湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2006年07月31日 | プロコフィエフ
△D.オイストラフ(Vn)ハイティンク指揮RCO(KARNA:CD-R)1972/10/8LIVE

美しさは音色のみ。オケソリスト共に振るわない。テンポが遅く莫大で三楽章などオイストラフとは思えないくらいメロメロだ。調子悪すぎ、こんな録音は出しちゃ駄目だよな。。法悦的なテンポはたしかに一つの見識に聞こえなくもないが録音がいいだけに辛い。
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スクリアビン:法悦の詩(交響曲第4番)

2006年07月31日 | スクリアビン
○クレツキ指揮フランス国立放送交響楽団(KARNA:CD-R)live

分厚く力強く厳しい演奏でオケはかなり本気である。テンポに実はかなりデジタルな起伏があり、遅くなると異常に粘るため、冒頭の木管アンサンブルを始めとして音線が繋がっていかないところも散見されるものの、おおむね精緻な整え方ですっきりとした響きが支配的になっている。スクリアビンのスコアは単純だが響きはなかなかに複雑で分厚く、その響きをいかに明瞭に浮き彫りにするかが鍵になってくる。その点よくできている。リマスターは快適だが録音自体バランスがよくないモノラルのため時々スカスカに聞こえたり、ヴァイオリンなどどことなく音がばらけて聞こえたりもするが、これは仕方ないだろう。スクリアビンは非常に耳のいい作曲家で、20世紀音楽への幕をあけたと言われるのもなるほどと頷ける響きが横溢していることがこの演奏を聞くとよくわかる。後年の音列書法による新ウィーン楽派の作品とよく似た楽器法が現れたりするところもはっとさせられる。ラフマニノフは微分音まで正確に聞き分けることができたというが、スクリアビンも自然音に含まれる倍音要素を分解し明確に捉えることができたようであり、神秘和音に代表される独特の重低音を含む不協和音も、共振音を含む自然音を再現もしくは「凌駕」しようとしたと思われるものである。弦楽器の響きに厚みを持たせるために長い音符を刻ませるということは古来よくやられてきた方法だが、(ロシアにはグラズノフのように長い音にトリルを多用し厚みを持たせる「伝統」があり、その延長上と考えることもできるし、ピアノの書法からの単純な移しかえとも考えられるが)この曲など非常に刻ませる場面が多く、それはともすると単純に厚みを持たせる以上に、その音響的な「ブレ具合」を音色のひとつとして取り入れていたようにも感じられる。いずれ神秘のものだがこの古い録音ではそこまでは聴き取れないものの頭で理解することはできる。最後の盛り上がり方は実に誇大妄想的でスクリアビンにふさわしいスヴェトラ的伽藍の構築だ。終演後客席がややどよめき気味だが成功していると言っていいのではないか。○。盤にはただ「交響詩」とあるが法悦の詩は元々詩曲のひとつとして(ドビュッシーの夜想曲のやり方だ)かかれたもので、「交響曲」「交響詩」のどちらでもなく、どちらでもあるから、間違ってはいない。初期の習作に交響詩のような題名をつけている例もあるが、それとは違います。
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クラシックブーム・・・

2006年07月29日 | Weblog
さっぱり感じとれない私は情報感度が下がっているんでしょうかねえ。一時期にくらべ手にする演奏会のチラシも激減しており、見逃すことも非常に増えています。結果クラシックを聴きに行く機会は他のジャンルの一割くらいでしょうか。

音盤はそれにも増して全体の収益が下がっている。クラシックのネット配信は音質や権利関係の煩雑さから殆ど発展しておらず(金銭のからまない放送はそれなりですが)他のジャンルに比べ更に落ち込んでいるでしょう。廉価盤だけのリリースが減り全般に高額化していることや、中古市場が厳しいなりに生き残っているのがその証拠です。


うーん、どうなんだろ。クラシックには私みたいに一切交流せず個人で愛好する人も多いから、統計に出にくい部分もある、潜在ニーズはあると思うんですけどね。「あの店には置いてあったのになんでここでは取り扱わないんだ、ふざけるな!ここではもう買わない!」なんて息巻くクレイジーな人が多いのもまた一般に敬遠されるゆえんだな、と思う半面、ユーザーニーズと売り手都合があいかわらず一致していないという所にも改めて気づかされました。名盤ほど店頭から消えているものです。新しいものを売りたい気持ちはわかるんだけどね。
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シュロップシャーの若者

2006年07月28日 | Weblog
面倒臭くなり訳本を手に入れたがどうも訳がよくない。まったく詩文というのは難しいものだ。思ったのは訳本というのは音楽でいうところの音盤である。そして原書というのは譜面なのだ。誤解を恐れずに原書を読もうとする感覚は、楽譜だけで未知の曲を弾こうとするのに似ている。なんだか学生のころを思い出した。

画像:バタワース
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オペラは長すぎ

2006年07月27日 | Weblog
いったいみなさんどのように鑑賞してるのですか!日常の多労諸事をかたわらになんでそんなに行き聞けるんですか!w


だいたい何年ドビュッシーのペレメリに悩まされてきてると思ってるんですか!仕事で日本モーツァルト協会の小編成版録画ビデオを見てからもう何年も、アンゲルブレシュトのINEDITS盤と格闘し続けているのに、いつも気がついたら朝の目覚ましですよ!


これは超名曲だしクロッシュ氏渾身の大作で、少しの隙もない!デジーはライヴではロマンチシズムを抑えずに没入してみせている。だいたいこの歌劇が同時代のオペラハウスや作曲家の机上に巻き起こした物凄い反響と影響は繊細なクロッシュ氏を精神的に追い詰め、しかし世界中の先進的作曲家たちはこぞって写譜を求め分析のかぎりをつくした。しかし瑣末な影響はあれど本質的に真似できるしろものではない、しつこいワンパターンな手法がなんで全然気にならないのだろうという不思議もある。多分フランス語を勉強しないと音だけでは何とも書きようもない。ペレメリはたくさん持ってるが一つも書かないのは、


やっぱり長すぎだ!
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スーザ:星条旗よ永遠に

2006年07月26日 | アメリカ
○ハンソン指揮イーストマン・フィルハーモニア(meircury)CD

個々の技量についてはイマイチで全般チープな香りが漂うことは否定しないが、ハンソンの厳しい締め上げでとてもまとまった構造的な演奏になっている。ただ楽しくブカブカやっているのではなく、内声部まできちんと演奏されており、更に非常に前進的で浮き立つようなリズムが心地いい。ハンソンの夥しい録音群は録音特性のこともあってやや小粒な感もあるが、これはそれでも「アメリカだなあ」と感心するくらい根っから板についた音楽でもあり、また正統なクラシカルな技術によってしっかり創り上げられた演奏でもあり、聞かせるものはある。総体は楽しげだが、個々の奏者はけっこうきつそうだなあ、とも思ったが聴くだけの人間には知ったことかというわけで○。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

2006年07月25日 | ショスタコーヴィチ
○コンドラシン指揮ミュンヘン・フィル(VIBRATO:CD-R)LIVE

モノラルでエアチェック状態は悪くないが録音は悪いというか遠く篭っている。ノイズもある。演奏は紛れも無く超即物的コンドラシンスタイルで冒頭からつんのめり気味の異様な速さである。軽快に聞こえかねないほどだが妙に粘り深刻なよりは聞きやすく個人的には好きだ。スケルツォはそれに比べれば普通のテンポ。水際立った音のキレとリズム感はコンドラシンらしい厳しくりっせられたものだ。ミュンヘンの一糸乱れぬ好演が光る。ソロに瑕疵はみられるがこの曲でこの厳しさでソロのこけない実演のほうが珍しいのである。アダージオはドライなコンドラシンにとって鬼門のように個人的には思う。わりと常識的な演奏に落ちる。美しく淋しく深刻なさまは描けるのだが例えばバンスタのような歌謡性や迫力がなく、ソヴィエトスタイルの典型的なやり方を踏襲しているがゆえに個性の印象が薄い。全体設計の中ではそれで充分なのかもしれないが。雄大に烈しい発音で始まるフィナーレはわりと落ち着いたテンポから徐々にアッチェルしてゆきヴァイオリンがばらけだして激烈な最初の頂点にいたる。強制された歓喜それ自体より直後の太鼓の破滅の乱打が深刻で印象的だ。念を押すような珍しいテンポルバートがコンドラシンの言いたいことを音楽で示している。わりと普通の緩徐部から再現部は徐々に徐々に注意深く表現を荒げていく。少し注意深すぎるような気もするがじつに大きな造形だ。コーダは二度テンポを上げることなく雄大に壮麗な勝利の凱歌をあげる。設計がすばらしく上手い。ブラヴォもむべなるかな。初心者向きではないが古典好きにもアピールするであろうロマンに流されないしっかりした構造の演奏。○。
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マーラー:交響曲第6番

2006年07月24日 | マーラー
○マリス・ヤンソンス指揮RCO(RCO)2005/8/22・9/7,8・CD

まー実演でこんなに隅々まで聞こえるわけはないのだが、ぼーっと聞いているとさらっとするする聞けるのに、譜面を意識して聞くとかなりアクの強さも感じさせる演奏だ。比較的ニュートラルで弦楽器は非力といってもいいこのオケで、充実した聴感を与えるには異常なほどのテンポのメリハリや細かいフレージングへの配慮にオーケストラ総体として広く響かせる解釈の絶妙と統率力の強さがあり、またとくに静かなパセージの恍惚的なテンポの丁寧な表現には、音の透明感と崩壊しかねないほどの感情の起伏の絶妙な(計算された)バランスが聴かれ秀逸だ。あくまで現代の覚めた演奏でいながら、かなりの深い呼吸ぶりが必ずどこかの声部に感じられる。両端楽章の聞き易さと面白み、ライヴ感には当代随一のものがある。一楽章提示部の繰り返しには少し辟易するが、鋭い切っ先のリズム刻みがグダグダになることから救っている。アンダンテはロマンチシズム溢れるものだが、マリスのマーラーは基本的に明るいので(スケルツォからフィナーレの中では角笛交響曲の牧歌を思わせるほどに安らかな緩徐部も聴かれる)さほど引っ掛かりはない。優しい。実演はここまで綺麗に聞こえるものではなくかなり操作されているが、何か一枚だけ、新しい録音で、と聞かれたときに差し出すには適した好演。○。

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カウエル:マノノーンの潮流

2006年07月23日 | アメリカ
○バーン(P)(ACTA)CD

やや起伏がデジタルで、雰囲気のうつろいやクライマックスの作りかたが生硬すぎるか。若書きゆえスコアが単純生硬というのもあるが、ゴーン、ゴーンと渦巻く運命の潮流を低音のクラスターが演出し、右手は感傷をもはらむ力強い民謡ふう旋律をきざむという極めて理に落ちた構造を、全体としてどういった流れの中に起伏を作っていくか、「視覚的効果のない音盤という世界で勝負するなら」周到に考え、録音操作も加えること辞さずに造り込んで欲しかった。○。
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カウエル:ダイナミック・モーション

2006年07月22日 | アメリカ
○バーン(P)(ACTA)CD

これは明瞭にカウエルらしい抽象的前衛作品で、ブレークビートな断裂する音線に、クラスターも装飾的に添えられるのではなくはっきり部品としての機能を果たしている。ピアニストもスタンスをはっきりさせやすいからかのっている。ただ、少し詰めが甘いか、曲も演奏も。
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カウエル:富士山の雪

2006年07月22日 | アメリカ
○バーン(P)(ACTA)CD

どうも日本というより東洋趣味といった風情で、冒頭からひたすら繰り返される旋律も、こういう衝突するハーモニー(あきらかにドビュッシーの「金魚」などに似せている)をひたすら重ねられると、日本ふうの単純さより中国ふうの豪華さをもって聞こえる。少し浅い。○。
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カウエル:虎

2006年07月22日 | アメリカ
バーン(P)(ACTA)CD

見た目そのまま描写というアイヴズのやり方に似せながらも、思わず抽象化してしまいわかりやすい音楽のほうへ寄せてしまうがゆえに、どこか暴力にも甘さが感じられる。東洋旋法やハーモニーもこの西欧的で生硬な演奏スタイルだと今一つよくわからない。結果としてクラスター的音響もスクリアビン後期のやり方のシミュライゼーションに聞こえてしまう。カウエルはかなり先人の作風を取り入れてくる作家ゆえ恐らく間違った指摘ではなかろうが。無印。
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ハチャトゥリアン:交響曲第2番

2006年07月22日 | ハチャトゥリアン
○作曲家指揮ナショナル・フィル(COLOSSEUM)1953初版・LP


カッコいいなあー。でもロシアオケには違いないんだが正体不明だ。録音のクリアさのせいもあるが美しい透明感ある音で、ホルンあたりはイギリスオケみたいに聞こえる。アクが際立ってこないのですっきり聞き通せる。最初のドゥワージャージャージャージャーンから好悪をわかつロシアンバーバリズムだが所々に繊細な響きがあらわれ様々な同時代作品・・・ショスタコだけではなくプロコをもっとあく抜きしたような平明な表現からRVWの交響曲やホルストを彷彿とさせる清澄な響きの連続、20世紀交響曲好きにはわくわくさせられるような感じがある。いろいろな表情が万華鏡のように現れ人好きするものばかりではないが(随分とわかりやすいほうだが)三楽章の怒りの日の変容あたりからシベリウスをモダナイズしたような才気溢れるフィナーレの壮麗な盛り上がりにいたるまでの見事な大作ぶりったらない。指揮がまた引き締まって上手いのである。むろん弛緩はなくもないがオケの気合いはそうとうなもの。盤面が死んでいるので最高評価はやめておくがまずもって飽きない見事な大作なので、ミャスコフスキーに手を伸ばすならまずこちらから聞きましょう。○。
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ファリャ:三角帽子第二組曲

2006年07月22日 | その他ラテン諸国
○ミトロプーロス指揮NYP(UA/columbia)1953/11/2・CD

正規録音の初CD復刻?ライヴではない。重く強い音だが、勢いのある独特のロマンティックな恣意に溢れたミトプーらしい演奏。ファリャらしいからっとした色彩味は余りないが、純粋に娯楽音楽として楽しめる。剛速球はドラティ以上かも。オケがとてものっているし上手い。ここまで発音が厳しいNYPはミトプーの統率力をもってのみありえたのだ。ザッツが明瞭に揃わなくても全く気にならないレベルに納まっている。先入観なしに前提知識なしに、楽しむべき。やや曇った古いモノラル録音だが復刻状態良好。
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ラヴェルとロシア音楽

2006年07月21日 | Weblog
これはたんに身近な傍観者の叙述的証言にすぎないけれども、ただ主として若い頃の思い過ごしを文字にしるしただけのものにすぎないかもしれないけれども。カルヴォコレシはロシア音楽に傾倒し交流を持ちすぎていたけれども。ラヴェルは「異質」を何よりも愛し、「同化してこようとするもの」を嫌い、「プロフェッショナル」も愛した。

~ロシア音楽に対して、彼と私とは殆ど悉く同意した。我々はムソルグスキー、ボロディン並びにバラキレフを尊敬した。我々はリムスキー・コルサコフの音楽、特にその交響詩と初期の歌劇のいくつかを愛した。我々はチャイコフスキーに興味を持たず、またグラズノフの初期の作品・・・中にも、交響詩「森」、「ステンカ・ラージン」、「東洋的狂詩曲」及び第二、第三交響曲・・・を高く買った少数の人々に属した。もとより我々はそれらの作品の派生的性質には盲目でなかったが、しかもグラズノフが強い個性と見事な想像力とを発揮したことを感じた。

~音楽院の構内で再び出逢った。その時分に彼はまだフォーレの作曲のクラスにいた。そして私は技巧上の知識を磨くためにルルーの和声学のクラスに出席する許可を得ていたのであった。我々は最近に聴いた音楽のことを論じはじめた。その会話はロシア音楽の方に転じて行った。

「ラムルー演奏会の「タマール」を覚えている?」

私が突然こうたずねると、彼の目は輝いた。

「きれいだったなあ。」

そして私の驚き且つよろこんだことに、彼は直ぐ言葉を続けた。

「ねえ、僕はあれのピアノ連弾の譜を持ってるんだ。一緒に弾いてみようじゃないか。」

(カルヴォコレシ/太田黒訳「近代音楽回想録」一部現代語訳)
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