ボールト指揮LPO他(EMI/warner)1973/4・CD
「未知なる国へ」と最近は表記するようだがどれもしっくりこない。初期(といっても一旦地位を築いてからラヴェルに学びに行くまで)を代表する歌曲の一つで、海の交響曲(交響曲第一番)にはまだ通じるところがあるが、癖のない無駄のない、しかし個性は薄いロマン派音楽である。ヴォーン・ウィリアムズ批判で出る単純さ、オーケストレーションの薄さは、もともとヴォーン・ウィリアムズを構成する重要な要素である「簡素さ」の裏腹であり、ヴォーン・ウィリアムズは年下の師ラヴェルがそう言ったようにラヴェルを書かず好んだのはドビュッシーだったけれども、簡潔であろうとしたことは共通しており、ラヴェルは複雑にはしたが、ヴォーン・ウィリアムズは単純にした。だから剥き出しの響き、剥き出しのリズムがあり、メロディもはっきりしていて、それに対してリスナーに適性があるかどうかだけの問題になってくる。民謡編曲作品があまりに恥ずかしく感じるのはひとえにこの単純さが原曲のスッピンの恥ずかしさを倍増させているからだ。1905年作品のため殆ど行き詰まってラヴェルのもとへ行く直前だったのだが、この曲にも単純志向は出ている。ボールトは器用だったが、結果は比較的バラツキがあり、不得意なものは不得意に聴こえる。この曲はボールトの得意な「ブルッフのヴォーン・ウィリアムズ」の領域にあり、彼にとって未知ではなく、よって、演奏は合唱を伴うにもかかわらず自然に融合し耳に心地よい。十全の演奏である。まあ、そこにプラスは無い。(ブルッフはラヴェルの前のヴォーン・ウィリアムズの師匠である)
「未知なる国へ」と最近は表記するようだがどれもしっくりこない。初期(といっても一旦地位を築いてからラヴェルに学びに行くまで)を代表する歌曲の一つで、海の交響曲(交響曲第一番)にはまだ通じるところがあるが、癖のない無駄のない、しかし個性は薄いロマン派音楽である。ヴォーン・ウィリアムズ批判で出る単純さ、オーケストレーションの薄さは、もともとヴォーン・ウィリアムズを構成する重要な要素である「簡素さ」の裏腹であり、ヴォーン・ウィリアムズは年下の師ラヴェルがそう言ったようにラヴェルを書かず好んだのはドビュッシーだったけれども、簡潔であろうとしたことは共通しており、ラヴェルは複雑にはしたが、ヴォーン・ウィリアムズは単純にした。だから剥き出しの響き、剥き出しのリズムがあり、メロディもはっきりしていて、それに対してリスナーに適性があるかどうかだけの問題になってくる。民謡編曲作品があまりに恥ずかしく感じるのはひとえにこの単純さが原曲のスッピンの恥ずかしさを倍増させているからだ。1905年作品のため殆ど行き詰まってラヴェルのもとへ行く直前だったのだが、この曲にも単純志向は出ている。ボールトは器用だったが、結果は比較的バラツキがあり、不得意なものは不得意に聴こえる。この曲はボールトの得意な「ブルッフのヴォーン・ウィリアムズ」の領域にあり、彼にとって未知ではなく、よって、演奏は合唱を伴うにもかかわらず自然に融合し耳に心地よい。十全の演奏である。まあ、そこにプラスは無い。(ブルッフはラヴェルの前のヴォーン・ウィリアムズの師匠である)