湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

シベリウス:交響曲第2番

2018年07月25日 | シベリウス
バルビローリ指揮ケルン放送交響楽団(ica)1969/2/7・CD

ある意味ドイツらしい醒めた音で構築していく2楽章まではバルビローリらしくないが冷静に音楽を楽しむことができる。テンポ的には激したころの比較的速いところに置き最晩年的な間延びはない。3楽章終盤で突然ものすごいアッチェランドがかかるとあわてたように縦があやうくなる。4楽章はNYP時代のような演奏になり、持ち味である有機的な歌より雄渾な凱歌が放たれる。いかんせんこのオケなので無理して強奏しているような軋んだ弦が気にはなるし、縦があやうくなるのはバルビが即興的に切り回したせいなのか、これが訓練の結果の限界なのか、しかしステレオの比較的良い放送録音のせいもあり楽しめた。拍手はないので放送用セッションかもしれない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第1番

2018年07月18日 | シベリウス
○バルビローリ指揮ヘルシンキ・フィル(SLS)1965/9/13ロイヤルフェスティヴァルホールlive

inta grioからヴァイオリン協奏曲と7番は出ていたが(データ記載は不明瞭だが同じだろう)同時に演奏されたこれは初出か。モノラルで録音が悪くノイズが気になるが内容は良い。オケは不安をかんじさせるのはパワーがもっと欲しい最初のほうだけで、技巧的にも、雄渾なスタイルでドライヴしていくバルビの特訓の成果的にも素晴らしく結果を出している。圧倒される音表現、細部まで解釈され尽くしたさまを弛緩なく明確に、弦の細かい動きにすらミスの一つもあらわさず、これはバルビがニューヨーク時代に残した秘蔵音源と言っても通用するくらいの一流ぶりだ。凡百の指揮者がギクシャクさせるであろうメロディの揺れ、音圧の強弱の激しさを、バルビはまるでそう書かれているからやっただけ、とばかりにあまりに自然に描く。刻々の気まぐれでやっているのでは決してない。このオケのまさに北方的な熱を帯びない色のない音がロマンの生臭さを払拭しているのも大きい。その音だからの音響バランスのすこぶる良いところは四楽章で認識できる。ドラマティックなほうのバルビローリであり、同時期の様々なスタジオ録音のような客観性は無い。客席反応は良いようだがよく聞き取れない。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:交響曲第1番

2018年01月29日 | シベリウス
◎ガラグリ指揮ドレスデン・フィル(ETERNA/BERLINclassics)CD

これが大変な名演・名録音なのである。CD化していたらすぐに欲しいくらいだが目下LPしか見たことが無い(註:90年代後半に二度CD化している)。LPは薄盤でジャケも非常に安っぽく、だいたい比較的新しいにもかかわらず、物凄い高値のつくガラグリのシベリウスだが(私も他はなかなか手が出ない)、もともと全てステレオで収録されているにもかかわらずモノラル盤も出て、そちらの数が多いゆえ比較してステレオ盤が高値安定という結果になったようである。それで、この盤はステレオで聴いた。驚いた。演奏解釈自体は文字にすると「実直で手堅い」ということになるのだろうが、厳しくりっせらっれたオケの斬り込むような音と常に速めに設定されたテンポがじつに自然でかつドラマティックな演奏を作り上げている。録音が極めていい。生々しい。かといって演奏に少しの瑕疵もないから「そういう」生々しさはない。とにかく非常にスケールの大きなドラマを呆然とただ聴いた。余りシベリウスのいい聴衆ではない私だが、これはどこをどう評すればいいのか困ってしまうほど解釈にてらいがないにもかかわらず、他とは隔絶した凄みを感じさせ、オケの力もあるのだろうが(これがまた他有名オケのような個性を売りにするような団体ではなく、文字にすると実直でまじめとしか書きようがないのだが、とにかくバランスがとれているのに一つ一つの音は強く、隙がまったくなく、うまいのだ)、とりあえず◎としておくしかない。何か言葉が見つかったら再度書こうと思う。

驚いた。

※2006-06-02 10:19:17の記事です
Comments (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:交響曲第1番

2017年10月02日 | シベリウス
○ケーゲル指揮ライプツィヒ放送管弦楽団(WEITBLICK)1982/4/6LIVE

ボウヨウとしたのっぺり客観な1楽章にはどうしようとおもったが、丁寧に響きを整え厳しくりっしながらもロマンティックなルバートをかけたりするさまは、やや響きの質がちがうもののガラグリを思わせ、3楽章から4楽章のドラマティックな展開には切り込みは激しいながらもブルックナー的な精神性を求めるような壮大さが、やっぱりチェリの様式を想起させずにおれない。訴える力はそんなにないが、まあまあといった、客席もそんな反応。録音ややぼんやり。後半だけで○。

※2006/11/2の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:交響曲第5番

2017年07月08日 | シベリウス
○ザンデルリンク指揮レニングラード・フィル(MELODIYA)LP

正直このころのロシア盤は雑音が酷いのだが、ロシア盤は独特の針や機器を要求するという説もあるのでいちがいに悪いとはいえまい。だいたい最近メロディヤ盤が本国から直接入ってくることはなくだいたい旧東側諸国から流れたものがちょぼちょぼという状態なので、CD化でもされない限りなかなか聴けない貴重なものであることは確かだ。見た目綺麗だがじつにしゃかしゃかと雑音が入る。そのため細部が聞き取りづらいのが正直なところなのだが、ロシアらしさというのはブラスのぶわーっという響きだとか弦の必要以上に強くためを作るところぐらいで、おおまかには奇をてらわずに素直に最後まで聞ける「好感の持てる」演奏だ。爆発的な推進力でそれまでの断片的な素材の気まぐれな交錯を一気にベートーヴェン的勝利に収斂させていく楽曲だと思うのだが、しばしばそうではない演奏というのにも出会う。この盤も例えばアメリカの指揮者ほど勝利の凱歌があがることはない。だが全体としてのまとまりはよく、唐突ではなくスムーズにクライマックスへ向かうさまが心地いい。

シベリウスのシンフォニーは各曲にそれぞれ「主題」がある。これら一連の交響曲群はよく発展論的に論じられ、技巧的に突き詰めていった結果交響的幻想曲である凝縮された単一楽章の7番にいたったという軌跡ばかりで語られがちだが、それぞれの個性を巧く引き出し、それぞれの主題を浮き彫りにすることによって寧ろそれぞれが独自の輝きを放ちだすものであり、隣同士が似ていても、結局は別物だ。たとえばバルビのシベリウスは両論あると思うが、交響曲全曲録音にあたっては曲によって技術的アプローチをどんどん変えていったといわれる。最後の7番をやるころには我々は全く違う音を出すようになっていた、というハレ管の証言者もいる。勿論これも番号順であり発展史観的なものに基づいたやり方ではあるのだが、たとえば3と4、5と6の間の違いをどう解釈したらいいか。あるいは、なぜ最高傑作と呼ばれる4、7番が滅多に演奏されず、1、2、5そして案外3番あたりがよく演奏されるのか、これは発展史観で説明しうることではない。それぞれやはり独立した楽曲であり、個性なのだ。その個性の魅力が、後者4曲が強い、主としてテーマのわかりやすさや楽想の親しみやすさだとは思うが、それでもやはり譜面面だけで「最初から全部楽想や構成が似ている」とかいうことを論拠に論理的に説明しようというのは無理がある。ためしに弾いてみて貰いたい。音形が似ていても、内容はそれぞれ全く違うから・・・

※2005/7/19の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:交響曲第4番

2017年07月04日 | シベリウス
○アンソニー・コリンズ指揮ロンドン交響楽団(BEULAH他)1954/2/22-25・CD

ロマン性が全く排され、それまでの作品に聴かれた生臭さが完全に抜けて、白く、美しくもわけのわからない哲学的世界に昇っていってしまったシベリウスの尖鋭性が最も顕れた作品。意表を突いた音の連続、論理性を排した展開、明滅するシャープな響きは特に1楽章で目立つ。でもやっとシベリウスらしい旋律が形をなした終楽章にあっても後半はやはり哲学的宇宙に飛び去ってしまい謎めいた終末を迎えることになる。シベリウスの音響に対する前衛的な感覚が室内楽的な薄いアンサンブルの中に剥き出しで顕れた曲でもあり、シベリウスを時代遅れの国民楽派と片づけてしまうことが誤っているのだと確信させる。分厚いのに冷たく硬質、そして微妙に複雑なハーモニーは演奏しているとその独特さに否応無く気づかされる。1度ずれた高音2本の不協和音などシベリウスらしい実に微妙な味わいのある響きだ。とにかく4番は一筋縄ではいかないのである。それは安直な解釈を拒否する。メリハリが明確でダイナミックなアンソニー・コリンズの演奏は、作品の雄弁な部分を引き出そうとするもなかなか掴めず手を出しあぐねているように聞こえる。だがこのほんとにわけのわからない作品を極力わかりやすく表現しようとする態度については十分評価できる。事実演奏の凝縮力、強靭さ、オケの統率も申し分無く、まあこの曲に限らないのだが、これがモノラルでなければ間違いなくシベリウス指揮者として今もCD屋の店頭を飾っていたに違いないと思わせるものがある。4番ははっきり言っていい録音にこしたことはないし、静謐さをしっかり演出することが肝要だと思うから、この人の盤には最上級の評価はつけられないのだが、聴き易さをとって○ひとつをつけておく。

※2005/2/23の記事です
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:交響曲第7番

2017年06月30日 | シベリウス
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1965/7/30LIVE

良好なステレオ。完全にロマンティックなシベリウスになってしまっているが、まるでクーセヴィツキーが蘇ったような迫力、力感で希有壮大にひたすら歌い、内声細部の難しいパセージやアンサンブルはとうぜんそんな方法ではがちゃがちゃ崩れたりもするわけだけれども、同傾向の曲であるRVW8番のときと似たような、どこか強くひきつけるもののある解釈の説得力が発揮されている。RVWよりはやりやすいというかオケにも要領がわかっているというか、ガラグリあたりに似ているというか、初期シベリウスとして聴けば感銘は受ける。没入のあまり最後近くの溜めで大きな力みを声に出しているミュンシュだが、盛り上がりのわりに聴衆は冷静な拍手ぶりにもかんじた。聞きごたえは保証。○。今思えばRVWもなかなかの力演で悪くはなかった、録音が悪かったんだなあ。

※2008/11/22の記事です
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:交響曲第4番

2017年04月22日 | シベリウス
○セル指揮クリーヴランド管弦楽団(CO)1965・CD

この曲は厳しい曲で、毛一本入る隙の無い音作りが求められる。アマチュアレベルの精度では1楽章冒頭のハーモニックなやりとりすら表せないのが実情だろう。中期以降のシベリウスというとメカニカルで前衛的と言ってもいいくらい入り組んだアンサンブルに尽きるが、これはアンサンブル自体簡素化されている。そこが小手先ではいかない難しさである。長大な音符を微弱な音量でどう綾付けていくか、こそこそした動きにどう意味をつけていくか、全ての動きが正しく複雑な和声として認識できるように響かせられるか、このあたり並大抵の技師にはできないし、オケには無理である。もちろん古い録音では再現は難しい。力技で押す以外の方法は無いし、その方法は殆ど失敗する。その点セルはオケ的にも録音年代的にも恵まれている。迫力もあるしニュートラルなシベリウスではあるが、逆にニュートラルにしか表現しえない曲なんじゃないかと思うことしきりでもある。バルビの名演はオケゆえに軋みを生じているところがあるが、これにはそれがない(しかしレガート表現のしなやかさにバルビを思わせるところがある)。起伏無く終わるのは同曲の悪い点としてよくあげられ、バルビなどは作為的に起伏を作っているが、セルは起伏を作らずに、でもちゃんと聴かせている。曲の魅力をスコアからそのまま素直にうつしたものと言える。スコアから素直に、というと、1楽章の音線にドビュッシー「海」からの影響が現れているのを認識することもできるし、なかなか「勉強」にもなる。けして押しの強い演奏ではないが、いいものではある。録音はこんなものか。○。
Comments (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:カレリア組曲~行進曲

2017年04月04日 | シベリウス
○ビーチャム指揮ロイヤル・フィル(aura,HMV/ermitage)1957/10/20アスコーナlive・CD

あからさまに気分を煽る国民楽派時代のシベリウスの代表的な曲で、組曲全体も素晴らしい。フィンランディアなどと同系統でけっこうよくアンコールなどでやられる。ドヴォルザーク晩年以上に「垢抜けた民族音楽」の冷たく洗練された響きと巧緻な構造を、単純な民族旋律連環の中に見出すことができる。もう弦楽器は大変なのだが(ワグナーやらブルックナーやらの伴奏音形の影響ですな)カッコイイので団員のやる気はすごい。ただオケ自体の特性が、このギッチリ揃ったアンサンブルを堅固な響きの上に展開するという中欧的な楽曲にあってないというか、弦楽器はっきりいって軽くてギッチリとは揃わないので、こうクリアにリマスタリングされると少し技術的問題を取り沙汰したくもなる。ビーチャムはシベリウス消費大国イギリスにおけるシベリウスの先鋒的権威だし、このスピードにドライヴ感は必須と思ってやってたんだろうけど、ちょっと煽りすぎて聴く側も緊張してしまう。○にしておくが最大評価にはならないという感じ。
Comments (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:弦楽四重奏曲「親愛な声」

2017年03月23日 | シベリウス
○ボロディン四重奏団(MELODIYA)LP

かなりテンポの揺らしが大きく、独特の安定したすべらかな音色にも柔らかい抒情が載って、技術的にも読み的にも高度であるからこそ隙がないぶん醒めて感情的には聞こえないのだが、奏者側には精緻に揃えた起伏により聴衆に感傷をいだかせようという意図が感じられる。それを中途半端と感じてしまったのは個人的な好みによるかもしれないが古いとはいえここまでレベルの高い団体がこの曲に取り組んだ成果という価値はあるだろう。○。モノラル。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:交響曲第2番

2017年03月21日 | シベリウス
○ドラティ指揮ストックホルム・フィル(RCA/VICTOR)

けっこう評判のいいドラティのシベリウスでも秘盤で知られていたもの。ドラティのイメージにあわない堂々としたスケールの演奏で、今で言うメータのようないい意味でも悪い意味でも安心できる解釈ではあるが、オケに特長があり、とくに管楽器陣に聴かせるところが多々ある。シベリウス前期はブラスは言わずもがな木管ソロにも国民楽派らしい重要なソロが任されている。ペットのよく通る輝かしい音、ほの暗くも感傷を煽る気分に満ちた中音域を支えるオーボエやクラなどの音色にはこのオケにしか出せない色がある。ロシアの原色でもドイツの渋色でもない色。当たり前の解釈と侮るなかれ、これはオケの勝利です。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:弦楽四重奏曲「親愛な声」

2016年12月20日 | シベリウス
○スメタナ四重奏団(INA)1956/6/12ヘルシンキ・シベリウス祝祭live・CD

ピアノトリオなどをやっているとつくづく弦楽四重奏のアンサンブルとしての面白さに気づかされる。やはり同じ音質・音数の楽器同士であわせるというのは絶対的な支配者になりうるピアノをまじえたアンサンブルに比べて「簡単」であるからこそアンサンブルとしてより高度なやりとりができ、また求められるものだなあという感慨を持つ。スメタナは凄い。ライヴならではの熱気もある。ただ、解釈自体は生硬で抽象化されすぎている感がある。シベリウスの作風過渡期のものであるからこそ、多少のロマン性も残されるべきだし、それは単なる音量変化やアーティキュレーション変化の付け方に留まらず、ロマンティックな観点から自主的にのめりこむような態度を必要とするものだ。1楽章の無味乾燥にとくにそれを感じた。楽章がアーチ構造の組曲風のものであることから、急峻な2、5楽章についてはスメタナここにありといった非常に緻密で集中力の高い演奏ぶりが胸のすく思いをさせてくれるが、5楽章の最後にしても古典風の楽曲の盛り上がりにもう少し気持ちがついていっていてほしいし、また緩徐楽章である3楽章にはいくぶん気分がのっているところも感じられはするが、ラフマニノフを想起するような後半部などやはり、この団体の芸風の一種「限界」を感じさせる。そもそもこの曲を余りやらなかったのもわかる気がする。アンサンブル的にさすがシベリウスでマニアックな構造やら響きやらがつぎこまれ面白いことは面白いのだが、スメタナQ的には物足りなかったか。激烈とまでもいかないところもこの団体らしい。○。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆シベリウス:交響曲第3番

2016年09月22日 | シベリウス
○カヤヌス指揮LSO(FINLANDIA)1932/6・CD

この時代の録音とは思えない生々しいクリアな音で、雑音はつねに入るしバランス調整やリマスタで改造された結果かもしれないが、それでも迫力ある演奏ぶりには驚かされる。力感にあふれ一糸乱れぬアンサンブルは直入型と言ってもクーセヴィツキーのような直線的なものではなく適度に機微を表現しながら速めのテンポでかっこいい流れを作っていく。まとまりのよさと胸のすくような展開には思い切り引き込まれる。オケも上手いし、強い!ヴァイオリンの総体としてのあまりの力感がほつれを呼ぶ部分も若干あるが、実演では聞こえないレベルであり録音のせいだろう。モノラル録音はそれだけで実際以上の凝縮力を感じさせるものだが、これは元々の極めて練れた解釈とテクニックによるところも大きいと推察される。やはり両端楽章がききものだが静かな場面での特に木管の自然だが巧緻な表現も捨て難い。やや即物的なきらいがありファンタジーに欠ける(三楽章の勇壮な主題が最初にさりげなくたち現れるところなどそれとわからぬようにサブリミナル的にそくっと入って次第にそれまでの主題を凌駕していくスムーズな松葉が欲しい)ところもあるが、無垢のまま聞いても十分堪能できるだろう。一楽章の弦の特徴的な下降音形の四回繰り返しに田舎ふうの牧歌的な旋律がかぶさるところなど昔はマーラーのタイタン1楽章を想起したものだが(たんに途中の音形と重厚なハーモニーにほとんど同じ部分があるだけのせいという気もするが)そういうイマジネーションは湧かない。純粋に古典的なサクサク進む演奏なので印象派的なシベリウス好きには物足りないかもしれないが、シベリウス盟友の演奏としても聞く価値はあり。○。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第2番

2012年12月21日 | シベリウス
◎バルビローリ指揮ボストン交響楽団(statework)1964/10/30live

web配信されているが針音らしきものからレコードの可能性があり既出盤と同じかもしれない。しかしこれはバルビにとっても凄まじい記録、アグレッシブでスピード感とダイナミズムに溢れた名演だ。オケがバルビに完全に取り込まれその技術力を集中力を全面投入し、各楽章まったく飽きない表現力、とくに3楽章アタッカで4楽章に入るあたりの超スピードとそれに見合う力強い響きはステレオ録音ということもあり圧巻だった。むろん譜面指示どおり旋律再現ではもっとスケールの大きな、過激な山が築かれる。フライングブラボーさもありなん、素晴らしい。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シベリウス:交響曲第1番

2012年11月21日 | シベリウス
○バルビローリ指揮NYP(columbia/DUTTON,BS)1942/4/11・CD

私は過渡期的だと感じた。横の流れからロマンティックな音楽を作ろうとするバルビと、冷めた様子でそつなくこなそうとするオケ、という印象も持った。しょうじきぱっとしない。録音はこの年にしてはよくレストアできたなあというレベルの雑音のなさで、逆に言うと冷めた音に聴こえる原因はこのノイズリダクションにあるのかもしれない。まだまだ個性も発揮されず、強靭な歌心も見えてこない演奏。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする