湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ドヴォルザーク:交響曲第7番

2018年01月31日 | Weblog
ペンデレツキ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィア(warner)2017/1/9-10・CD

1楽章は棒が固くて、オケもどうしようかというような非力さを示していたが、作曲家指揮者らしい瞬間的なテンポルバートの挿入といった愉しさの萌芽は見えており、3楽章以降はオケがこなれ熱量があがり、人工的な表情付けと雄大なスケールが印象的なフィナーレはそれなりに盛り上がる。木管はよいが弦は薄く、このブラームス的な曲でははっきり言って重さが足りずマイナス要素が多いが、「独特さ」を価値基準に置くなら聴いてもいい、程度か。
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☆ミヨー:弦楽四重奏曲第1番

2018年01月31日 | フランス
○WQXR四重奏団(POLYMUSIC RECORDS)LP

第一ヴァイオリンに技術的不安定さを感じる。アンサンブルとしてはけして物凄く上手くはないとは思うが、他メンバーはなかなかである。WQXRはNYのラジオ局で、当時の放送局はたいてい放送用の専属楽団をもっていた。この団体のチェリストのハーベイ・シャピロ氏は現在齢95を数えてジュリアード音楽院マスタークラスで教鞭をとっている。もともとトスカニーニ下のNBC交響楽団で10年近く演奏をおこない最後の三年は第一チェリストの座にあった。そのあとプリムローズ四重奏団で4年活動、さらに以後16年間この放送局楽団をつとめあげた。スタジオミュージシャンとしてしばらく各レーベルをわたったあと、渡欧。名声が高まり、ミュンヘンではカサルスと並び賞されるまでに上り詰めたが、台北のレストランで腰を打ってのち教職に転換、1970年からジュリアードに教授として就任以後、名教師として知られるようになった。

弦楽四重奏曲以下の器楽曲を末流ロマン派(そうとうに幅を拡げた私の定義内)の範疇において少なからず書いた作曲家の、習作を除く作品番号1番と2番にはある種の共通した傾向がある。1番は折衷的だが当時前衛的とみなされた要素をふんだんに盛り込んだ野心的な作風により、散漫でまとまりに欠けるもののマニアックに読み解くのが面白い。物凄く乱暴な例をあげればグラズノフのカルテットやアイヴズのピアノソナタである。対して2番は洗練され本当の個性が最小限の編成の中に純度高く反映されたもので、一般にアピールする率が極めて高いものの雑多な面白さには欠ける。従って情熱的に聴きこんだあと一気に飽きる可能性もある。ショスタコは例外的に書いた時期が遅いこともありここに1番がくるが(プロコもかな)、ボロディンなどはまさにこのパターンである。ミヨーももろにそうである。この1番は書法的にあきらかに「人のもの」がたくさんつぎこまれ・・・たとえばドビュッシー、ロシア国民楽派、新ウィーン楽派といったもの・・・、本来の縦のリズム性と歌謡的な旋律を基調とした楽天性は余り浮き立ってこないが、よくよく聴くと後年あきらかになる独特の複調性や高音処理方法が、後年は殆ど浮き立ってこない清新なひびきの連環による観念的な楽曲構成の中に織り込まれている。その点で欲張りな作品でありそこが野心ともいうべきものだろう。正直あまり好きではないのだが、2番のあからさまにわかりやすい世界との対比できくと、ボロディンのそれに相似していて面白い。世代的にウォルトンのニ作品との相似形ともとれるだろう・・・ウォルトンは初作でさらに前衛を狙っていたが。

演奏的に特筆すべき部分はあまりないが、不可でもない。○。

※2006-10-25 16:48:45の記事です
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☆クレストン:交響曲第2番

2018年01月31日 | アメリカ
○モントゥ指揮オケ名不詳(NYP?)(DA:CD-R)1956/2/24放送live

クレストンは案外人気のあるアメリカ穏健派の作曲家で舞踏要素はコープランドに似ながらももっとアメリカ・アカデミズムに忠実な聴き易さと映画音楽的描写性を持ち合わせており、ハンソンやウォルトンを彷彿とするロマンティックな側面も垣間見せるまさに「アメリカ穏健派」の健全な交響曲を、しかしマンネリズムに陥ることなくけっこう複雑に聞かせることのできる人である。振る人によって曲評価が分かれるであろうことは明確だが、モントゥなどもうまさにうってつけであり、前半楽章の暗い中にも透明感のあるロマンティックなパッセージにはもたれることの決してないドライヴがきいており、舞踏楽章など猛烈にリズムを煽りモントゥらしさ全開のほんとに「クレストンが恐縮するくらい素晴らしい」演奏を繰り広げている。最後は少し失速してしかしきちっと締める曲ではあるが、モントゥはそこも的確にまとめて交響曲らしいまとまりを見せている。バンスタあたりがやったらどうなっただろう?恐らくのるかそるか、ロマンティックな側面をあおりすぎて一部信望者しかついていけないものになったか、リズムがグダグダになり曲自体台無しになったか。強引にミュンシュ的に突き進んだとしても、舞踏が主要素となるクレストンの交響曲においては舞踏伴奏のプロに任せるのが正解だろう。録音はいくぶん新しいが一般的水準からいえば悪い。オケ激ウマ。アンサンブルがここまできちっとかみ合って水際立った丁々発止を聞かせられないと曲の魅力が出ないのはウォルトンなんかもいっしょだが、ウォルトンの難点はスピードを出せないほどにパートを別けすぎているところなんだよなあ。サンフランシスコあたりの新鮮な音にきこえなくもないが恐らくNYPの調子のいいときの音だろう。○。

※2007-01-29 23:50:50の記事です
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☆ミヨー:交響曲第10番

2018年01月31日 | フランス
○フランシス指揮バーゼル放送交響楽団(cpo)CD

全集盤の一枚。よく整理された分析的な演奏で、透明感や細部の仕掛けの聞き易さに一長がある。美しい反面勢いに欠け(もっとも三楽章は素晴らしく愉悦的)、ミヨー自身が強調していたメロディを始めとする曲の聴かせどころが明確でないところや、弦楽器の薄さ(じっさい本数が少ないのだろう)も気になるところだが、全体のバランスがいいので聞きづらいほどではない。戦後ミヨーの職人的なわざが先行し実験性や閃きを失った、もしくは単にオーダーメイドで流して作ったというわけではない、しっかりした理論の範疇において交響曲という分野で4番で確立した自分の堅固な作風を純化していった中でのものであり(ヒンデミットを思わせる明快な対位法がこのようなしっかりした構造的な演奏では非常に生きてくる)、アメリカのアカデミズムにあたえた影響を逆手にとったような響きがいっそう際だっている点はこれがオレゴン州100周年記念作だからというより元々の作風の純化されたものという意味あいの中にあるにすぎない。余りにあっさりした断ち切れるようなフィナーレも元々旧来のロマン派交響曲の御定まりの「形式感」に反意を持っていた証であろう。もっとも単純にこの曲の四楽章の落としどころを失敗しただけかもしれないが。録音秀逸。ミュンシュらやミヨー自身のやっていた流れ重視の主観的な指揮とは違う、繊細な響きと構造の明快さの魅力がある棒だ。○。

※2006-07-10 09:18:42の記事です
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☆ケクラン:フルート・ソナタ(1913)

2018年01月30日 | Weblog
F.スミス(FL)M.アムリン(P)(hyperion)CD

象牙の塔に独り篭って自分の為に作曲する事を望んだフランスの静かな作曲家。 あくまで優しく、決して派手ではないが、緻密で清々とした響きに溢れた曲を 200以上も書いている。1867年生まれの白髭のセンセイであったし(和声法の教科書でお馴染み)、 平均値的作風といえばそうかもしれない。しかし、ケクランの作品に 垣間見える個性というのは、紛れも無く20世紀の作曲家としての耳を持ち、新しい音響への挑戦を行った、しかし時代遅れの作曲家のものである。 映画スターのための曲(「7人のスター交響曲」等)や、無邪気な”交響詩” (「バンダー・ログ」等)のイメージがあるが、只耳優しい曲を描く類の作曲家ではない。もう少し深いところに棲むようだ。結局フォーレやドビュッ シーを想起させる場合が多いにせよ、オンド・マルトゥノなどの音素材、複雑で 止めども無い旋律線、空間音楽的発想、無調的フレーズが、さりげなく、しかし注意深く配置されていることに、はっとさせられる(「燃ゆる茂み」等)。 同時代の巨人たちと比べてしまうと、発想にやや貧困さを感じる向きもあろうが、 完成度は高く、若い世代~メシアンやその門下のブーレーズ等~への受けが良かったというのも、さもありなん、である。(1995記),
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☆グラズノフ:交響曲第7番「田園」

2018年01月30日 | グラズノフ
○ハイキン指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)LP

小盤に何故収まるんだと思ったら物凄い速い!完全なるトスカニーニ様式によるグラズノフ、演奏もソヴィエト国立とは思えぬ精度(木管外したりしてるけどモノラルなので目立たない)、盤の状態がひどいので詳細不明ということで○にしておくがちゃんとした音で聴いたら◎にしていたかも。人気ではボロディン的な4番5番やチャイコフスキー的な6番に劣るが、全体の完成度と楽想の豊かさ清新さでは群を抜いているのがこの7番である。ベートーヴェンを模倣したとさえ言われる1楽章から聴く気をなくす向きはこれを聞いてみるとよい。このくらい高速で力強くやられると紛れも無くボロディンの末裔グラズノフ以外の何者でもないことがわかる。スコアを見れば弦楽器のトリッキーな動きなどとてもベトとは程遠い異様な難しさを露呈している。しかしきちんと訓練を積んだプロならヒンデミットの交響曲類のようなすこぶる立体的な演奏効果を与えられるだろう。後半楽章のテンポはやや落ち着くが、演奏自体はそれほどダレた感じはしない。この曲の古い録音にはゴロワノフの名盤があるが、もっと正攻法でもっと西欧的な精度を保ち制御の利いた、それでいて攻撃的な音楽を存分楽しめるだろう。まさにトスカニーニを彷彿とさせる。トスカニーニのロシアものはダレたものばかりだけれど。○。

(CD-R化しているかもしれない。)

※2007-10-16 14:08:40の記事です
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☆カバレフスキー:交響曲第2番

2018年01月30日 | カバレフスキー
トスカニーニ指揮NBC交響楽団(協会盤)1942(11/18?8?1945/3/25?)

非常に音の悪い協会盤であるがリマスターした復刻があればぜひそちらを聞いてほしい。冒頭の和音だけでもう聞くのがイヤになる野暮ったいロシアン晦渋だが(これがなければ国家(某女史)が許さなかったのだろうが)、まあ前半楽章はなんとか我慢するとして(よく1楽章最後で拍手が出たもんだ、逆に感動する)、後半楽章で軽やかで楽しいカバちゃん風味が出てくるので、コラ・ブルニョン的感興はそこまで待ちましょう。トスカニーニ自体は凄いですよ。こんなのトスカニーニじゃなければまともに弾きたくないでしょう、お国ものでもあるまいにアメリカ人。最後まで雄弁にしなやかに突き進む。音響が小さくまとまるのはこの時期のライヴ録音では仕方の無いもので、決してトスカニーニ自体が小さくまとめる指揮者ではないとは思うが、まあ、スケール感は期待できない。純粋に運動だ。好意的に聞いて○、しかしあんまりにも音が悪いので無印。いっしょに入っている43年録音コラ・ブルニョン序曲なるものは英国のCD化音源と同じと思われるが非常に音は悪い。これ自体もCD-R等音源のどれかと同じと思われる。

※2006-04-20 09:57:19の記事です
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:カンタータ「ドナ・ノビス・パセム」

2018年01月30日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○作曲家指揮BBC交響楽団、合唱団、フライン(Sp)ヘンダーソン(B)(SOMM他)1936/11放送・CD

よくレストアされノイズカットされた音源が流通している。初演直後の30年代の録音とは思えない迫力(やや音場は狭くなったが)の音楽を楽しめる。テキストはけして聖書だけではなく複数の文学的な要素を構成したもので、両大戦間の不安と希望が投影された代表作の一つと言っていいだろう。美しい宗教的旋律と中欧的に底深くもフランス的な精妙さを併せもった響き、不協和音と激しいリズムの未だ現れない頃の作品として、もちろんヤワな音楽が嫌いという人の中には「ただの美しい宗教曲」と感じる人もいるだろうが、よく構成された楽曲は交響曲的なまとまりと盛り上がりを作り上げ、5番交響曲を思わせる終曲の壮麗さと判りやすい神秘性は特筆すべきだろう。演奏は作曲家自身によるものだが、他の曲の録音同様、構築的で少々固い。オケも録音のせいもあるだろうがやや非力に感じる(本来大編成向けの曲なのでこの時代の録音用編成では実際薄すぎたのだろう)。一方直裁で突き進むような覇気に満ちた棒はこの作曲家の優しいイメージからは意外でもある。スタジオ録音のためミス等の心配はない。RVWが好きならお勧め。○。

※2011-02-25 12:47:20の記事です
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☆オネゲル:勝利のオラース

2018年01月30日 | フランス
○タバハニク指揮ORTF(INEDITS.BARCLAY)LP

オネゲルはわかりやすい作品はいくらでも作れるが真摯な作品は難しいとかいったことを書いていた気がする。素人聴き晦渋な作品のほうが満足度が高かったようだ。この曲を自身の最高傑作と考えていたようだが、晦渋。ミヨーが初期に書いていた「とにかく前例のない個性」、一時代前の前衛的作風に似た印象もある。誇大妄想的で激しい感情と繊細な気分のうつろいを劇音楽のフォーマットにのせて描き、これに合唱が加わったらそうとうの大作として印象も変わっていただろうなあと思う。タバハニクはジョリヴェ的な娯楽性をそんな曲にも見出していると言ったら過言だろうか。精緻さと力感のバランスがよく、だが「バランスがいい」という言葉の印象とは異なる意思的なものをかんじる。○。

※2010-04-30 13:54:10の記事です
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☆ショスタコーヴィチ:「カテリーナ・イズマイロヴァ」組曲

2018年01月29日 | ショスタコーヴィチ
○ロジェストヴェンスキー指揮フィルハーモニア管弦楽団(medici)1962/9/4エジンバラlive・CD

かなり激しい内容の「ムツェンスク州のマクベス夫人」を体制用に編曲した作品の管弦楽組曲版だが、オケの一部パートに偏った負担をかけるショスタコ盛年期特有の書法が目立ち、効果的ではあるけれども、腕のある団体にさばきの巧いシェフでないと聴いていられないものだ。オケがメロウな音色を持っているためどうしても音楽的に甘さが出てしまうが、旋律性が浮き立ち流れよく進み、変な企みのないわかりやすさが魅力的。壮年ロジェストの水際立った指揮ぶりもさることながら、木管、弦の健闘に拍手。○。

※2008-01-20 19:57:32の記事です
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☆シベリウス:交響曲第1番

2018年01月29日 | シベリウス
◎ガラグリ指揮ドレスデン・フィル(ETERNA/BERLINclassics)CD

これが大変な名演・名録音なのである。CD化していたらすぐに欲しいくらいだが目下LPしか見たことが無い(註:90年代後半に二度CD化している)。LPは薄盤でジャケも非常に安っぽく、だいたい比較的新しいにもかかわらず、物凄い高値のつくガラグリのシベリウスだが(私も他はなかなか手が出ない)、もともと全てステレオで収録されているにもかかわらずモノラル盤も出て、そちらの数が多いゆえ比較してステレオ盤が高値安定という結果になったようである。それで、この盤はステレオで聴いた。驚いた。演奏解釈自体は文字にすると「実直で手堅い」ということになるのだろうが、厳しくりっせらっれたオケの斬り込むような音と常に速めに設定されたテンポがじつに自然でかつドラマティックな演奏を作り上げている。録音が極めていい。生々しい。かといって演奏に少しの瑕疵もないから「そういう」生々しさはない。とにかく非常にスケールの大きなドラマを呆然とただ聴いた。余りシベリウスのいい聴衆ではない私だが、これはどこをどう評すればいいのか困ってしまうほど解釈にてらいがないにもかかわらず、他とは隔絶した凄みを感じさせ、オケの力もあるのだろうが(これがまた他有名オケのような個性を売りにするような団体ではなく、文字にすると実直でまじめとしか書きようがないのだが、とにかくバランスがとれているのに一つ一つの音は強く、隙がまったくなく、うまいのだ)、とりあえず◎としておくしかない。何か言葉が見つかったら再度書こうと思う。

驚いた。

※2006-06-02 10:19:17の記事です
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ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

2018年01月28日 | Weblog
マデルナ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(SLS)1964/1/22live

最初は雑然としたマデルナ流整え方で「ああ…」と思うが、このオケでこの透明感、かなり色彩的な響きを引き出すところにマデルナのフランス物適性が明確に表れてくる。肉感的な音楽にはならずどちらかといえば冷たいのに、綺麗で自在な旋律表現、法悦的な響きのもたらす陶酔感はなかなかのものである。モントゥとは対極の遊戯で、もちろん時代が違うからブーレーズなどと較べるべきではあるが、これはこれでロマンティックであり、その意味では現代的な演奏とも言えない…整え方はとても客観的に精緻に、とは言えない。ドラマを感じさせることはないが音楽として力があり、大曲を聴いたような気すらしてきた。客席は普通の反応。
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ベートーヴェン:交響曲第1番

2018年01月28日 | Weblog
クーセヴィツキー指揮ORTF(PASC)1950/6/25放送live

PRISTINE発掘音源、クーセヴィツキーのベートーヴェンシリーズで田園との組み合わせだがこちらは少なくとも初出(田園もおそらく初出とのこと)。比較的珍しいオケとのライヴではあるが、1番の記録はほかになく、最晩年記録でもあり貴重だ。レストア過剰で残響付加やノイズ除去痕が好悪わかつ復刻具合だけれども聴きやすさをとるならレンジも広く分離もなんとか聴けるレベルまで明確にしており(といっても一般的に楽しめるレベルではけしてないが)満足いくと思う。オールドスタイルのベトであり小粒な1番を想定して聴くと裏切られる。編成をしぼりモーツァルト的な軽妙さを楽しむ、ことはまったくできない。むしろ後期交響曲、7番あたりを聴くような感じで迫力とスケールの大きさにびっくり。これはもう4番以降の世界で、田園もそうなのだが、とにかく後期ロマン派的な方法論で押し通しているというか、とくに弦楽編成がでかいのは確かだと思う。その音のマスの強さで、かっちりした曲に筋肉をまとわせ、ORTFらしからぬ集中力を引き出している。音色はBSOにくらべ良く感じる。BSOなら重すぎると感じたかもしれない。機会があればどうぞ。うまいといえばうまいです。
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☆リヴィエ:交響曲第3番(弦楽合奏のための)

2018年01月28日 | Weblog
デゾルミエール指揮ORTF(columbia)

牧歌的で非常に美しい曲。ヴァイオリン二パートのかなでる高音の旋律はミヨーの作品に近似し、職人的な構造にはそれより癖のないオネゲルの夏の牧歌に近いものがある。もっとも二楽章から現代的な響がまざり、終楽章はすっかりストラヴィンスキー風の律動的な新古典で焦燥感のある音が交錯するまま終わる、フランス音楽快楽派にとっては後味の少し悪い作品となっている。室内交響曲としては比較的著名で、パイヤールのERATO録音が知られるが、国内実演で触れる機会も少なくない。前プロにしやすいのだ。デゾは引き締まったアンサンブルを提示する。オケに癖がなく技術が安定しているのでやりやすい面もあったろう。前時代的なところがなく爽やかに楽しめる。

※2016-07-31 22:00:27の記事です
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☆サティ:バレエ音楽「パラード」

2018年01月27日 | サティ
○マルケヴィッチ指揮日本フィル(PLATZ)1965/4/15東京文化会館live・CD

終演後の聴衆の戸惑いが信じられないくらいだ。これほど繊細さと猥雑さの極端なコントラストがつけられた「バレエ的な」演奏があっただろうか。速いテンポでどんどん場面転換していくさまは演奏会型式だと確かに分裂症的な印象をあたえるが元がバレエであることを念頭に聞いていくとこれほどちゃんと踊れるようになっている演奏はなかなかない。ライヴで日本のオケでここまでドライヴできるのは素晴らしい。音響バランスに多少の問題はかんじるが(奇矯な音素材が強調されすぎる)、そもそも主部の「猥雑な演奏」のすくないこの曲の録音にあってここまでキッチュなパラードを聴けるのがこの日本公演記録だったというのは想定外だった(死語)。マルケはバレエ音楽で生きる。ただ、オケがドイツ的だ。音色が暗い。安定感があり聞きやすいのだが、個性的でないわりに楽曲の軽さにはあっていない。楽想間の切り替えもはっきりさせず通奏感を持たせすぎている。これはマルケのせいではないだろう。惜しいが○。

※2007-02-27 10:00:53の記事です
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