湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ドホナーニ:組曲嬰ヘ短調

2019年04月25日 | 北欧・東欧
ロジンスキ指揮NBC交響楽団(SLS)1938/4/2live

オケが俊敏で重くならないのはロジンスキにとってもメリットだ。このロマンティックな曲から現代性を浮き彫りにしトスカニーニに中欧的な色彩を加えたような優れた演奏になっている。20世紀初頭の作品なので同窓バルトークの後年の作品のようなものは期待できないし、ドホナーニはそういう作曲家でもないが、この頃多かったリヒャルト・シュトラウスの絶大な影響下で爛熟した響きを使いながら、変に壮大にせず締めるとこ締めて軽妙な表現をなしている非常に職人的な良さのある作品。原曲はピアノだと思うが単なる編曲ではなく、ブラームスというよりロシア国民楽派の作品の野心の見せ方のようなものがあって極めて平易で楽しめる(四楽章冒頭はラインの終楽章かと思うが)。オリエンタルな旋律のあらわれる三楽章もリムスキーより遥かに洗練され中欧化され隙きが無い。また、ロジンスキーがただ力で押すだけの演奏をしたと思ったら大間違いなことがわかる。この人も職人的な人で、カラフルな曲はカラフルにスマートにやってのけるのだ。録音が30年代にしては針音程度のノイズでしっかり聴けるのでサージェントより古いものが聴きたければぜひ。わりとハリウッド映画風なので気軽に。
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シマノフスキ:交響曲第4番「協奏的交響曲」

2019年04月17日 | 北欧・東欧
ブロヤ(P)ヴィト指揮ワルシャワ・フィル(ica)2009/11/19live・DVD

同曲としては大変に珍しい正規の映像記録となる。やや弱いオケ、折り目正しい棒で、熱狂し突進する迫力はないが、細かな部分に独特の書法が施されとても「やりにくそう」なところを含めて楽しめる。ピアニストとしても作曲家としても「若きポーランド」の中で突出した音楽家だが、生涯における作風の変節と長命に恵まれなかったことから世界的には数曲を除いて殆ど知られていない。ただ、プロコフィエフに始まる新古典主義協奏曲の系譜に連なるこの曲は民族主義を露骨に掲げるとともに、中欧からの影響より始まったシマノフスキのキャリアを想起させる安定した壮麗な響きと、印象派やスクリアビンの影響に始まった奇矯な個性の発露があいまって、初耳で捉えられるわかりやすさほどには簡単ではない、だから浅薄に思えたとしても映像を目を凝らし耳をすませば聴こえてこないようなところに面白い要素が散在しており、その意味でDVDで見る価値はある。ソリストは上手いが実直さがあらわれ、三楽章では恣意的に横に揺らしてくるが、わりと縦にリズムを取り正確さを重視するスタイル。ヴィトはNAXOSにも録音がありこの演奏はそれに近いものを感じさせた。一楽章は音域が高く管楽に無理をさせているような感じがある。ソリストもまだ硬くさほど惹かれなかった。しかし二楽章はラヴェルの両手の二楽章が演奏されるさまを想起させる、じっくりと聴かせてくる。一楽章でもそうだったがフルートがとても旨い。黄金に輝く楽器から美しい音を誘い出し、一楽章の印象的なモチーフを立ち上らせる。ここではヴァイオリンソロも美しい。シマノフスキはピアノに非常に力を入れた曲作りをしていてどこが協奏的交響曲なんだというピアノ協奏曲ぶりだが、弦楽器の使い方がもともと上手く、この曲では部品化させられる場面が多いものの、二楽章のコンミスソロは感傷的で訴えかけるものがある。録音があまりバランス良くなく三楽章への雪崩込みが今ひとつ音としては際立ってこないが、この三楽章は映像としては今見ることのできる最もよくできたものだと思う。曲もひときわ単純にリズムをあおり短いフレーズを対位的に絡ませるような王道ぶりだから、クライマックスでドイツ的な大きな音響を繰り広げるまで何にも考えなくても楽しめるが、スピードがもっと欲しい他はあまり悪口が思いつかない。あ。カメラワークが凝りすぎてすごく見づらい。ピアニストの足元から鍵盤越しの天井を見上げるアングルは何が見せたいんだ。
シマノフスキ:交響曲 第3番「夜の歌」/交響曲 第4番「協奏交響曲」 [DVD]

ラファウ・バルトミンスキ,エヴァ・マルツキ,ポーランド合唱団,ヤン・クシシュトフ・ブロヤ,ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
圧倒的なものはないが、ルービンシュタインのような音を犠牲にして音楽を作るようなのは今は通用しないのだろう。拍手は通り一遍。
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バルトーク:管弦楽のための協奏曲

2019年04月16日 | 北欧・東欧
オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(NHK,KING)1967/5/4大阪フェスティバルホールlive・CD

余裕しゃくしゃくのオケがすごい。そのうえでオーマンディの指示につけ、しかもやり慣れたこの曲を、ライヴでは透明感すら感じさせるほど明るく軽く演じ上げてみせる。ドビュッシーの影響下からはじまったバルトークの繊細な響きをヒステリックな色をつけることなしに涼やかに明瞭に提示し、「対の遊び」など点描的で現代音楽的である反面しごくわかりやすく、計算的なところは共通するラヴェル的ですらあるよう届かせる。バルトークに特有の感情的なエレジーもオーマンディは音響として完全なオーケストラを目指すことにより、このての体臭の苦手な向きにも音だけを楽しめる余地をあたえる。アメリカオケであることのメリットはこの非ローカリズムであり、ボストンなど著名どころが万能オケみたいな使われ方をしたのは多民族国家であることも理由だろうが、そのすえに機能的なアメリカスタイルとでもいうべきものが生まれたのは面白い。フィラデルフィアは最たるものと言われたオケである。録音は悪いということはなく、ツィンバロンなど適切な音量で聴こえる。独特のねっとりしているのにすっきり通る音で抽象化された間奏曲の「皮肉」はもはや皮肉に聞こえない。カラフルな音響でパロディの楽しさに満ちたものだ。バルトークに何かしら持ち込みたい向きは、物足りないかもしれない。技巧的な完璧さは否定しようがないだろう。録音ですら伝わる合奏の迫力を、フィナーレは味わうべきだろう。さすがにこの曲で弦楽器は余裕しゃくしゃくまではいかないが、管楽器はそれはそれは余裕がある。このオケは誰も譜読み間違いなどしないのでもう安心である。ライナーにもあるが管弦のバランスが素晴らしく良い。平面配置でこの音響、とあるが、ストコフスキの創出した現代配置は理想的だろう。バルトークのオーケストレーションを楽しむだけだ。弱音や、音が少ない場面のほうがこのオケの一人一人の技術を楽しむことができる。中盤以降の合奏協奏曲的なアンサンブルはスリリングではなく、そんなレベルを越して総体が美しい。クライマックスの作り方は見事。音量を抑えたまま異様な空気を巻き起こし、スペクタクルへの過程を自然に盛り上げる。拍手が盛り上がる前にさっさと曲目を言ってアンコールに入るビジネス性もオーマンディらしい。
 
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ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第3番、15番

2019年04月13日 | 北欧・東欧

セル指揮クリーヴランド管弦楽団(eternities)1965/4/25live


アンコール曲。少々珍しいが前者のほうが耳馴染みよいか。セルだからどうということはなく、巧みだが特長的なものはない。録音は悪い。

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シベリウス:交響曲第7番

2019年04月10日 | 北欧・東欧
クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PASC)1948/12/17live

既出か。pristineがすごいリマスタリングしてきて、擬似ステレオの人工的な新しさを突きつけてくる。いや、クーセヴィツキーみたいな指揮者はここまで加工して、古臭いイメージを一掃してやらないとならない。少し単調ではあるけれどシベリウスのオーソリティとして堂々と、前期交響曲的な雄渾な演奏を繰り広げており、シベリウスの繊細なメカニックを楽しむにはいくら加工しているとはいえこの音では無理があるが、なおクーセヴィツキーはやはりドラマの人で、明るく透明な響きの世界を提示するような現代的な観点はない。ロマンティックな雄大な世界を演出しておわる。拍手がまた人工的。。迫力はありますよ。
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モンラード・ヨハンセン:交響詩「牧神」

2019年03月08日 | 北欧・東欧
ミュンシュ指揮ORTF(SLS)1964/6/4live

ノルウェーの新しい作曲家だが曲は古くさい。「パン」と聞いて期待するといきなりのシベリウスぶりにのけぞる。中欧的な重心が低い音楽はやはりグリーグに近いのかもしれない。その中にも軽やかなフレーズが舞い込むさまはストラヴィンスキー「火の鳥」だろうが、それほど強い影響は感じられず、通り越してリムスキーと言ってもいいような色彩だ。シェーンベルクを思わせる脳っぽい硬質の音も入るが一部だけで、この交響詩を形作る描写的要素がどのようなテキストに即して作られたかわからないので、そこでなぜその音があるのかわからない。ミュンシュだから聴けてしまうが、次のルーセル「バッカスとアリアーヌ」にちょっと似た折衷的なロマン主義の気もあり、そのような音楽だと割り切れば楽しめよう。「牧神」という題名でホルン斉唱が入ったところで「即物的すぎる…」と唸ってしまった。
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グリーグ:ペール・ギュント第一組曲、第二組曲

2019年01月10日 | 北欧・東欧
フリード指揮シャルロッテンブルク歌劇場管弦楽団(第二組曲はベルリン国立歌劇場管弦楽団)(Polydor/Hindenburg)1928・SP

マーラーのそばに立っていたと思ったらラヴェル訪米時ガーシュウィンら超有名人だらけの写真の端に写っているオスカー・フリート。果てはソヴィエトで活動するという国際派で、マーラー「復活」録音は高名だが他にも当時としては異例の長時間録音を昭和初期という時代に遺している。ソヴィエトということからもチャイコ、国民楽派が得意であったことは、マーラーの「演歌調」をこのんだことからも偲ばれる。ardmore復刻CD-Rで聴く。1,2でオケの違いがあらわれており(「朝」のフルートソロのひなびた調子…)またSP原盤ゆえ原音もそうなのか断言はできないがアンサンブルがばらける、もしくはテンポが2つに割れるように聴こえる箇所が前後者とも聞かれる。それでもこれに安定感がかんじられる理由は響きの調和で、足取りやテンポの確かさよりも、中欧的な響きの安定感だけではなく曲に即した(ここでは軽やかで明るい)音響をしっかり整えて提示していることが大きい。音量やアンサンブルに欠点があろうが、音を正しく響かせることでの説得力を感じるのである。もっとも板起こしの技術が良いだけかもしれない。当然第一組曲のほうが楽しめる(曲的に)。フリートは率直なようでいて何気に揺らしており、テンポの緩急も結構ある。オールドスタイルの発音もきこえ、「復活」の録音を思い出す。でもそれほど気になるものではなくフリートはこの時代ではモダンな指揮者なのだ。ワグナー風の重厚な音楽よりチャイコ風のバレエ、フランス的な軽さに向くきがする。
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バルトーク:管弦楽のための協奏曲

2018年12月14日 | 北欧・東欧
セル指揮クリーヴランド管弦楽団(eternities)1965/4/25live

演奏以前に録音がこもって聞きにくい。セル、バルトークを聴くには不明瞭すぎるしボリュームも小さい。中断された間奏曲終わりで拍手が入りかけるという事態にも拍子抜け。終楽章のめくるめく色彩を振りまき駆け回る弦は拍手ものだし、ハープとのやりとりは素晴らしくみずみずしいが、冒頭テンポの遅い部分では弛緩を感じるし、終わり方も締まらない。他の楽章も勿論録音のせいが大きいだろうが伝わるものがない。どうもテンポ操作が人工的なところがある。パッとしない。一楽章の始めに謎の無音部分が入るのは録音タイミングの問題だけにしても興を削ぐ。うーん。良い録音でどうぞ。
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☆シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番

2018年03月20日 | 北欧・東欧
○キム(Vn)ザンデルリンク指揮NYP(VON-Z:CD-R)1984/1/21live

このソリストはなかなか聴かせる。音は金属質で細いが音程感が明確になるゆえ曲にはあっており、アーティキュレーションもかなり堂に入ったものである。シマ2でここまで巧く揺らしてくるソリストは余りいない。技術的に難はなく、もちろんライヴだから瑕疵がないわけではない。だがシマノフスキの多用する重音処理の中には元から無理があるゆえ音になりにくいものもあるわけで、フランス的に引いたかんじで綺麗に響かせることはできようが、だいたいが民族音楽なので荒々しく音にならない破音で十分なのである。ザンデルリンクは鈍重で妙な細かい音響に拘るが、いつものことだろう。ソリストと乖離しているかと言えば「それほど」乖離していないのでよしとすべきだ。後半などソリストが熱してきてあわないギリギリのところを綱渡りするようなスリリングな場面もコンチェルトの情景として面白く聞ける。○。

※2007-06-26 16:51:37の記事です
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☆シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番

2018年02月15日 | 北欧・東欧
○パリュリス(Vn)サタノウスキ指揮モスクワ放送交響楽団(melodiya)live

弓を物凄く弦に押し付ける奏法からしてそうなのだが、力ずくで押し通したような演奏ぶりで、尋常じゃない勢いだ。一部オケがついていけてないほどに突っ走る場面もある。せっかちな感は否めず、緩急の緩のほうが足りないような気もするが、スリリングでライヴ感に溢れたすこぶるテンションの高い雰囲気に圧倒されてしまう。この曲に横溢する民族的表現すら強烈なテクニックの前に鄙びた緩やかな雰囲気を失い、ただ聞くものを唖然とさせるものになっている。技巧的にこのスピードでは無理、というところもなきにしもあらずなのだが、それでもほぼ完璧な音程、重音のハーモニーが素晴らしく耳に残る。ロシアオケのボリューム溢れる音に対してしかし終始支配的に演奏を引っ張っていくさまはウィウコミルスカ盤以上のものだ。寧ろオケが鈍重に聞こえる。ソヴィエトの常、ブラヴォは出ずフライング拍手がパラパラ入ってくるが、そんなのが信じられないくらい、最後のコーダも物凄く、「曲を基本的に解釈していない」ものの「曲を完全に弾ききった」という感慨を受けるものとして、◎にしたいが○にとどめておく。モノラル。

※2006-05-22 09:58:57の記事です
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☆ヤナーチェク:シンフォニエッタ

2018年02月12日 | 北欧・東欧
○クーベリック指揮バヴァリア放送交響楽団(FKM:CD-R)1981/10/15LIVE

どうも、これだ、という演奏にめぐり合ったことのない曲だ。この演奏もクーベリックとは縁深いオケだけあって非常に明瞭で力強い演奏になっているが、イマイチ吹奏楽の域を出ていない。とても国民楽派の曲とは思えない新鮮さを持った傑作であるだけにクーベリックあたりの熱血名匠には名演を残してもらいたかったが、聴きやすいものの、それだけ、という感触をもった。十分鑑賞に耐え得ると思うので○はつけておくが、何か決定盤が欲しい曲である。それだけ難しい曲ということでもあろうが。

※2005-03-22 13:29:44の記事です
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☆シマノフスキ:交響曲第4番(協奏的交響曲)

2018年02月05日 | 北欧・東欧
○アムラン(P)エラス・カサド指揮BPO(DIRIGENT:CD-R)2011/10/20live

深く広い響き、ベルリン・フィルでこの曲が聴けるだけでも喜びだ。解釈どうこうではなくこの「楽器」が可能とした表現に、同曲の新しい側面を見た思いである。ローカルオケ、とくにポーランドのオケばかりがやっていて、ソリストもローカル、ルビンシュタインでさえ指がもつれるのも平気で録音した、そういうところの物足りなさを補うものがある。反面お国演奏、とくにルビンシュタインのような鬼気せまる舞曲の迫力はここにはない。アムランの醒めた表現が、悪い録音の中に鎮座している。録音がもっとよければ、客席のブラボーの理由がわかるだろうが、どうしてまあバランスが悪い、とにかく今まであった同曲のどの録音とも違う独特の深みある演奏なので、無価値とは言わない。リバイバルにはうってつけだ。

※2013-02-07 23:13:54の記事です
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☆ヤナーチェク:ヴァイオリン・ソナタ

2018年01月26日 | 北欧・東欧
○マテラッシ(Vn)ダラピッコラ(P)(stradivarius)1950/12/30フィレンツェ・CD

異様な迫力のある曲で、内容のある曲とはこういうものを言うのだろう。同年代の作曲家でも前衛的感覚の鋭さや新しいものへの貪欲さの強い、しかし同じくらい民族楽派としての立ち位置にこだわった作曲家もいまい。冒頭よりやや古風な国民楽派的メロディが続くがフランクからドビュッシーなどフランス派的な響きやフレーズが断続的に現れ、フォーレをエキセントリックにしたような音楽というべきか、思索的な繰言、あるいは短い叫びのようなものが何度も地面に向けて叩きつけられる、形式的なものなど殆ど無視され音楽は盛り上がっていくが、最後はアダージオの闇に沈む。個人的なもののみならず時代性とも切り離せない陰のある音楽で名技性に依ることなく円熟した書法が反映され、何か病んだ自己韜晦的なものも抽象的に昇華されている。演奏はある意味ニュートラルであるがゆえに本質に迫っているようだ。ヴァイオリニストは巧い。ダラピッコラは伴奏として完璧な表現を提供している。

※2009-05-18 09:41:14の記事です
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☆マルティヌー:ヴァイオリン協奏曲第2番

2018年01月25日 | 北欧・東欧
○カウフマン(Vn)ル・コント指揮ORTF(cambria)1955・CD

録音は悪いがルイス・カウフマン(コーフマン)の無数に残された盤の多くは古いため音が悪いものも多く、中ではいい類か。ヨーロッパ滞在中で、しかもORTFというところがマルティヌーの出自を鑑みても面白い。作品ははっきり転向後のマルティヌーそのもので欧風のロマンティシズムの中にも露骨な折衷性が目立つ。ウォルトンの協奏曲に無理やりストラヴィンスキー初期のバーバリズムや連環する音列といった要素を加えたような冒頭からのけぞらせるものがあり、中欧的なくぐもりを含むロマンティックな音楽の中に開放的なアメリカイズムやフランス派から借りてきたようなフレーズ、新古典的要素の散発するさまが聴かれ、更にオルガン的な分厚いハーモニーを並べるのみの擬古典的書法の横溢(いつものことだが後半部どんどん簡素になってゆく)、終楽章は民族主義的な定番のやり口で、やばいほどに卑近な表現になっている。確かに面白い。聴き応えのある大曲で数十年遡れば大衆曲として残ったろう。同時代にも人気はあったであろうが、後世に残りづらい多産化マルティヌー後期の難点もまたあらわれている。しかし、弦の国の人だけありヴァイオリンの使い方は自然で巧みだ。名技性を求められてただ無茶を注ぎ込むのではなく、こうさらっと書けた人は古今少ないだろう。

依属者エルマンを彷彿とさせる「最後のロマンティスト」カウフマンは艶のある太い音に安定した技巧で友人の作品を盛り立てている。その並ならぬヴィルツオーソぶりに反し、タイタニックに乗り損ねることに始まる波乱万丈な人生は、一応純アメリカ人として市場主義に振り回されたとも言え、ミュージカル・アーツ弦楽四重奏団でヴィオリストをつとめる前後の逸話(無名の叩き上げにもかかわらずクライスラー、エルマン、カザルス、ジンバリストに室内楽団に誘われ名を上げたものの、ピアニストと結婚しソリストとして活動する道を選んだ)に始まるちょっときな臭い話はこちらの死亡記事に詳しい。そのきな臭さの中で「風とともに去りぬ」のソロヴァイオリンとしての「仕事」も含まれているわけだが、LAオケメンバーとしてのハリウッドとの密接な関係が「正統の」ヴァイオリニストと一線を敷かれたこともあり、ヨーロッパに逃げて活動を修正しようとしたものの、最終的には当時の同時代音楽の紹介者としての役割に終始し、大成せずピークを超えてしまった。とはいえミヨーやヴォーン・ウィリアムズなど初演作品の中には同時代の作品として重要なものが含まれ、いずれの録音も贅沢なほど完璧な演奏技巧と表現力に支えられたプロフェッショナルなものである。膨大な放送演奏に魅せられた記憶のある聴衆はLAに戻って後もカウフマンの演奏を求めたというが、しかし技巧の衰えを感じてのちはリタイアしてしまった。それが録音方式の変遷と巧く噛み合わず、一般的に評価可能なレベルの音質のものが、四季など「代わりはいくらでもいる」作品しか無いのは不幸なことだ。いずれにせよ近現代作品初演者としてこの名前を知らないのは、もぐりである。コープランド好きならとくに。

※2009-05-29 13:18:15の記事です
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☆バルトーク:ピアノ協奏曲第3番

2018年01月15日 | 北欧・東欧
○アントルモン(P)バーンスタイン指揮NYP(DA:CD-R)1967/1/21

冒頭よりやたらと打鍵が柔らかく叙情的な流れを作り出そうとしているようだが曲がいくら平易とはいえ「バルトーク」なので鈍さのようなものを感じさせられざるを得ない。技術的にいささかの不安もないのに(この曲においてさえたいてい不安のある演奏が多い)物足りなさを感じる。バンスタは軽い旋律をメインに据えた薄い音楽を目しているという点でアントルモンと同じ傾向を示しており、個性は無い。旋律偏重・高音偏重という点ではいつものバンスタではあるのだが。綺麗なことは綺麗で、1,3楽章が2楽章と同じように美しく聴けるゆえ○にはしておくが、どうも腑に落ちなかった。篭った録音。

※2008-08-25 10:17:36の記事です
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