湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2019年04月21日 | ドビュッシー
ストコフスキ指揮LSO(decca)1970/6・CD

遅くてもっさりしてるのが何よりの違和感だ。楽器によって俊敏に吹かせたり、瞬間的に全体が盛り上がることはあっても、響きを壮麗に聴かせようという意思が強すぎ、重くて遅いだけの大きな演奏という印象が大部分を占める。物語的にこの曲を聴かせるというのは、そもそも録音史上最も古くからドビュッシーに取り組んできたストコフスキーはずっとそうやってきたので、今更ブツブツ何をか言わんやだが、それでも二楽章終盤など一部の異様にイマジネイティブな表現を除けば、三楽章の異常にねっとりした中間部や音響的迫力にしても、松やシェヘラザード同様に音量ほどに響いてこない。まして編成をいじり記号をいじり録音をいじりもしているであろうことを考えると、これはストコフスキ作曲「海のようなもの」として、後期ロマン派作品のように聴くべきか。音響への関心が異常な反面、和声やメロディの起伏への関心がおざなりなことも海にはマイナスに働いている。個人技の牧神など面白いが、海はもともと面白いので、過度にやっては醒めるし、過度に突き放しては現代曲的な頭の音楽に押し込めることになる。三楽章は人によっては雄大な世界をハリウッド的に楽しめるかもしれない。元々はコンサートホールの理想的な響きをお茶の間に、から始まったのがストコと技師の録音技術の探求だったはずで、たしかにストコフスキサウンドの再現にはこのバランスの録音しかなかったかと思うが、それにしてはこの曲はいじり過ぎだ。ラストの物凄く引き伸ばされたクレッシェンドはストコフスキーの独壇場。スヴェトラーノフくらいしか上らないけど。
Leopold Stokowski - Complete Decca Recordings
音の魔術師ストコフスキー没後40周年記念ボックス!
Decca

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ドビュッシー:前奏曲集第一巻〜10.沈める寺(ストコフスキ管弦楽編曲)

2019年04月19日 | ドビュッシー

ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1930/4/30・SP


イマジネイティブな主題をピアノという楽器の世界だけで壮麗に描き出した名曲、それをまんま管弦楽に置き換えて、ブルターニュ伝承の鐘の音はそのまんま鐘に鳴らさせたり、とにかく即物的だが、一瞬「あれ?これ誰の曲?奇麗」と思わせるほど楽曲としては成立しており、まあ、いきなり海底から大聖堂が飛び出し、すぐにズボンと引っ込んで、ズルズルと続くような感じも、この短い時間でこの大編成ではしなくもないが、録音の悪さを脇に置けばそれなりに聴ける。ガストン・プーレか誰かもこれをやっていたような気がする。それだけ魅力的な作品なのだろう。

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ドビュッシー:管弦楽のための夜想曲〜Ⅰ.雲

2019年04月19日 | ドビュッシー
ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1929/5/2・SP

ねっとりした独特の節回しのあるドビュッシー。ドビュッシー好きなら絶対嫌うストコフスキーだが、さすがに録音時期も古く、そのわりにオケはしっかりしてフランスのもののような貧弱な録音、ばらける演奏にはならない。解釈を加えてなお乱れず、そのため十分南国の果実のような腐りかけの魅力を味わうことができる。音が古いので、腐りかけとまでは感じないだろう、だから機会があれば、どうぞ。
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ドビュッシー:フランソワ・ヴィヨンの三つのバラード

2019年04月17日 | ドビュッシー
スゼー(B)ボールドウィン(P)(polydor/emi/warner)CD

中世詩でさほど特徴的な内容でもない。恋人に捧ぐ、母のために母の依頼で作った祈り、パリの女、奔放ではあるがストレートとも思える…二曲目を除けば。今朝この曲を取り上げたのはノートルダム寺院炎上が念頭にあってのことだ。晩年近いドビュッシーにしては夢見るように軽快なかつて全盛期の調子を持つ一、三曲目にくらべ二曲目〜ノートルダム寺院における祈り〜は異例の宗教的な敬虔さを示している。聴き方によっては暗くも感じられる。安定したスゼーの声にあっては突出したものはないものの、静かな真摯なものが通底している。晩年のドビュッシーの抱えた闇、突然の楽想の変化や晦渋で不可解な進行はこの曲にも無いわけではないし、他の演奏、たとえば管弦楽伴奏できけばより奇矯さが表に出るのかもしれない。音楽においてもあの教会は大きな存在だった。ヴィヨンの母がもし実在していたとしたら、一昨日まで存在した空間の中でヴィヨンの言葉をつぶやいたのだろう。
ドビュッシー:作品全集(33CD)
Warner Classics

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ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2019年04月12日 | ドビュッシー
スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1979/1/28live・CD

録音年が79年ときいて驚いてしまったのだが、弱音に細心の注意が払われ、繊細な音響志向はドビュッシーだからということもあるが後年のスヴェトラーノフの志向そのもので、すでにこういう「バタ臭い」演奏を志向していたのか、という思いと、なら早くにもっと外で活躍できればよかったのに、と残念に思う。しんとした空間を作り上げるさいに、確かに後年ならもっと音をきれいになめして、必要以上に時間をかけて空間音楽的なものを作ろうとしたろうが、そのぶん音楽的なバランスはよい。ドビュッシーがこの曲でこころみた立体感をよくくみ取っている。ミュンシュよりドビュッシー的と言い切ってしまおう。おとなしく小さくまとまってしまうオケは、スヴェトラの魅力を全部すくいとるようにはいっていないが、緩急の急はそれなりにつき、派手に打楽器を打ち鳴らし剥き出しの管楽器は違和感ぎりぎりまで太く吹かせるところはロシアオケとの演奏を思い出させる。録音がやや丸みを帯びて茫洋としており、末尾の打ち鳴らしがすこしはっきりしないのは惜しいが、いや、立派な「海交響曲」である。
 
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ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2019年04月08日 | ドビュッシー
ミュンシュ指揮ORTF(king,NHK)1966/10/8東京文化会館live・CD

晩年らしく落ち着いたテンポ取りがむしろ軋みを生じさせる1楽章から、どんどん前に向かっていって事故も厭わず飛んで行ってしまう3楽章まで、決してミュンシュの名演のうちには入れられないが、ライヴの典型として楽しむことはできる。乱暴である。個人的にはミュンシュの演奏でも精度の低い、カロリーも低いほうで無理やり3楽章をもっていった形にとらえられた。オケがぎくしゃくしている感じ。ミュンシュの号令も入るが、いつものことだろう。なぜかモノラル。
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ドビュッシー:管弦楽のための三つの夜想曲

2019年04月04日 | ドビュッシー

スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団&合唱団(WEITBLICK)1999/5/7live・CD

牧神二十年後の同じ組み合わせによる晩年の演奏になる。すでにエキセントリックさは目立たなくなってはいるが、解釈の基本は意思的なままであり、伸縮もする。ただより「響き」に重点を置き、過激な煽り方はしない(予定調和なとき以外は案外煽らない人だけど)。この曲のどこを聴きたいかによって好悪分かつだろう。私は「祭り」を聴きたいので、これはあまりに遅く、拍節感もいまいちで、いやこういう美に徹した演奏スタイルなら他にもやる人はいるよねと思ってしまった。両端楽章はそのぶんたっぷり繊細な夜景の移ろいを味わうことができる。晩年スタイルだ。音のボリュームより調和を求めていることもわかる(とはいえ一つ一つの楽器にはハッキリ太く発音させている)。シレーヌは佳演といっていい。依然特徴的なスタイルであり、スヴェトラーノフ好きなら楽しめるだろう。祭りが惜しい。

SSS0224 ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、夜想曲、交響詩「海」 スヴェトラーノフ(指揮)スウェーデ...
エフゲニー・スヴェトラーノフ,ドビュッシー,スウェーデン放送交響楽団


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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2019年04月04日 | ドビュッシー
スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団(WEITBLICK)1979/1/28live・CD

恍惚感しかない演奏で、ねっとりした音の作りかた、柔軟なテンポの操作をしているが、音が清潔でニュートラルなため、むしろ淡彩の美しさが醸し出されている。音の調和したオケのほうがロシアの馬力オケよりも往年のこの人の極端な解釈には向いていたのではとも思う。ソリストの名技を引き立たせる演奏ではなくあくまで管弦楽総体の包み込むような響きに身を浸らせるたぐいの、なかなか良い演奏。
SSS0224 ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、夜想曲、交響詩「海」 スヴェトラーノフ(指揮)スウェーデ...
エフゲニー・スヴェトラーノフ,ドビュッシー,スウェーデン放送交響楽団

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ドビュッシー:舞曲(スティリー風タランテラ)(ラヴェル管弦楽編)

2019年03月30日 | ドビュッシー
コッポラ指揮交響楽団(lys他)CD

小股の切れ上がった演奏で、戦前ノイズまみれの貧弱な音でも瑞々しさは伝わってくる。ラヴェルの効果的なオーケストレーションのおかげが大きいのだが、コッポラ同時期の大量録音の醍醐味はスピードと乾燥した即物性だが、ただカラフルでぴょんぴょん跳ねてるような曲なら問題ない。
 
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ドビュッシー:神秘劇「聖セバスティアンの殉教」

2019年03月27日 | ドビュッシー

アンゲルブレシュト指揮ORTF、ガロン(語)ミショー(sp)他(SLS)1964/2/18live

本来なら五時間かかる曲だが、あまりに長々しく、管弦楽のみによる共同作業者カプレが編んだ交響的断章か、アンゲルブレシュトが編集した「オラトリオ版」が使われる。一時間半弱である。これは当然後者による。切り詰められたといっても語りが長く、フランス語のわからない者にはかなり忍耐を強いられる。音楽全般の印象はダイナミックであり、繊細な和声の部分より雄弁なメロディや派手なオーケストラが目立つ。だがそれはやはり声楽を伴うから、そういう音楽になるのだろう。曖昧な声楽など存在しないのである。語りや台詞をバッサリカットしたらさぞカッコいいだろうと思う。交響的断章は短すぎる。ドビュッシーは案外くどいこともある(ミニマル風でもなく)、アンゲルブレシュトはドビュッシーのオーソリティとして、これでも上手くハイライトをまとめたのだろう。演奏はアンゲルブレシュトがよくやる透明で客観的なスタイルではなく、適度に激しさを演じさせ、手練たところをみせる。精度はけっして落ちないが、良好な録音がたまに撚れるのは非常に気になる。モノラル。

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ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

2019年03月06日 | ドビュッシー
ブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団(DG)CD

ブーレーズもよくわからない芸風で、部分的にはみずみずしく繊細な音ではあるが、底深いロマンティックな、言い換えれば分厚く重くスクリアビンのような音楽になっている。遊戯は前衛的とも言われた音楽だが、これだと「海」よりもわかりやすすぎて前期作品のようだ。言い換えればスコアを整理するとここまで単純なスペクタクルになりうる音楽だ、ということかもしれない。ブーレーズのものとしてドイツのオケより私は好き。かなり迫力ある庭球絵巻(?)になっているので、スケール感を求める人には向く。
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ドビュッシー:版画~Ⅱ.グラナダの夕べ

2019年02月22日 | ドビュッシー
作曲家(P-roll)(EMI/warner他)1913/11/1・CD

思うがままに大揺れに揺れて極端に変化する、作曲家の特権だろう。デジタルな音しか出ないロールによるデジタル録音なので(ピアノロールは蘇演時の録音条件に影響される部分が大きい)ひときわ極端に聞こえてしまうのかもしれないが、先生的にはダメダメを言われる演奏スタイルであっても、正直面白い。陰影濃い冒頭の沈潜から急に夢見るような、船揺れのような(ロール特有のヨタリもあいまって)、そこで突然ダッシュしたり、立ち止まって呆然としたり、この動きを忠実に再現するピアニストに演奏してもらったら面白いであろう。まあ、録音として楽しむものではない。音が冷たく硬くてきつい(warnerの1991年録音で聴取)。これら一連のロールはCD時代になってさえ再三発売されてきた。ここ10年で3,4回か。前奏曲集第1番より五曲、レントより遅く、子供の領分、スケッチブックから。すべて同日、ロールはこれがすべてである。
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ドビュッシー:間奏曲L.40

2019年02月15日 | ドビュッシー
クリスチャン・イヴァルディ、ノエル・リー(P)(arion,universal/warner)1990・CD

この小品、L.40にきてはじめてドビュッシーを聴いた思いがする。1880年代初期にわずかな期間をおいただけでいずれも音楽院時代の習作めいたものだが、素直に聴き心地がよく、それは新しい音楽を聴いているときのそれだ。ピアノの書法的にはすでにいろいろやっていたというドビュッシーがちゃんと音にしてきている、まだそれでも「小組曲以前」ではあるものの、リズミカルで軽くすっきりした作品は学校の試験のために書かれたとは思えない出来だ。演奏はこのコンビだけあってこういう曲では胸がすく。
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ドビュッシー:ディアーヌ序曲L.20(ピアノ連弾版)

2019年02月15日 | ドビュッシー
クリスチャン・イヴァルディ、ノエル・リー(P)(arion,universal/warner)1990・CD

7分半の連弾曲で色彩的な華々しさがあるが依然、ドビュッシーらしさというものには至らない。「小組曲以前」という感じではある。吹奏楽で編曲演奏されることが多く、そちらのほうが有名だが、ピアノできくとちょっと特長のつかみづらい初期ドビュッシーの感がある。演奏は豆をまくようにパラパラパキパキして聴きやすい。音が多いほど明瞭であるほうがわかりやすい。「森のディアーヌ」とは別だが主題に関連性はあるとのこと。L33とあるのは誤り。
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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2019年01月30日 | ドビュッシー
プレートル指揮フランス国立管弦楽団(erato/icon)CD

かなり陶酔的でグダッとなっているところもあるが、ドビュッシーらしい緩い内声部がよく聴こえ、古い録音のように旋律だけを追うような単純な楽しみ方だけではなく色々面白がることができる。
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