ミュージック・グループ・オブ・ロンドン(EMI他)CD
ただならぬ雰囲気を漂わせるRVWの傑作のひとつである。戦争交響曲の最後となる交響曲第6番を抽象化し凝縮したような、そこに「贈り物」※とされる夢のような小品を加えた美しく儚い曲(5番と6番の間に作曲された)。その「ジーン」とRVWの奥さんが監修したメディチ四重奏団の名録音があり、それと比べると即物的でどうしても浅さを感じてしまうが、霧の中を模索しているような、この曲の白眉である二楽章の空気感はある程度引き出されている。作曲家は作品自体にあまり意味を語っていなかったと思うが、それは他の作品についても同じで、聞き手に任せるというところが大きいと思う。1,3楽章の焦燥感はRVWの作品でも異例中の異例で、なおかつ焦燥感の代名詞のような交響曲第4番とくらべてもよく書けている。この演奏ではテンポが少し落ち着き、そのくせ響きが鋭敏で奇麗なわけでもないので、特殊奏法の音色の不安感もさほど伝わらない。これは二楽章でバグパイプの模倣と言われたノンヴィブラート奏法がさほどハーモニーを整えておらず幻想味が損なわれている点にも言える。この三楽章が激さないと四楽章の慈しむような旋律が活きてこない。このコントラストはいまいちだけれど、四楽章をメゾフォルテ程度で密やかにやるのではなく、おもっきしフォルテで歌うのもひとつの見識かもしれない。インティメイトな雰囲気が暖炉の炎のように不安も絶望も総てを思い出に帰し、ハッピーバースデーの声とともに、新しい年が来るのである。
※これはどうやらニュアンスが違うらしい。以下参照。
追記:ブリティッシュライブラリーのサイトの2/17記事で偶然この曲が取り上げられていた(またfacebookで知る)。リンクしておく。偶然の多い私だが、セレナーデといい、あまりにも偶然すぎる。>
こちら
:メンゲス四重奏団のヴィオラ奏者であったジーン・ステュアートへの曲であることからヴィオラソロを動機として使っているのであり、RVWの曲にヴィオラを偏重する傾向があるということと関係はない。感銘を受けていたメンゲス四重奏団及びジーンによる演奏を想定した曲なのだ。作曲は難航し、誕生日にジーンの家に総譜が届いたときは2つの楽章しかなかった。「悲しいかな」と書いている。「スケルツォは物質化を拒否している。次の誕生日まで待たねばならないでしょう」レイフおじさん、とサインがある。その約束は守られた。悪魔のような三楽章スケルツォでは映画「潜水艦轟沈す」にてナチスが出現するときのフレーズが再利用された。これは意図的なものとみなされている。四楽章エピローグには「ジョアンからジーンへの贈り物」と書かれた。
実はこの曲のソースは破棄された「聖ジャンヌ・ダルク(ジョアン・オブ・アーク)」についての映画に遡れる。「ついに最後の二楽章を受け取りました」そうジーンが書いたあと、1944/7RVW宅で非公開の演奏がなされたうえで、10/12ジーンから「RVWの誕生日」のプレゼントとしてメンゲス四重奏団による公開初演がナショナル・ギャラリーの昼休みコンサート(マイラ・ヘスとハワード・ファーガソンにより第二次世界大戦中に開かれていたもの)として行われた。このあと出版は戦後1947年オックスフォードからなされることになるが、作曲家ならびにその依頼による演奏家の若干の手直し・追記が入っている。さらに「ジーンの誕生日に」という丁重な献辞が付けられた(よって四楽章単体の「ジーンへの贈り物」とは意味が異なる)。
原譜はブリティッシュライブラリー所蔵となったが、もちろんいつまでもジーン・ステュワートへの誕生日プレゼントのままである。(てきとう意訳)