湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ガーシュイン:セカンド・ラプソディ

2005年12月28日 | アメリカ
ガーシュイン指揮管弦楽団(MusicMasters,HISTORY)1931/6/26REHEARSAL PERFORMANCE

これを放送本番演奏と書いている人もいるがリハ記録。なぜそう思うかというとオケがどうも本気ぽくない。弱いし、音がだらけているかんじがする。とにかく精細に欠ける演奏で、録音が悪いのも敗因か。いずれこれが本番記録というわけはないだろう。オケ×だが希少録音ゆえ無印としておく。うーん、なんとも。
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ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルーよりアンダンテ(ピアノ編曲)

2005年12月28日 | アメリカ
◎ガーシュイン(P)(History他)1928/6/8・CD

あっぱれです。これは下手するとオケ付きのものより本来の意図を伝えられているかもしれない。オケ付では即物的に演奏される緩叙主題がここではいくぶんゆったりとして感傷が感じられるのがいい。サクサクした商業ピアニストというよりソロピアニストとして立派に弾きあげている、さすが作曲家。
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ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー

2005年12月28日 | アメリカ
○作曲家(P)ホワイトマン指揮彼のコンサート・オーケストラ(pearl他)1927/4/21NY

有名な由緒正しい録音で超廉価ボックスに入ったこともある。至極一本調子で即物的だが(特に有名な叙情主題があっさりハイテンポで弾き抜けるところはびっくり!収録時間の関係かもしれない)力強い。20年代の録音としては非常に聞きやすい復刻と言えるだろう。ノリまくるというわけでもないが、ガーシュインの主として細かいテンポ操作における巧さが目立つ。まあ、クラ的にそう固く言うより、即興的な謳いまわしが絶妙、と書いたほうが正しいか。聞いて損は無い演奏。○。決してジャズ寄りではない。
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ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー

2005年12月27日 | アメリカ
○カッチェン(P)マントヴァーニ楽団(RCA)CD

何故ジャズ・ミクスチュアー音楽というだけで大胆なアレンジが許されるのか?クラシックだってこんくらいいじってもいい。指揮者の意図がより明白に見えていいではないか。屈託無くドラマチックに煽情的に(音は普通で単調だけど)スピード感溢れる演奏を提示してみせるこの演奏は示唆的であり、自身の編曲でなかったにせよ本人の録音ですらアレンジまくりである。オケ譜だっていじられるためにとりあえず仕立てられたような乱暴さがある。やはり、オーケストレイテッド・ジャズが本来の形なのだ。ラヴェルやストラヴィンスキーがホワイトマンの招きにせよ真面目に客席でこの曲を聞いていた様子を想像するだに可笑しい。あの原典主義者たちが、である。商業音楽のありようのひとつの原型だろう。クリエイターみんなが一人の天才的メロディライターのもとに結集して「ガーシュイン」が生まれた。シンフォニック・ジャズが生まれたのである。ガーシュインがウタダとすればランバートはさしずめクラキか(わかりにくーい)。やや単調なため○にしておく。
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ガーシュイン:ピアノ協奏曲

2005年12月27日 | アメリカ
カッチェン(p)ロジンスキ指揮ローマRAI管弦楽団(CDO)LIVE・CD

いくぶん大規模でクラシカル指向な曲であるせいかラプソディよりは聴ける演奏だ、でもカッチェンは余りに堅苦しすぎる。これとマントヴァーニ楽団の演奏の違いにまずは瞠目すべしだ。同じソリストで、こうも違うものか!ロジンスキのオケもちゃんとジャズ奏法を取り入れているのに、ノリが違いすぎる。スピードが違いすぎる。遊び(アレンジ?)が違いすぎる。すべてが娯楽的音楽のために、スポーツ的快感のためにできているようなマントヴァーニの曲作りに対して、カッチェンものびのびと、技巧を駆使してやりきっている。もちろんスタジオとライヴの差もあろうが、この曲はやはり、ジャズなのだな、とも思った。クラシカルなアプローチには、限界がある。正直この駄々長い曲をこのアプローチで聞かせるのはうまいとは思うが、飽きた。無印。ほんと面白いし巧いよマントヴァーニ!スケール感もバンド特有の狭さが録音操作でカバーされていて、スウィング、スウィング!遊び、楽しんだもの勝ち!音色どうこうはあるけれど、起伏に富んだ表現力は初心者を夢の世界へいざなうでしょう。あ、ここロジンスキ盤の項目か。
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ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー

2005年12月27日 | アメリカ
カッチェン(p)ロジンスキ指揮ローマRAI管弦楽団(CDO)LIVE・CD

どうも四角四面で堅苦しい。ロジンスキらしいガシガシ急いたクラシカルな音楽作りにも違和感しきりである。機械的で、得意の集中力が変な方向にまとまってしまっている。ガーシュウィンにこの芸風はあわないのだ!しかも一応バックオケを意識しているせいかテンポがかたくなに守られているし個性も薄いというか、みんな萎縮していて凡庸でつまらなすぎる。カッチェンも堅苦しくて辛そうだ。ジャズ奏法を取り入れてはいるけれど、よそよそしい。終演後の拍手もやや冷めている。これはどうも、曲に相性のない演奏スタイルと言わざるをえない。無印。録音悪し。
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プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2005年12月25日 | プロコフィエフ
D.オイストラフ(Vn)ブール指揮ストラスブール管弦楽団(GRANDI CONCERTI他)1961LIVE

これ、CD化していると思うのだが、とにかく私の盤はピッチが低すぎるのだ。この曲の妖しいきらびやかさはもっと高いピッチでないと映えない。それに、演奏がどうも、あたりまえすぎる。余裕がありすぎるのだ(びみょうなところだが余裕しゃくしゃくに技巧をひけらかしているのだといっているのではない、解釈表現は寧ろ地味なほどであるが、余裕が出てしまっているのが気になると言っているのだ)。余裕があることはいいことだが、「余裕の無さを演じる」のも演奏家の一つの技術である。そういう音楽も20世紀にはたくさんあるのだから。ギリギリの感覚というのが、時々は出て欲しい。音色はとにかく艶深く赤銅色のなめし皮のようで、じつに効果的ななまめかしいヴィブラート、だがそれらは余りに安定しているため、初めてこの曲に触れる人にはいいかもしれないが、シゲティを知ってしまっている者にとっては、いかにも余技でやっているように感じられてしまうのだ。いや、贅沢なことを言っているが。録音も悪く、最後のトリルが終わらないうちに拍手が入ってしまう、まあ、拍手に関しては私は寧ろ素晴らしいと思うが。ブラヴォが凄い。実演だとまた違うのだろう。録音として、無印としておく。
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プロコフィエフ:交響曲第1番 

2005年12月25日 | プロコフィエフ
○チェリビダッケ指揮ナポリ・スカルラッティ管弦楽団(GRANDI CONCERTI他)1959LIVE

冒頭はやや重く、フォルム重視のしっかりした演奏であるがゆえに少し格式ばった感じがするが、厳しく律せられたオケ(巧い!)は弾むようなリズム表現で足踏みするようなテンポ感を抑えこんでおり、非常にバランスのとれた演奏になっている。チェリの後年の様式を思わせる非常に精度が高く形式的なしっかりしたものだが、情が通っている感覚があるのがいい。ヴァイオリンの微妙なポルタメントなど、イタリアオケの悪い癖が最小限に現れているのは逆に素晴らしい演奏効果となっている。最終楽章の勢いには圧倒される。それは壮年期のチェリのものだ。しかも、オケがこれだから、もう嬉しくなるような弾み心地に胸がすく思いがする。何度でも聴くに耐えうる演奏で、つまりそれは娯楽性が存分に発揮されながらも決してだらしない演奏ではないということを示している。本当に素晴らしい終楽章で、録音の良さというのもあるが、チェリ壮年期の何かしらドイツぽすぎる解釈というものが、この演奏この楽章にかんしていえば全く鼻につかない。ここだけをとったら間違いなく◎なのだが、やや古典的に(ハイドンよりベートーヴェン的に)格式ばった解釈が残ってしまっている他楽章のことを加味して○としておく、オケは満点だ。名演。ブラヴォが叫ばれてしかるべきである。ROCOCO盤は恐らく同じものだろう。但し恐ろしく音が悪い。
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トラウマとモーツァルト

2005年12月23日 | Weblog
モーツァルトは苦手だ。

モツレクや短調で書かれたものあるいは後期交響曲の一部は徐々に聞けるようになってきたのだが、まだだめだ。理由がある。幼少期(?)の練習曲に協奏曲がいくつか使われていて、あのトリッキーな装飾音符(としておこう)を練習するのが至極イヤだったトラウマがあるのだ。きっとそれが「古臭い」というイメージと結びついて(高校のころには聞くクラシックといったら惑星しかなかった)、大学からつい最近まで、眠くて辛くて、という感じだったわけである。仕事でモーツァルト関係のことをやっていたこともあり、更にイメージ悪かったわけだ(わからん音楽のことを書かなきゃならない(別に文筆活動ではないので念のため)のは物凄く辛いことだ)。

演奏する側からすれば、カルテットに定評のあるハイドンとモーツァルトを比べると格段にモーツァルトのほうが弾き易い。ハイドンにはかなりかっこいいものもあるのだが楽譜の見た目と裏腹に非常に難しい。動かしづらい動きや押さえづらい音符が平均的にのべられているのだ。比べてモーツァルトは室内楽に限らず物凄く弾き易い。単調ではなく変化に富んでいてあれだけロマン派的な内容を持ちながら、フォルムに一切の崩れが無く簡潔で合理的なのだ。ピアノしか弾けない自称作曲家というものを私は認めないのだが(ピアニスティックな効果を狙った書法を駆使する人が多い)、モーツァルトはピアノだけの人ではないのは勿論、直感的に楽器の構造と用法を把握し音にできたのだろう。ショスタコなんかとはえらい違いだ・・・あ、ショスタコはすごいと思いますよ、「言いたいこと」が技巧に先行している、ってかんじで。最近は言いたいこと(もしくは言うべきこと)がないのに技術だけある人ってのが音楽に限らずたくさんいますわな・・・。昔、私の演奏はモーツァルトに適性があると何人かに言われたことがある。そういうこともあろうが、ハイドンは聞くのも弾くのも未だ苦手だ。価値はおおいに認められるけれども。

・・・話を戻すと、でも、後期ロマン派以降を聴き尽くしてしまったあとでモーツァルトを聞くと、新鮮なのだ。古楽器演奏も変わってきていて、技術的進歩と裏腹に何か面白さを狙いだしているような気がする。古楽でもないのに古楽器(や分析解釈)を使う例が多いのはそれを物語っている。そこで私は惹かれ始めたという感じかな。でも、現代の演奏より、音盤の古いのがいいですよ。

まさに前述の、

「言いたいこと」が技巧に先行している

ってことなんです。クラシックは再現芸術じゃない。歌舞伎がそうであるように、精度だけを上げて同じことをやるだけでは技術にすぎない。そんなものに、立ち位置が末期ロマン派にある私は惹かれない。

たとえば何?

・・・それが今日これを衝動的に書くことになったきっかけの以下の録音です。

35番ハフナー、クレンペラー指揮ロス・フィルlive

1500円だった。
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ラヴェル:ピアノ協奏曲

2005年12月14日 | ラヴェル
○クロード・カサドシュ(P)デルヴォー指揮パリ音楽院管弦楽団(CND)LP

パキパキした演奏で内容は浅いがわかりやすく楽しめる(左手ともども)。オケもやりやすそうだ。このドライヴ感、疾走感は並ではない。細部のニュアンスはともかく力強く手慣れた巧いソリストで旋律の勘どころを全て押さえている。単純だけど単調にはならないのだ。録音もモノラル末期だけあってデルヴォの意志的で立体的な音作りをかなり精緻に捉らえている。また自然なのがこの指揮者の上手いところ。三楽章のブラスがやや不調だが音色にかんしても非常に感傷的で美しく直截なテンポの上にしっかりハマっているのがよい。また念押しするような引きずる感覚がなく自然に融和しているのも出色。変な解釈は無いのに娯楽性を構成する必要なだけの一音一音を若々しいスピード感を損なわずにクリアにしっかり聞かせていて心地よい。ラヴェルがこれでいいのか?いいんです。個人的にしっくりくる。さすがに二楽章は全く深みがなくただ弾いているだけの感は否めないが、少なくとも親父さんのスピードだけの無味乾燥な独特のスタイルとはかけ離れた(ロベール氏は両手は録音してないが)血の通った感じは強くあり、好意的に聞いてしまう。とにかく軽く聞き飛ばせる難しくない録音なので初心者向き。ソリスト指揮者オケの相性がいい、これだけは確かだ。◎に近い○!クロード氏巧いよ。
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シベリウス:交響曲第2番

2005年12月08日 | シベリウス
○ザンデルリンク指揮ベルリン放送交響楽団(CD-R)1993/4/30LIVE

録音良好。実直なわりにアクの強い演奏で、テンポや音量操作はまめだが発音やフレージングが念を押すようなドイツ式で、安定感があるけれどもやや単調か。精度は極めて高く、清々しさはないけれども厳しく鋭い怜悧さは感じられ、温かみが欲しい半面これは演奏の個性としては認めておくべきかなどとも思う。派手なのにモノトーン。ブラヴォ飛ぶ。○。

12/8はシベリウスの誕生日だそうです。
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グラズノフ:交響曲第1番

2005年12月02日 | グラズノフ
○フェドセーエフ指揮モスクワ放送管弦楽団(VICTOR/MELODIYA)CD

非常に綺麗にまとまりよく演奏されており、ロシアオケの音も程よく楽しめる。この全集の中ではかなり精度の高い録音といえるだろう。ただ、古典的にしっかりまとめすぎていて、元々グラズノフの曲にしてはいささかパンチに欠ける若書きであるがゆえに(目まぐるしい転調など初期特有の野心的な響きは随所に織り交ぜられているが)「あく抜き芸」ともいえるフェドの芸風にかかると更にパンチに欠けた平坦なものになってしまう。リズミカルな処理など申し分ないのだがテンポやデュナーミク(アゴーギグ?)が単調だ。美にこだわるあまり流れが大河のように緩やかになり勢いまかせの初期グラズノフの解釈としてはそぐわなく、つまらない曲のように聞こえてしまう。美しさと精度の長所をとって○としておくが、最初に聞く演奏ではない。
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