湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

バルトーク:青ひげ公の城

2018年05月26日 | Weblog
トロヤノス(msp)ニムスゲルン(b)クーベリック指揮NYP(NYP)1981/3/27live・CD

きわめてダイナミックな演奏でauditeのマーラーライヴが出るまでは生演奏を聴いたことのない人にとって「中庸」の印象であったクーベリックの、ニューヨーク・フィルという強力な軍兵を得ての演奏ぶりに驚かされるものであろう。録音が優秀なステレオであり正規音源らしい音質でこれもまた良い。ソリストはクーベリックのバックに負けることなく劇的な歌唱を繰り出しておりいささかウンザリする長さの曲とはいえ最後まで聴かせる力はある。前期的なドビュッシーふうのイマジネーションもあわせもつ曲で、その点で食い足りなさはなくはないが、バルトーク的な独特の民族様式が顔を出すところはしっかり聴き取れクーベリックのスタンスもわかる。この曲の演奏ではなかなかのもの。
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ピストン:交響曲第2番

2018年05月24日 | Weblog
ロジンスキ指揮NYP(SLS)1945/11/18カーネギーホールlive

ロジンスキのピストンのシンフォニーは初か。リズミカルで平易なピストンにロジンスキの集中力高く前進的な芸風はやはり合っている。ピストンは平易だが同時代の「戦争的な」翳りも現れ焦燥感を煽る時もある。ここではそういうところも魅力的。翳りを翳りと感じさせない、近現代の大規模複雑なスコア操りを得意としたロジンスキらしい、理解度が深いからわけがわからない部分が少しもないのだ。アメリカンシンフォニーの佳作をやりきっている。もちろん録音が悪く、また板についているというほどロジンスキ的なものは出ないので、いま発掘されたということなのだろうが、ロジンスキ好きならおすすめする。NYP(ニューヨーク・フィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラ)の魅力もしっかり。
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番

2018年05月22日 | Weblog
フリエール(P)バーンスタイン指揮NYP(SLS)1963/10/13リンカーンセンターフィルハーモニックホールlive

録音は悪めのモノラルですすめられないが内容はかなりよい。フリエールはバリ弾きスタイルだが音が柔らかく機械的な技巧のみならず滑らかな音色表現で余裕でグイグイ引っ張っていく。和音もきれい。だが2楽章終盤で少し音が濁り、3楽章序盤ではテンポが停滞したどたどしくなる。これは疲れか何らかの事情か、ただ気が付くと素晴らしい技巧と音楽的表現で爆発的な拍手に包まれている。これはバンスタNYPという重厚にうねりイマジネイティブに絡むロマンティックな表現に素晴らしく適性を示すバックをつけている面もつよい。ラフマニノフはバックオケも重要。これも何かの裏事情かバンスタもラフマニノフはあまりやっていないが、2番シンフォニーあたりやったらマーラーになっていたかなあと夢想。総じては良い演奏で○をつけたいが録音状態と調子の悪い部分をさっぴいて無印。
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ドビュッシー:小組曲(ピアノ連弾版)

2018年05月20日 | Weblog
○R.&G.カサドシュ(P)(COLUMBIA,sony)1959/6/25,26・CD

この決定盤は他の、とくに最近の録音とは違う。ドビュッシーと同じハーモニーを聴き、サティと同じエスプリを体感し、ラヴェルと同じタッチを聴き、そのラヴェルと肩を並べて教鞭を執ったカサドシュがこの曲が言わんとしていることを明確に変化をつけて弾き通した規範である。ドビュッシーは記譜を重視しなかったといわれる。カサドシュは自分の耳で聞き、一曲目ではとくにドビュッシーのハーモニーを再現するために必要なすべてを尽くしている。ドビュッシーのスコアを再現するためには何もしていない。二曲目からは全曲通しでスコアをまとめることなんかしていない。きわめて細かな文節単位で必要な解釈を施し、その集積が結果として大きなまとまりを形作る。とにかく聴かせる。面白い。それに尽きる。ただ上手いなどという残響を多用する演奏に堕ちてはいない。それはとくに奥さんとのタッチの差への配慮にも現れている。カサドシュはとにかくペダルを使わない(古いステレオ録音のせいである可能性もあるが多分ラヴェルの系統のフランスだから粒だったカラッとしたタッチを好んでいるのだと思う)、それが譜面に現れない真にリズミカルな音楽を生む。この二人の共同作業に匹敵する同曲の演奏コンビを知らない。何度でも聴いて噛みしめる価値のある演奏。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第6番

2018年05月20日 | Weblog
バーンスタイン指揮NYP(SLS)1963/10/13リンカーンセンターフィルハーモニックホールlive

モノラルで音場狭いがノイズが気にならない音質。鋭敏な耳が光るバンスタだがやはり二楽章の派手で粘着的な攻撃性を発揮するさまが最も聞きばえする。オケの力強さもこういうところで一番輝きを放つ。ギチギチに厳しいことはない、しかしミスはなく、木管ソロも力強くホールに威力を放っている。楽章毎に拍手が入るのはショスタコーヴィチ的にどうなのかと思うが祝祭的な機会においてアメリカの流儀でもあるのだろう。二楽章にもそのけはあったが三楽章の戯画的な凱歌では(それまでもそうだが)けしてスピードを上げずにテンポ的には引きずる感すらかんじさせつつブカブカやって、そのあとの破滅的な死の踊りはショスタコーヴィチらしさを付加してスムースに進めていく。こういうところの、譜面に忠実というのとは無縁なのにまるで板についた演奏はバンスタの大規模な曲への適性をはっきり示すし、オケもマーラー時代からの伝統のように、他のオケとは違う高みに(野卑ながらも)のぼっている。ブカブカの再現ではウィリアムテルにやっとスピード感を加え、ラストへ向かう楽天的なメロディが登場してからはシニカルショスタコーヴィチをただただギチギチ怒涛のように進めていき、発音の頭が甘いのはオケの特性かもしれないがそれ以外はキレキレで遊園地の出口のように終わる。ショスタコーヴィチがバンスタNYPを好んだことはわかる。確信犯ぶりを喜んだのだろう。
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マーラー:交響曲「大地の歌」

2018年05月17日 | Weblog
ベイカー(Msp)ルイス(T)セル指揮クリーヴランド管弦楽団(cult of classical music)1970/2/5live

これが素晴らしい。ステレオで環境ノイズ程度の状態であることも手伝いボリュームある、底深い表現が手練れの歌手陣込みで胸に迫ってくる。ヨーロッパのオケのごとく重心が低く、マーラーに似合っている。セルの解釈も時には呼吸するように大きくうねり、古いワルターの録音をちょっと聞いてみたのだが格段に深みと板についた感じがして「大人」だ。書法が個人技的で細いせいもあるが技術的なほころびは目立ってなく、併録の9番に比べては全くすぐれている。ベイカーの、声色こそニュートラルだが表現力において絶唱が聴ける「告別」は、セルのつむぐ重厚なアンサンブルともども聴きもの。絶版だがネットで探せば聴ける。
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チャイコフスキー:序曲「1812年」

2018年05月14日 | Weblog
ソコロフ指揮クリーヴランド管弦楽団(PASC)1924

pristineのSP(アコースティック録音)復刻。速いパッセージはまとまってスピーディーで技術的に問題ないが冒頭含めテンポの落ちる場面で編成の薄さが弦のバラけとして現れ、縦が揃わないのはもう、大正時代の録音レベルだから仕方ない。クライマックスから末尾のブラスなど、アメリカのブラスの力量を既によく示していて、上手い。格好が良い。軽く聴き流すにはまあまあ。
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コープランド:歌劇「入札地」組曲

2018年05月14日 | Weblog
作曲家指揮ロス・フィル他(naxos)1976ドロシーチャンドラーパビリオンlive・BD

同映像の最後に演奏された三曲だが、こちらは戦後作でも平易な、コープランドというと想起する美麗で突き抜けた聞きやすい曲で、映画音楽的ゆえそういうものに慣れているオケものっている。「導入部と愛の音楽」ではヴァイオリンの高音、トランペットなど高音管楽器の響きにぬくもりがある。ジョン・ウィリアムズのようなチェロのフレージングも美しい。やりやすそうだ。硬質で四角四面の芸風を持つコープランドもなぜか感情的に見える。繊細な響きの綾はバンスタや新ロマン主義のハンソンやバーバーに似た領域の音楽でありながらも違う、やはりフランス的な垢抜けたものを感じさせる。このBDの白眉だろう。翳りある終結部からダンサブルな「パーティの情景」に入り、現代的な響きが入るも半世紀前のハルサイやミヨーの作品から少し前に出たくらい。特殊な技巧的なリズム、フレーズが超高音で入ったりするのでここでは停滞しがちなテンポもやむまい。合唱が導入されるので前に向かわないのもやむないか。合唱が意志的な表現であおるので、そこまでくると聞きやすい。巧みなリズム構成でオケと合唱が絡むところではコープランドの嬉しそうな顔が印象的。アタッカで終曲「生活の約束」に入り、大平原を思わせるヴァイオリンの全音符をバックにしめやかな合唱が入る。トーンは三曲ほとんど変わらないというか、そこも聞きやすさとなっている。RVWの天路歴程のように穏やかに戻っていく。RVWは宗教的な作曲家ではないが宗教的な崇高さを示してしまう。これもまったく目的は違うのに宗教的な上り詰める感じが効果的だ。演奏はすばらしくよい。合唱すばらしい。コープランドも満足げであり、即ブラヴォこそないがそれなりに盛大におわる。
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コープランド:「ロデオ」よりホウダウン

2018年05月13日 | Weblog
作曲家指揮ロス・フィル(naxos)1976ドロシーチャンドラーパビリオンlive・BD

ホウダウンは庶民のためのファンファーレとともにコープランドを代表する小品であり一般にも広く受容され編曲もなされてきた。ゆえに大編成オケによる原曲は小回りがきかず遅くてしゃっちょこばった印象を与えるのも仕方なく、これもコープランドの他の自作自演とまったく印象の同じ、前に向かわない演奏となっている。ただ音は明晰である。お定まりのようなブラヴォもこの曲終わりでは出なかったが、次の曲にすぐ入るせいかもしれない。
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コープランド:クラリネット協奏曲

2018年05月13日 | Weblog
ベニー・グッドマン(Cl)作曲家指揮ロス・フィル(naxos)1976ドロシーチャンドラーパビリオンlive・BD

ロマンティックな始まり方こそすれ、基本的に委嘱・初演者ベニー・グッドマンの技巧を見せつけるためにオケを付けたような硬質の音楽に帰結する。戦後作でありけしてコープランドの代表作とも言えないと思うのだがジャケには傑作と書いてあるので傑作。四角四面の構築性にこのささくれだった透明感ではオケもなかなか乗りづらそうで、ベニー・グッドマンも上手いのだがそつなく吹きこなす(万全ではない)、そこにジャズ風の面白みはない。でも、この曲の自作自演は他にもあったと思うが映像があるぶん耐えられるから、価値はあると思う。コープランドはまだまだ元気である。
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コープランド:エル・サロン・メヒコ

2018年05月13日 | Weblog
作曲家指揮ロス・フィル(naxos)1976ドロシーチャンドラーパビリオンlive・BD

ロス・フィルらしさを発揮できるごきげんな曲。ただやはりコープランドの棒は固い。達者なのだが抽象音楽志向が強く楽想の奔放さと格差を感じる。執拗な変則リズムがメインのダンスミュージックだが、ここでは踊るのではなく聴くように演奏されている。オケの技術的弱みが出ているところがあるが、ライヴだからこんなものか。映像があるからといってさほど、必要とも思えず、音だけを楽しんだ。特殊楽器くらいか。
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コープランド:庶民のためのファンファーレ

2018年05月13日 | Weblog
作曲家指揮ロス・フィル(naxos)1976ドロシーチャンドラーパビリオンlive・BD

「コープランド・コンダクツ・コープランド」の冒頭。ステレオ。ベニー・グッドマンによるクラリネット協奏曲がメインとなる自作自演映像だが、ロス・フィルがじつにコープランドの作風に合っていて、明るく軽くやや緩いところが猥雑な雰囲気を持ち込み、四角四面の棒を鞣して聴きやすくしてくれる。そう、映像だといっそうわかりやすいがコープランドの棒は余りに教科書的で明晰であり、力感の強弱はつけるが全く揺れない。ここでは序盤ということもあり押しが弱い感もある。ファンファーレらしくないが、聞きやすさはある。
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ストラヴィンスキー:詩篇交響曲

2018年05月12日 | Weblog
チェリビダッケ指揮ORTF他(ina配信)1973/12/23live放送

ストラヴィンスキー新古典主義時代の、しかも比較的聴衆受けを考えない抽象的な作品である。新古典主義の作品というと一般に割と情緒的というか、気分を煽るような作品が多く、それはしばしばオスティナートリズムに導かれた原初的な高揚感を伴う。むかしクラシック聴きの人にダンスミュージック(もうEDMに近いもの)を聴かせたところ同じ音形の繰り返しでちっとも面白くないと言われたものだが、同じ音形を執拗に繰り返すからこそ陶酔的な呪術的な影響を与えられるのだ。響きの抑制的なミニマルになると逆ベクトルの影響を与えるが、これは交響曲なので素直に前者。ただ、三楽章の交響曲などのあざとさは無い。音形の繰り返しもオルフのような単純な繰り返しではなく、手法としてしっかり考えて使われている。ただ、チェリのこの演奏はつまらない。一楽章など同じような響きが続き変化がなく、それが単調さに拍車をかけ、歌詞をもってのみ曲が成立しているようだ。楽曲のせいだろうが、それを聴かせるように仕立てるうえで、ただ明晰に骨ばった音を響かせるのではなく、柔らかなアナログ的な部分を残さないと、聴いていていたたまれなくなる。チェリに特徴的な男らしいフレージング、強靭で「正しい」響きは二楽章で威力を発揮する。これはチェリ好きには楽しめるかもしれない。三楽章は演奏的には一楽章のようなものに戻って余り印象がない。拍手は多い方。
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シベリウス:交響曲第7番

2018年05月11日 | Weblog
ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(BBC)1954/9/16プロムスlive・CD

モノラル録音で音場も狭いのが困ったものだが積極的に聴こうとするとロイヤル・フィルのむせ返るような音とスマートだが適度に意志的なビーチャムの「中庸の美学」に貫かれた、晩年であることを感じさせない演奏で、シベリウス受容国としてのイギリスで、後期シベリウスのあるべき姿を見本的に描いた演奏として受け止められる。迫力とか演出とかいったものとは無縁の職人的な解釈で、それだから活きてくるシベ7の特殊性、構成の特殊な、交響詩的なまとまりを感じさせ、無理して交響曲のように盛り上がりを作り上げていくことはしない。好悪はあるとは思う。小粒は小粒、だが録音のせいかもしれない。
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ハチャトゥリアン:劇音楽「仮面舞踏会」組曲

2018年05月08日 | Weblog
ストコフスキ指揮NYP(artone他)1947・CD

圧倒的迫力とキレキレのリズム、オケがニューヨーク・フィルでセッション録音だとここまでやれるのか、というストコフスキー全盛期を聴ける録音。むろんゆっくりめの曲よりイケイケの曲のほうがストコフスキの芸を味わうによろしいわけで、フィギュアスケートに使われたことで圧倒的人気を得たワルツなどシニカルな響きを伴うメロディを、オケをドライヴしまくって分厚く聴かせてくる。ハチャトゥリアンでもガイーヌよりも使えるメロディが多く、カバレフスキー的というかプロコフィエフとは違った親近感を感じさせる、ライトクラシックスレスレのところを狙ってきて、しかしそれはスレスレなんであって、ライトクラシックまんまではない。モノラルの古い音だがストコフスキーの力量を確かめられる集中力高い演奏。この曲はコンサートピースとして五曲からの組曲でしか演奏されない。
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