飼いたちの入場とダンス。8年前の朋友メシアンによるオルガン曲「主の降誕」と比較したくなるがおよそ違う風体である。もちろんこちらのほうがわかりやすい。表題はあまり重要ではないかもしれない。インスピレーションを与えた元のもの程度に考えておいた方が理解しやすいだろう。楽章間の雰囲気はさほど変化せず統一されている。これは目下一番手に入り易いCDか。例のプーランクとの六重奏ほかを収録。(2003記),
リノスの歌
○リノス・ハープ五重奏団(X5 Music Group)2009・CD
これぞジョリヴェ!という呪術的な曲。古代ギリシャの哀歌(のイメージ)から着想したふうに書いているが、旋法の影響関係はともかく、一般的に抱かれるアルカイックなイメージの雰囲気は無い。静けさとやかましさの交錯はむしろ「呪い」であり、けして日よってはいない。演奏は達者で緊密。○。
典礼組曲
◎ラスキーヌ(HRP)ジラドゥ(T)カシアー(OB)ブリザード(VC)・作曲家監修(VEGA)LP
これはハープの響きが支配的な演奏で、「クリスマス牧歌」を彷彿とさせる。じっさいあそこまではわかりやすくないものの、かなり耳馴染みの良い保守的な作品である。聴き易いとはいえ土俗的なリズムやエキゾチックな旋律線にはジョリヴェ独特の原始主義がはっきり感じられるし、前奏から終曲までの計8曲はなかなかに変化に富んでいる。所々まばゆい響きはメシアンに割合と近いものを感じる。「若きフランス」の二人は作風は対照的なまでに異なるものの、どこかでやっぱり繋がっている。ただセリー的ではなく、どちらかといえば無調(それもドビュッシーの晩年のソナタに近いかなり調性的なところのある)風で、透明感を維持しつつも半音階的なところが古さを感じさせなくも無い。テノールとハープ、オーボエにチェロの変則的な四重奏編成になっているが、テノールが登場するまで長い間器楽三重奏状態が続くのも面白い。このあたりなどまさに「クリスマス牧歌」の姉妹作といった風情だ。但しこちらのほうが確か早い作品と思った(ライナーがフランス語で読めない(泣))。テノールも台詞少なで最後はアレルヤを連呼するのみ(讃美歌なのであたりまえだが)。それにしてもラスキーヌは骨太でアンサンブルをぐいぐい引っ張っていっている。ラスキーヌがいるだけで引き締まった演奏に聞こえるのはワタシだけだろうか。チェロのピチカートも効果的に使用されているが、ラスキーヌの強靭な音に拮抗しているのは見事。保守的なジョリヴェが好きなワタシは演奏・曲共に気に入りました。◎。,
ピアノ・ソナタ第1番
○ワイエンベルク(EMI他)CD
赤道みたいなアマルガムな野蛮主義を洗練させたような難曲で、スクリアビンからジャズやらショスタコやら何でもかんでもつぎこんで呪術的世界を紡ぎ上げるも、しっかり構成され聴きやすい。和声的にはフランスな上品さを保っているし、ストラヴィンスキーみたいに隅々まで緻密に組み上げることなく構造的に簡素であるせいだろう。ワイエンベルクは献呈者だったか委属者だったか、バリ弾き高機能なそのピアニズムを、案外おとなしく投入している。とてもややこしいリズム音形と不協和音が駆使され、ワイエンベルクくらいでないとちゃんと弾いていても指がもつれたドヘタ演奏にきこえてしまうだろう曲だが、裏返せばワイエンベルクとてギリギリがんばっている次第で表現を烈しくする余裕がないのかもしれない。最近の老いたスタイルに近い。音の透明感は素晴らしい。爽やかな幻想味がいい。録音もよい。起伏がもっと露骨に欲しい気はしたので○にとどめる。
ピアノ・ソナタ第2番
○ワイエンベルク(P)(EMI他)CD
作曲家監修による録音のひとつだが、ワイエンベルクの繊細なわざをもって美しく響く。洗練されたバーバリズム、抽象化された呪術は毟ろ抒情性を帯び、現代美術展のBGMにはうってつけの微温的な雰囲気をかもす。高級服飾店の前時代的に幾何学化された前衛装飾、確かにヒヨッタ曲ではあるが、隙のない、1番より単純化したがゆえ陳腐さに堕する危険をクリアしたわざはこの作曲家の依然才気をかんじる。ワイエンベルクに依るところも大きいか。○。
マナ~三曲
○ユーディナ(P)(BRILLIANT)1964/8/24・CD
MELODIYAに四曲抜粋のライブ録音があるが別物だろう。モノラルながら明瞭で、力強い演奏を楽しめる。ジョリヴェらしい呪術的というか一種マンネリズムがメシアンと歩調を合わせた作曲家としてその時代に存在したことを改めて認識させるわかりやすさ。スクリアビンとメシアンの間。しかし六曲全曲聴きたかった。
平和の日のためのミサ(1940)
○シルヴィ(SP)グリューネンヴァルド(ORG)ジャッキラ(TMB)・作曲家監修(VEGA)LP
バーバリズムの作曲家が室内楽を書くと、やたら変則的なリズムを使ったり器楽を打楽器のように扱ったりして面白い。ジョリヴェはちゃんと「わきまえて」いるから、たんなる珍曲にはなっていなくて、叙情性を醸し出す余地があるのがよい。まるでイギリス近代の宗教音楽(RVWとか)のような剥き出しのソプラノが、異界的な旋律にアレルヤを載せてひたすら歌い上げる場面から始まり、二曲めキリエではじめて密やかにオルガンが鳴り出す。この演奏は繊細なデリカシーをもって注意深く挿入しているところが粋だ。単音的なオルガンは単純な響きで神秘を表現する。しばらくはこの二つの声部がただ線的に絡み合う原初的な宗教音楽が続けられる。カソリックの厳粛なミサを思い出させられる。オルガンはわずかずつ音を重ねはじめる。ソプラノの声がケレン味無く伸びが有り曲の雰囲気に非常にあっている。そして音楽は不思議な局面を迎える。タンバリン(というかボンゴみたいなものだと思う)が鳴り出すのだ。まるで闇の虚空からひびきわたるかのように。オルガンが消え、太鼓の・・・これを聴いていてなぜか日本海の荒波をバックに褌ねじり鉢巻き姿の屈強な男が、荒々しく祭太鼓を叩いている姿が思い浮かんでしまった・・・素朴だが力強いひびきに煽られるかのように、「春の祭典」で踊り狂う生け贄の女の如くソプラノが歌唱(無歌詞)を続ける。ちょっとシュールだが聴きなれるとこれがなかなか独特の洗練された(純化された)バーバリズムを感じさせ秀逸である。ソプラノはずっと歌いっぱなしだが、そのオスティナートな歌唱が逆にバックのオルガンや太鼓をかわるがわる載せて音楽を運ぶ役目を果たしている。まあ奏者的にはいずれもそれほど個性的ではないので、ヴェガのモノラル録音の悪さをマイナスして○ひとつ。ヴェガのLPは一時期非常に高騰していたが、今はどうなのだろう。フランス往年の名レーベルだ。ただ、ステレオ化が遅く(というかしてない?)他のレーベルからステレオで出し直しになったものも多いので注意だ。