湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラヴェル:ラ・ヴァルス

2018年07月29日 | ラヴェル
フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD

この曲はわりと普通だ。普通にうまいし、普通に盛り上がるのだけど、音が派手ではなく、ブランコである必要はあるのかと思ってしまう。面白い、普通ラヴェルというとラ・ヴァルスでお茶を濁すもので、ボレロができればボレロだろうが、変化があって聴き映えがするし一楽章でまとまるのはこの曲だ。ブランコはラヴェルと親しかっただけにこの曲はそう攻める曲ではないと思ったのか。モノラルのせいもあるが。
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ラヴェル:ボレロ

2018年07月29日 | ラヴェル
フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD

18分36秒のボレロ。イダ・ルビンシテインもあと20キロ太らないとこの重量感は出せない。史上最遅のボレロと言われ、しかしもういいかげん越した演奏もありそうだが、まずソロで剥き出しの管楽器がたまらず、限界の速度はあろう。このオケはあくまでEMI向けの名前で実体はORTFというが(アンゲルブレシュトのドビュッシー全集がシャンゼリゼ劇場名義なところからも容易に推測できる)、音は華麗でORTFの手堅さはなく、これはブランコの芸風としての艶っぽい表現、派手な響きなのだろう。ボレロは普通に聞いていても違和感のあるハーモニーが目立つが、意外とこの派手なぶっぱなし方でバランスが取れる。これはラヴェル自身の高速ボレロと一見違っているが、ラヴェルが覆面指揮者に選んだのもわかる一つの見識を示しており、成功している。遅い遅いといってもプロである、遅いとは感じない。おおいに歌うし、揺れるから飽きることは意外とない。演奏陣はもちろん遅さを感じるだろうし終盤で更にテンポが落ちるなど一寸軋むものの、聴いていて違和感はさほどない。トスカニーニと比べれば別の曲だが、フランスやラテンの指揮者の演奏と比べるとあまり違いを感じない。精度の高さを重視したともとれ、ラストで雪崩落ちる部分もきっちり揃えているところは現代的に感じた。音に色気があるといいですね。
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ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

2018年07月29日 | ラヴェル
フレイタス・ブランコ指揮シャンゼリゼ劇場管弦楽団(EMI他)CD

デュクレテ・トムソンからのウェストミンスター、フランスEMIによるCD化ときて今は色々出ているか。ラヴェルの単純な作品でホルンソロに導かれエピソード毎に木管ソロが答唱のようなフレーズを挟み、全体としては原曲のピアノ版以上に優雅で、しかしそれでしかない旋律作品となっている。咽返るようなオケの響きに彩られたブランコの演奏はエネスコのもののような起伏をたっぷり取り入れ、ただボレロほどの遅さはない。ホルンソロのまるきり木管といった音はロシア式のヴィヴラート音を彷彿とさせるほどフランスそのもので、これとオーボエソロの音を聴くだけでも価値はある、これが正統な「亡き王女のためのパヴァーヌ」の管弦楽版である。

ただ、モノラルだ。モノラルに相応しくない音なので、そこはかなりマイナス。ブランコが国へ戻り放送指揮者になってしまったのはラヴェル直系と言われるだけに残念である。
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フローラン・シュミット:詩篇第47番

2018年07月26日 | Weblog
アンゲルブレシュト指揮cho&ORTF、モイザン(msp)(SLS)1963シャンゼリゼ劇場live

1964/3/19放送のina音源と、貧弱な音質的に恐らく同じものだと思われるが、データが明記されており同じプログラムの別日かもしれないので一応手を出した。ちなみにドビュッシーとの組み合わせでそちらは初出と思われる。猥雑な音に、これはベートーヴェンを始めロシア物などロマン派も得意としたアンゲルブレシュトのこと、古臭いロマンティックなスタイルでいくのかと思いきやこれがフランス的なのである。響きが明快で、でもマルティノンのような透明感はなく、録音のせいでもあるかもしれないが一貫した姿勢は最後まで「まるでドビュッシー」「まるでスクリアビン」と思わせず、ああ、これはフランスの曲だ、と感じさせる。センシティブだが迫力は失わず、行進主題もキレを重視せずにまとめ、弾けやすそうなフレーズで弾けすぎないようにしてマルティノンの派手な演奏と違う正統派を主張するような感じだ。もちろんどちらも正統だと思う、このような複雑な曲なので。拍手は普通。繰り返すが録音はあまり良くないモノラルで、オケはミスこそ無いがキッチュである。
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フローラン・シュミット:バレエ音楽「サロメの悲劇」

2018年07月26日 | Weblog
マルティノン指揮ORTF、ジュイノー指揮ORTF女声cho.(EMI他)1972/10・CD

第一部、第二部の全曲はかつてはきわめて珍しかった。爛熟しきった西欧音楽にドビュッシーやラヴェルを加えた同時代音楽の集大成的大作で本人も一部録音している通り代表作には違いない。この人の折衷様式はしばしば複雑で大規模すぎるものになるが、筋書きに沿って緩急つけたオーケストレーションは併録の詩篇と違い聞きやすく整理されている。意欲的であるもののイリヤ・ムーロメッツのグリエールをモダン化したような劇的な重苦しさは否めず、響きの整理されたフランスの音楽ではあるのだが、異色である。聴衆に支持されるわかりやすさや煽情性はフローランの良い面といえ、マルティノンはいっそう輪郭をはっきりさせ半音階的なうねりはわりとごまかすようにはっきりさせず流し、けっか音だけで十分楽しめる、飽きないものにしている。フローランは多様式的でこれとかピアノ協奏曲のようなスクリアビンふうの大言壮語ばかりしていたわけではない。室内楽にはロカイユ風組曲など気軽なサロン的小品も残している。
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フローラン・シュミット:詩篇第47番

2018年07月25日 | Weblog
ギオー(SP)リテーズ(ORG)クーロー指揮ORTFcho、マルティノン指揮ORTF(EMI他)1972/10・CD

フローラン・シュミットといったらこの盤というほど有名な録音の一つで今はどこから出ているのだろう。豊満で妖しいロマンスを振り撒く、それでいてワグナーらの影響はさほど感じさせないフローランの大作である(時間的には20分台)。時代なりの録音ではあるが、マルティノンらしい響きの清浄さを保ちながらしっかり末流ロマン派作品として盛りたて、楽曲の要求するまま効果的に、派手派手にやっている。スクリアビンを思わせるところも緻密で立体的な書法によりさらに説得力を増し、特にブラスの扱いは巧みで各セクションとのバランスがよく、半音階的な動きによるディーリアス的な色彩も、動きの細かさゆえか細くなるということのないように非常に巧緻に組み上げられているが、マルティノンはこの誇大妄想の塊を技術的に決して万全ではないにせよORTFから可能な最大限の表現を引き出して再現しており、あまりに編成が大きすぎて録音上オルガンが小さかったり合唱が狭かったりするものの、ロシア風の行進的なリズム表現から完全に中欧的なフィナーレへと導いていく騒々しいパッセージは、当時ステレオ録音ではこれが最上だったろう、と思う。録音に神経質でなければこれを最初に聴くとフローランの作風の一つをよく理解できるだろう。メロディストでもあるのだ。これが詩篇と言われると…
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シベリウス:交響曲第2番

2018年07月25日 | シベリウス
バルビローリ指揮ケルン放送交響楽団(ica)1969/2/7・CD

ある意味ドイツらしい醒めた音で構築していく2楽章まではバルビローリらしくないが冷静に音楽を楽しむことができる。テンポ的には激したころの比較的速いところに置き最晩年的な間延びはない。3楽章終盤で突然ものすごいアッチェランドがかかるとあわてたように縦があやうくなる。4楽章はNYP時代のような演奏になり、持ち味である有機的な歌より雄渾な凱歌が放たれる。いかんせんこのオケなので無理して強奏しているような軋んだ弦が気にはなるし、縦があやうくなるのはバルビが即興的に切り回したせいなのか、これが訓練の結果の限界なのか、しかしステレオの比較的良い放送録音のせいもあり楽しめた。拍手はないので放送用セッションかもしれない。
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オネゲル:交響曲第4番「バーゼルの喜び」

2018年07月19日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(SLS)1959/3/7ボストンシンフォニーホールlive

音が悪いかと思ったが最初だけ晦渋な曲のせいだった。このてのものにしては良好なステレオ。ディスコグラフィーになく初出と思われる。ミュンシュは同曲の録音自体ほとんど残していない(正式には67年のerato正規録音、ORTF)。50年代の録音では音楽の凝縮しリズミカルな最も油の乗り切ったミュンシュが聴けるが、まさしくこれもそうで、テンポの弛緩もなく即興的な揺らしもない(そういうことを許す隙あるスコアを書く作曲家ではないが)。切り詰められた音の詰まり交錯する新古典主義のパズルが、安心して聴けるものに仕上がっている。完璧主義者の作品はスコアだけ見ても楽しめるが、逆に演奏の優劣が如実にわかってしまう。これは安心である。ミュンシュは優れている。三楽章にあらわれるかなり露骨なポリリズムが完璧に揃っているのはミュンシュには珍しい。さらに面白いのがこの時代の良い音だけあって、ステレオセッション録音のラヴェルなどに聴かれる不協和音の、鋭敏でバランスの素晴らしい響きを、ここにも聴くことができることだ。不協和音は不協和音なりにバランスが必要で、オネゲルの場合ラヴェル同様にしっかり響くはずのバランスがいちいちある。ミュンシュが単純剛速球指揮者ではない証拠だ。ザッヒャーのためのこれは抒情的な曲であり、翳りある表現は殆ど手法的に部分に使われているだけで戦後的な愉しさや、50年代アメリカ風の垢抜けた前向きさ(トランペットなどはジャズ風のフレーズで必要以上に出してしまってるかも)、そこに末尾に象徴されるウィットが加わって、ハードなオネゲルを求めるなら肩透かしがあるかもしれない。逆に一般客には受けるだろう。ミヨーの1番を大人向けに構造的に書き直したようなものである(いやミヨーの散文的な牧歌とは別物だが)。客席反応は普通だがフェラスのブラコンが控えているからか。もっと嬉遊的なカラッとした演奏もできそうだが、ミュンシュの得意中の得意であったオネゲルの交響曲において、ズシッと重い触感はその5曲の流れにおいて全く妥当である。
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ウェーベルン:5つの楽章op.5

2018年07月18日 | Weblog
マデルナ指揮ハーグ・レジデンティ管弦楽団(SLS)1967/10/11live

元気溌剌のウェーベルン、というのも違う気がするが音がステレオですこぶる良いので覇気が漲ってきこえるだけだろう。緩徐楽章ではマデルナらしい現代音楽への見識を響きできける。このての音楽は「とにかく新しいものが聞きたい!」という需要にこたえるためにあり、この作品も演奏もその点で、現代の耳からすると半端なところはある。マーラーなのか、コンテンポラリーなのか。後者寄りの鋭敏で繊細な響きの演奏でないと、これだけ明晰でももやもやした印象しか残らないか。
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シベリウス:交響曲第1番

2018年07月18日 | シベリウス
○バルビローリ指揮ヘルシンキ・フィル(SLS)1965/9/13ロイヤルフェスティヴァルホールlive

inta grioからヴァイオリン協奏曲と7番は出ていたが(データ記載は不明瞭だが同じだろう)同時に演奏されたこれは初出か。モノラルで録音が悪くノイズが気になるが内容は良い。オケは不安をかんじさせるのはパワーがもっと欲しい最初のほうだけで、技巧的にも、雄渾なスタイルでドライヴしていくバルビの特訓の成果的にも素晴らしく結果を出している。圧倒される音表現、細部まで解釈され尽くしたさまを弛緩なく明確に、弦の細かい動きにすらミスの一つもあらわさず、これはバルビがニューヨーク時代に残した秘蔵音源と言っても通用するくらいの一流ぶりだ。凡百の指揮者がギクシャクさせるであろうメロディの揺れ、音圧の強弱の激しさを、バルビはまるでそう書かれているからやっただけ、とばかりにあまりに自然に描く。刻々の気まぐれでやっているのでは決してない。このオケのまさに北方的な熱を帯びない色のない音がロマンの生臭さを払拭しているのも大きい。その音だからの音響バランスのすこぶる良いところは四楽章で認識できる。ドラマティックなほうのバルビローリであり、同時期の様々なスタジオ録音のような客観性は無い。客席反応は良いようだがよく聞き取れない。
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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2018年07月17日 | Weblog
ロストロポーヴィチ(Vc)ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団(ICA)1962エジンバラ音楽祭live・CD

ICAはあまり新譜を出さないが時折、完全初出のライヴや希少音源を発掘してくるので侮れない。メロウでねっとりしたジュリーニ、穏健なテンポ設定にロストロポーヴィチも合わせたように丁寧に弾いていく。技巧的には何の不安もないが、この盤はデュ・プレがメインとはいえ、「おまけ」扱いの音源である理由は録音の悪さだ。モノラルは言うに及ばずその中心点が左にずれ、環境雑音があり籠もっておりかつ一楽章に非常に耳障りな小さなパチパチノイズが入り続ける。パチパチというより圧縮失敗したデジタル音源のような嫌な音だ。ダイナミックで激しい演奏なら気にならないが緩やかテンポのカンタービレの指揮者のスタイルに沿った、一歩引いた演奏となるとそこに耳が行かざるを得ない。ボウイングの妙を「じっくり」聴かせるニ楽章はジュリーニとのセッションならではで、憂愁の音楽の演出はうまくいっている。ジュリーニのオケ繰りの上手さも光るが、陶酔的なテンポ設定に反してイタリアというよりドイツ風の堅牢な響きも特徴的。ドヴォルザークだからという面もあろう。録音ノイズも少ない。三楽章はノイズ復活するが、音楽が激しくなるとノイズが大きくなるのは圧縮音源にありがちなのでこれも元は圧縮音源なのだろうか。ただ一楽章ほどではない。ロストロポーヴィチの技巧を「じっくり」堪能できるテンポで、こういう解釈はスタジオでは詰まらなくなるのだが、ライヴだから一回性の緊張感がそうさせない。チェロが大きく捉えられているので細かく聴きたい向きでも他の録音瑕疵を押して聴く価値はある。オケも張り切った音が清々しい。このテンポだがライヴなので一、三楽章で各一箇所音を曖昧にとってしまったりニ楽章で一箇所とちったりはしているが、気づいたのはこのたった三箇所である。前者はマイクの問題かもしれない。三楽章はひたすらメロディを堪能すべし。コンマスとの絡みでのオケの量感が絶妙でここは絶品。フィルハーモニア管弦楽団の力量を知らしめ、他の指揮者がいかに無頓着に「二人のソロの絡み」にしてしまっているかがわかる。陶酔からしっかりテンポアップしてブラヴォのうちに終わる。
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プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2018年07月15日 | プロコフィエフ
D.オイストラフ(Vn)メータ指揮ロス・フィル(SLS)1970/3/12ドロシー・チャンドラー・パビリオン(ロサンジェルスミュージックセンター)live

オイストラフには「出してはならない時期の録音」というものがあって、これは最晩年のそういうものである。かなりヤバイ箇所があり、二楽章は弾けてるのに両端で音程がメロメロというのは下手ではない、他の理由でそうなっているのは安定感のある音からも明白なのだが、この状態の同曲の録音は他にもあり、ひょっとすると同じものかもしれない。シゲティが蘇演し成功をおさめて作曲家も喜んだという、独特だがプロコフィエフ最盛期の精華が現れた名作であり、技巧的にウォルトンがパクるほどの特徴的な叙情性をいかに演じるかだが、オイストラフはもとから「弾け過ぎ」のため同曲の意図して煮え切らないメロディや殆ど装飾的な音符でしか構成されていないフレーズとか前半期プロコフィエフ特有の「前衛性」を、どこが前衛的なんだか、普通の曲じゃん、という印象に変えてしまう。シゲティ後年のカスれて何の音を出してるのか解らない箇所だらけの録音が良いとは言わないが、楽曲には不思議と合う。とにかくハイフェッツしか知らない西側の人々の前に、巧すぎる刺客としてソビエト連邦から現れたこの人、作曲家とも共演しているとおり認められてないわけはなく、上手すぎても問題ないのだが、音楽にはやはり何かしらプラスとともに「マイナス」も必要なのだ(曲によって)と思うこともある。しかし、こんな演奏でも普通に拍手だけで送り出す暖かい聴衆に、この人の受けてきた賞賛の残り香を嗅げることは嗅げる。この曲めあてで同盤を買うことはおすすめしない。カップリングは亡くなってしまったスクロヴァチェフスキとのベトコン。時期的にベトコンというと誤解されそうだがベートーヴェンのコンチェルトです。版は知らない。
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ヒンデミット:序曲「キューピッドとプシュケ」

2018年07月15日 | Weblog
セル指揮クリーヴランド管弦楽団(SLS)1968/4/18セヴェランス・ホールlive

セルはDAから1967年ライヴなるものが出ていたが、ステレオのこちらは音が段違いに良く(といっても放送エアチェック録音の標準レベル)比較不能なので一応データ通り別としておく。ヒンデミットのカッコいい方の平易な作風によっており、せわしなく動きまくる弦楽器と吠えまくるブラス、茶々を入れる木管と、構造的にはヒンデミットらしく完璧な組物となっており、アンサンブル能力をとことん引き出そうというところでセルやクリーヴランド管弦楽団にとっては不足ない相手だし、性能的にも不足はない。この曲は録音が思ったよりすくないので、自作自演よりカラッとしたアメリカオケによる風の通るように明快なセルを選んでもいいだろう。ヒンデミットともその盟友ウォルトンとも親交のあったわりに両者の作品(書法が込み入ってめんどくさく客受けも悪いのかもしれないが)それほど録音しておらず、非常にわかりやすく六分余りしかないこれに2つも記録が残っていたのは嬉しい。ただ、カップリングがR.カサドシュのリスト2番、リン・ハレルのシューマンと余りに掛け離れた古臭いロマン派作品ゆえ、私と趣味を同じくする向きの中でも、物好きにしか勧めない。
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ドビュッシー:管弦楽のための映像〜Ⅱ.イベリア

2018年07月14日 | ドビュッシー
アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1959/3/19シャンゼリゼ劇場live

前へ向かわない遅いテンポはアンゲルブレシュトのこの曲の解釈であり、引き締まったリズムパート、無機質的な透明感がアク抜きされたラテン風味を引き立てる弦楽器、時にからかうような時に情感を引きずるような管楽ソロ陣、バラバラのベクトルを持った演奏様式がアンゲルブレシュトのむりやり縦を揃える方法により纏まる、いつもの解釈ではある。第一部でやや危なっかしいところがあり精度的には別にこれを取り立てて聴く必要はなかろう。情緒的で、第二部のネットリしたところや第三部の散文的な構成(決して弛緩はしない)は強引さを感じさせない強引さで聴かせてしまう一種豪快さが楽しい。客席反応は普通。録音はモノラル、やや悪い。第二部に瑕疵あり。
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ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

2018年07月12日 | ドビュッシー
アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1955/2/17シャンゼリゼ劇場live

驚きの演目で否応にも期待が高まる。アンゲルブレシュトの構築的で透明感溢れる芸風が前衛的な曲にあっているようにも思える。が、結果、情緒的であった。もちろんアンゲルブレシュトも手練なので、特に得意のドビュッシーで曲によりアプローチを変えるのは当然なのだがモントゥとまでは言わないまでも結構この時代(録音は篭もって悪いモノラル)このような、バレエ音楽的な演奏は録音されてもいて、そこから離れたものにはならない。でも録音さえ良ければ普通に楽しめるレベルではあると思う。オケはORTFらしい少し無機質だが技巧はフランスでは高い方のそれ。ソリストによっては時代なりの懐かしい音はする。次に収録されているイベリアがいつもの客観性を感じさせる引いた演奏なだけに一際アンゲルブレシュトはバレエ音楽であったことを意識してやっているんだな、そしてあまりこの曲を好きではなかったのかもしれない、と思った。
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