湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆カリンニコフ:交響曲第1番

2017年01月23日 | カリンニコフ
◎ラフリン指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA他)CD

最近はもっぱらHDプレイヤーに落として聞いているのだが、機種によって操作方法が違うので混乱する(何台も使い分けているのです)。2番も落としたはずなのに楽章が欠けていた。うう。わいいとしてラフリンである。余り上手くない指揮者としてロシア好きにも評価されてこなかった人だが、録音は夥しく遺されており、イワーノフ同様演目によって出来にだいぶ差がある。これは「すぐれていいほう」だ。遅いめのテンポでひたすら情緒てんめんに歌いあげてゆく。音のキレがよく発音も男らしくはっきりしているので全然ダレない。テンポが全く流されない。こんなに感動的な旋律だったのか、情感たっぷりなうえに四楽章では派手な祝祭音楽とのコントラストが見事に決まっており、最後は感涙すら禁じ得ない素晴らしいフィナーレを迎える。豪放にぶっ放すブラス、一体化し繁雑な装飾音も乱さぬ集中力で力を尽くす弦楽器、とっぴさはないが上手い木管、もちろんロシアオケならではの乱暴さやバラケもあるがそれがまったく気にならないのは解釈の芯がしっかりしているからだ。所々国民楽派やグラズノフを彷彿とする場面では確かにこの作曲家がロシアの連綿とつらなる山脈の一角に聳える秀峰であり単独峰ではないのだということを実感させる。どうして最近はこういう感情的に揺り動かされる演奏が無いんだろう?こういうふうに引き締めればカッコ悪くなんかないのに。あ、こんな馬力のオケ、ロシアにももうないのか。アナログならではの、瑕疵を埋没させるふくよかな音響がCDのリマスタリングじゃ失われてしまうため受けないと思われているのだろうか。カリ1録音史上に残る特徴的な演奏だと思った。◎。国内マニア向けマイナーレーベルでCD(R?)化。
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☆カリンニコフ:交響曲第1番

2017年01月15日 | カリンニコフ
○スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(KARNA/WME:CD-R)1982LIVE

荒いがなかなか高揚する演奏で、音色的にも適性的にもこのロシアロシアした演歌にはあわない気もするのだが、細部に拘らなければ面白く聞ける。テンポも速く(二楽章は逆に遅い)、スポーツ的感興が得られるという点ではスタジオ盤より面白いといえるだろう。細部のことを書いたが確かに1楽章からして弦のアンサンブルが乱れたり音色が冷たく単調になってたりするのだが、茫洋と聞くと面白いのだ何故か。だからうるさいこと言わずにライヴのこの曲を楽しみましょう、なるべくヘッドフォンよりスピーカーのほうが、細部の荒さが目立たないからお勧め。ブラヴォ凄いね。スヴェトラ全盛期はこのころまでなのかな。
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☆カリンニコフ:交響曲第1番

2016年10月07日 | カリンニコフ
○セヴィツキー指揮インディアナポリス交響楽団(RCA)1943・SP

同曲最古の録音として知られるが、カリマニアにはほとんど看過されている代物。でもどう聴いても相対的に悪い演奏には思えない。とくに1楽章はトスカニーニをしのぐ迫力のある高速演奏で特筆できる。トスカニーニは大した録音を残していないから同じような芸風として楽しめる。プロオケの正規録音にしては走り過ぎ流れすぎだけれど昭和初期の演奏なんてそんなものだ。中間楽章はちゃんとしてはいるが平凡。4楽章が序奏後テンポを遅く整えてしまう演奏はよくあるが、この演奏もそのとおりでクライマックスまでいかないとフォルムの崩れた攻撃性は現れてこない。でも悪くはない。繰り返すが、無視するほど悪い演奏ではない。webに音源が出回っているがノイズリダクトされたなるべくいい音でどうぞ。○。
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カリンニコフ:交響的絵画「杉と棕櫚」

2014年09月13日 | カリンニコフ
◯ラフリン指揮レニングラード・フィル(放送)1969live

交響曲に比べれば民族色はかなり薄い。書法の充実と比例して個性や面白みの減退がみられるように思う。ラフリンはズガシャーンというようなぶっ放し方でロシア臭をより強くアピールしている。オケは実態はレニングラード響か。
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カリンニコフ:交響曲第2番

2006年07月20日 | カリンニコフ
○ラフリン指揮VRK交響楽団(DGGSY)LP

キリル文字ではB.P.K.で瞭然であるがモスクワ放送交響楽団の略称である。この録音をきくにつけロシア録音は収録ホールやマイクセッティングなど録音状態を加味せずに安易に巧い下手などと言ってはならないなと思う。これは余りにマイクがヴァイオリンに近いのだ。舞台上前方でファーストのフォアシュピーラーに接近しておかれているのだろう。こういう録音はメロディヤでは多い。よく無邪気なロシアファンが「自嘲的に」言う音色のバラバラ感や一部奏者の突出というのは、必ずしも外れてはいないがこんな演奏外の部分で誇張されてしまっている節もある。バラバラということは薄く聞こえるということである・・・ハーモニーの整わないオケの音量が弱く感じるのと同様。アナログ盤では音響全体が何かしらの微音で詰まっているので余り気にならないが、デジタル化されるとまるでロジェスト/文化省管のグラズノフのCDのようにスカスカに聞こえるものだ。そういった状況がメリットに響く場合もあり、絶対きっちりとは揃わないたぐいのソリスティックで技巧的なフレーズや装飾音を合奏部分に多用する「困った」作曲家のときは、「一部奏者の音だけが細かく聞こえることによって」救われる。ただ、この曲は決して技巧的ではない。1番同様ヴァイオリンに細かい音符の刻みが多いが、ラフリンのやや弛緩したテンポの中では皆十分に雄渾に弾けており、だからこそ残念なのは最初に述べた様な録音「瑕疵」なのである。この演奏は音楽のロマンチシズムを引き出せるだけ引き出そうとしている。そのためにテンポの沈潜も辞さないし、これでもかと言わんばかりに歌う。1楽章はまったく名演であり、ここまで雄渾でドラマティックな2番の演奏を初めて聞いた。オケのやる気も十分である。しかしここで思うのはカリンニコフの才気の衰えである。2楽章でいきなり魅力は薄まり、3楽章も第二主題あたりには明らかにボロディンやリムスキー的な民族の雰囲気があるもののどうも精細に欠ける。

4楽章はまるでエルガーの2番かグラズノフの8番だ。とくに後者の状況とよく似たものを感じる(スケルツォと終楽章に近似性を感じるのだが)。才気は衰えてしかも体力が最終楽章までもたない、しかし技巧的には高まり演奏者は演奏しやすい、もしくは演奏したくなる。1番は各楽章のコントラストが極めて明確で旋律もこれ以上ないくらい才能に満ち溢れたものである。しかし単純だ。演奏者はただ面倒なばかりで魅力的な旋律も飽きてきてしまう。2番は構造的により作りこまれてはいるし、グラズノフ同様以前の作品では才気のまま書き進めそのまま出したような、一方で「お定まりの型式の中で出来ることを精一杯やった」といった清清しい風情を持っていたのが、才気を型式の中に抑えこみ独創性は主として思考の産物として盛り込もうという方向に行ってしまい、技術的にはある種アカデミックな指向をもった「山っ気」がでてきたがために、却って中途半端な出来になってしまっている感がある。スヴェトラの有名な録音があるが、あれで聞くと録音が遠いだけに尚更薄ーいぼやけた印象が否めない。ここではリアルな肉感的な音で楽しめるので、1楽章とスケルツォの一部だけは楽しめるが、終楽章は1番みたいにオペラティックな大団円で終わらせればいいものを・・・とか思ってしまう。演奏的にははっきり言って今まで聞いたどの2番より面白かったが、1楽章以外をもう一度聞くかというと・・・。

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