交響曲第1番
○作曲家指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1960LIVE
硬派な大曲ほど熱気が必要だと思うのは私だけだろうか。初期に先鋭な作風の完成をみてのち古風な作風に立ち戻った作曲家は二十世紀に数多いが、コープランドもまた(後年でも硬派な作風を使い分けてはいたが)その一人だった。この作品は三番のような人好きする顔はしていない。しかし、短く引き締まった構成、高度に抽象化された独自の「アメリカンモダニズム」の隙のなさにはなかなかに耳をひかれるものがあり、プロフェッショナルなわざが光る。なるほどアイヴズをアマチュアとヤユするほどのものがある(コープランドは実のところ異能アイヴズを嫌いはせず指揮記録も残しており、晩年にアイヴズによせたような小品も書いている)。もちろん一般的に勧められるものは少ないが、ここには熱気があるからかなり救われている。たぶん実演であれば現代ものに慣れない向きも違和感なく入りこめたろう。舞踏リズムの高揚感はわかりやすい旋律をともなわないものの後年のバレエ作品を予告するような煌びやかさをはなち、このライヴにおいては腕ききのBSO相手に思うがままのドライヴをきかせて一種娯楽的な印象すらあたえる。静謐な音響表現は後年ほど単純化されないがゆえ魅力的だが、ボストンの冷たく正確な表現がはまっている。ともすると客観分析的にすぎる指揮を行いがちなコープランドだが、オケがそのぶん補っているようにも思える。ブラヴォが一声とぶ。音劣悪。○。
交響曲第3番
◎作曲家指揮ロンドン交響楽団(PHILIPS他)1958・CD
everest録音と同じものか。CD-Rでコピー盤が頒布されていたりもする。私はいくつかある自作自演の中でこれが一番好きだ。この人がCBSに録れた新しい自作自演選集はいずれも音符と音符の間に隙間風が入るような物凄く疎な演奏ばかりで、庶民的な意味での演奏効果の高いこの曲も、現在sonyでCD化されている音源は余りに莫大で薄くて客観的に整えられすぎている。50年代のまだ曲がいくぶん生々しいころの録音であることもあってか、この演奏は(専門指揮者のものに比べれば終楽章など生硬さが感じられるとはいえ)スピードも速く疎な感じがしない。ひたすらのアメリカンな舞踏的リズムとプロフェッショナルな手腕の発揮された無駄の無い構造、軽く明るい空疎な和声だけが浮き立つ、「コープランドらしさ」の感じられる大曲であり、やり方によっては全く中身のからっぽなアメリカ賛歌になりかねないものだが、より緻密な構造への配慮がみられる演奏で、少し前時代的な重さを引きずるようなところがあり、それが骨と骨の間を肉で埋めるように働いているようだ。コープランドのマンネリズムというものがじつはこういう「無駄な整理を徹底させない」演奏で聞くとそれほど単純ではないということ、結構マニアックに造りこまれているのだとはっきりわかる。一種感興はそういう「余白に散り埋まった音の数々」によって生まれるものであり、全曲の聴き所である「庶民のためのファンファーレ」の流用からの終楽章の喜びにいたる前に、既に心を奪われてしまったのだ。
整理されすぎると譜面上物凄い変拍子や無茶なパッセージが絡み合っていてもそれとわからないことがある、これは聞く側にとって聴きやすくしてくれているというメリットはあるが、一方作曲家の意図としてはその「難しさ」がちゃんと「難しく」聞こえないことには、はなから単純に書けばいいことであって、意味がなくなりかねない。私はコレクション初期において自作自演を大変重視していたが、作曲家自身の演奏であっても作曲後30年も半世紀もたってしまうと「作曲当時の意図」を履き違えたような変な整理やカロリーの低さを求めていくことが多いように思われた。ひいてはウォルトンみたいに(演奏家側の要請にあわせてのことでもあるのだが)スコア自体に手を入れて管弦楽を軽くして、却って時代精神を失い深みを欠く単なるライトクラシックにしてしまう人までいる。これは作曲したのが同じ人でも「演奏」においては別の人と捉えたほうがいい場合が多いということとも関連している。
ステレオ録音で50年代にしては自然で良好。昔からの愛聴盤です。◎。
○作曲家指揮トロント交響楽団(DA:CD-R)1976/11live
ロデオとともに演奏されたもの。録音瑕疵はあるがステレオ。ライヴの生々しさが売りの演奏だが、CBS正規録音のものに近い客観的なテンポ感が若干興をそぐところもある。トロント交響楽団はアメリカオケの典型ともまた違ったもう少し深みのある音を聞かせて美しい。マトリックス上はイギリスオケに近いところに示せるのだろうが、それよりはアメリカやフランスに近いか。まあ、でもオケは素晴らしく腕がある。○。
○バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(CBS)
この盤CDで欲しいなー!自作自演もいいけど、こういうふうに料理してくれるとゴージャスだ。透明感のある硬質なハーモニーでアメリカ賛歌を高らかにうたう大曲だけれども、バンスタがやると肉が付き血の通ったロマンティックな歌になる。音楽が不透明になるのは決して悪いことではない。この曲はこうやるとまったく前時代の後期ロマン派交響曲のようにひびくが、それこそが本質ではないかと思わせる説得力がある。中間楽章、とくに緩徐楽章の暖かい抒情がとても心にひびく。終楽章へ向けてのいささか冗長なアンサンブルも弾むようなリズム感で煽ってくれる。もっとも極めて有名な「庶民のためのファンファーレ」から始まる大団円終楽章の冗長さは残念ながらフォローしきれていない。ここでもっと畳み掛けるような音楽作りをしてほしかった、との思いをこめて、○ひとつ。コープランドというと西部の荒野の朝の、ぴんと張り詰めた空気を思い浮かべるけれども、これはやわらかい朝の光に照らされた開拓民たちの横顔を思わせる。アメリカが誇る個としての人間という本質に立ち返った佳演。
○バーンスタイン指揮NYP(DG)1985/12/2,5-10LIVE・CD
言われるほど旧録にくらべ落ち着いているかんじはしない。自然でスムーズ、リズムは歯切れよく、NYPの調子もいい。バンスタにしてはクリア、そこが地味かもしれないが、かなり録音操作されているかもしれない。ライブのつぎはぎで詳細不明。5日のみ全曲が別途海賊盤で出ている。コープランドと同世代を生きその使徒となったバンスタの最晩年の記録。○。
庶民のためのファンファーレ
作曲家指揮ハンガリー国立管弦楽団(DA:CD-R)ブダペスト音楽祭1973/9/28日本での放送音源
萎縮したように生硬で心もとない吹奏だがアメリカオケと比べるほうが悪いか。アメリカ音楽特集の端緒として取り上げられた代表作。
○リットン指揮ロイヤル・フィル(放送)2011/8/16プロムスlive
開始を告げる短いファンファーレで特筆すべきものはないが、わりと第三交響曲の一部として聴いてきた曲なので、新鮮な感じがした。
静かな都会
○ゴルシュマン指揮コンサート・アーツ管弦楽団(Capitol)LP
コープランドの有名な小品だが、このコンピレーショナルバムではダイアモンドの楽しい曲からの流れで小気味良く聴こえる。コープランドは硬質でクリアな響きが特長であり、そこからするとちょっと埃をかぶったような無駄な充実ぶりがあるとも言えるが、このコンビらしい楽しさと落ち着きのバランスよい聴き心地が楽しめる。
バレエ音楽「ビリー・ザ・キッド」
~プレーリーの夜(プロローグ)と祝祭の踊り
○ストコフスキ指揮ニューヨーク・フィル(WING)1947/11/3&17LIVE
「ビリー・ザ・キッド」はコープランドの代表作のひとつだ。「プレーリーの夜」などかれらしいひんやり乾いた抒情がいかにもアメリカ西部の荒野を思わせる。セレブレイション・ダンスはまさにコープランドらしい田舎ダンス。モダンな感性と意図的な野暮ったさが、いささか通俗的だが面白い効果をあげている。ストコフスキの指揮はじつにそつがない。「踊り」ではとても生き生きとしたリズムが伝わってくる。録音は悪いが、ストコフスキを「デフォルメ指揮者」と聞く前から決め付ける向きには、一度聞いてみて欲しい。
バレエ音楽「ロデオ」
~組曲
○作曲家指揮BBC交響楽団(DA:CD-R)1975/9/16live
録音は極めて優秀なステレオ。BBCオケは反応が速く正確な表現で現代音楽演奏団らしさが感じられるいっぽう、やはりイギリスオケだなあという部分が諸所感じられる。弦や木管は柔らかく特有の情趣があり、アメリカ楽団のスカっと突き抜けた音とはまた違い、ロデオといえども冷え冷えとした西部の荒野ではなく広大な薊の野原を思わせるところがある。ピアノや打楽器がスコアになければRVW的だったろうとすら感じる。アメリカ楽団と比べブラスの弱さも感じるが、パワーなのか奏法なのか楽器なのかよくわからない。ソロを派手にとちったりもしている。最後のホウダウンなどリズムが硬くコープランドらしい折り目正しい整え方がやや興をそぐものの、おおむねコープランドがスタジオでは見せない感情のより直接的な表現が聴き取れるところも数多く、終演後の異様な大ブラヴォーはこの曲と作曲家の人気を裏付けるものだろう。○。
~抜粋
○作曲家指揮トロント交響楽団(DA:CD-R)1976/11live
派手な広がりのあるステレオ・エアチェックでこの時代にしてはいいとおもう。部分的にかなり撚れるがそのくらいは貴重な音源価値の前に見逃しておこう。迫力ある音楽はこのオケの力量を象徴的に示している。精度も並ではない。コープランドの堅い指揮は少し縦がしっかりしすぎていて、作曲家指揮の悪いところがやや出ている。ホウダウンは聴衆はとても盛り上がるが余りに遅すぎて乗れなかった。老年のコープランドらしい解釈振りでもあるが。ただ、前半は迫力ある音響とパレーのように凝縮力のあるぶっ放し方(曲的にはドラティか)で圧倒されることは確かで、ライヴでコープランドがこういう腕を発揮できる人だったんだ、という点だけでも○は十分。生々しい録音ゆえに、イマジネーションは沸きづらい。
エル・サロン・メヒコ(1936)
カンテルリ指揮ニューヨーク・フィル(NYP/ASdisc)1955/3/13放送LIVE・CD
~この曲一回弾いたことがあるが・・・思い出せない。録音は若干マシ。何でも振っていたカンテルリの特殊なレパートリーだが、曲の魅力をよく引き出せていないように感じる。踊りのテイスト、楽天的な感覚が不足している。実直に譜面に忠実にやったせいなのか、カンテルリがこの曲を嫌いだったのか、理由は不明だが、最後まで曲の流れが読めなかった。ただ右から左に流れていった感じ。バレエとして踊るのは楽だろう。しかし演奏会の演目としては、この演奏では何か今ひとつである。いや、最後の旋律でやっと思い出したくらいなので、私がそもそもコープランドの曲に適性がないせいかもしれない。でも言い切ってしまおう。無印。最後は盛り上がりブラヴォーが飛ぶ。
~どこかで聴いたことがあると思ったら弾いたことがあることに最後で気が付いた。コープランドの代表作でけっこうわかりやすい曲の印象があったのだが、こうして完全に聴衆として聞くと、冒頭からしばらくなんだかとりとめのない感じがした。リズムに特徴的なものが現れ出すと徐々に音楽が流れ出す。メキシコの酒場の印象をメキシコ民謡をまじえて描写した作品というが、カンテルリがやるとけっこう冷たい肌触りがするのが意外。ラテンな感覚の発露は感じたが録音が悪いせいかそれほどキレがあるとは言えない。それより民謡旋律の歌謡的な歌いかたが印象的だった。オケのせいもあるのだろう、カラッと晴れた空に乾いた大地というこの曲の描写する風景が、若干北のほうへ移動しているような感じもした。それでもクライマックスに向けてしっかり盛り上がるし、響きは美しい。こういうのもアリなのだろう。管の発音がやや締まらないところもあり、ノリが悪いようにも感じた。娯楽性が後退している、但しこれは好き好きだろう。最後は空疎な太鼓の一打で終わるが、やや尻すぼみ気味で拍子抜けする。しかし客席からはブラヴォーがとぶ。録音と実演の違いということか。
○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PEARL/HMV)1938/12/1・CD
溌剌として聞ける演奏だが、ちょっとマジメ過ぎるか。もっと軽やかに踊って欲しい。ストラウ゛ィンスキーの影響バリバリな曲ではあるものの、趣旨は酒場の踊りなんだから遊びが欲しい。そんな実直なテンポとアバウトなオケがこれまたアンマッチ。力感はあるし余裕も感じられるのに、打点から微妙にズレたり音程もやや甘い。音が鄙びているのは録音のせいだろうがスタジオ録音とは思えない所が少なからずある。全般に下手ではないがクーセウ゛ィツキーだと思って聞くと拍子抜けするかも。○。
「ホウダウン」作曲家による編曲版(1942/43)
◎ルイス・カウフマン(Vn)アンネ・カウフマン(P)(CONCERTO HALL/VOX)
コンサートホール(VOX)原盤によるMasters Of the BOWシリーズLPの一枚に収録。コープランドをはじめさまざまなアメリカ現代作曲家の曲を演奏しているが、さしあた
ってポピュラリティある「ロディオ」終盤からの魅力的なピースを挙げておく。同曲の依属者カウフマンの精力溢れるボウイングは、管弦楽のヤワな響きを一本で退ける。
同曲の決定盤はEL&Pのものだと思うが(あのくらい速いテンポの原典演奏ないのかなあ)、クラシック流儀ならコレ!作曲家の手短なコメントが付いている。ちなみにこのカウフマン・レガシーのVol2、コープランドだとほかにヴァイオリン・ソナタ(作曲家のピアノ伴奏)、2つの小品が入っている。ヴァイオリン・ソナタは響きにアイヴズのソナタを彷彿とさせる郷愁が篭り、フランク風の節回しもある。しかし頭の中で管弦楽に置き換えて聴いてみると、この不規則なリズム、この中音部空虚なアメリカン響き、嗚呼明らかにコープランド。 CDになっているような気もするが、確認していないので不明。MB1032。
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
カウフマン(Vn)作曲家(P)(MASTERS OF THE BOW)
最初のフレーズから「フランクみたいなんじゃないかな」と思ったらそのとおり。和声的にはこの作曲家の影響が強いように感じた。連綿と続くいつ果てるとも知らない旋律は、基本的にヴァイオリンによって綴られる。あまり魅力的ではないが、不協和なひびきがほとんどないので聴いていて不快ではない。ちょっとトリッキーな動きにはコープランドらしさを感じる。しかしどうも地味だ。カウフマンはなぜか線が細いように感じた。コープランドは達者である。興味があれば一聴を。無印。
○作曲家指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1960LIVE
硬派な大曲ほど熱気が必要だと思うのは私だけだろうか。初期に先鋭な作風の完成をみてのち古風な作風に立ち戻った作曲家は二十世紀に数多いが、コープランドもまた(後年でも硬派な作風を使い分けてはいたが)その一人だった。この作品は三番のような人好きする顔はしていない。しかし、短く引き締まった構成、高度に抽象化された独自の「アメリカンモダニズム」の隙のなさにはなかなかに耳をひかれるものがあり、プロフェッショナルなわざが光る。なるほどアイヴズをアマチュアとヤユするほどのものがある(コープランドは実のところ異能アイヴズを嫌いはせず指揮記録も残しており、晩年にアイヴズによせたような小品も書いている)。もちろん一般的に勧められるものは少ないが、ここには熱気があるからかなり救われている。たぶん実演であれば現代ものに慣れない向きも違和感なく入りこめたろう。舞踏リズムの高揚感はわかりやすい旋律をともなわないものの後年のバレエ作品を予告するような煌びやかさをはなち、このライヴにおいては腕ききのBSO相手に思うがままのドライヴをきかせて一種娯楽的な印象すらあたえる。静謐な音響表現は後年ほど単純化されないがゆえ魅力的だが、ボストンの冷たく正確な表現がはまっている。ともすると客観分析的にすぎる指揮を行いがちなコープランドだが、オケがそのぶん補っているようにも思える。ブラヴォが一声とぶ。音劣悪。○。
交響曲第3番
◎作曲家指揮ロンドン交響楽団(PHILIPS他)1958・CD
everest録音と同じものか。CD-Rでコピー盤が頒布されていたりもする。私はいくつかある自作自演の中でこれが一番好きだ。この人がCBSに録れた新しい自作自演選集はいずれも音符と音符の間に隙間風が入るような物凄く疎な演奏ばかりで、庶民的な意味での演奏効果の高いこの曲も、現在sonyでCD化されている音源は余りに莫大で薄くて客観的に整えられすぎている。50年代のまだ曲がいくぶん生々しいころの録音であることもあってか、この演奏は(専門指揮者のものに比べれば終楽章など生硬さが感じられるとはいえ)スピードも速く疎な感じがしない。ひたすらのアメリカンな舞踏的リズムとプロフェッショナルな手腕の発揮された無駄の無い構造、軽く明るい空疎な和声だけが浮き立つ、「コープランドらしさ」の感じられる大曲であり、やり方によっては全く中身のからっぽなアメリカ賛歌になりかねないものだが、より緻密な構造への配慮がみられる演奏で、少し前時代的な重さを引きずるようなところがあり、それが骨と骨の間を肉で埋めるように働いているようだ。コープランドのマンネリズムというものがじつはこういう「無駄な整理を徹底させない」演奏で聞くとそれほど単純ではないということ、結構マニアックに造りこまれているのだとはっきりわかる。一種感興はそういう「余白に散り埋まった音の数々」によって生まれるものであり、全曲の聴き所である「庶民のためのファンファーレ」の流用からの終楽章の喜びにいたる前に、既に心を奪われてしまったのだ。
整理されすぎると譜面上物凄い変拍子や無茶なパッセージが絡み合っていてもそれとわからないことがある、これは聞く側にとって聴きやすくしてくれているというメリットはあるが、一方作曲家の意図としてはその「難しさ」がちゃんと「難しく」聞こえないことには、はなから単純に書けばいいことであって、意味がなくなりかねない。私はコレクション初期において自作自演を大変重視していたが、作曲家自身の演奏であっても作曲後30年も半世紀もたってしまうと「作曲当時の意図」を履き違えたような変な整理やカロリーの低さを求めていくことが多いように思われた。ひいてはウォルトンみたいに(演奏家側の要請にあわせてのことでもあるのだが)スコア自体に手を入れて管弦楽を軽くして、却って時代精神を失い深みを欠く単なるライトクラシックにしてしまう人までいる。これは作曲したのが同じ人でも「演奏」においては別の人と捉えたほうがいい場合が多いということとも関連している。
ステレオ録音で50年代にしては自然で良好。昔からの愛聴盤です。◎。
○作曲家指揮トロント交響楽団(DA:CD-R)1976/11live
ロデオとともに演奏されたもの。録音瑕疵はあるがステレオ。ライヴの生々しさが売りの演奏だが、CBS正規録音のものに近い客観的なテンポ感が若干興をそぐところもある。トロント交響楽団はアメリカオケの典型ともまた違ったもう少し深みのある音を聞かせて美しい。マトリックス上はイギリスオケに近いところに示せるのだろうが、それよりはアメリカやフランスに近いか。まあ、でもオケは素晴らしく腕がある。○。
○バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル(CBS)
この盤CDで欲しいなー!自作自演もいいけど、こういうふうに料理してくれるとゴージャスだ。透明感のある硬質なハーモニーでアメリカ賛歌を高らかにうたう大曲だけれども、バンスタがやると肉が付き血の通ったロマンティックな歌になる。音楽が不透明になるのは決して悪いことではない。この曲はこうやるとまったく前時代の後期ロマン派交響曲のようにひびくが、それこそが本質ではないかと思わせる説得力がある。中間楽章、とくに緩徐楽章の暖かい抒情がとても心にひびく。終楽章へ向けてのいささか冗長なアンサンブルも弾むようなリズム感で煽ってくれる。もっとも極めて有名な「庶民のためのファンファーレ」から始まる大団円終楽章の冗長さは残念ながらフォローしきれていない。ここでもっと畳み掛けるような音楽作りをしてほしかった、との思いをこめて、○ひとつ。コープランドというと西部の荒野の朝の、ぴんと張り詰めた空気を思い浮かべるけれども、これはやわらかい朝の光に照らされた開拓民たちの横顔を思わせる。アメリカが誇る個としての人間という本質に立ち返った佳演。
○バーンスタイン指揮NYP(DG)1985/12/2,5-10LIVE・CD
言われるほど旧録にくらべ落ち着いているかんじはしない。自然でスムーズ、リズムは歯切れよく、NYPの調子もいい。バンスタにしてはクリア、そこが地味かもしれないが、かなり録音操作されているかもしれない。ライブのつぎはぎで詳細不明。5日のみ全曲が別途海賊盤で出ている。コープランドと同世代を生きその使徒となったバンスタの最晩年の記録。○。
庶民のためのファンファーレ
作曲家指揮ハンガリー国立管弦楽団(DA:CD-R)ブダペスト音楽祭1973/9/28日本での放送音源
萎縮したように生硬で心もとない吹奏だがアメリカオケと比べるほうが悪いか。アメリカ音楽特集の端緒として取り上げられた代表作。
○リットン指揮ロイヤル・フィル(放送)2011/8/16プロムスlive
開始を告げる短いファンファーレで特筆すべきものはないが、わりと第三交響曲の一部として聴いてきた曲なので、新鮮な感じがした。
静かな都会
○ゴルシュマン指揮コンサート・アーツ管弦楽団(Capitol)LP
コープランドの有名な小品だが、このコンピレーショナルバムではダイアモンドの楽しい曲からの流れで小気味良く聴こえる。コープランドは硬質でクリアな響きが特長であり、そこからするとちょっと埃をかぶったような無駄な充実ぶりがあるとも言えるが、このコンビらしい楽しさと落ち着きのバランスよい聴き心地が楽しめる。
バレエ音楽「ビリー・ザ・キッド」
~プレーリーの夜(プロローグ)と祝祭の踊り
○ストコフスキ指揮ニューヨーク・フィル(WING)1947/11/3&17LIVE
「ビリー・ザ・キッド」はコープランドの代表作のひとつだ。「プレーリーの夜」などかれらしいひんやり乾いた抒情がいかにもアメリカ西部の荒野を思わせる。セレブレイション・ダンスはまさにコープランドらしい田舎ダンス。モダンな感性と意図的な野暮ったさが、いささか通俗的だが面白い効果をあげている。ストコフスキの指揮はじつにそつがない。「踊り」ではとても生き生きとしたリズムが伝わってくる。録音は悪いが、ストコフスキを「デフォルメ指揮者」と聞く前から決め付ける向きには、一度聞いてみて欲しい。
バレエ音楽「ロデオ」
~組曲
○作曲家指揮BBC交響楽団(DA:CD-R)1975/9/16live
録音は極めて優秀なステレオ。BBCオケは反応が速く正確な表現で現代音楽演奏団らしさが感じられるいっぽう、やはりイギリスオケだなあという部分が諸所感じられる。弦や木管は柔らかく特有の情趣があり、アメリカ楽団のスカっと突き抜けた音とはまた違い、ロデオといえども冷え冷えとした西部の荒野ではなく広大な薊の野原を思わせるところがある。ピアノや打楽器がスコアになければRVW的だったろうとすら感じる。アメリカ楽団と比べブラスの弱さも感じるが、パワーなのか奏法なのか楽器なのかよくわからない。ソロを派手にとちったりもしている。最後のホウダウンなどリズムが硬くコープランドらしい折り目正しい整え方がやや興をそぐものの、おおむねコープランドがスタジオでは見せない感情のより直接的な表現が聴き取れるところも数多く、終演後の異様な大ブラヴォーはこの曲と作曲家の人気を裏付けるものだろう。○。
~抜粋
○作曲家指揮トロント交響楽団(DA:CD-R)1976/11live
派手な広がりのあるステレオ・エアチェックでこの時代にしてはいいとおもう。部分的にかなり撚れるがそのくらいは貴重な音源価値の前に見逃しておこう。迫力ある音楽はこのオケの力量を象徴的に示している。精度も並ではない。コープランドの堅い指揮は少し縦がしっかりしすぎていて、作曲家指揮の悪いところがやや出ている。ホウダウンは聴衆はとても盛り上がるが余りに遅すぎて乗れなかった。老年のコープランドらしい解釈振りでもあるが。ただ、前半は迫力ある音響とパレーのように凝縮力のあるぶっ放し方(曲的にはドラティか)で圧倒されることは確かで、ライヴでコープランドがこういう腕を発揮できる人だったんだ、という点だけでも○は十分。生々しい録音ゆえに、イマジネーションは沸きづらい。
エル・サロン・メヒコ(1936)
カンテルリ指揮ニューヨーク・フィル(NYP/ASdisc)1955/3/13放送LIVE・CD
~この曲一回弾いたことがあるが・・・思い出せない。録音は若干マシ。何でも振っていたカンテルリの特殊なレパートリーだが、曲の魅力をよく引き出せていないように感じる。踊りのテイスト、楽天的な感覚が不足している。実直に譜面に忠実にやったせいなのか、カンテルリがこの曲を嫌いだったのか、理由は不明だが、最後まで曲の流れが読めなかった。ただ右から左に流れていった感じ。バレエとして踊るのは楽だろう。しかし演奏会の演目としては、この演奏では何か今ひとつである。いや、最後の旋律でやっと思い出したくらいなので、私がそもそもコープランドの曲に適性がないせいかもしれない。でも言い切ってしまおう。無印。最後は盛り上がりブラヴォーが飛ぶ。
~どこかで聴いたことがあると思ったら弾いたことがあることに最後で気が付いた。コープランドの代表作でけっこうわかりやすい曲の印象があったのだが、こうして完全に聴衆として聞くと、冒頭からしばらくなんだかとりとめのない感じがした。リズムに特徴的なものが現れ出すと徐々に音楽が流れ出す。メキシコの酒場の印象をメキシコ民謡をまじえて描写した作品というが、カンテルリがやるとけっこう冷たい肌触りがするのが意外。ラテンな感覚の発露は感じたが録音が悪いせいかそれほどキレがあるとは言えない。それより民謡旋律の歌謡的な歌いかたが印象的だった。オケのせいもあるのだろう、カラッと晴れた空に乾いた大地というこの曲の描写する風景が、若干北のほうへ移動しているような感じもした。それでもクライマックスに向けてしっかり盛り上がるし、響きは美しい。こういうのもアリなのだろう。管の発音がやや締まらないところもあり、ノリが悪いようにも感じた。娯楽性が後退している、但しこれは好き好きだろう。最後は空疎な太鼓の一打で終わるが、やや尻すぼみ気味で拍子抜けする。しかし客席からはブラヴォーがとぶ。録音と実演の違いということか。
○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(PEARL/HMV)1938/12/1・CD
溌剌として聞ける演奏だが、ちょっとマジメ過ぎるか。もっと軽やかに踊って欲しい。ストラウ゛ィンスキーの影響バリバリな曲ではあるものの、趣旨は酒場の踊りなんだから遊びが欲しい。そんな実直なテンポとアバウトなオケがこれまたアンマッチ。力感はあるし余裕も感じられるのに、打点から微妙にズレたり音程もやや甘い。音が鄙びているのは録音のせいだろうがスタジオ録音とは思えない所が少なからずある。全般に下手ではないがクーセウ゛ィツキーだと思って聞くと拍子抜けするかも。○。
「ホウダウン」作曲家による編曲版(1942/43)
◎ルイス・カウフマン(Vn)アンネ・カウフマン(P)(CONCERTO HALL/VOX)
コンサートホール(VOX)原盤によるMasters Of the BOWシリーズLPの一枚に収録。コープランドをはじめさまざまなアメリカ現代作曲家の曲を演奏しているが、さしあた
ってポピュラリティある「ロディオ」終盤からの魅力的なピースを挙げておく。同曲の依属者カウフマンの精力溢れるボウイングは、管弦楽のヤワな響きを一本で退ける。
同曲の決定盤はEL&Pのものだと思うが(あのくらい速いテンポの原典演奏ないのかなあ)、クラシック流儀ならコレ!作曲家の手短なコメントが付いている。ちなみにこのカウフマン・レガシーのVol2、コープランドだとほかにヴァイオリン・ソナタ(作曲家のピアノ伴奏)、2つの小品が入っている。ヴァイオリン・ソナタは響きにアイヴズのソナタを彷彿とさせる郷愁が篭り、フランク風の節回しもある。しかし頭の中で管弦楽に置き換えて聴いてみると、この不規則なリズム、この中音部空虚なアメリカン響き、嗚呼明らかにコープランド。 CDになっているような気もするが、確認していないので不明。MB1032。
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
カウフマン(Vn)作曲家(P)(MASTERS OF THE BOW)
最初のフレーズから「フランクみたいなんじゃないかな」と思ったらそのとおり。和声的にはこの作曲家の影響が強いように感じた。連綿と続くいつ果てるとも知らない旋律は、基本的にヴァイオリンによって綴られる。あまり魅力的ではないが、不協和なひびきがほとんどないので聴いていて不快ではない。ちょっとトリッキーな動きにはコープランドらしさを感じる。しかしどうも地味だ。カウフマンはなぜか線が細いように感じた。コープランドは達者である。興味があれば一聴を。無印。