湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ハリス:ピアノ三重奏曲

2013年11月26日 | アメリカ
○カゼッラ(P)ポルトロニエリ(Vn)ボヌッチ(Vc)(fono teca/columbia)1934/10/13、16・CD

奇妙な現代性を発揮した曲で、鋭く表現すれば曲の本質が見えてくるだろうが、ここでは時折あらわれる叙情性に引きずられ、他は晦渋に感じられてしょうがない。中間楽章は少しショスタコ風だ。カゼッラのピアノはタッチがはっきりしていて曖昧さがない。弦二本が厚く生温かい音を重ねている。ハリスの書法は脈絡がないというか、新古典になってみたり無理な転調を挟んでみたり色々仕掛けていて、楽団としてはそれをよく理解して演奏している。それにしても、最後までカタルシスのない曲だ。
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ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第3番「田園交響曲」(2013/11時点でのまとめ)

2013年11月25日 | Weblog
ヴォーン・ウィリアムズ:田園交響曲(交響曲第3番)
<押しも押されぬヴォーン・ウィリアムズの最高傑作。ドビュッシー「海」からの書法上の影響は伺えるにしても、ヴォーン・ウィリアムズが「フランス熱」をへて到達しえた最初の頂点であることに間違いなく、後年の作品と比べても感覚的に訴える力が段違いに強い。「タリスの主題による幻想曲」がいくぶん生硬な部分をとどめているのに対して、この極度に夢幻的で穏やかな(全楽章が緩徐楽章)音楽は独特の境地において希に見る完成度の高さを示している。明るく牧歌的な田園風景を描いているようでいて、どこかそこはかとない哀しさがある。薄霧の中さまようような思索的な中にも強い諦念(矛盾した物言いだが)が感じられ、第一次大戦従軍時に得た曲想をもとに作曲したという言葉を裏付けている。フランス南部の田園風景にインスパイアされたとはいえ、ここに展開されているのは弟子ランバートの言う通り紛れも無くイギリスの陰うつな田園風景である。私は嵐の船上でこの音楽を聞いた。それは暗く恐ろしげな海のうねるさまとシンクロし、とても印象的に響いていた。この明るさには儚さがある。いつか消えてしまう夢がある。多用される民謡旋律もぽっかり突き抜けたように空疎で、何か遠い昔の趣をもってノスタルジックな感性に訴えかけてくる。終楽章のソプラノ独唱は民謡旋律をうたっているにも関わらず無歌詞であることで直接的な表現を避け抽象的な思索を与えることに成功している。哲学的な雰囲気すらある。この世のものとも思えない精霊のような歌唱は、しんとした景色の中に遠く遠く消えて行く。日本人の感性にあう楽曲だと思うので、ご興味があれば是非。ベートーヴェンの「田園」とはおよそ掛け離れた作品ですのであしからず。>

◎ボールト指揮ニュー・フィルハーモニアO、プライス(SP)(EMI)1968・CD

最近とみに増えてきたヴォーン・ウィリアムズの交響曲録音ですが、どんなに増えたとしてもボールトの新録は外せません。初演者であるからという音楽外の理由から推すのではありません。終楽章マーガレット・プライスの夢見るような歌唱もさることながら、全般としてボールトの明瞭な描線が軟質な曲の羅針盤となり、すこぶる安定した抒情を与えてくれていること、即物的な乾いた表現がすっかり影を潜め、最良の状態にあるフィルハーモニアOの美質を、いかんなく引き出していること・・・これはヴォーン・ウィリアムズ交響曲演奏のスタンダードです。BBCのライブもありますが本盤をお勧めします。この全集では5、そして何より9番の絶後の演奏が聞き物です。,

○ボールト指揮ロンドン・フィル他(LONDON/BELLART)1950'S・CD

優しく、優しく、しかし限りなく哀しい音楽。世界戦争の時代に産み落とされた極めて美しく繊細な響きの綾、何度も書き直されているとはいえ神がかり的な楽想と絶妙な複調性に彩られた世界は英国人でなくとも深い心象を与えられる。これは陸軍将校であったRVWの悲しみと諦念のあらわれである。戦下に見たプロヴァンスの喉かな風景、明るい光に憧れを抱く暗い気候の国の人は明るい国の人以上に光の本質をえがくことに優れ、これはミヨーの極めて美しい田園作品群と比べて決して優るものではない、だが何と眩いことか、残る気分の切ないことか、平和で穏やかな情景への限りない憧れに満ちたものであることか、その手はけして届くことはない、けれども精一杯手を伸ばし、限りなく上からひびく遠い歌声に静かな涙を流す、これはもう技法どうのこうのいう問題ではない。その描く内容が全てだ。「描けていること」のみに感嘆すべき作品である。

タリスの主題による幻想曲もそうだが茫洋とした印象派的世界かといえばそうでもなく、明瞭な旋律とリズムが通底するシンプルな(凡庸という意味ではない)書法だ。5番ほど技巧的に完成されていない分あざとさを感じさせること無く素直に入ってくる(私はとても好きだ)。この作品を五音音階(英国民謡に元々あったものだ)や似通ったフレーズだけをたよりにドビュッシーの延長上ととらえるのは誤りである。寧ろラヴェルの技巧的本質を反映した描線の明確な作品といえる。とくにこの時期のボールトで聴くと芯の強い響きと旋律の流れが印象的である。スピード感があり、じっさいかなり速いことは特筆すべきだろう。この旧録はモノラルだが、モノラルなりの凝縮力というものが強みに働いており、ドイツ的なものにも適性を発揮するボールトが、ドイツとフランスという相反する要素を内在するRVWの作品を両面から突き上げて、どちらかに偏ることによる違和感をなくすことに成功している。ボールトから入った私のような人間は新しい数々の演奏にどうも平板でつまらない印象を抱いてしまう、それはフランス的な美しさ、高音要素を強調しすぎているせいだと思う。もっと重心は低いはずである。音は高くても使われている楽器は中低音楽器だったりする、これは単なる癖ではなく意図的にその情報量豊かな響きを狙ったものである。

たとえば3楽章はダイナミックな音楽であるはずだ。誰かが映画音楽作家ジョン・ウィリアムズへの直接的影響を語っていたが、テデスコの弟子との関係は時代的に絶対ありえないものの、そこには確かに似たものがある。例えばスター・ウォーズのダイナミズムと必ずしも遠いものではないのである。違うのは映像を伴なわない、必要としないことだ。この作品は全てが心象の反映であるから映像や文章論理にあわせてしまうと聴くものの想像力が完全にスポイルされてしまう。挙げ句美しいだけの単なる描写作品と思われてしまうのだ。「印象派的」というイメージを植え付けられている向きは恐らくそういったもの~多くはジャケット写真や煽り文句~を見、読んだことが大きいのではないか。明瞭な文脈でしかし想像力を刺激するという稀なる技に成功しているこの作品、もちろんいろいろな聞かれ方があっていいと思うが、まだよくわからないという向きはボールトのバランスで一度聴かれてみてはいかがであろうか。最初は新録をお薦めするけれども。 (2005/7/8)

(2005以前)モノラルだとこの曲はやや聞きづらいか。こういう繊細なひびきの曲に録音の悪さは仇。,

ボールト指揮BBC交響楽団、ヒル(SP)(BBC)CD

硬い響きに違和感。録音のクリアすぎるせいかも。,

○ブライデン・トムソン指揮LSO(CHANDOS)CD

トムソンのチクルスではこの曲が一番良い。透明感のあるスケールの大きな曲作りが楽曲にあっている。やや暗さに欠ける演奏であるが、十分に魅力を伝えている。,

○ノリントン指揮LPO(DECCA)CD

幻想的なこの曲を牧歌的な五番の世界へむしろ引き寄せたようなリアルな演奏でダイナミズムが強調されているのは違和感がある。冒頭より急くようなテンポで楽器個々の響を金属的に研ぎ澄ませてのぞみ、ボールト盤の柔らかい美観とは異質である。だが激しい四番の前に位置付けられるこの曲の立ち位置をよく意識していると考えて受け止めることはできる。にしてもエキセントリックだ。○。オケが「丸い」のは救い。上手いし。

○A.デイヴィス指揮BBC交響楽団(teldec/warner)CD

Tp独唱は表記されているが何故か終楽章のヴォカリーズを担当するSpの名前が私の盤には記載されていない。今はwarnerの廉価全集盤となっているものの一枚であるが、廉価にするには惜しいアンドリュー・デイヴィスの素晴らしい記録の一つである。オケには少し機敏さが足りないところもあるし、終楽章のソプラノがあけすけで若々しすぎて(録音のせいもあろうが)よくないが、全般にはこの上も無く美しいRVW前期の代表作にふさわしい出来となっている。次々と重なりあらわれるさまが印象的な旋律群はいずれも五音音階に基づく民謡風のものだが、生々しさや野暮ったさが無いのは和声的なもの以上に構造的に注意深く、編成はけして小さくは無いのに極めて簡素であること・・・スコアのページ上に登場する段数がえんえんとかわるがわるで少ないままである・・・に起因しているだろう。終始牧歌的な雰囲気のまま、時折ブラス群が不安の雲をくゆらせたり、夕暮れを示すようなトランペット独唱・・・従軍中の情景の引用だろう・・・や高空を舞う夜風のようなソプラノ独唱が耳を震わすのみで、全楽章とにかく緩徐楽章であるという点で有名な曲であり、好悪わかつところもあろうが、英国交響曲史上の単独峰であることはたしかだ。デイヴィスの明るく録音も新しく、また感情的ではないがブライデン・トムソンのように突き放したような客観性を見せない演奏ぶりは曲にマッチしている。同曲にはいくつか伝説があり、第一次世界大戦従軍中のフランス北部(~ベルギー)もしくは南部の田園風景を戦後書き落としたという説と、まったく違って、海の情景を田園に移し替えて書いたものであるという説(これは弟子コンスタン・ランバートが同曲にドビュッシーからの無意識の引用があると指摘して作曲家を震撼させたという話に起因した迷信のようにおもうが)があったように記憶している。ボールト盤は重々しくも神秘的な外洋の雄大な風景にぴたりとあっていたが、この演奏は温かみある明るい田園そのもののように思う。○。

○エヴァンス(SP)ヒコックス指揮LSO(chandos)CD

同曲にしてはシンフォニックでダイナミックな演奏。全体の調和のとれた拡がりある響きで、2楽章のトランペットソロもトランペットだけが突出するのではなく、バックの響きの中にうまくおさまる形で他演と一線を画した表現となっている。ジャケット絵が歩兵の影であるのは象徴的で、RVWがこの静謐な作品を作るきっかけとなったのが第一次大戦従軍中見た田園風景だった、ということでただ静かなだけではなく、想いの起伏をちゃんと盛り込んだところがヒコックスの見識だろう。調和のとれた響きという点では終楽章の無歌詞歌唱とオケの取り合わせにも言えるところだが、少々幻想味が薄く、リアルな音になってしまっているのは録音の良さのせいもあるのか。オケは精緻で隙が無い。この盤は現役盤がヒコックスのRVW交響曲では唯一sacdしかなく、しかもsacd再生が可能な機種でないと聴けないという問題がある。海外ではCD売りもまだしているようである。圧縮音源配信はされていない。naxosオンラインでは聴ける模様。○。

○ルークロフト(sp)ハイティンク指揮LPO(EMI)CD

終始美しく明るい。弦楽器のしなやかさ、ニュアンスに富んだ表現は言うことがなく、立体構造をより際立たせるためかブラスや木管をぶっきらぼうなくらいしっかり吹かせ細部までしっかり浮き彫りにして、やや主張しすぎなくらいに、同曲では珍しいダイナミズムを打ち出している。そこがRVW的ではないところでもあるが、この時代の交響曲として、この曲が如何に際立って個性的で意味ある存在だったのか、工夫されていたのか、よくわかる。ソプラノはややおばさんだが音量は程よい。総じてやはりダイナミック、幻想味にはやや欠けるが純音楽的な解釈の説得力は◎にしてもいいくらい。

○バーロウ(Sp)ハンドレー指揮王立リヴァプール・フィル(EMI)CD

ダイナミックなところはダイナミックだがおおかたの静かなシーンにも注意深い配慮が見られ、音量変化がしっかりしていて、かなりイメージに近い演奏。3楽章が聴き物で、他の演奏には聴かれないような、非常にスピードと力感に満ちた表現が交響曲としての構造を引き締めている。2楽章ではちゃんとペットが主張し、4楽章ではソプラノが余り前に出ない。わきまえた演奏。オケが上手いのにも驚いた。◎にしたい○。

○ホーヘンフェルド(sp)スラットキン指揮フィルハーモニア管弦楽団(RCA)CD

スラットキンにしては柔らかく、曲調に合った演奏ぶりで深く沈潜するような情緒がある。意外なほどハマった演奏だった。独唱も遠く美しい。

○ヴァレント(sp)オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団(ETERNITIES:CD-R)1972/10/12live

シベリウスを得意としたオーマンディがシベリウスの使徒とも言えるRVWの、奥座敷のような田園交響曲をどうさばくのか、非常に興味を惹かれたが、録音のせいもあって色彩がビビッド過ぎて、あけっぴろげな表現が陳列されていて、何とも言えない違和感はあった。二楽章のラッパはほんとに何とかしてほしい。あんなに表に出て堂々と吠えるシーンじゃないのだ。ただ、四楽章は何故か良くて、ソプラノも強くなり過ぎず、微かに遠く響き、弦楽合奏がとくによく、重なり合う響きの深さは特筆できる。全般にさっさと進む傾向があるが、ここでは割りと揺れている。分離がハッキリして構造の見えやすい録音なので曲理解を深めるにもいい盤だなとも思った。この曲だけを録音した例を私は知らないし、オーマンディが振ったRVWのシンフォニーはこれしか知らないし、指揮者にも何か理由があってこれを取り上げたのだと思うが、他の既出盤とは違った肌触りは楽しめると思う。
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バルトーク:管弦楽のための協奏曲

2013年11月19日 | 北欧・東欧
○ガルデッリ指揮ハンガリー国立管弦楽団(eternities:CD-R)1988/5/20live

これがまたまっとうな演奏で、オケは透明感を保ったまま高い精度で、かつライブらしい気概のようなものを感じさせる。ガルデッリらしいかといえばよくわからないがアンサンブルを鍛えるのに十分な腕、それに明るく色彩的な処理に長けているのは確かだ。やや最後が弾けない感がするのは録音の限界かもしれない。粘らないのがガルデッリだ。○。
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コダーイ:ハーリ・ヤーノシュ組曲

2013年11月19日 | 北欧・東欧
○ガルデッリ指揮ハンガリー国立管弦楽団(eternities:CD-R)1988/5/20live

三曲目、ツィンバロンさえ入らなければレスピーギになるところだった。色彩的で開放的、一曲目などつまらない曲ではつまらないのだが、有名な音楽時計は良く出来ているし、ややだらしなさもなくもないがオケの覇気で面白く聞かせる四曲目など場面場面が想像できて楽しい。バルトーク的な間奏曲はガルデッリ風味は後退してわりと純音楽的な感がある。終曲は変わって劇的要素が前に出て面白い。ブラスの音が輝かしい。色彩変化も鮮やかで、ガルデッリで聞いて良かったと思う。
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ドビュッシー:マンドリン、Bring with Love、ロマンス

2013年11月19日 | ドビュッシー
○ネジダーノヴァ(sp)ゴロワノフ(p)(aquarius)1941・CD

マンドリンは力強く、ピアノも名技的なところを抑え気味に示し旨い。次の曲は記載名が違うが忘れられた小唄からグリーン。ドビュッシー自作自演よりもねっとりした感がある。マンドリンにもヴァランの古い録音があるがこの録音よりクリアという状態。ロマンスは甘やかな歌だがロマンティックな書法ゆえゴロワノフの夢幻的なタッチが活きてこない感もある。夫婦共演、プライヴェート盤が元になっているという。
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ラヴェル:5つのギリシャ民謡~花嫁の歌(花嫁の目覚め),何と楽しい

2013年11月19日 | ラヴェル
○ネジダーノヴァ(sp)ゴロワノフ(p)(aquarius)1941・CD

曲が曲だからか颯爽と溌剌としたネジダーノヴァの歌唱は原語によるものであるものの違和感はあまりない。夫婦共演、プライヴェート盤が元になっているという。
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ハチャトゥリアン:バレエ音楽「スパルタクス」

2013年11月11日 | ハチャトゥリアン
○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(放送)1955/9/24live

この日のプログラムのハイライトだろう、ハチャトゥリアンのわかりやすい世界がガウクにはあっているようだ。速い音楽での畳み掛け方はスヴェトラを彷彿とさせ拍手も飛び出る。抒情的な色もあっていい。○。
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プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番

2013年11月11日 | プロコフィエフ
○オボーリン(P)ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(放送)1955/9/24live

ソリストもそれほどぱっとせず、演奏全体的にぱっとしない。とはいえ演奏レベルが低いと言うわけではなく、特長に乏しいと言ったほうがいいだろう。スピードもそれほど煽られず、熱気も上がらない。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第9番

2013年11月11日 | ショスタコーヴィチ
○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(放送)1955/9/24live

なにげなく始まって素っ気ない感もあるが勢いのある楽章では拍手が飛び出すほど力強い疾走を聴かせる。但しやはり雑味が気になる指揮者ではある。
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ショスタコーヴィチ:祝典序曲

2013年11月11日 | ショスタコーヴィチ
○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(放送)1955/9/24live

開放的な指揮で放送響とは思えないバラケ味もかもす演奏だが、勢いはある。しょうじきそれほど旨くは無いがガウク好きなら。
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ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲~カデンツァ

2013年11月06日 | ラヴェル
○フリエール(P)スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(?)1965/12/29live

フリエールは雄弁だが響きが濁ることがある。この曲の難しいところだろうが余裕綽々で弾いているのに耳障りな響きが混ざる、うーん。
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ベートーヴェン:交響曲第1番

2013年11月06日 | ドイツ・オーストリア
○ゴロワノフ指揮モスクワ放送管弦楽団(melodiya他)1948

CD化されていたと思うのだが今検索すると出てこない。動画共有サイトなどで聴くことができる。演奏は後期ベトの様式で大管弦楽を鳴らしまくるもので、楽章間の対比が激しく、速い楽章でのバラケっぷりと激烈さはシェルヘンルガーノを思い浮かべる。静かな楽章が余りぱっとしないが、両端楽章を楽しもう。○。
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マーラー:交響曲第9番

2013年11月05日 | マーラー
○ジュリーニ指揮CSO(DG)1976/4・CD

クレンペラーを思わせる鈍重さ(崩壊含め)がきわだった演奏ではあるが、旋律表現での重厚な盛り上げは聞かせるものがある。一楽章はフィラ管ライブに比べて音が茫洋とし鋭さが感じられず、録音のせいかもしれないがピンとこなかった(おかげで長い長い時間二楽章以降を聞かずにいた)。シカゴ響らしい機能性は二楽章で活かされていたと思う。重い舞曲表現はこの楽章ほんらいの姿だ。三楽章は制御がききすぎて勢いを削いでいる感もあるが、時折聞かれるこの指揮者独特の解釈が明瞭にそれとわかるように示されているのもよい。武骨さがあるジュリーニのマラ9だが四楽章は暖かい。分厚い響きで正しく演奏している。奇矯な解釈はなく、概ね早めのテンポでドラマを綴っている。秀逸な終楽章。
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