湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)

2019年05月09日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ハルスカ(Vn)モニエ指揮ベルサイユ室内交響楽団(dts)1997/2/4live映像

ビデオ起こしらしいものが動画共有サイトにあがっている。この曲のプロフェッショナルなライヴ映像は珍しい。ハルスカは荒っぽく、激して音にならないところもある。高い音を指をずらしてとるときがあり、ヴォーン・ウィリアムズのように正確な音をしっかり取るのが重要(音を詰め込まないかわりに厳選し計算している)な作曲家には向かない。ただ、現代的な精緻なスタイルには決してできないものがここにある。弦楽合奏(上手い)とややずれる場面もあるがそれでもこれはライヴで、ラプソディックな「野外のヴァイオリン」なのだ。この曲は新古典主義の立場をとりつつ、揚げひばりと同じものを志向している。聴き応えはある。
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ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第4番〜全楽章からの断片及びⅣ.

2019年04月17日 | ヴォーン・ウィリアムズ
バーンスタイン指揮NYP(UNITEL)1965/11/29live・BD

ブルーレイ化の進むヤングピープルズコンサートの中の映像。四楽章は全てを振っているが正規録音より迫真味がありハーモニーも良いんじゃないかという出来。バンスタはこの曲は評価しており、ここでは音程の説明の最後に転調の効果的な例としてピアノをまじえ同曲の解説をしている。熱気をもってバンスタが伝えようとしていることを客席の子供はたぶんあんまりわかってないが、ヴォーン・ウィリアムズの音のクセ、この曲で珍しく現れたシニシズムを早口で説明してしまっており、ヴォーン・ウィリアムズが本来はこんなにベートーヴェン的展開をさせる人ではないが(第九の解説を書いてるわりにベートーヴェン嫌いだった噂もある。とまれ派手でオーケストラの力を緻密にぶちまけるこの音楽はバンスタには魅力的だったのだろう)、とても理知的で「悩む」人だったことを端的に教えてくれるのが愉快だ。ジャズのリズムを模したところをまったくクラシカルにやっているのも可笑しい。スピーディーで集中力の高い四楽章は見もので、sonyのステレオCDを聴くならこれを見たほうが感動する。
 
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ヴォーン・ウィリアムズ:イギリス民謡による六つの練習曲

2019年04月13日 | ヴォーン・ウィリアムズ
クロックスフォード(Vc)パークハウス(P)(EMI)CD

お得意のあけすけな民謡音楽なのにメロディがチェロの低い音域なので渋さが中和して聴きやすい。わりとピアノと立体的にからみあう部分もありけして単純なだけでもない。楽想は多岐に渡りそうそう飽きはしないだろう。クロックスフォードの音は特に高音が甘く柔らかく、低音も軽やかさがあってヴォーン・ウィリアムズ向きである。邪気のない組曲をそのとおりにやっている。
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ヴォーン・ウィリアムズ:幻想五重奏曲

2019年04月13日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ミュージック・グループ・オブ・ロンドン(EMI)CD

感情の入った演奏で、乾燥した民謡編曲の趣のあるメディチ四重奏団らオーソリティの演奏と比べ剥き出しの「恥ずかしさ」が無い。緻密にやっており、それなりに起伏をつけ、楽しませる演奏となっている。
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ヴォーン・ウィリアムズ:ヴァイオリン・ソナタ

2019年04月13日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ヒュー・ビーン(Vn)パークハウス(P)(EMI)CD

この曲で唯一納得し、ヴォーン・ウィリアムズの仄暗い牧歌として楽しめた録音である。注意深く音をつむぎ真摯に弾き通せば、密やかで「野の花」の翳りをもつ曲の魅力をちゃんと引き出せる。ソリストとして名の通ったヴァイオリニストの演奏がまず駄目なのは自分を出すからだろう。自己流が通用しないのがヴォーン・ウィリアムズであり、この人のスコアは単純でも音の出し方が非常に微妙で難しいのだ。この「変な曲」を田園牧歌として聴ける唯一の録音。譜面を見てもこの演奏の音楽にはつながらなかった。。
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ヴォーン・ウィリアムズ:アカデミックな協奏曲(ヴァイオリン協奏曲)

2019年03月31日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ワリー・コーエン(Vn)カーティス指揮スワン管弦楽団(signum)CD

押しの強い音が好みではないが、かなり誇張した表現は独特で、ヴォーン・ウィリアムズの新古典作品でこうも派手な伸縮を付けた演奏は聞いたことが無く、面白く味わえた。初手には向かないが曲を知っているなら色々楽しめるとおもう。楽団も良い意味で色のない音をソリストに添わせて適切に聞かせており、響きの純度の高さがロマンティックな曲に忍び込まされている不協和音を耳に届かせ、甘さだけでは成り立たないヴォーン・ウィリアムズの真価を問うてくる。二楽章終盤などなかなかの音世界である。問題というか解釈の問題として両端楽章のスピードが緩い。堅実にテンポをとり強いアタックによりデジタルな音色変化を確実に届かせていく、それが生硬な感もあるし、まったく新古典主義的な曲に沿った演奏でもないし、ただ計算ずくの中でしっかり聴かせたい独自の焦点については、ちゃんと脳まで届かせることに成功している。
Vaughan
Signum UK

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ヴォーン・ウィリアムズ:ヴィオラとピアノのためのロマンス(B.ショア、E.グリットン編)

2019年03月13日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ブラッドレイ(Va)レネハン(P)(naxos)2013/7・CD

没後発掘された遺稿にもとづき1962年に編まれた曲で、ターティスのために書かれたと推測されているが根拠はよくわからない。後期ないし晩期の作品とは思うが、ヴァイオリンのためにかかれたピアノ伴奏による作品、たとえばソナタのようなものにくらべメロディは冒頭こそ似たような渋い、アピールしづらいものに思えるが、六分という短い時間の中で息の長い歌を継いでいくとともに、田園の魅力的な色彩を帯びてくる。したがって少し遡る作品なのかもしれない。ピアノもヴォーン・ウィリアムズらしく技巧的にならず、大きく呼吸するヴィオラの長い音符に色を添えるような、緩いものになっている。これは編曲の妙なのかもしれないのでわからないが、ヴォーン・ウィリアムズらしい、メロディの他まったく音を詰め込む気のない、最小限に削ぎ落とした曲となっている。演奏はヴィオラのための曲ということをあまり意識させず、ヴァイオリン的な音で聴きやすい。新しいデジタル録音で、ヴォーン・ウィリアムズはそういう音によく合う。
 
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ヴォーン・ウィリアムズ:バレエ組曲「老いたコール王」

2019年02月27日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ヒコックス指揮ノーザン・シンフォニア、ロンドンシンフォニー合唱団(EMI)CD

ヴォーン・ウィリアムズの「きわめてわかりやすいほうの作風」によるもので民謡風旋律に「素朴な」オーケストレーションをほどこした部分が多く、私はむかしとても苦手だったが、そんな私の鬼門、ロンドン交響曲とは時期が違う。幻想的な田園交響曲の2年あとに作曲されたものである。ヴォーン・ウィリアムズは時期によって作風が異なるも、時期関係なく作風を使い分けていたため目測を見誤ると変なことを言ってしまう。よく聴くと計算された単純さであり、響きには新味がある。ヴォーン・ウィリアムズが偏愛したコードが多用され、それなりに時代性は感じられる。ヒコックスはとてもバランスが良い。オケの各声部が調和し一貫して柔らかな明るい音で統一されている。このようなわかりやすい曲ではハッキリした輪郭の演奏は冒頭の「私の鬼門感」を強める。良い演奏だと思う。
 
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ヴォーン・ウィリアムズ:毒のキス序曲

2019年02月23日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ヒコックス指揮ノーザン・シンフォニア(EMI)CD

ほんとにヴォーン・ウィリアムズの「職人的な曲」で、めくるめく主題のメドレーを聞かせていく。私は苦手だったが中間部冒頭は明るい牧歌の趣をかもし、この演奏がとりわけ明るく透明なせいもあるだろうが、管弦楽法に目立ってこの人らしいところはないものの、内容的にはヴォーン・ウィリアムズそのもので静かに気分を落ち着かせてくれる。田舎風の派手な音楽に切り替わっていくがそこには響きやコード変化に新しい時代、二十世紀を感じさせるものが入り、凡庸感から救っている。ヒコックスが体臭を感じさせないので、民謡主題に恥ずかしさを感じることなく聞き終わることができる。好きな人は好きなわかりやすい曲。
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ヴォーン・ウィリアムズ:歌曲「美しい人よ目覚めよ/ 疲れて/ 沈黙の正午/ リンデン・リー」

2019年02月20日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ジャネット・ベイカー(Ms)ジョフリー・パーソンズ(P)(bbc)1983/7/4チェルトナム・タウンホールlive・CD

BBCレジェンズのJanet Baker English Recital (1983+1968)に収録。当代きっての歌い手ベイカーによるRVWの小品という希少な記録となる。正確で雄弁で大変にレンジ幅の広い声を持っており、時に男声かと思う声色も織り交ぜてくる。それが親密な雰囲気を持つRVWの曲にはどう出るか、といったところだが、やはり明確。ステレオの良い録音のせいもあって少し近寄りづらい格調の高さがある。「let beauty awake」は華美だが常套的なピアノをバックにやや民謡風の旋律が歌われるが、前期的というか無難な曲。「tired」は線的な伴奏をつなぐピアノにRVWらしい旋律を静かに歌うアルトが美しい。内省的だ。ただ、ここまで単純化された編成だとこう聞こえてしまうのだな、とも思う。要は地味だ。「silent noon」は変化のある曲で、4分半以上と長い。RVWらしさはあまり無いが、中間部が聞きもの。単純さへの志向、少ない音のピアノに平坦な歌唱というものが瞑想的な雰囲気をかもし「ウェンロック」を思い出させる。両端部はベイカーの腕が光る。最後に残るピアノの2連符が鐘の音を思い起こさせる。「linden lea」は言わずもがなの有名曲で、RVWとしては作風確立前の古い時代の名作になるが、教科書的な書法やそのムードは多分日本を含む、さまざまな国の唱歌に取り入れられている。ベイカーはオペラティックな歌唱というか、リンデン・リーには大袈裟すぎる感があり、単調な繰り返しに思い切った表現の変化を付けて、正直よけいなことをせんでほしい、と思った。
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ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第2番「ジーンの誕生日に」

2019年02月17日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ミュージック・グループ・オブ・ロンドン(EMI他)CD

ただならぬ雰囲気を漂わせるRVWの傑作のひとつである。戦争交響曲の最後となる交響曲第6番を抽象化し凝縮したような、そこに「贈り物」※とされる夢のような小品を加えた美しく儚い曲(5番と6番の間に作曲された)。その「ジーン」とRVWの奥さんが監修したメディチ四重奏団の名録音があり、それと比べると即物的でどうしても浅さを感じてしまうが、霧の中を模索しているような、この曲の白眉である二楽章の空気感はある程度引き出されている。作曲家は作品自体にあまり意味を語っていなかったと思うが、それは他の作品についても同じで、聞き手に任せるというところが大きいと思う。1,3楽章の焦燥感はRVWの作品でも異例中の異例で、なおかつ焦燥感の代名詞のような交響曲第4番とくらべてもよく書けている。この演奏ではテンポが少し落ち着き、そのくせ響きが鋭敏で奇麗なわけでもないので、特殊奏法の音色の不安感もさほど伝わらない。これは二楽章でバグパイプの模倣と言われたノンヴィブラート奏法がさほどハーモニーを整えておらず幻想味が損なわれている点にも言える。この三楽章が激さないと四楽章の慈しむような旋律が活きてこない。このコントラストはいまいちだけれど、四楽章をメゾフォルテ程度で密やかにやるのではなく、おもっきしフォルテで歌うのもひとつの見識かもしれない。インティメイトな雰囲気が暖炉の炎のように不安も絶望も総てを思い出に帰し、ハッピーバースデーの声とともに、新しい年が来るのである。

※これはどうやらニュアンスが違うらしい。以下参照。

追記:ブリティッシュライブラリーのサイトの2/17記事で偶然この曲が取り上げられていた(またfacebookで知る)。リンクしておく。偶然の多い私だが、セレナーデといい、あまりにも偶然すぎる。>こちら

:メンゲス四重奏団のヴィオラ奏者であったジーン・ステュアートへの曲であることからヴィオラソロを動機として使っているのであり、RVWの曲にヴィオラを偏重する傾向があるということと関係はない。感銘を受けていたメンゲス四重奏団及びジーンによる演奏を想定した曲なのだ。作曲は難航し、誕生日にジーンの家に総譜が届いたときは2つの楽章しかなかった。「悲しいかな」と書いている。「スケルツォは物質化を拒否している。次の誕生日まで待たねばならないでしょう」レイフおじさん、とサインがある。その約束は守られた。悪魔のような三楽章スケルツォでは映画「潜水艦轟沈す」にてナチスが出現するときのフレーズが再利用された。これは意図的なものとみなされている。四楽章エピローグには「ジョアンからジーンへの贈り物」と書かれた。

実はこの曲のソースは破棄された「聖ジャンヌ・ダルク(ジョアン・オブ・アーク)」についての映画に遡れる。「ついに最後の二楽章を受け取りました」そうジーンが書いたあと、1944/7RVW宅で非公開の演奏がなされたうえで、10/12ジーンから「RVWの誕生日」のプレゼントとしてメンゲス四重奏団による公開初演がナショナル・ギャラリーの昼休みコンサート(マイラ・ヘスとハワード・ファーガソンにより第二次世界大戦中に開かれていたもの)として行われた。このあと出版は戦後1947年オックスフォードからなされることになるが、作曲家ならびにその依頼による演奏家の若干の手直し・追記が入っている。さらに「ジーンの誕生日に」という丁重な献辞が付けられた(よって四楽章単体の「ジーンへの贈り物」とは意味が異なる)。

原譜はブリティッシュライブラリー所蔵となったが、もちろんいつまでもジーン・ステュワートへの誕生日プレゼントのままである。(てきとう意訳)
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ヴォーン・ウィリアムズ:映画音楽「潜水艦轟沈す」

2019年02月13日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ミューア・マシソン指揮LSO(broadway他)DVD

(映画そのものです)カナダの全面協力で作られた戦時映画でヴォーン・ウィリアムズは内容とは異なる、あくまで自分の視座から立派な音楽を提供したにすぎない。映画音楽指揮で知られるマシソンの指揮は性急でやや軽く、力感の制御がデジタル。滑らかで柔らかい(しかし明確な)ヴォーン・ウィリアムズっぽい音ではなく、あくまでヴォーン・ウィリアムズの素材を映画的に即物処理したように思える。音楽主体の映画ではないし、あきらかな反ナチプロバガンダ映画なので、これはこれで良いのだ。タイトルのカナディアンロッキーかどこかの空撮にのったヴォーン・ウィリアムズの前奏曲は、序章に美しいハーモニーを加えている。農村、都会、島々、海と音楽は寄り添うように素材を加え、未だ「南極」のカラフルな音楽に至ってはいないが、即物的に職人技を発揮しており、しばしばヴォーン・ウィリアムズらしくない俊敏さもみせている。本編に入ると音楽はあまりなくなる。ナチ登場で弦楽四重奏曲第2番3楽章へ流用されたフレーズが入る。2時間あまりのあと、話がオチた途端に再び前奏曲で終わる。
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ヴォーン・ウィリアムズ:映画音楽「潜水艦轟沈す」〜前奏曲

2019年02月13日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ヒコックス指揮ノーザン・シンフォニア(EMI)CD

3分にも満たない前奏曲のみだが、映画(原題:北緯49度線)は1940年作品。戦時プロバガンダ映画として有名で、YouTubeではサワリを(RVWのこの曲(タイトルバック)も)楽しむことができる。音楽はまったく平和。狂しいほど懐かしいヴォーン・ウィリアムズ節。弦楽アンサンブル主体の長大なメロディが大きくたゆたうヴォーン・ウィリアムズとしても懐かしい作風だ。最後はブラスが入り輝かしく終わる。この遠い目をした美しい感傷と、Uボート沈没、敵国カナダより中立国アメリカへ脱出するナチスドイツ兵、という筋が合うのかどうかとも思うが、そもそも映画音楽が映画に必要以上に寄り添う時代でも無かったのだろう。ヒコックスのRVW小品集に収録され、厚い響きでRVWのスペシャリストぶりを堪能できる。
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ヴォーン・ウィリアムズ:ピアノ協奏曲(1926-31)

2019年02月07日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ハンドレー指揮ロイヤル・フィル、シェレイ(P)(lyrita)CD

ヴォーン・ウィリアムズの意欲作で珍しく複雑な様相を呈している。二楽章を中心とするアピール力の強い旋律と単純な響きによる感傷性と、三楽章前半で現れるサーカスのような象のような音形を核とする動き(人を食った感じはロンドン交響曲ぽくもある)重視のダイナミックな扇情性が交錯するあたりを面白く弾けるか聴けるかが焦点となるが、一楽章冒頭いきなりのフォルテがやりづらいと言われるようにちょっと慣れない楽器を実験的に用いている感も否めず、この盤の録音が少し籠もっているせいもあるがピアノの音に重量感が足りず埋没してしまう。ピアノが技巧というより書法的に難しいからと結果的に2台ピアノ版が作られそちらのほうが演奏機会は多いようだが、この盤でも一楽章はモソモソいっているばかりで余りちゃんと聴こえてこない。二楽章は師ラヴェルのピアノ協奏曲のエコーが(ほぼ同時期なので偶然かもしれないが)響きにおり混ざるが概ね単純な美観につらぬかれ、それはヴォーン・ウィリアムズ自身の確立した作風とも違う古来の「ロマンチシズム」に沿ったものに思える。ここではこの盤は極めて美しい。今は評価されるハンドレーだが昔はヴォーン・ウィリアムズなどお国ものを振ってさえ冴えない感じがあった。この楽章では奇麗にしずかにピアノを支えており、うねるようなロマンを持ち込まない節度を感じる。それが三楽章の「ヨブ」のような突然変節でやや派手さが足りないように感じられるのだが、ヴォーン・ウィリアムズの書いた響き自体は自然で依然美しいからそのまま聴いていられる。すると変容の末に二楽章のような天上の音楽になって消えゆくのである。この明るい上品さはヴォーン・ウィリアムズにしかないもので、だから敢えて濁るような音楽と錯綜させてみたのだろう、そこが同時代音楽との歩調合わせになり、バルトークの目にも止まったのかもしれない(フランス風の響きと民族音楽のエッセンスの融合はやり方は違えど遠くはない、ただこの話のソースを私は知らない)。
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ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番〜Ⅲ(部分)

2019年02月07日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ボールト指揮管弦楽団(gonzo)live・DVD

ヴォーン・ウィリアムズ初の伝記映画(テレビ)としてトニー・パーマー監督下放送された一時間余りの中に含まれる。gonzoのアカウントが最近YouTubeで公開した。この曲にはナレーション等が音も映像もかぶるが最初とクライマックスはしっかり鑑賞できる。ボールトがいつものように職人的に長い棒を振り回していくうちに、眼に涙が光ると言われたものだ。正直映像(カラー)に比べて音がステレオであまりに良く、聴いたかぎりその音も表現も晩年のLPOとの名演とほぼ同じだからちょっと疑問も感じるところがあるが、ただ元映像はしっかり振っているし弾いている、これをカラオケで当てはめる意味もないだろうからちゃんとしたものなのだろう。いずれにせよこのロマンツァが、第二次世界大戦の惨禍と平和な時代の追憶のために捧げられた限りなく切ない音楽というのはここでは否定されている。晩年の伴侶アースラ夫人との出会いと結婚の、幸福感を示したものであるように構成されている。アースラ(ウルスラと読んでいたがアースラと発音されるので正した)はRVWの指揮下でフルートを吹いていたが若干ダブりはあったようなものの病弱な前妻と入れ替わるようにその身を捧げた。いや、捧げたというよりディーリアスにおけるイエルカのように、相互作用により結果をより良いものにし、没後は作曲家の正しい意志を研究成果とともに整理し伝えることにつとめた(イエルカは死んだが)。年の差カップルだったから最近まで存命だったが、亡くなるまでヴォーン・ウィリアムズのCDが出るたびライナーを書き続けた。9番交響曲はコッツウォルズを描いたもので所謂第九ではないのだ、十番の準備もしていたという説明は有名だろう。私はもちろん異論を持っているが、少なくとも存命の誰よりヴォーン・ウィリアムズに詳しいかただったのだから尊重はすべきだし、じっさい後年はすべて一人で書いていたわけではなくアシスタントや専門外注作曲家にオーケストレーションの助力を頼んだりもしており、耳が聴こえづらくなってからはよりその比重は高まったはずで、アースラの手も、またアースラのアイデアなどを取り入れていたことは恐らく正しいのだろう。カラフルで立体的な音楽はこの5番以降に始まる。それは晩年でありアースラとの日々でもある。この映像を、ほんの短い全編の一部であるが(いつか全曲観たいものだ)編集された伝記の中に見ると、ローカルな志向の強い老作曲家が核戦争後の地球だのなんだの考えていたとは思えなくなる。そんな考えより、身近な人を愛することを描いたほうが届くものが書ける。ヴォーン・ウィリアムズはそういう作曲家だったのだろう。
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