湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ウォルトン:バレエ組曲「賢いおとめたち」(原曲バッハ)

2019年05月09日 | イギリス

フレモー指揮バーミンガム市立交響楽団(EMI)CD

 

ウォルトンの「お仕事」系の最たる作品で、編曲技術の陳列といったふう。中プロに現代作品を、と思った選曲担当が困ったとき権料をおいても選ぶたぐいの無難な編曲作品(ストコフスキより数百倍無難である)。軽くて聞き流せるがバッハ原曲の数学的な構造の面白みをちゃんと適切に拡大して配しており、ごく一部にウォルトンらしい派手な音も入るが、この演奏は特に無難ではないか。

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ディーリアス:五つの小品(フェンビー編曲)

2019年04月23日 | イギリス
デュラン(fl)フェンビー指揮ボーンマス・シンフォニエッタ(EMI)1979初出・CD

奇怪にぎくしゃくした「小さな少女のためのマズルカ」印象派的な陰影だけの「小さな少女のためのワルツ」は尖鋭さが出やすい小規模作品らしい音楽。すこしウィーン風の「ワルツ」はさらにディーリアスらしくないが、ぎくしゃくした動きと半音階的な進行はディーリアス。「今の子のための子守唄」はデュランがフルートソロを吹いているが、旋律は優しい、でもその裏で弦楽器がじつに妖しい和音を揺らがせており、異常な雰囲気がある。次第に落ち着いては来るが、フェンビーの編曲のクセもあるのだろう。半音階の多用はともすると尖鋭になりすぎるが、この曲は長い和音の各音を単純に弦楽器の各パートに置き換えることでちょっと生硬になっている。快活なトッカータは題名通り新古典主義で、弦楽合奏では驚くほどディーリアス的でない。現代的な和音進行が混ざる部分のみだが、それなりに魅力はある。演奏はすんなり聴けるものだとおもう。
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ディーリアス:二つの小品(フェンビー編曲)

2019年04月23日 | イギリス
デュラン(fl)フェンビー指揮ボーンマス・シンフォニエッタ(EMI)1979初出・CD

「ラ・カリンダ」をフルート協奏曲にするという荒業は違和感を禁じえない。原曲もディーリアスらしさという点で初期的な面がある作品だが、オケの粗さ、フルートの技巧及び音色の限界が曲の自然な爽やかさを損ねている。「アリアと舞曲」はむしろディーリアスの典型的な分厚い音楽で、アリアの方は夕景をロマンティックに彩るようなもので細かい技巧を要求する部分はなく、不協和ぎりぎりのハーモニーや独特の進行が編曲をものともしない個性を発揮している。最後のフルートのトリルは良い。舞曲もディーリアス的な不格好な田舎踊りで、リズムの重さと響きの軽さ、旋律線の平易さは末尾でフェンビーの薄い個性が出てしまってるところもあるが、こちらもフルートを徒に使わずききやすい。
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ウォルトン:オラトリオ「ベルシャザールの饗宴」

2019年04月22日 | イギリス
〇トマス・アレン(B)プレヴィン指揮フィルハーモニア管弦楽団、グリーンウッド指揮フィルハーモニア合唱団(arthaus)1982ロイヤルフェスティヴァルホールLIVE・BD
 
作曲家臨席のコンサートのメイン演目で、合唱だけを見ても度肝を抜かれる巨大編成である。オケもこれだけいれば目の詰まった音に満ち、これは素晴らしく一期一会の記録と言っていい。演劇的要素のある大曲にビジュアルは必要だ。トマス・アレンの独唱もきれいだが混声合唱の迫力やパーカスの野蛮な打ち鳴らしの前にはややおとなしく聞こえる。プレヴィンも汗したたらせて熱演だが、ジャズ風のものを含むリズムのキレがいい。そっちの音楽をやっていた人ならではだ。後年の曲もいいが脂の乗り切った時期のウォルトンは一味違う。一つのアイデアをこねくりまわすのではなくいくつものアイデアを繰り出してくる。歌劇「トロイラス」はさすがに飽きるが、この時期のイギリスの大作曲家には協力者の存在が見え隠れする。トロイラスは間に合わない部分を補筆されたときくが、この曲は他の手が入っている感じがない。壮麗なエンディングにブラヴォが飛び、ウォルトンの興奮する姿がうつる。同曲を語るに欠かせない記録だ。
 
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ウォルトン:ヴァイオリン協奏曲

2019年04月22日 | イギリス

チョン・キョンファ(Vn)プレヴィン指揮フィルハーモニア管弦楽団(arthaus)1982ロイヤルフェスティヴァルホールLIVE・BD

 

顔色の悪い作曲家がブラヴォと言っているのが見える有名な記録で、80歳コンサートの白眉だったのではないか。このコンビで別のライヴもたしか音で出ており、セッション盤はこの曲をリヴァイヴァルさせるほどヒットした。多分この時点でこの曲をちゃんと認識していた外国人はおらず、これをもって皆演奏するようになったのだろう、激烈スタイルが似通っている。荒いのは荒いが技巧が荒いのではなく気迫に押されて音が撚れるだけだ。プレヴィンは小粒のスタイルで(オケの編成もだいぶ小さい気もするが改訂のせいか)器用にさばくが、一か所どうしてもミスにしか聞こえない音があり、ほかにもあるかもしれない、ライヴなりの精度ではある。若いコンマスのチョン・キョンファを見つめる鋭い目が怖いが、最後はやりきった感の前に牙を収めている。最初に聞くには向くが、個人的には凝縮力のあるハイフェッツがききやすい。

 
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ウォルトン:戴冠式行進曲「宝玉と杖」

2019年04月22日 | イギリス

プレヴィン指揮フィルハーモニア管弦楽団(arthaus)1982ロイヤルフェスティヴァルホールLIVE・BD

 

作曲家80歳記念コンサートの映像で、よく知られたものとなっている。最晩年の作曲家臨席のうえオールウォルトンプログラムが組まれ、国歌と何かの間奏曲のあと前プロとしてこれが演奏されている。映像収録目的のせいかステレオであるものの音響バランスに違和感のあるところもあり、またイギリスネオロマンチシズムの泰斗・・・すでにそうとうに衰えが見える・・・を迎えての異様な雰囲気がそうさせているのか、荒く力んだこのオケらしくない派手志向の演奏になっている。もともとの音質にそれがあわずスカスカで痩せて聞こえるところもある。中盤エリザベス二世の戴冠式映像が入るのが、翌年亡くなってしまう作曲家と、その映画音楽の影響を受けたハリウッドSF映画が一世を風靡していた時代、さらに現在女王は元気に国の行く末を見守っていることを思い、時間の不思議な交錯に少し感傷的にもなる。プレヴィンは若々しい。老けてしまい、亡くなってしまった。

 
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ウォルトン:交響曲第1番

2019年04月03日 | イギリス
○ダニエル指揮イングリッシュ・ノーザン・フィル(naxos)CD

リズムがキレて非常にカッコいい。ウォルトン1番の映画音楽的な魅力を派手に引き出している。下手なオケではないはずだが木管の鄙びた音や弦楽器の乱れが目立ち、いやそこまでして感情的に煽っているのだ。冒頭など長い松葉が弱くスケール感は出ないがそういう演奏も良い。この曲でメロディをしっかり歌わせているものに出会うことはすくない。シベリウスを換骨奪胎したようなあざといウォルトンを、あざとくやっている。伸びるほうには揺れないが、音の濃淡ははっきり付けられ、切り詰めて前へ向かう力は自作自演や他の新しい演奏のように整えた感なく、ちゃんとアンサンブルできているからこそ生まれるもの。ごちゃっとはしない。即物的な演奏ではなく、細かい解釈も活きている(雑味が多いのにハーモニーは綺麗に整えられている)。細かい仕掛けもちゃんと聴こえる良録音で、スカッとするアレグロ楽章ではなく、三楽章のようなメランコリックな楽章でこそ純度の高いウォルトンの現代性を堪能できる。末尾近くの空疎な悲劇的な響きはマーラーを換骨奪胎しているのかもしれない。四楽章はしっかり序奏してから攻撃的に向かうが、ここは割と他の演奏と似通っているかもしれない(マンネリ的で幅が出しにくいのだろう)。弦楽器がピチピチ活きが良く、フーガでは細かい音符に折り混ざる長い音符をテヌート気味に撫で付けるのが心憎い。細かいスコアに細かい演出を加えてしっかりやっている。ブラスに迫力が欲しいが裏の動きがわかりやすく面白い。言われなければアメリカの曲と思ってしまいそうな清々しさで走り抜ける。中盤以降はかなりヒートアップしているように聴こえる。音場が狭いのでせせこましさは否めないが、弦楽器がひたすら刻んでいる曲が好きな向きは大柄な管楽器と打楽器で壮麗にやるより好きだろう。ウォルトンはとにかくこの曲ではしつこいので、最後も現代のベートーヴェンかと言うくらいしつこくフィナーレっぽいフレーズを楽器を変えて繰り返すのだが、そのあたりでは情緒たっぷりにソリストたちに歌わせたあと、壮大な幕切れに向かっては、なかなか凄い迫力だ。何度打つんだという終止音。これは良いです。
ウォルトン:交響曲第1番/パルティータ(イングリッシュ・ノーザン・フィルハーモニア/ダニエル)
ウォルトン,ダニエル,イギリス・ノーザン・フィルハーモニア

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ウォルトン:映画音楽「スピットファイア」前奏曲とフーガ

2019年04月02日 | イギリス
ダニエル指揮イングリッシュ・ノーザン・フィル(naxos)CD

戦時中戦意高揚映画に精を出した結果えらく名声が高まったウォルトン第二次出世作で、映画の音楽に注目が集まることはあまりなかった時代に、演奏会用ピースにまとめコンサートにかけることになったことで知られる。ジョン・ウィリアムズの映画音楽を聴いてる気になる人もいるだろうし、ヴォーン・ウィリアムズの映画音楽と似たもの(本来作風にはないもの)を見出す人もいるかもしれない。完全なるオーダーメイド作品なので、前奏曲のとくに第二主題はエルガーを意識した戴冠式行進曲と似通っているし、フーガは「注文通り」細かく書き込まれ、また劇伴として甘甘のメロディも要素に入れながら、うまくまとめている。書法の熟達ぶりはわかるが私はこの曲は空疎で戦前ないし戦後のいずれのウォルトンらしさも少なく、あまり好きではない。演奏はとてもうまく紹介盤として向いている。
 
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ウォルトン:ピアノ四重奏曲

2019年04月02日 | イギリス
マッケイブ(P)イギリス四重奏団(meridian)CD

弦楽が弱い。なんだか昔の学生のような生硬さがある。スコアを活かし切れていない。萎縮して、ただ音にしている感がある。テンポも全体的にかなり落としているのでこの曲の若々しさが損なわれ、疾走感の欲しい場面もある。このテンポならではのマッケイブのピアノの美しさは、とくに3楽章で発揮されている。イギリス近代音楽をよく知っている人の演奏だ。ウォルトン若書きの単純さの中にも、ここまで周到なリリシズムが書き込まれているのか、と思わせるところもあるが、改訂版だからかもしれない。
 
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ウォルトン:ヨハネスブルグ祝典序曲

2019年03月20日 | イギリス
ダニエル指揮イングリッシュ・ノーザーン・フィルハーモニア(naxos)CD

1956年前半に作曲されたもの。私はこの曲がとても好きで、ウォルトンのオーダーメイド、特に戦後作品としては最も一般にアピールする曲だと思っている。すっかり前のめりのスタンスをやめて、地中海に隠居しつつ注文を受け作品を送るようになるウォルトンの、その時期の傑作だと思う。ウォルトンらしくないほどに、ガーシュインのキューバ序曲のようなわかり易すぎるアフリカ系の主題やボンゴなどアフリカ系楽器の響きは、注文主であるヨハネスブルグ市設立七十周年祭の音楽監督からの「いくつかアフリカの主題を含める」という条件によるものであり、対してウォルトンは2年前大ヒットしたコンゴのジャン=ボスコ・ムウェンダ「マサンガ」のメロディをEメロに据えるとともに、同時にアフリカ音楽協会からアフリカ音楽の録音を取り寄せてインスピレーションを得た。ひたすら楽天的で爽快に駆け抜ける曲は、現代的な意味での純粋なアフリカ音楽ではなく植民地時代のアフリカ「系」音楽の薄衣をまとい、それは恐らく南アフリカという国の当時辛い社会の上澄みにある、今風に言えばホワイトウォッシュされたものではあるけれど、それでもウォルトンは天才的で、管打のスリルと軽快さに頭で考える前に肩が揺れ出してしまうのである。また、この曲に中身がないことも自覚していて、ノンストップの熱狂的な「ギャロップ」などと自評しているが、南国風の雰囲気はウォルトンにはあまりなかったもので、行進曲「王冠」「宝玉と杖」が持っているエルガーの複製品的雰囲気からは一歩前へ出た感がある。素材はアフリカ音楽の剽窃でありながらきちっと西欧音楽に異化していて、念入りに3回ほど改訂しているが、その華々しくもスキのない出来は素晴らしい。主題を繰り返すしつこさを鮮やかなオーケストレーションとあとはスピードで押し切っているのもいい。その点この演奏は落ち着きすぎている。音楽が前に向かっていかず、アフリカ系楽器の力でリズムが跳ねるまではどうも大人しすぎるというか、あまりのっていない。この曲がアフリカで演奏されることがあるのかどうかわからないが、そちらの演奏家がやったらどうなるのか、とくにこのリズムがオケでどのくらい煽れるものなのか、聴いてみたい。

Johannesburg Festival Overture
イングリッシュ・ノーザン・フィルハーモニア

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ウォルトン:ピアノ四重奏曲

2019年03月14日 | イギリス
○ドノホー(P)マッジーニ四重奏団のメンバー(naxos)CD

「ファサード」のパロディ音楽、「弦楽四重奏曲(1番)」の表現主義音楽から離れ、新古典主義的なスッキリした作風を獲得したウォルトン十代の代表作と言っていいのではないか。後年改訂されたかも知れないが根幹は変わりようがない。後半楽章を中心に以後まったく興味を見せなくなる民謡調を使い(三楽章はヴォーン・ウィリアムズのパロディのような美しい流れから皮肉な崩し方をする)、四楽章は形式を守りウォルトンにしては冗長な印象が否めないが、このメロディの親しみやすさ、透明な感傷やどる響き、トリッキーなリズムこそウォルトンの真骨頂であり、「ポーツマス・ポイント」の萌芽を感じ取ることができる。この演奏はとくに一楽章においてウォルトンの解釈としては異例の揺れ方をし、感情的な表現を取っている。やや音が硬質だが、このくらいやってくれると嬉しい。四楽章に同じような工夫がほしいが、シンプルを極めた譜面はなかなか弄れないというか、リズムが取れなくなるから仕方ないのか。これはやはり冗長な印象を払拭できなかった。二楽章の俊敏なアンサンブル、三楽章のたっぷり呼吸する甘やかなメロディと涼やかな響きの演出は特筆すべきものだ。全編メロディがメロディメロディしすぎて「恥ずかしさ」は否定できない曲だが、ラヴェルのピアノトリオを聴いてこんなものが書けてしまう恐るべき子供だったウォルトンには感服する。
 
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アイアランド:チェロ・ソナタ(チェロと弦楽合奏のための編曲)

2019年03月07日 | イギリス
ウォルフィッシュ(Vc)カーティス指揮スワン管弦楽団(NAXOS)CD

二楽章に甘やかなディーリアスふうのメロディが流れるが、全体としてチェロのための曲らしく渋く薄暗い雰囲気が蔓延する。とくに焦燥感溢れる3楽章は硬質な作品を書いていたころの作風だが、アイアランドの個性の一つである呪術的なフレーズは1楽章にあらわれるにとどまり、むしろ同時代者によくあった時代の景色をうつしたような、ある意味個性の薄い音楽になっている。昇りつめて明るい響きを獲得したとしても、旋律性には逃げず奇妙な揺らぎで個性を発揮し、奇妙なくるくる回る装飾音の連環により終わる。演奏はアイアランドの平易な曲とは違った腕の見せ所を、といったところで、バックの弦楽合奏は上手い。いまどきの弦楽合奏の精度だ。ソリストは高音で少し不安定になるところもあるがおおむね曲の邪魔はしない・・・そう、なぜこの曲を弦楽だけで編曲しようと思ったのだろう。均質の音でそろえてしまったため、とくに1楽章は全体の響きの中にソロが埋没し、変な印象派めいた曲になってしまっているというか、何の楽器のためのソナタなのかわからなくなる。終楽章終盤でも弦楽合奏が高音域で重音を伸ばしている下で、ソリストが旋律をかなで続けるが、そう意識して聴かないと、ロマン性の薄い旋律自体を見失う。この編曲はじつにわからない。
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アイアランド:おだまき

2019年03月06日 | イギリス
レネハン(P)(naxos)CD

1949年と戦後作品だが大変美しい上に、昔の魔術的な作風を彷彿とさせる妖しい動きやディーリアスの三つの前奏曲、ドビュッシー、サティといった大昔のフランスに流れた夢のような作品を彷彿とさせる、また淡い世界より生命力あふれる眩さを放ったり、アイアランドの典型的なロマン作品のていをとりながら、比較的複雑な小品となっている。レネハンは急くようなテンポをとり残響もさほど残さないけれどこのアルバム最後のトラックでは即物的なふうはおさまり、タッチはニュアンスに欠け強めだが、この曲そのものの魅力だけを伝え充分に魅力的である。
 
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アイアランド:夏の夜(パーレット弦楽合奏編曲)

2019年03月04日 | イギリス
カーティス指揮スワン管弦楽団(naxos)CD

サルニア二楽章同様の弦楽合奏編曲だが、原曲の旋律性が強く、響きはドビュッシー風という程度で印象にうすいため、ただ編成を拡大されるとロマン性が強すぎて味わいがなくなる。演奏はノンヴィヴも駆使してわりと達者だが、夏の夜(夕べ)という雰囲気からは離れた具象的なかんじの、歌謡的な管弦楽小品といった印象におさまった。
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アイアランド:四つの前奏曲〜Ⅲ.聖なる少年(弦楽四重奏編曲)

2019年03月03日 | イギリス
マッジーニ四重奏団(naxos)CD

アイアランドで最も有名な作品(原曲ピアノ曲)とされているが極めて短い旋律音楽であり、印象派後の響きを用いているが寧ろ同時代のイギリス民族主義の民謡編曲のような風あいの曲である。アイアランドのピアノ曲を俯瞰すると時期により変化がある。比較的複雑でしばしば呪術的と言われる神秘主義の曲こそ昔はよく取りざたされ(音が多い曲を書いたからスクリアビンと比較された)、その対極にある後期のロマンティックな、特にサルニアのような曲は個人的に愛好される傾向にあった。この曲はその中では後者に位置づけられる。突出したものとは思えず自国でメロディが愛好され、さまざまに編曲された結果代表作のように扱われたにすぎないように思われる。古典的で形式的とも感じ取れる部分も目立ち、取り出してこのような編曲で中継ぎに演奏されるのはありかもしれないが、アイアランドを味わうには音が少なすぎる。カルテットは美しい編成だが、アイアランドにしてはあまり頭に残らない。自作自演が2つも残る「April」もこちら側だが、歌謡的な旋律にくわえサルニアに近い透明なロマンスが編み上げられており、私はHoly Boyより薦めたい。演奏は精度の担保された良い物。
 
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