湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ホルスト:スケルツォ(1933-4)

2019年01月31日 | イギリス
ボールト指揮LPO(lyrita)CD

最晩年作だが中途半端に終わってしまう曲の口惜しさはある。作風は完全にウォルトン円熟期でとても効果的だが着地点がない。惜しい。ボールトらしくなく派手。
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ホルスト:ハマースミス〜序曲とスケルツォop.52

2019年01月31日 | イギリス
ボールト指揮LPO(lyrita)CD

晩年作だが、ここにきてホルストはやっと惑星から開放される。ロンドンの地名を冠し今一度、民族主義に立ち返ろうという雰囲気はあるも、それはなんとなく聴きやすいというだけで、むしろ沈潜し弱音の世界で明滅する幻を見る、神秘主義への傾倒は続いていたのだ。この弱音の世界は独自のもので他に聴いたことがない。強いて言えばやはりシェーンベルクになる。硬質な世界だ。そして14分弱はこのての音詩にしては長過ぎるので、人によってははまれないとは思うし、ボールトはまっとうにクラシック音楽としてやりすぎているから古臭さが出てしまうが、それでもこれはイギリス音楽を聴くなら触れておいて損はない。同時代の世界音楽と確かにつながっていて、戦前戦後のアメリカのクラシックにとても近づいている感もある。
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ホルスト:ベニ・モラ(東洋的組曲)op.29no.1

2019年01月31日 | イギリス
ボールト指揮LPO(lyrita)CD

lyritaはCD時代になって長い間に疲弊し復刻をたまに出すと盤質がやたら落ちた(CD-Rになったこともある)。ライナーはカラーコピーになった。私はこのボールトのホルスト集が初出時買えず、復刻時に買ったが、久しぶりに出してみたら軽いCDの表一面がカビが生えたようになっていた。プレイヤーはぎりぎり読めているが一回飛んだ。劣化しやすい材質かどうかは購入の重要なポイントだ。安ければいいわけではなく、今ならさっさと無圧縮デジタル化しておくべきだろう。これも近いうちにバックアップしとかねば。ベニ・モラは基本となる要素がどこかから貰ってきたような感じで、古くはリムスキー、新しくは南欧の作曲家を彷彿とさせられる。その中にホルストの惑星風味が混ぜられている、というかんじで、少々古臭く感じるところもあるが、職人的な作曲の腕前は認められるだろう。東洋風舞踏としては二曲目より一曲目のほうがそれらしい。二曲目はオリエンタルな旋律のゆらぎを中欧とホルスト自身の作風で覆い隠してしまい、しまいには低く長い和音に先導された宇宙的舞踏になっている。三曲目は舞踏ではない。心象的な不思議な轟が印象派ふうに続くかんじで、ある意味個性的な曲だ。ホルストは弦の扱いがイマイチなところがある。管楽器と打楽器は同時代にない個性を発揮して上手いが、弦にはオーケストラのパーツ感が強い。ボールトがやっているから、民族的な泥臭さが垢抜けてしまっている演奏だが、弦が前面に出てくると音量が一段落ちるのは、いきなり剥き出しで放り出されるせいか。この組曲は自作自演がある。
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ホルスト:サマーセット狂詩曲op.21-2

2019年01月31日 | イギリス
ボールト指揮LPO(lyrita)CD

民謡を基調としたRVWを思わせる音楽だが、派手派手な管弦楽の響き、時折混ざる惑星のようなモダンなコード進行に明確にホルストがある。後者は予測を裏切るところが楽しい。これもホルストでは聴きやすい曲で、フーガ風序曲のように吹き抜ける勢いはなくしっとり聴かせる部分もあり、そういうところでの「金管」の効果的な扱いかたはRVWより格段に上を行っている。ボールトLPOのコンビだとすこし音がくすむ感じもなくもないが、民謡旋律には合っている。
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ホルスト:フーガ風序曲op.40-1

2019年01月31日 | イギリス
ボールト指揮LSO(lyrita)CD

垢抜けたモダンで楽しいスペクタクル序曲でウォルトンに近い。ホルストでも人気のある曲ではないか。フーガのような構造を短くいくつか織り込んではいるが型式的な堅苦しさはなくそこは「風」である。ラヴェル的なところがあるホルストだけあり旋律を露わにさせず、響きの清新さとリズムだけで聴かせてゆくところもあり、親友RVWと真逆へ向かったホルストの短命に心落ちる気持ちである。1922年作品。曲はもちろんオケのせいかボールトにしてはとても明るく透明度が高い。スラットキンぽいとすら言える。私はこれで十分かな。惑星を思わせる響きが僅かあるが概ね違う、即効性の聞きやすさがある。
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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2019年01月30日 | ドビュッシー
プレートル指揮フランス国立管弦楽団(erato/icon)CD

かなり陶酔的でグダッとなっているところもあるが、ドビュッシーらしい緩い内声部がよく聴こえ、古い録音のように旋律だけを追うような単純な楽しみ方だけではなく色々面白がることができる。
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デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」

2019年01月30日 | フランス
プレートル指揮フランス国立管弦楽団(erato/icon)CD

派手で愉快なだけでなく精妙なデュカスの管弦楽法を愉しめる。こういう涼やかで綺麗な色の音で聴くと、三角帽子を被って棒を振るミッキーマウスとは全く違った美意識の存在に気付かされる。あれはあれで良いものだが、私はこのデュカスならこそ理解できるように思う。プレートルのただ美しいだけでなくメリハリ付いた奇矯さも併せ持つ芸風が可能にしている表現の大きさも有るのだろう。我々現代の世代とドビュッシーの世代を繋ぐ位置にいるデュカを確かめることのできる美演。
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プーランク:ぞうのババール(フランセ管弦楽編曲)(英語版)

2019年01月30日 | フランス
プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団、ユスチノフ(語)(erato,icon)CD

フランス語版にくらべ段違いに入ってくる。やはり言葉がわかることは重要。これは演劇なのだ。フランセの目を見張る綺羅びやかな模造オーケストレーション、それもアメリカっぽさのある野卑た世俗性を孕んでいるのは英語によくあう。音もこころなしか大きくしっかり聞こえてくるようだ。フランス語がわからなければこちらだけ聞きましょう。「ジ・エンド」で終わるのもなんか往年の子供向けの西洋映画のようでいい。プーランクのオーソリティ、プレートル壮年の記録。
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プーランク:ぞうのババール(フランセ管弦楽編曲)(フランス語版)

2019年01月30日 | フランス
プレートル指揮パリ音楽院管弦楽団、ユスチノフ(語)(erato,icon)CD

この曲(劇)、音だけではサッパリわからない。英語版にくらべ音も小さいような何かはっきりした印象がないのは印象にすぎないとして、いっそう個性がなく、描写的フレーズと語りで進んでゆく。世俗的な旋律はプーランク流のものもあるが、プロコフィエフのピーターと狼からすべての個性を取り去った作品という感じは払拭できない。ピーターと狼にあらわれる強烈に訴えかけるモチーフが、ここではほぼ一つしかなく、ほかは耳優しい音の流れだけ。まあ、とにかく、筋や絵本を追いながら聴くべき。フランス語圏以外は。
 
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オネゲル:テンペスト前奏曲

2019年01月30日 | フランス
作曲家指揮グランド交響楽団(m&a他)1929・CD

ささくれだった曲だが交響曲のような内面的なものからではなく、単にそういう趣旨の曲と言うだけで聴きにくいものでもない。録音がノイズ塗れだから演奏をどうこう言う感じでもないが、短くまとまった職人的作品を達者な棒でさばいたというような録音。
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ミヨー:エクスの謝肉祭(サラドより)

2019年01月30日 | フランス
ヨハンセン(p)ツィピーヌ指揮フィルハーモニア管弦楽団(CAPITOL,HMV/foprgottenrecords)1956/6/14

こういう無邪気な派手曲でモノラルは痛いのだが、最初のあたり手探り感というかピアノがたどたどしくテンポを後ろに引っ張ってるのが気になった(ツィピーヌはむしろ前に向かう指揮者だ)。そのあと音楽が動き出し響きが不協和音で演出されてくるとそれにむしろ迎合したかのようにピアノものってくる。ミヨーにはありがちな大衆的主題に先進的工夫を施した作品で、記憶に残らないものの、ラヴェルは原曲に立ち会ったときミヨーの多作ぶりにくらべ自分の寡作ぶりに落ち込んだという話もあり、技術的には面白いのだろう。
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ブラームス:交響曲第1番

2019年01月29日 | ドイツ・オーストリア
クリップス指揮NYP(forgottenrecords)1961/11/25live

大変引き締まった良い演奏で、ただこの曲はただでさえ演奏効果は高く、そこから一歩抜きんでた演奏に仕立てるのは結構難しい。クリップスはリズム感がよくスピーディで立体的な音の組み立て方が職人的にうまいが、ハデハデに振り切ることもないしグイングイン揺らすこともないから、かといってトスカニーニ系の即物性はさほど感じない(暖かい音のせいだろう)。なのでどうも、良い演奏とはいえ印象を語るのが難しい。となるとあとは「録音」である。安定したモノラルなのに何か所か派手な撚れやノイズが入る。さらに、終演前に拍手が盛大に入って、誰もそれを疑問に思っていないようなのはどういうわけか。拍手だけ別挿入???
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スティル:イン・メモリアム

2019年01月29日 | アメリカ
セル指揮クリーヴランド管弦楽団(eternities)1965/4/25live

セルの初演した曲でその経緯などはぐぐれば出る(英語)。純粋に曲だけ聞けば派手な挽歌というかアメリカらしいラッパを吹き鳴らす系のすこし祝祭的雰囲気を持つものである。演奏後の不穏な客席反応もふくめ面白いドキュメントではある。セルは現代曲をやるときはわりと無味乾燥感が強まるが、音楽に力があれば聴ける。
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ウォルトン:バレエ音楽「審問」組曲(トースキー1961編)

2019年01月27日 | イギリス
作曲家指揮LPO(lyrita)1971初版・CD

1943年の作品だがこれはしばしば演奏されるだけあってウォルトンに期待される「ワクワク」「メランコリー」「カタルシス」がぎゅっと詰め込まれている。ゴージャスで新古典で映画音楽的で、ほぼウォルトンダイジェストである。ジョン・ウィリアムスと言ってもいい。全曲はブライデン・トムソンなど録音しているがそれほどながいものではないしネットでも聴けるが、明るく透明でかつ響きの濃い切れたウォルトンは音源で聴いたほうがいいかもしれない(この良い録音ならなおさら)。ここにはウォルトンとその同時代「だった」作曲家の匂いが濃厚に漂う。第二次大戦中にもかかわらずウォルトンは戦意高揚映画など抱え多忙で、これは依頼から初演が四半期ほどと非常に短期だったそうで、思わず有りものを使ったところがかえって面白くなったのかもしれない…二曲目「呪文(シシリアーナ)」の下降音形のリズムがウエストサイドストーリーに聴こえるのは逆としても、アメリカ音楽からのエコーは無いとは言えまい。四曲目「リユニオン(パッサカリア)」は和声的につみあげていく音楽で、親交あった新ウィーン楽派の遠いエコーや、シンフォニア・ダ・レクイエムのフィナーレとの近似性を感じさせられるが、終幕に近づくに連れ、これは親友ヒンデミットの「世界の調和」の最後ではないかとびっくりする。いや、そこまで露骨ではくスコアでは違う見た目になっていると思うが、そんなところを楽しむこともできる。やや長いが。四曲からの組曲。ウォルトンは呆れるほど捌き方がしっかりして重くならない。
 
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ウォルトン:子供のための音楽

2019年01月27日 | イギリス
作曲家指揮LSO(lyrita)1971初版・CD

十曲からなり、「音楽のレッスン」でいきなりイミテーションから始まるのにびっくり。40年代の作品でウォルトン自身はとっくに最盛期を過ぎ、ただその腕前で依頼仕事をこなしており、これもウォルトンの腕前をしっかり感じることはできるがウォルトンらしさは終盤までほとんどない。チェロ協奏曲を思わせる音が出てきてむしろほっとする。原曲は子供向けの私的なピアノ曲で難度が高いと言われ連弾曲に書き直しさらにフィナーレを加えアドバイスに従いオーケストレーションしたのがこれである。ラヴェルを彷彿とさせるエピソードだが音を詰め込まず必要最小限の不協和音しか用いない点で別物。無邪気な曲ゆえ面白いが飽きる。演奏は曲に沿ったもの。フィナーレの壮麗さをしっかり伝えピアノ曲と別物であることを印象付ける。この最後の2曲を聴けばウォルトンとしての楽しさを感じるには十分。

 
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