湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

時差的に間に合うか??

2006年03月30日 | Weblog
昨日書き忘れた!3月29日はウォルトンの誕生日でした。
腹壊れまくりなのであのズシズシくる曲群はきけまへん。

昨日もフィッツウィリアムスのひいたディーリアス弦楽四重奏曲を書こうと思ったんですが、脳は元気でも体がついていかずかけまへんでした。ある意味若々しいけど音色の柔軟性に欠け解釈もツボが外れて面白くない、とか書くのはたぶん、あと数年後になるでしょう。あの遠い目をした三楽章中間部を弾くにはまだ若かったのかな。

それにしてもネットって流れが速いというか、しょっちゅう話題が変わってきますねえ。余りに細かいバーチャルコミュニティのセグメント分け、それぞれの極度の閉鎖性とそれらに横断的に「通りすがる」ネットガキの横暴発言ぶりに嫌気がさしてすっかりディスコミ状態でせっしてる私も、ときどき過去のネ友などの様子を見に行くのですが、まあ、沈没してるか、やさぐれてるかのどっちかですね、「ネットの水面上に出てる部分は」。

結局リアル社会で生きていくべきなのだよねえ。趣味やらマニアやらにすぎなくてもね。あ、これクラシック音楽の世界だけじゃないので。今日はゴッホの誕生日です。
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ボロディン:弦楽四重奏曲第1番

2006年03月28日 | ボロディン
〇ボリショイ劇場弦楽四重奏団(multisonic)CD

だだ長い曲だがドヴォルザークの多くやスメタナのような旧来のカルテット様式(ベートーヴェンの流れの上にいるドイツロマン派的な楽曲)に沿った構造的な曲であり、耳馴染みがよいと感じる向きもあるだろう。一楽章(ハーモニー、転調の独特のくせや、とくに緩徐主題のワルツは2番スケルツォのワルツ主題そっくりで美しい)や三楽章(中間部のフラジオによるアンサンブルは民族楽器的な意味にとどまらない新鮮な効果をあげている)は2番につながる個性の発揮された名品といっていいだろうが、悲歌的な2楽章や主題の扱いや古臭い構造書法に研究成果的な秀才ぶりが目立つ4楽章は退屈である。もちろんそっちのほうが好きな向きもいよう。簡潔明快な2番とはやはり違う位相のものであり、中央アジア的な「ワンパターンな」ハーモニーの用法も控えめだ。グラズノフはボロディンの「ここ」から派生していきロシア国民楽派には珍しいプロフェッショナルな技術を発揮する折衷派の代表格になっていった。西欧のアカデミックな技巧をロシアの位置で検証吸収しようとしていたリムスキーやボロディンらの研究的側面はあまり知られていないが、直接的成果があまり芳しくないところも理由としてあり(それだけ急進的部分(もしくは民族的部分)の衝撃と魅力が強かった裏返しでもあるのだが)、中では相対的にすぐれたものと言えるものではある。

ボリショイは慣れている。素晴らしく板についている。厳しく勢いがあり、録音もアナログのふくよかな音を留めていて聞きやすい(板起こしだろう、4楽章冒頭がよれている)。民族色をもっと出してほしいきらいもあるが曲がそもそも「ちぐはぐ」なのでどちらかに合わせるしかなかったのだろう。〇。モノラル。
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ルーセル:弦楽四重奏曲

2006年03月27日 | フランス
○レーヴェングート弦楽四重奏団(DG)LP

旧盤という呼び方でよろしいんでしょうか。モノラルだがとても整理されて聞きやすい。あ、ルーセルってフランスだったんだ、という改めての確認ができる(ミュンシュ的力技の暑苦しさを排し不協和音の繊細な美しさを忠実に浮き彫りにしたブーレーズの3番シンフォニーの演奏なんかでも感じるところだ)。それ以前に音楽に入りやすい。構造が入り組み重なりすぎて(ハーモニーが重過ぎるということもある)旋律線が埋もれがちなルーセル後期の作品は、余り解釈しようとせずに演奏すると、各奏者は面白いが(構造が売りな作曲家なだけに旋律じゃなくてもちゃんと面白く弾けるようにできているのだ)聞く側はわけがわからない晦渋さや耳障りの悪さを感じるだけで、フランス派の単純に美しい音楽を期待する向きはうっときてしまうことが多い。フルートと弦というような組み合わせで音色で描き分けがなされているぶんにはわかりやすいのだが、弦3本、弦4本となると慣れていないと音楽として分析できない(分析しないとわかりにくいのは曲的にどうなのかとも思うが)。レーヴェングートの巧いところは決して奇をてらわず勢い任せにもせず、注意深くバランスを保ちオーソドックスに弾いているところで、音色にも奏法にも特に面白いところはないが、わかりやすい。2楽章の晦渋さはどうしてもぬぐえないが理知的に配置された旋律の美しさがさりげなくもくっきり浮き立たせられているために後半楽章での変容再現が聞く者に鮮やかに印象付けられる。後期ルーセルは構造を無視して弾くことはできない。構造の上に実はちゃんと旋律がのっかっているということを常に意識してやらないと、構造のみを聞かせるマニアライクな曲になってしまう。ルーセルのカルテットが売れないのはひとえにそこの難しさがあるが、この曲を得意としていた数少ない団体であるレーヴェングートの旧盤、学ぶべき部分はたくさんある。でもオーソドックスすぎるので○。ミュンシュもそうだけどルーセルは元々ぎっしり詰め込まれた曲をかくので暑苦しく表現しようとすると濃密すぎてうっときてしまうんですよね。。

型式重視。こんなに晦渋でも新古典主義の作曲家と位置づけられるのはそのせい。
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ディーリアス:ラ・カリンダ

2006年03月22日 | イギリス
バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(EMI)CD

雄大でロマンティックなバルビ・スタジオ録音のいいところも悪いところも典型的に出た演奏。ただ、この劇中音楽には軽やかで颯爽とした表現が欲しい。まずリズム感が皆無で横広がりの旋律音楽になっており(これも典型的なバルビ節だ)、ボロディンを意識したと思われる駿馬が草原を走るような情景は微塵もない。ロマンティックな歌曲を聴いているようだ。ハレ管はいつになく巧い(この曲は縦横に配置された短い音符を全部揃える必要があるという点では結構面倒なのだ)がイギリスオケの特徴である軽い音が発揮できない。いや、発揮させていないのだろう、バルビが。木管ソロも(非常に難しいんだけど)通り一遍の表現で美しい旋律を最大限に生かすまでにはいっていない。違和感ギリギリまで歌うべきなのだ。旋律美はこの短い曲の大きな魅力の一つであり、遅いテンポが表現の邪魔をした可能性もあるかとは思う。総じて雄大過ぎ。無印。
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ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ(リハ) 

2006年03月22日 | ラヴェル
フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(TAHRA)1953/4LIVE・CD

通しリハに近いものを含むほぼ全曲が聴ける。しかし録音は悪い。ピッチは高いし篭っていて重い。演奏自体も重く、ロマンティックな厚い雲が本来の軽やかさを覆い隠している。むせ返るような甘い音、力強く分厚い音響は説得力はあるが、ラヴェルのさりげないよさを引き出しているとは言いがたく、テンポの異常な伸び縮みも、さすが自然ではあるが違和感は拭えない。余りザッツを合わせるとかいった意識がないのはしょうがないが、人によっては聞きとおすのは難しいだろう。ぶつ切れリハであり、それを前提に聞くべきなのは言うまでもないが、このロマンチシズムに嫌悪感をおぼえるラヴェル・ファンもいると思う。総じて無印。

前に書いたおぼえもあるが構うもんか。
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・・・と思います、て。

2006年03月19日 | Weblog
今日のN響アワーはマリナー唯一の客演です。もう80台という年齢に驚かされますが、20年以上前とはいえ、見た目若いです(40台に見える)。さすがタリスはうまい!徳永さん若い。。綺麗な音。誰だこのころのN響の弦はダメいうたの。懐かしい音。シェフ次第なんだなあ。歌う歌う。スピードがいい。

それにしてもいけべさん、素晴らしい解説家なのに興味のない作曲家については素晴らしくいーかげんです。。タリスのスコアなんてポケットスコアなら二束三文。編成配置に特徴のある曲だけど、「多分スコアにそう指示してあるんだと思います」て。と言う私もスコア出そうともしませんが。凡庸なRVW評に必ず書かれる「映画音楽的」て台詞も常套的。もとより映画音楽作曲家でもあるし、映画音楽確立以前に作風確立してた人なんだから。

ラトルより余程わかってるよなーマリナー卿、当たり前ながら。
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マーラー:交響曲第6番

2006年03月17日 | マーラー
○M.ヤンソンス指揮RCO(DonIndustriale:CD-R)2005/9/1LIVE

放送エアチェックで音的にはインホール録音、即ち残響もバランスもそのままのものであり、茫洋として、逆に冷静に聞くことができる。1、3、4楽章は演奏の印象的にはLSO同様のもので寧ろ激しくなっているようにも感じるが、「音の迫力」や「聞き取れないレベルの精度」といった面でやや劣るようにも思う。というのもやはり録音のせいで細部が不明瞭で、それがために寧ろ「凡演領域」に近づいた感じが否定できないのだ。せっかくの高精度もやや不明という残念さがある。だが、2楽章(アダージオ)の表現の深さといったらない。これはもう完全にマーラーだ(マーラーなんだけど)。感情の起伏が激しく氏の昂りを感じる。他の楽章でも他の盤でもうなり声は聞こえるのだが、この盤では演奏に伴ったものとして印象的に残る。傍証的なことを書いてしまったが、暗くロマンティックなマーラーの情念を表現しきるまでにいたっている。基本的な解釈はLSOと同じなのかもしれないが、ここでも更に激しくなった感があり、いかにもライヴらしい。これはよい。4楽章も飽きさせないスピードが気を煽り、この曲では相対的に余りフューチャーされないブラス陣もRCOらしい中欧的な重厚さと生々しさがあってLSO盤より聞きごたえがある。総じて録音のために大推薦とまではいかないし、明瞭な正体は正規盤に譲るものとして、○だけつけておく。氏の悲劇的は聞きやすいうえに血が通っている。血という部分ではLSOより濃いような感じがするとだけ付け加えておく。
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マーラー:交響曲第9番

2006年03月14日 | マーラー
クーベリック指揮NYP(KARNA:CD-R)1978/1/24・LIVE

ダイナミズムに溢れ雄渾な指揮ぶりなのだが、比較的速めのインテンポで細かいニュアンスへの配慮がないのと、録音が悪く(ステレオではある)音量変化が無くて平板に聞こえがち(特に「凪」がない)なために印象に残りづらい。即物的だ。NYPの余り個性的でない音(ヨーロッパ的な重い音ではあるが)とあいまって、確かに九番としては、例えばブラスの発音のようにあからさまな情感の表現も申し分ないのだが、バランスが良すぎて予想通りのスタンダードなもの、という聴感になってしまう。もちろんそれはすれっからしの文句であり曲に親しみのない向きにはお勧めできる・・・だが録音は悪いので大音量で聞かないと響いてきません。そんな感じ。拍手前に録音の瞬断があるのが気になる。
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マーラー:交響曲第6番

2006年03月10日 | マーラー
○フェドセーエフ指揮チャイコフスキー・モスクワ放送交響楽団(relief)CD

珍演奇演好きならこの指揮者はおなじみだろう。キャリアが長いにもかかわらずチャイコの悲愴終楽章の”原典版録音”(テンポを譜面指示通りにやったってだけなのだが)でやっと知られるようになった。日本にもしょっちゅう来ている気がするが、何故スヴェトラほどの人気が出ないのかよくわからない。統率力に問題がある、ムラが多い、その共にスヴェトラも似たようなものだったと思うのだが・・・フェド、スヴェトラにキタエンコがソヴィエト三羽烏と呼ばれた時期もあった(日本だけだと思うがロジェストは別格なんですね)。爆演とはいかないものの、チャイコの例にもあるようにテンポ設定において独特の「価値観」を持っており、この演奏でも(マーラーはこのシリーズ前もかなり昔に4番を録れている)楽しめる部分がある。1楽章は◎にもしたいくらい面白い。近年滅多に聞けない「アルマの主題(第二主題)大リタルダンド」。雄大に盛り上がり歌っていてここまでいくと有無を言わせず豪快にロマンティックな気分になり、かっこよさすら感じる。「ああ、古くはこういうふうに演奏されていたんだよなあ、この部分」といった感慨もある。提示部は再現されないが却って颯爽と前進する感じがしてよい。オケはすっかりロシア色が抜けただの西欧地方オケの様相をていしているものの1,2楽章あたりではかなり頑張っている。

ただ、かなりあっさりとした3楽章から後半楽章にかけて精彩に欠ける感もある。終楽章は部分的に極端なテンポ操作は聞かれるものの、基本的にはインテンポである。漲る緊張感は前半楽章に集中しているといえる。3楽章の某箇所でセカンドヴァイオリンのエコー6連符が削除されていたのにはびっくりした(両翼展開してる意味が・・・)。細部の雑さは旧来のロシアのものというより全体レベルの問題のように感じたが、全般、決して凡演ではない。少なくとも1楽章の小気味いい進展と極端さには惹かれました。○。
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ドビュッシー:弦楽四重奏曲

2006年03月08日 | ドビュッシー
ボロディン弦楽四重奏団(melodiya/CHANDOS)CD

オリジナルメンバー(*バルシャイのいた初期ではない)による有名なメロディア録音。ステレオ初期で音はよくはない。更にCD化に伴うデジタルリマスタリングによって元々の録音瑕疵が明らかになってしまうと共に音が硬く痩せてしまいふくよかな音響が失われている(ぽい)ところは非常に痛い。硬質な透明感が持ち味になったのは後年のことであって、オリジナル時代においては必ずしもそういう操作・・・特に擬似的なサラウンド効果の付加による不恰好にレンジの広い音響・・・はいい方向に働かない。ロマンティックと解説に書いてありながらも酷く人工的に感じるのはそのせいだろう。最近復活したメロディヤが出しなおした盤ではどうなっているか知らない。(ここまでラヴェルと同じ文章)

この時期のドビュッシーは熱い音楽をまだ志向しているがゆえにボロディンQの機械的に恣意的な解釈はかなり違和感をおぼえさせる。リマスタリングされた細くて冷たい音の違和感が影響していることもあるが、持ち芸であるノンヴィブ奏法にしても用法が徹底されていず(もっと計算したらうまく組み込めただろう場所はある)、どうも不完全燃焼感がある。恐らく板起こしであり、アナログであればかなり印象は違っただろう。このCDでは局所肥大のヘンな演奏という感じだけがおおいに残ってしまった。よくよく聞けばドゥビンスキーの音には艶があるし、ロマンティックな感じもないわけではないとは思うのだが、、、やはりリマスタリングの失敗か。無印。
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チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」

2006年03月08日 | チャイコフスキー
ジュリーニ指揮ベルリン・フィル(CD-R)1991/9/14LIVE

精細に欠ける。というか、予想通りの晩年様式のジュリーニである。ベルリン・フィルの音がまったく生かされず、というかベルリン・フィル自体がお仕事としてやっているかのような感じが非常に嫌だ。弦楽器に何ら気合が感じられない、でも瑕疵もない。スピードはいつもどおり緩く、かといってカンタービレもない。リズムはキレがなく、音符と音符の分離も明確でない感じすらする。最初から最後まで何も感じなかった。無難としか言いようが無い。しいていえばチェリ晩年のチャイコに似るが響きはもっと乱れている(録音のせいもあるけど)。クレンペラーみたいなドイツ式の重量感にいくでもなく、まったくこれは、凡演である。無印。
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チャイコフスキー:交響曲第2番「小ロシア」

2006年03月08日 | チャイコフスキー
○ジュリーニ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)1956/9・CD

荒れ狂うというか、響きを締め上げ剛速球を飛ばしていく壮年期のジュリーニのまるでトスカニーニな芸風が往年の技巧派オケによって楽しめる録音。音はそれぞれ端正に整えられているが、スピードがまず速いのと、オケの集中力と力感が並じゃない。後年のジュリーニには求めるべくもない娯楽スポーツ的な速さであり、どちらかというとカンテルリに近い感じもあるが、もっとギチギチ締め上げてやっている。オケも必死だが巧い。ライヴに近いくらいの迫力の聴感はやはり同時期のカラヤン録音といいレッグの趣味に他ならないだろう。ステレオ初期にしても録音はかなりいいと思う。ドイツ系の演奏、イタリア系の演奏を想像したら裏切られる。これは国どうこうではなく、曲の本質としての祝祭的娯楽性をまじめに追及したものとして、「小ロシア」の古典的録音として価値が高い。ジュリーニのオケコントロールに拍手。◎に近い○(汗の飛び散る感じはなかった)。
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ヒンデミット:交響曲 変ホ長調

2006年03月07日 | ドイツ・オーストリア
○ボールト指揮LPO(EVEREST)

さすがエヴェレストらしい生々しさと迫力ある録音だ。しかしモノラル。ダイナミックで重量感ある反面、響きに鈍重な部分もややある。ヒンデに必要とされる細かい音符のキレがイマイチなのはしょうがないか(現代的に明晰にされても取り付くシマがなくなるからヒンデはこのくらいが映画音楽ぽくていいのかもしれないが)。系統はRVWのシンフォニーでいえば4、6番なのでこちらも「ロマンティックな不明瞭さを持つボールト解釈向きではない」と言ってしまえる面もある。始終盛り上がり続け逆に平板というか、何が言いたいのかわからない気もしてこなくもない。弦楽器に無茶苦茶な要求をする作曲家なのでしょうがないところもあるけど技術的限界も感じさせなくもない(木管は素晴らしい)。「音楽でないものまで音楽にしようとしている」面は評価できるので、○はつけておく。面白いことは面白い。
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ボロディン:弦楽四重奏曲第2番~3楽章「夜想曲」

2006年03月07日 | ボロディン
○ブダペスト弦楽四重奏団(novello)1926・CD

オリジナルメンバーによる抜粋。古い録音のせいでもあるが優しい表現でさわやかに弾ききっている。押しが弱く情緒纏綿のたぐいではない。個性的ではない。でも、これはこれで聞ける。サロンふうとも違うのだが・・・○。
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アイヴズのオートグラフは物凄いレア

2006年03月04日 | Weblog
日本で手に入らなくなってしまったCDを探して物凄く久しぶりにebayを見たが、音楽関係についていえば業者以外の出品は皆無になり(信用上当たり前の傾向だが、ebay自体セキュリティを強化し仕様を変えまくって使いづらくなったせいもあると思う。ヤフオクと同じくこの分野自体の衰退を示してるともいえるけど)、したがって品の種類が極度に減り、レアを求める人、とくにオートグラフマニアには至極使えないサービスになってきている。

アメリカはなんだかんだいってよその古い国同様、自国モノにかんしては物凄いふっかけてくる。つか異常に高い。作曲家ガーシュインの異常な高値安定、それとともに思ったのが、実験主義音楽家のオートグラフの少なさだ。認められることが少なくて、求められることがなかったから、流通ルートにのってるオートグラフ自体少ないのは至極当たりまえのことで、日本のレアEP同様、不釣合いな高額がつくか、そもそも出てこない。それが生前殆ど認められず演奏すらされなかった作曲家ならなおさらだ。昔からアイヴズのオートグラフをウォッチしているのだが、普通のshop含め出てきた例を一、二例しか知らない。最後は昨夏のebayでカナダのだったようだ。それが何と30万円て・・・ほうぼうで話題になっていたみたいでググルに痕跡が多かった。物凄いレア、そらそうだけど、この人本業のほう(今は吸収されたが老舗保険会社の共同設立者で実業面で辣腕をふるっていた・・・作曲同様比較的早々に手を引きはしたが)でビジネス文書とか絶対あるはずで、これは音楽家として認められた晩年の「サイン」に限られているからなんだろな、と。

というわけでたぶん死ぬまでに一度はゆかりの場所行って探してきます。エール大学にも資料見にいきたいな。
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