○スティング(T,ARCHLUTE)カラマーゾフ(LUTE,ARCHLUTE)(DG)CD
5のみロバート・ジョンソンの作品。クロスオーヴァ活動に積極的で、クラシックへも注意深いアプローチを行ってきたスティングが遂に「編曲ではあるが」古楽という分野を使って積極的に踏み込んだ「作品」として注目される。声質が非常に独特で必ずしもロック的なだけに留まらない魅力をもったものであるために(ソプラノ領域に近いところから完全にテノール領域に移り安定したせいもあるが)クラシックでどう展開するか、というと結構クラシックとして表現できているのである。かなり以前より相互的な交流はあった。ジャズ出であることもあり近代にメリットがあると思いきや最近は静謐なもののほうがより魅力的と受け取られる傾向にあっただけにこの世界はけして遠いものではなかった。よくある商業ロッカーの余技としての付け焼き刃ではけしてないところは、これが滅多に交渉のないクラシックレーベルDGGより、しかしスティング名で発売された正規のアルバム「ラビリンス(原題:迷宮からのソングス)」であることからも伺える。長大なライナーは全面的に本人の筆により、勿論起死回生のグラモフォンのマーケティング戦略ぶりはデザインのノンクラシックさに顕れてはいるが、ロック側にしてみればかなりシンプルでまじめである。本格的に習ったのはカティア・ラベックから十数年前だそうだが、ここで聴かれる声はあきらかに最近のロックアルバムとは異なり、かすれ声を味としていたのに(正確さへの厳しい完璧主義者ぶりは元からなのだが)見事に(とくに高音の)透明感を獲得し、老齢にさしかかったとは思えぬ多彩さを発揮したものとして認識される。
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メニューヒンに倣ったわけではあるまいがヨガにより声量も伸びも極めて伸長した時期があり、ロック方面で見事商業的な再起をはたしたのは新世紀になる直前あたりだったが、その成果がしかし、「完全にクラシック化するのではなく」、己の表現手段として取り容れたまでで、この世界を「クラシックとすら意識せずに」吟遊詩人の世俗歌への共感を「ロッカーにしては」抑制された声で示している。リュート伴奏による二者の編曲作品となっているが、ナレーションや控えめな効果音が有機的に組み込まれ、ダウランドと言われ聴いて違和感をおぼえる向きもあろう、しかしこれはかっこいい。「どちら側から聴いても」かっこいいのである。クラシック奏者がクロスオーヴァをやるときの野暮ったさ、ロッカーがクラシックをやるときの滑稽さが全くない。ガーシュインの一部のしかも「そのまんま」しかやらずに「ジャズやりました」言ってるマネジャーの言いなりの若いクラシック奏者とは違う、どんなジャンルであれ音楽概念への広い見識や人生経験の違いはやはり、歴然としてあるのだ(権力も)。そういったことを考えさせられながら、最先端のポップスアルバムの手法で作り上げられたこの一枚を参考に、クラシックのかたがたも外実共にカッコイイ板を作ることを学んで、ましなものを作ってほしい、クラシックの新作が売れないのは音楽が悪いわけではないのだ。
クラシック的には○。消しきれない生臭さは気になるだろう。
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