湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラフマニノフ:交響曲第2番

2019年04月12日 | ラフマニノフ
〇スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(WEITBLICK)1978/3/11スウェーデンlive・CD

ソヴィエト崩壊前後以降のこの曲の演奏はそれはボロボロなものだった。それまで一番大事と思われた指揮者に比べてオケおよびソリストの重要性が実感されたものだ。骨のようなオケゆえにこの曲のスケルツォや4楽章の丁々発止のアンサンブルが剥き出しで見えて面白かったが、この録音はそんな些末なことで楽しませない。スヴェトラ壮年期の素晴らしい、この上ない意気軒高とした演奏記録で、晩年の弛緩も音の薄さもなく、ノイズののる録音がすこしエアチェック音源的な聴きづらさをもたらしているのでそのぶんマイナスにするが、本来なら◎である。古いスヴェトラ正規録音は当時の録音事情から何度も録り直しをしないで雑なままにされている乱暴な面があり、モスクワとの古いものはとてもいい音で解釈もダイナミックなのに、諸所事故めいた凸凹が気になった。これはスピーディでダイナミック、かつ3楽章は柔軟でラフマニノフが要求するものをほとんど持っている。出張演奏ということで管楽ソリストの音がおとなしく、1楽章などもっとえぐぐ吹いてほしいと思うが、全体の調和のうえではいい。ラフマニノフ2番はこれしかなくていい。ただ、ノイジーなので、ソヴィエト末期以前なら他でもよい。ロシア国立交響楽団の表記があるが、当然当時はソヴィエト国立である。
 
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ラフマニノフ:交響曲第3番

2019年02月21日 | ラフマニノフ
コンドラシン指揮チェコ・フィル(profil)1960/7/1live・CD

こんな録音があることを知らなかった。profilのコンドラシンボックスは新発掘が無いような感じだったのだが拾い物だ。録音は良くはないものの情報量がある。最初からゆったりした大構えに驚かされる。コンドラシンといえばドライ。即物的な解釈である。特に古いものは強引さのあまり音が掠れるのも厭わないし、ライヴではやらかしても平気である。併録のシンフォニック・ダンス(既出のモスクワ盤)はセッション録音のはずだがよく聞くと管楽器に怪しい音が聞こえたりする。これはしばしば一発録音してしまうロシア録音の特徴でもあるからコンドラシンだけのことではないが、それを雑味という言葉で片付けると、コンドラシンはけして雑味が少ない指揮者ではない。しかしこれはたぶんオケが良いのである。二楽章でフルートの縮緬ヴィヴラートの美しさ、クラリネットの音色、ほかブラスも安定し弦楽器は言わずもがな、すこし金属的な厚みある音が鋭く響くから、楽器によっては傾向に似た部分はあるにせよロシアオケとは異なり精度が高い。ゆったりと雄大に、なめらかに聴けるのは一楽章だけではなく全楽章の緩徐部で、三楽章のラフマニノフの真骨頂のようなロマンティックな第2主題はコンドラシンらしい力強さを加えとても迫力がある。三楽章といえばあの騎馬民族的な(解析的にではなく印象として騎馬民族的な)地を蹴るリズムは期待を裏切らない。万全なように茫洋と書いてきたが、終わってみて客席と同じく普通の拍手しか送れないのは、逆にコンドラシンの求心力がそこまで出ないからコンドラシンでなくても良いよね、ということで、コンドラシンはこれしか録音が無いと思われることからも、散漫な曲にはさほど魅力も感じていなかったのかもしれない。そういうことは職人的な印象となって伝わってしまう。私は好きだが、何度も聞くかというと他にもっとギュッと絞まったものを選ぶだろう。最晩年のシンフォニック・ダンスのわかりやすさとはかなり違う作品である。
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ラフマニノフ:交響的舞曲(独奏ピアノ編曲)〜全楽章からの抜粋

2019年02月14日 | ラフマニノフ
作曲家(P)(marston)1940/12/21live・CD

この30分前後の極度にノイジーな「実況録音」復刻のために既出音源などと組み合わせ三枚組ボックスとして出されたもので、非ノイズリダクションSP音源に慣れた人でなければ絶対に勧めない。よほど状態が悪かったのか実音も所々聴こえず、まるで素人が板起こしデジタル化したようだ。昔のSLS復刻と思えばいい。1940年はけして古くはない時期だが、これはテストプレスやプライヴェート録音を含むユージンオーマンディコレクション(ペンシルバニア大)の中に新発見されたもので、ラフマニノフが気まぐれに、というより楽曲紹介のため主として1、2楽章から掻い摘んで弾き、ところどころ立ち止まり、または歌い、ニュアンスを非常にデフォルメして聴かせている。新作紹介の意図があったというが、録音に残すのが目的というより演奏の手引として誰かに伝えるだけのため、もしくは単に「誰かに伝えているところ」をマイク録音しただけだろう。従ってこの悪いコンディションも仕方ないかもしれない。発売がだいぶ遅れたことからもそのようなものの正規盤化が難航したことをも想像する(コマーシャル的にはかなり難しそうだ)。耳に自前の脳内フィルターをかけ、集中して聴くとそれなりに聴こえてくるものはある。前記したようにラフマニノフの晩年スタイルからは離れて大袈裟な表情付けがなされ、タッチは陶酔しているようにも聴こえる。ただしばしば崩して弾いている和音そのもののバランスはすこぶる良く自然に響く(録音あるいはリマスターマジックだったらごめん)。特有のリズムがまた切れている。だが乗ってきたところでブツッと切れて別のところから始まることの繰り返しで、それも要所要所を意図してやっているわけではないのでこの曲の全容はさっぱり掴めない。リハーサルを聴くより聴きづらい(リハーサルは要点は押さえるものだがこれは要点を意図的に取り出すことはない)。ピアノソロ編曲なので管弦楽を知っていると音が足りない感も否めないし、ピアノソロ編曲演奏でありがちなリストかなんかかというような芝居がかったルバートが入るのもちょっと伝わりづらい(意図はわかる、同曲メロディアスで歌曲的なかんじはある)。一枚目に編集版、三枚目に無編集版が入っているが、楽曲としては編集版で音のある部分を重複を切って繋いだ状態で聴かないと最低限の鑑賞はできない。ラフマニノフの意図というと大袈裟だがどういう場面でその断片を弾き、曲聴きの流れは全体でどうだったのかは無編集版で聴くとある程度わかる。後者はドキュメントとしては自然だ。まるで同じ室内でラフマニノフが弾きながら解説し歌い、立ち止まっては説明をしたり休んだりしているようだ。楽屋風景というかそういうものが好きならこちらを聴くと良い。音としては同じものである(無編集のほうが編集版でカットされた繰り返しのぶん長い)。
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☆ラフマニノフ:交響曲第3番

2017年12月04日 | ラフマニノフ
○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(da:cd-r他)1947/4/8live

恐らく既出盤と同じ。同時期アメリカで主流の強靭なトスカニーニスタイルにロシア式の重い歌謡的表現を載せたような、クーセヴィツキーの典型的芸風による演奏で、1楽章の序奏部など短いなりにしっとりやらなければバランスが悪いところ、さっさと主部に入ってしまう性急さを感じるし、その後も主旋律がうねるように粘着するロシア節でラフマニノフの望郷の念の篭ったなつかしさを演出するべきものであるところ、スピードが常に速くインテンポ気味にきこえてしまうため、いくら起伏をつけて没入指揮をしてみても、生身の楽曲のうねりが剥き出しに聞こえてくるような、したがって才気の衰えが感じられる部分はそのまま魅力なく聞こえてしまう。旋律に魅力がない、リズムが単調、常套的構成、アンサンブルに新味がない、そういったところだ。クーセヴィツキーの芸風自体がちょっと聴きワンパターンに陥りがちなせいもあるかもしれない。

とにかく私はどうもこの曲の演奏はハッキリ好悪が分かれてしまう。これは悪のほうというわけなのである。アメリカナイズされたラフマニノフ自身、切り詰めすぎたような曲なので、もっと雄大に、旋律も上下に振幅を持たせるだけではなくたっぷり時間をかけてほしい、詠嘆の表現もほしい。○にはしておく。録音もよくないのでこじんまりと感じたのかもしれない。

※2008/7/2の記事です
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☆ラフマニノフ:交響曲第2番~Ⅲ、Ⅱ

2017年07月10日 | ラフマニノフ
○モントゥ指揮サンフランシスコ交響楽団(M&A)1941/2/27live・CD

モントゥのシャープでドライヴ感溢れる演奏振りが伺える楽章抜粋の演奏記録。2楽章で勢いよく締めてなかなか爽快感がある。リズム感のよさが発揮されスピードとあいまってこの曲のぶよぶよな部分をなくしている。3楽章は曲自体がぶよぶよで出来上がっているために、凡庸に聴こえた(私はモントゥのチャイコでも同じような余りよくない印象を持っているので、これは解釈への好みにすぎないとは思う)。2006年12月発売のMUSIC&ARTSサンフランシスコ放送録音集成に収録。このボックスは反則だよお(昔に比べればコストパフォーマンスはいいとはいえこの数だとありがたみがない

英文レビュー(Sunday Evenings with Pierre Monteux1941-52ボックス全体)

Sunday Evenings with Pierre Monteux

Music & Arts

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(注)Sunday Evenings with Pierre Monteux1941-52という題名のボックスは茶色い色調のM&A CD1192というのが正しいようです。青くてカニ持ってるのも多分同じですが確かめていません(茶色いほうが再発?)。

※2006/12/25の記事です
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番

2017年07月05日 | ラフマニノフ
ブルショルリ(P)アンセルメ指揮ボストン交響楽団(meloclassic)1951/12/14live・CD

録音状態は良くはなくノイズが入り続けるが、このレーベルらしく、最大限聴きやすく鞣されている。演奏も素晴らしい。事故で演奏家生命を絶たれることになる悲劇の女流ソリストが、豪腕や技巧をことさらに見せつけるソリストとは違い、表現の柔和さ、オケとの音色的調和によって協奏曲的な側面以上にラフマニノフの音楽そのもののロマン性〜それはもはや耽溺するものではない〜を理解しやすい形で引き出して、一発聴きでもすぐに引き込まれる世界を形作る。もちろん技巧が劣るわけではなくミスらしいミスはほとんど無く、力感の必要な部分で指の劣るところは全くない(これは録音起因であろう重音や細かな動きの不明瞭さもあるにはあるがまず気にならない)。必要以上の圧力をかけずに楽器の特性を活かして音を轟かせる円熟した演奏ぶりには圧倒される。とくにリズム表現にすぐれるのはラフマニノフのカッコよさを演出するのにふさわしい。3楽章の煽り方はまさにラフマニノフのアレグロの騎馬を駆るようなカッコよさを強調するものだ(ここにきて指の骨の細さを感じずにはおれないがやろうとしていることは伝わる)。音が終始明るく一貫しておりその点での緩徐部とのコントラストがはっきりしないのは、しかし別に問題ではないだろう。指の細かな動きはレース模様を描くように美しくしかしはっきりと音楽の綾を示す。後半になり指の力が回復し、オケの強奏に負けず覇を示す。オケの醒めた音はアンセルメのせいかもしれないが、アンセルメだからこそ技巧的にも音響的にもしっかり盛り立て、しっかり締める。間髪入れず拍手、のようだが残念、断ち切れる。これはフランス派からの刺客である。
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☆ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

2017年06月25日 | ラフマニノフ
○オボーリン(P)ガウク指揮ソヴィエト国立放送管弦楽団(appian他/melodiya)1947・CD

国内盤CDでも出ていた有名録音だが、最近お徳用で集成されたappianの組盤を買い初めて聞いた。とにかく驚いた。これ、完全にLPからの単純板起こしでしかも、かなり劣悪な盤を使用している!!!自分でCD-Rに焼いたほうがいくぶんましなほどだ。酷い。聞いていられない。音場が安定しない、雑音は露骨に入り続ける。メロディヤの古い録音にありがちなぼやっと遠い再生がそのまま雑音塗れで提示され、正直ガウクの音なんて殆どわからない。酷すぎる。2楽章なんて音場が左に寄ったままふらふらしている。変な擬似ステレオ効果が更に酷くしている。盤としてはまったくダメだが、無理して音をきくとこれが直線的でけっこう解釈しないものでありながらも、オボーリンはとにかく余裕しゃくしゃくで豪快に弾ききっているし、ガウクはその赴くままにブラスを鳴らしまくってロシアオケの長所を最大限に引き出そうとしている。演奏的にかなり堂に入ったすばらしいもので、繊細な叙情や音色の妙こそ聞き取れないものの、とくにオボーリンの指の強靭さと確かさには舌を巻くばかりだ。○。

※2007/6/14の記事です
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☆ラフマニノフ:交響曲第3番

2017年06月19日 | ラフマニノフ
〇ザンデルリンク指揮NDR交響楽団(DON INDUSTRIALE:CD-R)ハンブルグ1994/5LIVE

あきらかにエアチェックモノ。音が悪い。篭りまくりで伸びがないからただでさえがっしりして無骨で重いザンデルリンク解釈の欠点が強調されてしまう。もっとも明るい主題と夢見るようなうつろいが晩年の無駄のない書法とあいまって、ともするとただここには歌だけがあり、あっさり流れ過ぎて何も残らなくなりがちなこの曲、そういったところが無く、ドイツふうに重厚なブラスと、現代的な不協和要素を剥き出しにしてしっかりした構成感のもとに組み上げていく、まるで初期シベリウスかウィーン世紀末かというような、静かで硬質な響きはコタンの境地に近いながらもアバンギャルドさのほうが印象に残る。レニフィル時代ではこうはいかなかったろう。木管ソロの繊細で美しい音も特記しておきたい。弦の(ひびきにおいてのみの)感傷性も含めこのへんはロシア流儀の残照かもしれない。二楽章、がっしりしたフォルムにそぐわないこのなめらかな優しさがザンデルリンクの特質だ。旋律に固執しないところなどロシアっぽくないし、音響の組み立てかたが明らかにドイツ的であるもののそういうところに違和感など少しとてなく、強いて言えば国民楽派から一歩抜け出たグリエールあたりを洗練させたような臭いはする。むろん重厚で懐深い解釈のせいだ。ロシアらしさを象徴する生臭さは皆無である。三楽章は躍動感に欠けるが重々しく迫力はある。見栄を切るようなことをしないからちょっと旋律がもったいない気もするがそれも解釈だ。そんなところよりラフマニノフが得意とした構造的な書法をしっかり聞かせるほうに集中している。終盤になりやっとドライブがかかってくるが、主題回帰でまた一歩引いた客観性をみせるのがうーん、歯痒いがこれも解釈だ。心なしかラフマニノフのワグナー性を法悦的なテンポ表現により引き出そうとしているのではないかという気さえしてくる。にわかなコーダも依然重く最後戸惑ったような拍手のバラバラ具合にもこの解釈のよさが伝わりにくいところにあったことがわかる。二楽章が聞きものなので、録音最悪だけどオマケで〇としておく。ステレオ。
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☆ラフマニノフ:交響詩「死の島」

2017年05月17日 | ラフマニノフ
○スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(BBC,MEDICI)1968/10/22ロイヤルアルバートホールlive・CD

どうしてロシア人というのはグラズノフにせよラフマニノフにせよこういう海を描くのだろう?既にコスモポリタンの時代に生きていたというのに、リストやワグナーの海からドビュッシーの海への脱却ができずにいる。うねる暗い海をわたる一艘の舟、カロンは死者たちを死の島へと運ぶ。そこからは何人たりとも外へ出ることは叶わぬ、二度と、などといった想像を掻き立てる「だけ」の「印象派的」音楽、いわばベックリンの夢想をリアルに汲み取った「交響的絵画」であるが、帝政ロシア末期の爛熟したロシア作曲界を象徴するようなラフマニノフの未だ明けぬ陰鬱とした作風をのこしたものである(時期的には改訂も含め既にピアノ協奏曲第2番以降の明るい作風に移行している)。スヴェトラーノフは透明感のある響きでダイナミズムを却って煽り、ロシア奏法を前面に押し立ててわかりやすく聞きやすいものに仕立てている。いつものバランス、いつもの弦の響き。○にはしておく。
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☆ラフマニノフ:交響曲第2番

2017年05月14日 | ラフマニノフ
○オーマンディ指揮ミネアポリス交響楽団(VICTOR)1934/1/18,19,22・SP

録音悪いにもかかわらず演奏は素晴らしく現代的で、冒頭ひとしきりの重さと弦のポルタメント奏法を除けば今でも通用しそうな充実ぶりである。この時期にしてはオケがとにかく巧い。オーマンディの芸風は決して確立していたとは思わないが、寧ろ前のめりの精力的な演奏ぶりは客受けしそうな感じである。2楽章の速さとキレには度肝を抜かれた。カット版だがそれほど違和感はない。なかなかのもの。
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☆ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

2017年05月04日 | ラフマニノフ
○グラフマン(P)モントゥ指揮ボストン交響楽団?(DA:CD-R)1961/8/19live

ソリストは明るく若々しすぎる感があるが、技術的にはあっさりそつなく弾きこなせるほどの高いレベルにあり、かなりのスピードを維持しながらも明瞭なリズムと重みある音響による表現の綾がすこぶるはっきりと聞こえてくる、モントゥらしさも同時に現れた演奏。ただ、全般(とくに2楽章)単調というか優等生的でもあり、個性がぶつかってくる演奏ではない。ドライにてっした演奏でもなければでろでろのロシア節でもなく、インテンポ気味で分析的な部分のみられる解釈ぶりはどちらかといえば前者だが、モントゥ自身のチャイコの交響曲演奏ほどではなく、それはピアニストとの兼ね合いによるのかもしれない。個人的にはこういうモントゥのロシアものなら聴くに堪える。篭り気味のステレオ。かなり聴衆反応がよく、1楽章の最後でも盛大な拍手が入るのはご愛嬌。○。

(参考)グラフマンのラフ2はバーンスタインとのものが正規録音されている。但しこのカップリングは分が悪い。グラフマンは他曲でもバーンスタインと共演したものがある。
チャイコフスキー : ピアノ協奏曲第1番
ギレリス(エミール)
ソニーレコード

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モントゥ単独のラフマニノフ指揮は断片がボックス収録されているが値段的に一般的ではない。レビューはこちら
Sunday Evenings with Pierre Monteux

Music & Arts

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(注)Sunday Evenings with Pierre Monteux1941-52という題名のボックスは茶色い色調のM&A CD1192というのが正しいようです。青くてカニ持ってるのも多分同じですが確かめていません(茶色いほうが再発?)。
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☆ラフマニノフ:交響的舞曲

2017年04月24日 | ラフマニノフ
○コンドラシン指揮シンシナティ交響楽団(VIBRATO:CD-R)LIVE

激烈なコンドラシン健在でリズム刻みの強烈さは比類ない。両端楽章がききものだ。特徴としてはロマンティシズムで、中間楽章から三楽章までの流れの中に強靭で男らしいうねりがより届きやすいわかりやすい形で取り込まれている。楽団にやや弱さを感じるしとくに弦楽器はついていけずバラケる場面も少なからずだが、三楽章のとくに後半、芳醇な香りにはハリウッド往年の感傷的な映画音楽張りの音表現をきくことができる。いかにもアメリカ的な垢抜けた要素もはらむ曲なだけに清々しく板についている。こういうレガートの表現にたけたオケなのだろう寧ろ。コントラストも鮮やかである。明らかにバラけてもやる気はすさまじく好感が持てる。旋律が浮き立つのは録音バランスがいいせいもあるだろう。モノラルで篭った汚い音だが録音状態としては悪くない。最後の派手なフィナーレからタムタムの残響が残り絶えるまで拍手が起こらないのが呆気にとられたようでライヴ感がひときわ際立ちよい。これはなかなかのものだが、録音をマイナスして○にとどめておく。
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☆ラフマニノフ:交響曲第3番

2017年03月18日 | ラフマニノフ
○シルヴェストリ指揮ボーンマス交響楽団(bbc,medici)1967/12/1・CD

情緒纏綿な一方リズム感のよさ、音のキレは逸品で、録音がやや小さく篭っていることを除けばかなり楽しめる要素の詰まった引き締まった演奏である。ライヴではないと思う。演奏的瑕疵がなくオケも巧い。この曲の旋律をきちんと魅力的に響かせ、ラフマニノフの持ち味である騎馬民族的なリズムの魅力との交錯を楽しませる、よく曲をわかった人の演奏だなあといったところだ。ロシア式の演奏に近い部分はあるが、オケのせいもあってより洗練された聞きやすさがある。やはり2楽章など原曲の冗長な部分は冗長として残ってしまうし、逆にあっさりしている部分はあっさり通ってしまう感もなきにしもあらずだが、ラフ3の演奏としてはかなり上位に置けるものと思う。録音を除けば。モノラル。
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☆ラフマニノフ:パガニーニの主題による変奏曲

2017年03月12日 | ラフマニノフ
○ブラウニング(P)ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィル(CON MOTO)1956/2/5LIVE・CD

オケもピアノもいきなりの勢いでつんのめり気味。共に我の強い演奏だ。まず速い。ブラウニングはバリバリ系の奏者だし、ミトプーは言わずと知れた火の玉豪速球男。NYPも強引スレスレの異様な表現意欲を発揮するオケだ。一音一音こんなに激しいアタックがついているとどう聞いてもパガニーニの時代の音楽には聞こえない。だから面白いのだし、それを面白がれないのならなんでこのコンビのラフマニノフを聴くのか、つうことなわけで。録音が所々かすれ気味で、聞きづらい箇所が少なくないのは痛いが、それだけ(録音が捉え切れないほど)強力な音が出ているということでもある。オケとピアノのバランスはとても良い。拮抗しあるいは渾然一帯となって進むさまが面白い。ソリストは音色が醒めていて前時代的なケレン味は皆無だが、深い味わいが無いかといえばそうでもなく、冷え冷えとした情緒というか、男らしい峻厳な心情吐露が織り交ざる。現代的な客観主義では決してない。剛健で決然とした表現、とくに林立する和音を迷い無く明確に叩き進むさまはラフマニノフその人のスタイルを彷彿とさえさせるものがある(甘いメロディを書くからといってラフマニノフは決してロマン派のデロデロピアニストではなかった)。とにかく変奏がいくら進んでも基本的に流れは強く速く間断が無いから飽きない。有名な、そして唐突な第18変奏についてもこの演奏はスタイルを変えない。普通ここで音色を変えてチャイコフスキーぽく奏でるのがハリウッド流儀なのだが(ハリウッドとは関係ないけど)このソリストはちっとも甘くない。むしろぶっきらぼうである。対してオケが入ってくるとさすがにちょっとは艶が出てくる。しかしそれもNYPのヴァイオリンパート、ミトプー支配下での精一杯の自己主張にすぎない。変に思い入れたっぷりの突出した変奏としないところ、情に流されず曲構造を大局的に捉えた的確な演奏と好意的に解釈することもできよう。好き好きだが私は少し物足りなさを感じた。そこから最後までの勢いは凄く、破裂するような拍手に至るまでの雪崩れ込みは一聴の価値あり。総じて○。
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☆ラフマニノフ:弦楽四重奏曲(未完)

2017年02月12日 | ラフマニノフ
○ギレー四重奏団(NAXOS他)CD

トスカニーニ下のNBC交響楽団のコンマスとして知られるギレーの楽団だが、ピッチが低過ぎて聴きづらく感じるところがある。しかし演奏は聴かせる。ロシア国民楽派とは一線おいた上での保守性を、うねるように半音階的な動きを交えながら表現するラフマニノフの、チャイコフスキーから一歩踏み出した新鮮な響きがちゃんと聞き取れる。スケルツォの二楽章はラフマニノフらしさは薄いが要領よくまとまってとくに内声部が面白い。この楽章で終わってしまうのは惜しい気がするが仕方ない。○。
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