~たぶん間違いなく最も有害な要素は商業主義だ。心と人生のプロセスを機械化し平準化するように仕向けてしまった・・・朝食の支度と死を少し簡単なものにしすぎたのだ。
金で骨抜きのアメリカ!アングロ・サクソンは「子猫」・・・可愛いリズたち・・・になってしまったのか?言われたとおりにやるこんにちの少年・・・不恰好なクッション・・・体を動かさないチャンピオン・・・上手くやろうとする考え・・・放送局を経営してる用心深いばあさん・・・大掛かりな国家的脳軟化事業である映画・・・真実半分ウソ半分の見出しと、極めて典型的な不良のヒロイックな写真を掲げた頭を鈍くするタブロイド紙・・・「テントウムシ」たち・・・オカマの流行歌手・・・一つとして「呪われていない」やさしい耳のためのコンサートホールのホワイエでの楽しみ・・・彼らはみな個性というものを得ている、しかし「アメリカ」は得ていない!
彼女は徐々に男らしさを失っているのか?清教徒たちは”lollers”が彼らを呼んだようにすべてのものを持っていた、しかしやさしくはなかった。外面的には冷たく、偏狭で、頭が固く、石を食うような人々だったろう、しかし彼らは女々しくはなかったのだ。
”リッキー”・ワグナーは時折「ド・ミ・ソ」から逃げ出した、他の誰よりも多く。技術の進展のために多かれ少なかれ良い脳を持っていた、しかし彼はやや控えめな使い方をしていたように見える・・・楽しませる。美しいレディの紫のシルクのドレスのようだ、偽物の高貴さとヒロイズムをもっている。だが小さな池を飛び越えて、真のヒーローになるのを恐れている。そのかわりに紫に着飾ってヒロイズムについて歌うのを好んだのだ。音楽は大きく拡大されすぎ、骨抜きのアートに仕立てられてしまった。ワグナーはその一翼を担ったというわけだ。彼の作品の中の「骨」は、作曲への信念だ。
こんにちにおいてさえ恐らく良い音楽プログラムと呼ばれるもの・・・大都市の交響楽団がやるようなものや、教育機関が行うもの、「オペラ」・・・の約83%は、山へ登るでこぼこ道に比べると、人をとても貧弱な意気地なしに仕立てるものにすぎない。そして、ラジオから流れる音楽の98.25%は意気地なしに仕立てるよりも悪い・・・弱い耳や胃のための一節のゴシップにすぎない。体にやさしいたぐいの、根本的に商業主義に春をひさいだアートなのだ。
~(34年プロムスのオールシベリウスプログラムを聞いて)悲しきワルツ(まるでブラウンシュガーの甘ったるさ)は最終夜に聞いた中では最も大きなものに感じられた。前プロとしては美味しいロリポップ、それ以外の何物にもなろうとしないもの。だが他の交響曲や序曲といったものは悪い。なぜならあれらは小さな音楽を大きく見せようとこけおどしているだけなのだ。すべてのフレーズ、旋律線、コード、ビートはえんえんとあなたがまさに期待するであろう通りに進んでいくだけなのだ
・・・いや期待通りですらない、あなたはそう期待していない・・・陳腐で退屈で平凡な日除け傘、全てがグリーグ、ワグナー、チャイコフスキー(そのほかの全ての女々しいもの)の巧いミクスチャーでしかない。しかし最も悪いところは・・・ここには音楽がいつの日か死ぬかもしれないというヒントがあるのだ。去勢されたチェリーのように、不名誉に死ぬ・・・そういった若者たちが階段の下に立っているのを見る。胃から黄色い胃液を溢れ出させ、一心不乱に食いまくっている。何一つアイデアを持たずに。そして彼らの何人かは恐らく作曲を始める。家に帰り、ぬめぬめしたグルーヴを丸写ししただけで、何かしらの創作活動を行っていると思っているのが見える・・・音楽を救うのだ・・・衰退、死ぬ、死ぬ・・・死。
~いずれにせよ私は音楽を、とりわけ馴染みのないものをさほど聴かないようにすれば、もっと自然に集中して仕事に取り組めると悟った。短く言うなら私は僅かなコンサートしか行かなかった。
~私はこの「習慣」についてそれまで考えたことがなかった・・・私に私の作品のどれかが何某から影響を受けているという主張の載った記事が送られてくるまで。そこに載っているのは私が聴いたことのない音楽を書いた作曲家の名前だった。名前すら知らなかったこともあった。
例えば1919年か20年まで、私はストラヴィンスキーの音楽を全く聴いたことはなかった。そのとき私は火の鳥の一部を聴いたが、病的で単調だと思った。(フレーズのアイデア、たいていは小さなものだが、良くできていて面白かった。しかし彼はそれを大げさに引き伸ばし、退屈にしてしまっていた。)これは私にラヴェルを聴いたときのことを思い出させた。彼の音楽の殆どは私が耐えられないたぐいのものだった。ひ弱で、病的で単調・・・あなたが楽しませてほしいと願うなら十分楽しませるもの。
1923,24年くらいになって私は交響楽団の演奏でストラヴィンスキーの「中国の夜鳴きうぐいす」の一部を聴いた。春の祭典は聴いたこともスコアを見たこともなかった。だが私は(批評家などの発言記事を見せられて)尋ねられた。私の音楽のいくつかには・・・例えばパットナムのキャンプ(管弦楽組曲第一番の二楽章)・・・が春の祭典から強い影響を受けているという。個人的に私はそれらに共通点があるとは思えない。この楽章のいくつかの部分は人に言わせるとストラヴィンスキーに由来しているというが、ストラヴィンスキーが祭典を書くより前に書かれたものである(少なくとも、初演より前である)。これはピアノの打楽器奏法の習慣から直接来たものなのだ。
~思い出されるのは1927年に交響曲第4番の一部が演奏された後のことだ。ダリウス・ミヨーがコンサートに来ていて、彼の音楽も一緒に演奏されたのだが、シュミット氏に、他の音楽ではかつて見たことの無いようなたくさんのことを、私のスコアに見出したと語ったという。それらが何なのか、彼が何を考えていたのかは、通り一遍のことを除けばわからない。(私はこの二つのコンサートについて、退屈でも簡単でもなかったとしても、言及しないでおく。(多くのアメリカ人のように)べらべらと多くのことをしゃべりたくはない。すべてのアメリカ音楽は現代ヨーロッパ音楽に追随しているだけだ、というようなことには、ミヨーがよく言及している。)
~マックス・スミスとメアリーは1912年5月のある日曜日をハーツデールのホイットマンの家で私たちと共に過ごした。私は交響曲第三番を演奏し、マックスは私にどうやってこんなモダーンさを身に着けたんだ??!!と尋ねた。(これが写譜に出されていたとき、確かタムのオフィスでグスタフ・マーラーが見て、コピーをくれないかと頼んだ・・・彼はとても関心を持っていた。)
N響アワー「大阪国際フェスティバル」のストラヴィンスキー自作自演風景を見ながら、旅支度のさなかに見つけたRVWの9番のミニチュアスコアとアイヴズ/カークパトリック「メモ」に浮気しつつ。大阪国際フェスティバルの模様はTDKよりDVD化されている。アイヴズは確かに飽きないが、余りに詰め込みすぎである・・・人の耳はそれほど頑丈ではない。
金で骨抜きのアメリカ!アングロ・サクソンは「子猫」・・・可愛いリズたち・・・になってしまったのか?言われたとおりにやるこんにちの少年・・・不恰好なクッション・・・体を動かさないチャンピオン・・・上手くやろうとする考え・・・放送局を経営してる用心深いばあさん・・・大掛かりな国家的脳軟化事業である映画・・・真実半分ウソ半分の見出しと、極めて典型的な不良のヒロイックな写真を掲げた頭を鈍くするタブロイド紙・・・「テントウムシ」たち・・・オカマの流行歌手・・・一つとして「呪われていない」やさしい耳のためのコンサートホールのホワイエでの楽しみ・・・彼らはみな個性というものを得ている、しかし「アメリカ」は得ていない!
彼女は徐々に男らしさを失っているのか?清教徒たちは”lollers”が彼らを呼んだようにすべてのものを持っていた、しかしやさしくはなかった。外面的には冷たく、偏狭で、頭が固く、石を食うような人々だったろう、しかし彼らは女々しくはなかったのだ。
”リッキー”・ワグナーは時折「ド・ミ・ソ」から逃げ出した、他の誰よりも多く。技術の進展のために多かれ少なかれ良い脳を持っていた、しかし彼はやや控えめな使い方をしていたように見える・・・楽しませる。美しいレディの紫のシルクのドレスのようだ、偽物の高貴さとヒロイズムをもっている。だが小さな池を飛び越えて、真のヒーローになるのを恐れている。そのかわりに紫に着飾ってヒロイズムについて歌うのを好んだのだ。音楽は大きく拡大されすぎ、骨抜きのアートに仕立てられてしまった。ワグナーはその一翼を担ったというわけだ。彼の作品の中の「骨」は、作曲への信念だ。
こんにちにおいてさえ恐らく良い音楽プログラムと呼ばれるもの・・・大都市の交響楽団がやるようなものや、教育機関が行うもの、「オペラ」・・・の約83%は、山へ登るでこぼこ道に比べると、人をとても貧弱な意気地なしに仕立てるものにすぎない。そして、ラジオから流れる音楽の98.25%は意気地なしに仕立てるよりも悪い・・・弱い耳や胃のための一節のゴシップにすぎない。体にやさしいたぐいの、根本的に商業主義に春をひさいだアートなのだ。
~(34年プロムスのオールシベリウスプログラムを聞いて)悲しきワルツ(まるでブラウンシュガーの甘ったるさ)は最終夜に聞いた中では最も大きなものに感じられた。前プロとしては美味しいロリポップ、それ以外の何物にもなろうとしないもの。だが他の交響曲や序曲といったものは悪い。なぜならあれらは小さな音楽を大きく見せようとこけおどしているだけなのだ。すべてのフレーズ、旋律線、コード、ビートはえんえんとあなたがまさに期待するであろう通りに進んでいくだけなのだ
・・・いや期待通りですらない、あなたはそう期待していない・・・陳腐で退屈で平凡な日除け傘、全てがグリーグ、ワグナー、チャイコフスキー(そのほかの全ての女々しいもの)の巧いミクスチャーでしかない。しかし最も悪いところは・・・ここには音楽がいつの日か死ぬかもしれないというヒントがあるのだ。去勢されたチェリーのように、不名誉に死ぬ・・・そういった若者たちが階段の下に立っているのを見る。胃から黄色い胃液を溢れ出させ、一心不乱に食いまくっている。何一つアイデアを持たずに。そして彼らの何人かは恐らく作曲を始める。家に帰り、ぬめぬめしたグルーヴを丸写ししただけで、何かしらの創作活動を行っていると思っているのが見える・・・音楽を救うのだ・・・衰退、死ぬ、死ぬ・・・死。
~いずれにせよ私は音楽を、とりわけ馴染みのないものをさほど聴かないようにすれば、もっと自然に集中して仕事に取り組めると悟った。短く言うなら私は僅かなコンサートしか行かなかった。
~私はこの「習慣」についてそれまで考えたことがなかった・・・私に私の作品のどれかが何某から影響を受けているという主張の載った記事が送られてくるまで。そこに載っているのは私が聴いたことのない音楽を書いた作曲家の名前だった。名前すら知らなかったこともあった。
例えば1919年か20年まで、私はストラヴィンスキーの音楽を全く聴いたことはなかった。そのとき私は火の鳥の一部を聴いたが、病的で単調だと思った。(フレーズのアイデア、たいていは小さなものだが、良くできていて面白かった。しかし彼はそれを大げさに引き伸ばし、退屈にしてしまっていた。)これは私にラヴェルを聴いたときのことを思い出させた。彼の音楽の殆どは私が耐えられないたぐいのものだった。ひ弱で、病的で単調・・・あなたが楽しませてほしいと願うなら十分楽しませるもの。
1923,24年くらいになって私は交響楽団の演奏でストラヴィンスキーの「中国の夜鳴きうぐいす」の一部を聴いた。春の祭典は聴いたこともスコアを見たこともなかった。だが私は(批評家などの発言記事を見せられて)尋ねられた。私の音楽のいくつかには・・・例えばパットナムのキャンプ(管弦楽組曲第一番の二楽章)・・・が春の祭典から強い影響を受けているという。個人的に私はそれらに共通点があるとは思えない。この楽章のいくつかの部分は人に言わせるとストラヴィンスキーに由来しているというが、ストラヴィンスキーが祭典を書くより前に書かれたものである(少なくとも、初演より前である)。これはピアノの打楽器奏法の習慣から直接来たものなのだ。
~思い出されるのは1927年に交響曲第4番の一部が演奏された後のことだ。ダリウス・ミヨーがコンサートに来ていて、彼の音楽も一緒に演奏されたのだが、シュミット氏に、他の音楽ではかつて見たことの無いようなたくさんのことを、私のスコアに見出したと語ったという。それらが何なのか、彼が何を考えていたのかは、通り一遍のことを除けばわからない。(私はこの二つのコンサートについて、退屈でも簡単でもなかったとしても、言及しないでおく。(多くのアメリカ人のように)べらべらと多くのことをしゃべりたくはない。すべてのアメリカ音楽は現代ヨーロッパ音楽に追随しているだけだ、というようなことには、ミヨーがよく言及している。)
~マックス・スミスとメアリーは1912年5月のある日曜日をハーツデールのホイットマンの家で私たちと共に過ごした。私は交響曲第三番を演奏し、マックスは私にどうやってこんなモダーンさを身に着けたんだ??!!と尋ねた。(これが写譜に出されていたとき、確かタムのオフィスでグスタフ・マーラーが見て、コピーをくれないかと頼んだ・・・彼はとても関心を持っていた。)
N響アワー「大阪国際フェスティバル」のストラヴィンスキー自作自演風景を見ながら、旅支度のさなかに見つけたRVWの9番のミニチュアスコアとアイヴズ/カークパトリック「メモ」に浮気しつつ。大阪国際フェスティバルの模様はTDKよりDVD化されている。アイヴズは確かに飽きないが、余りに詰め込みすぎである・・・人の耳はそれほど頑丈ではない。