湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆サン・サーンス:アルジェリア組曲~フランス軍隊行進曲

2017年06月30日 | Weblog
○作曲家(P)(EMI/APR)1919/11/24・CD

いやあ、よく回る指!ライナーにもあったが、かくしゃくとした演奏ぶりはこの人が非凡なピアニストでもあったことを改めて思い知らせる。84歳だと!曲のほうは楽しげなラテン系。シャブリエなんかを思い起こす。近代でいえばプーランクやミヨーやフランセあたりか。人を食ったようなところもあるサン・サンらしい機知に富んだ曲。なつかしき時代の曲。・・・今日、中古屋を逍遥していたら、10年余り前に買うのをためらった「大作曲家50人自作自演アルバム」のボックスが、新品未開封で出ていた。いや、出ていたのは知っていたが、買い手がつかないのか、今日は半額セールの棚に出ていたのである。未開封なので内容を確認できなかったが、まあ、分厚いライナーと6枚のCDで6000円なら安いほうだろう。思い切って買ってしまった。開いて見ると、自作自演にいれこんでいた時期に集めてしまったものばかりだったが、このサン・サーンスやフォーレ、ダンディなどは未入手だったので、まあよしとしよう、というところ。これらとて、かつてはバラでも出ていたものだろうが、まあ、昔買えなかったウラミをぶつける意味でも、買ってよかったのだ、と自分に言い聞かせる今日このごろ。・・・

※2004年以前の記事です
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☆シベリウス:交響曲第7番

2017年06月30日 | シベリウス
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1965/7/30LIVE

良好なステレオ。完全にロマンティックなシベリウスになってしまっているが、まるでクーセヴィツキーが蘇ったような迫力、力感で希有壮大にひたすら歌い、内声細部の難しいパセージやアンサンブルはとうぜんそんな方法ではがちゃがちゃ崩れたりもするわけだけれども、同傾向の曲であるRVW8番のときと似たような、どこか強くひきつけるもののある解釈の説得力が発揮されている。RVWよりはやりやすいというかオケにも要領がわかっているというか、ガラグリあたりに似ているというか、初期シベリウスとして聴けば感銘は受ける。没入のあまり最後近くの溜めで大きな力みを声に出しているミュンシュだが、盛り上がりのわりに聴衆は冷静な拍手ぶりにもかんじた。聞きごたえは保証。○。今思えばRVWもなかなかの力演で悪くはなかった、録音が悪かったんだなあ。

※2008/11/22の記事です
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ラヴェル:弦楽四重奏曲

2017年06月29日 | Weblog
パスカル四重奏団(forgottenrecords)1956/11/24live放送

エアチェックだろう、途中混信のような喋り声の入る音源。同じ盤のシベリウスも冒頭から混信が入る。しかしこのラヴェルはいい。パスカルは落ち着いたテンポであるがオールドスタイルのフレージングや解釈を施して、ラヴェルの感傷性をよく引き出して聴かせてくる。楽団のアンサンブルも安定して音色も表現も調和し、ライヴなのに乱れない。熱気が出ないのに感情的、なおかつ終楽章の五拍子リズムを非常に正確に取っているところに象徴されるように、情に流された演奏ではないところが凄い。低音が少し無個性で弱い部分もあるが、ファーストが音色の魅力で持っていってくれるのでそれを支える役目でいるところは違和感はない。これは録音の問題がなければ勧められた。
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ホルスト:合唱交響曲

2017年06月29日 | Weblog
ボールト指揮LPO&cho、パルマー(EMI/warner)CD

宗教色と民謡調の神秘的な融合をみせる深情的かつダイナミックな大曲で本質的にはこういうRVWと同じ方向を向いていた作曲家なのかとわかるし、合唱を主軸に置いているがゆえの単純な書法に、惑星を期待して面食らう向きもいるかもしれない。前奏曲と四つの楽章、事実上5楽章の曲で音楽的に組曲ないし連作歌曲集的だと思うが楽章no.が明示されている。今はホルスト録音集としてまとめてwarnerの安箱で出ている中に入っている(私は現物が入手できずデジタル配信で買ったが、圧縮音であることを差し引いても原音起因もあろうが録音が粗くまた茫洋とし、薄く靄のようなノイズが気になるので1985年のデジタルリマスターの甲斐のある盤買いをおすすめする)。薄い美観の中に木琴鉄琴の打楽器を入れてくるのはRVWとは異なるところで、激しい歌では民謡と同時にモダンさが立ってきて(このへんこの演奏では木琴がややついていけないなど鈍臭さがある)耳馴染み良いコード進行、独特の半音進行による旋律表現や音響的な派手さは惑星と同時にウォルトン熟年期のあざとさを想起する(惑星よりもユニゾンが目立ちさらに楽器法が単調にきこえるのはあちらが複数人で作り込んだためで、ホルスト自身はあの曲でもピアノ版から起こす時点ではこの位を考えていたのだろうか。単に長いからそう感じるのか)。管弦楽の工夫より、合唱のストレートな訴えかけを聴く曲で、だから合唱交響曲なんであり、表題もあまりはっきりしたものはないが、これはしかし「うた」なのである。たとえばボールトのイマジネーション溢れる音世界が生きてくるのは管弦楽なので調和の意味ではそこまで評価できない演奏だとしても、自発的に合唱が主張してくるよう、ホルストが書き込んだスコアの意味が、進むに連れてよくわかってくる。四楽章フィナーレにいたってつまりは、これはオラトリオだということだ。迫力ある音響で打ち出される、あの惑星でも多用された不可思議な音進行がこれはホルストなのである、と主張し、映画音楽的な轟を残しRVW的な静かな海へと帰ってゆく。いや、海というか、この神秘はやはり、宇宙なのだろうな。
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番

2017年06月29日 | Weblog
ジャニス(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(forgottenrecords)1957/12/27live放送

何度も聞きたくなる録音にはもうほとんど出くわさない。これは非常に珍しいケースだ。力強く大きな流れを作って、技術力ではなく、ラフマニノフの音楽の包含する最も良質なロマン性というものを楽団とともに作り上げていくジャニス/ミュンシュの音楽性にいたく感銘を受けた。悪いモノラル録音で1回性のコンサート記録だから演奏精度も細かい部分はわからないが、十分に腕は動き指はまわり音響的にもともと分厚すぎる部分はノイジーに感じるところはあるがほとんど細部のニュアンスに至るまで神経が行き届いてそれをちゃんと音にしている。技巧の継ぎ接ぎではなく技巧を承前として、必要な動きや流れを取り出し聞かせていくからわかりやすい。もちろん音を減らしてごまかすようなことはない。若いならではの演奏でもあるがブラヴォが普通なのが不思議なくらい、響いてきたのはピアノがしっかり前で捉えられかつオケもちゃんと聞こえてくる程度にはバランス良い録音のせいかもしれない。瞬間的にステレオになるのは??
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サティ:バレエ音楽「メルキュール」

2017年06月29日 | Weblog
ロザンタール指揮ORTF(forgottenrecords)1961/6/6パリlive

ノイジーなモノラル録音で放送の板起こしか。ステレオ復刻だが左右が揺れる。ロザンタールらしくもなく?前進的で、生命力のある力強い表現は場面場面ではなく全体の一貫性をしっかり持たせ、重い音響(バレエ音楽で重いのもあまりよくないが)、どうも軽快なサティの管弦楽に聴こえない。この曲が人気のない所以かも知れないがサティは「慣れすぎた」。響きの奇矯さや突然の繊細さや、ゴツゴツしたデジタルな変化はかなり抑えられ、凡庸な世俗音楽の流れに少し山葵が加えられた程度の擬古典的な音楽である。セッションであればもう少し透明感と客観性を持たせた演奏をなせただろうか。最後も盛り上がって終わる凡庸性、しかしまあ断ち切り感はある。ブラヴォが飛ぶからサティとして聴かなければ良い演奏なのだろう。
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ワグナー:ニュールンベルクのマイスタージンガー〜一幕への前奏曲

2017年06月28日 | Weblog
トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1939/1/7live

ナチが士気高揚のため工場でフルヴェンに振らせようとこの曲の価値は些かも揺るがない。全曲はしんどいが祝祭的な内容が凝縮されたこの序曲は全曲中もっとも価値が高い。作曲家自身が何を言ってですら音楽の構造物としての堅牢な美観はいささかも傷つけられない。そして旋律と構造にはそれでも可塑性がありいろいろなタイプの演奏が可能なところが、また名曲たるゆえんである。トスカニーニは音の強弱や密度変化は「劇的」ではあるが、緩徐主題などカンタービレっぷりを聴き取れる、それでもインテンポではないがスピードで押し切るこれはもはやスポーツであり、スピードスポーツであり、軽いと言われても筋肉質なので楽器の発音のキレが悉く厳しく短く、木管の隅まで前のめりのリズム感をそこなうことなく同化しようと必死である。対位法が駆使される場面、この極めて悪い音であっても各声部の交錯し組み合うさまがはっきり聴こえ、きわめて立体的で、変に旋律や合奏力で盛り上げるより圧倒的な印象をのこす。キッパリ終わるが、これが軽く聴こえるのはたんに録音のせいだろう。客席の反応はまあまあ良い。
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ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲(ラッブラ管弦楽編曲)

2017年06月28日 | Weblog
トスカニーニ指揮NBC交響楽団(放送)1939/1/7放送初live

ハフナーのあと、ロフラーの音詩の前というへんな位置に演奏された大曲(最後がマイスタ前奏曲である)。なぜこの曲を大管弦楽編成で編曲しようとしたのか…とも思うがそこがイギリス人らしい楽究癖、マニア魂というか、結果としてトスカニーニが好んだというから良かったのだろう。程よくブラームスらしい響きも残しつつ、ピアノ原曲の単純さからここまで華美で、しかし余計なロマンティックなものを付け加えず何ならユニゾンも厭わない簡潔な音楽を編み出せたのはラブラの腕だろう。ラブラはこの曲だけで演奏史に名を残したようなものであろう。22分台というなかなかの早さだが、交響曲として聴くなればけっこうズシリとくる。楽器の使い方が単調にならず見せ所を散りばめて、トスカニーニは的確にそれらを描き出す。まあ、正直ひどいノイズに弱い音なので、おすすめはしないが、今でもネットのどこかに転がっていると思うので、パブドメ沼でも探されたら見つかるかもしれない。トスカニーニの歌声は最後の方で聴かれる(かなり盛り上がる)。
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☆マーラー:交響曲第9番

2017年06月28日 | マーラー
○ジュリーニ指揮ウィーン交響楽団(sardana:CD-R)1975LIVE

ジュリーニの9番は評判に違わず良いものだ。即物的な演奏に飽きたらゆったりとした、そこはかとない歌心あるジュリーニの演奏に身を浸すとよいだろう。といってもこの時期のジュリーニはまだ壮年の激しさを維持しており、ワルター晩年のような巨匠様式の透明感ある世界ではなく、かといって過度にロマンティックでもなく、テンポ的にも速めなのだが。有機的な1楽章は表情の深さで耳を打つ。ゆったりとした、しなやかな音はウィーンならではでこの盤の価値を示すものだ。しっくりくる演奏で、9番の本来の持ち味が殊更にドラマを煽らずに生かされている。素晴らしい。2楽章はかなり音が悪く聴きづらい。エアチェックものならではの弱さだろう。4楽章でも聴きづらい場面がある。中間楽章は共に遅く鈍重な感もある。このあたりは好き好きとも言えるが本来はこれでいいと思う。余り速いのは内容的に意図ではなかったのではないか。4楽章は速めだが表現は自然な起伏があり人間的な美しさがある。けっして無機的な美しさではない。ただ、カンタービレともまた違うと思う。教会音楽ふうの雰囲気は確かに維持している。ウィーン響はむせかえるような甘い音こそないものの、オケ本来の滋味を効かせた深情の篭ったフレージングで自然に聞かせる。丹念ではないがそこがまたいいところでもある。もうちょっと艶のある音色が欲しいところもあるが、ニュートラルな音がジュリーニの意図だったのかもしれない。ライヴ自体はそこそこ成功していたような拍手の反応である。○。エアチェックテープ特有の録音よれあり。

※2006/3/14の記事です
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チェレプニン:ピアノ五重奏曲

2017年06月28日 | Weblog
mercier(P)パスカル四重奏団(forgottenrecords)1962/5/23live放送

大御所を揃えた自作自演も残されているチェレプニン先生の比較的著名な作品で、まず前衛に立った当時最先端にあったであろう音楽。ストラヴィンスキーほど独特の室内楽ではないが、新ウィーン楽派の目指す音楽に非常に近いものがあり、フランス的なものは一切存在しない。ただ洗練された無駄のない書法がパリ楽壇にいた(いる)ことを暗示するのみである。点描的というような、装飾的要素を排した禁欲性すら感じさせる音楽を、意外とこの楽団は正面からやってのけてみせている。始終聞いていたい音楽ではないが(不格好な形式で少々長い)思考の邪魔をしない、余計な要素のない音楽をちゃんと提示している。聴衆は少し困惑気味。モノラル。
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ストラヴィンスキー:弦楽四重奏のための三つの小品

2017年06月28日 | Weblog
パスカル四重奏団(forgottenrecords)1962/5/23live放送

モノラルだがステレオ再生機できくと位相が変。はいいとしてメロウな発音による一楽章から始まるが通常抑えられるスピードはここでは速く保たれている。ファーストの律動と低音打楽器的な下三本の「コントラスト」は明確ではない。まとまってはいる。この調子で2,3楽章といくと哲学的というより心象的な演奏になってきて、地味目ではあるが、パスカル四重奏団にとってこの曲の解釈は「ここまで」なんだな、という感も否めなかった。ほんらいエキセントリックな曲なのだ。
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シベリウス:交響曲第2番

2017年06月28日 | Weblog
ロスバウト指揮スイス・ロマンド管弦楽団(forgottenrecords)1956/1/11liveジュネーヴ放送

録音はモノラルで残念ながら良くはないが、リバーブをかければ十分迫力が出る。統制が厳しく張り詰めたような雰囲気の中、音響バランスへの配慮が行き届いておりシベリウスらしさが明確で、全体としては一本調子でキビキビしたスピーディな演奏なものの、他の要素でのドラマチックな起伏は十分つけられている。響きのメリットはこの透明感を売りの一つとするオケの力も大きいだろう。技術力はさすがアンセルメのオケだ。ニ楽章の、スピードは早めインテンポの箇所が多いながら楽器同士の交錯する響きの明瞭さ、音量的な変化の仔細にわたる配慮が、即物主義的印象を与えながらも音楽そのものの包含するドラマツルギーを浮き彫りにし、そこにここぞのルバートがかかることによってワグナー的ですらある重みが加わってくる。三楽章は冒頭から大音量で弦の刻みがフィナーレの予言を大声で告げてしまうが、フィナーレ主題を暗示する緩徐部での木管のやり取りも実のある表現で強く印象付けられる。2番は凝りまくるシベリウスとしてはそこまで書き込まれた作品ではないがロスバウドのいちいち抉り出す内声部はいずれも必然性を主張し、結果分厚く豊饒な響きが生まれる。かえってフィナーレ冒頭が薄っぺらくなってしまう独特の書法(譜面上の音量指示はここが頂点ではない)が不思議な浮遊感を産む。やや違和感はあるが、この冒頭が構成的に一番の盛り上がりどころではないことをちゃんと示している。新即物主義的というような力強く一本調子な印象の進行の中で緩徐部での透明感のある響きから生まれる沈潜する雰囲気はコントラストをつけてじっくり味合わせている。ソロミス一箇所、珍しい。この後からの畳み掛けるような持って行き方は計算され尽くしたようにインパクトがあり、テンポは早めインテンポなのにブラスが割れるような音量で爽快というか焦燥感(早く終わりたい?)で持っていくところは独特だ。弦の音の切り詰め方や管楽器の吹き回し方、よくよく聴くと上の独特のスピードと音響のために神経質な指示をしたような痕跡がみられる。凸凹のない充実した響きがあるからこそ苦難のドラマ、転調から終盤へ向けての高らかな凱旋の声が印象的に伝わり、ブラヴォの渦を呼んでいるのだろう。
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

2017年06月27日 | Weblog
ダルレ(P)オーバン指揮ORTF(forgottenrecords)1951/2/5live放送

いやー、凄い。録音が悪いのは置いておいても冒頭から不安定な重音のずらし方で始まりまあ軽くて鐘の音のしないラフマニノフ、残響は使わずかえってそれで明らかになるミスだらけの弾きっぷり、それでもフランソワ的な何かを持っていて、粒だったフランス式の発音でラフ2をやるとこうなるんだ!というのは聴ける。とんでもないスピードで始まる3楽章はパレー式に突き通せば良い、と思うも変にシナを作ってきたり外連味を持ち込んで、オケもそうなのだが、まあ、正直これはコンディションの問題だと思うのはラストの締め前の指のまわりっぷりで、単純だからとはいえここで回るくらいなら他に力を…とも言いたくなる。大見得を切るフィナーレはロシアの大物たちに対抗したのか?あまりに軽くて小さすぎる。ライヴとあるが拍手がないので放送用録音かもしれない。

※本稿ではフランスの国営放送オケの表記は例外的に音源表記関係なくORTF(フランス国立放送管弦楽団)で統一しています(新しい録音を除く)。LP期に「国立管弦楽団」とだけクレジットされているフランス盤はイコール放送管弦楽団なのでORTFとしています。「リリーク」「協会」などの言葉を交え細かく別れたものは総称としてこの名にしています。実態的に明瞭に分けることができないと判断しているからです。但し文章で特記ある名称や、一般的に実態は同じとされるものでも明らかに違う名前(シャンゼリゼ劇場管弦楽団など)が記載されているものは音源表記に準じます。これは経緯的なものがあって統一性をもたせるための特例です。
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ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(グローフェ編)

2017年06月27日 | Weblog
ベニー・グッドマン(cl)アール・ワイルド(p)トスカニーニ指揮NBC交響楽団(arkadia他)1942/11/1live・CD

冒頭ベニー・グッドマンはイヤらしい音で睨めあげるし、アール・ワイルドは呆れるほど回る指あふれるセンスで曲をスウィングさせてゆくが、やはりトスカニーニである、つまらない。キッチリして堅苦しくて、かといって精緻な分析を施した演奏でもなく、ライヴで録音が悪いせいもあるが、楽想そのもの以上に盛り上げる要素はなく、飽きてくる。スピードと正確さと技巧だけでは、この曲はただの底浅いセミクラシックなのだ。二人のクレジットされたソリストのみならず音色には本場のアメリカのジャズ風のものが聴かれるが、それとて際立ってアメリカを主張するものではなく、上品志向は否めない。客席は大ブラヴォなので、これは録音が悪いせいということにしておこう。
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☆プロコフィエフ:バレエ曲「鋼鉄の歩み」~1、3、5、10

2017年06月27日 | プロコフィエフ
○コーツ指揮LSO(HMV)1932/2/18・SP

ロシアに学んだ英国の暴君指揮者として知られ、後年の客演録音は余り冴えなかったアルバート・コーツ(エリックとは別人)だが、同時代音楽を積極的に取り上げていたこの頃のスタジオ録音はロシア式の豪放磊落さを体言し、かつニキシュ直伝の感覚的表現を思わせる。英国楽団の慎ましやかな特質がバランサーとして働いており、技術的破綻がないのもこの時代には珍しい。社会主義的作品、機械文明的作品として知られるバレエ・リュス印のこの作品は複雑な構造は保ちつつ案外人好きするような平易な音線やリズムが魅力。ミヨーを思わせる高音の分厚いハーモニーやオネゲルを思わせるアンサンブルが時折耳をひき、無理と言いつつフランスで作曲を続けるプロとしての一種の妥協を作品に差し込んでいる。そこに更に平易な後年の作風の萌芽がはっきり現れる。もちろん趣向からいってメカニカルな面で聞く曲ではあるが、コーツの音楽の娯楽性はプロコフィエフの面白みを上手に引き出す。抜粋なのが残念。○。

※2011/9/11の記事です
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