○カスマン(P)ターリッヒ四重奏団(CALLIOPE)2001/11・CD
タコマニアって言ってることがわけわからないことが多いのだが、理屈屋か思想マニア(思想家とは言わない)が多いせいなのかな。同時代者として一方的な愛情を感じる向きも多いんだろう。しかし音楽を作る側にとってみればそれは二の次の感覚で、まずは純粋に譜面を読み解きアンサンブルを計画するのである。現代はそれが極められていないと受け容れられない、音楽は一期一会ではなくメディアを使って残り続けてしまう、20世紀前半の様相とは全く異なるものになっていて、だからミスはおろか音色の瞬間的なブレすら許されない(演奏する側にしてみれば聴く側の指摘できるくらいの「些細」って物凄く大きな失敗として即座に感じ取れて当然のものなんだけど)、高精度は当然、そこに何かプラスする余裕のある人は指揮者だけ、ってことばかり。指揮者なしで現代の曲はなかなか難しい。ショスタコの同曲のように単純であっても。ソリストは異質。
この演奏はまったく現代のもので、極めて高い技量をもつ同士の組み合った、それでも窮屈さを感じさせない自然な歌心を(盆踊りに響く怒鳴り声ではなく春風のような歌心を)感じさせて秀逸だ。この曲はそれだけで十分の素直な曲なんですよね。プラスするものは無い。これでいいのです。作曲家の同僚であった人たちや、同じ空気を吸っていた人たちの名状しがたい深刻なものは差異としてあるけど、それはもう過去のもの。素直に喜んで終演すればいい。○だが一般的に聴くには、ほぼ新団体によるこれが一番。冒頭にのべたような人たちがさかんに薀蓄をたれるたぐいの、変な色付けが無いから。時代性からそろそろ切り離してあげたほうがいいよショスタコは、皆々様。
タコマニアって言ってることがわけわからないことが多いのだが、理屈屋か思想マニア(思想家とは言わない)が多いせいなのかな。同時代者として一方的な愛情を感じる向きも多いんだろう。しかし音楽を作る側にとってみればそれは二の次の感覚で、まずは純粋に譜面を読み解きアンサンブルを計画するのである。現代はそれが極められていないと受け容れられない、音楽は一期一会ではなくメディアを使って残り続けてしまう、20世紀前半の様相とは全く異なるものになっていて、だからミスはおろか音色の瞬間的なブレすら許されない(演奏する側にしてみれば聴く側の指摘できるくらいの「些細」って物凄く大きな失敗として即座に感じ取れて当然のものなんだけど)、高精度は当然、そこに何かプラスする余裕のある人は指揮者だけ、ってことばかり。指揮者なしで現代の曲はなかなか難しい。ショスタコの同曲のように単純であっても。ソリストは異質。
この演奏はまったく現代のもので、極めて高い技量をもつ同士の組み合った、それでも窮屈さを感じさせない自然な歌心を(盆踊りに響く怒鳴り声ではなく春風のような歌心を)感じさせて秀逸だ。この曲はそれだけで十分の素直な曲なんですよね。プラスするものは無い。これでいいのです。作曲家の同僚であった人たちや、同じ空気を吸っていた人たちの名状しがたい深刻なものは差異としてあるけど、それはもう過去のもの。素直に喜んで終演すればいい。○だが一般的に聴くには、ほぼ新団体によるこれが一番。冒頭にのべたような人たちがさかんに薀蓄をたれるたぐいの、変な色付けが無いから。時代性からそろそろ切り離してあげたほうがいいよショスタコは、皆々様。