Leopold Stokowski - Complete Decca Recordings | |
音の魔術師ストコフスキー没後40周年記念ボックス! | |
Decca |
ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(victor)1930/4/30・SP
イマジネイティブな主題をピアノという楽器の世界だけで壮麗に描き出した名曲、それをまんま管弦楽に置き換えて、ブルターニュ伝承の鐘の音はそのまんま鐘に鳴らさせたり、とにかく即物的だが、一瞬「あれ?これ誰の曲?奇麗」と思わせるほど楽曲としては成立しており、まあ、いきなり海底から大聖堂が飛び出し、すぐにズボンと引っ込んで、ズルズルと続くような感じも、この短い時間でこの大編成ではしなくもないが、録音の悪さを脇に置けばそれなりに聴ける。ガストン・プーレか誰かもこれをやっていたような気がする。それだけ魅力的な作品なのだろう。
ドビュッシー:作品全集(33CD) | |
Warner Classics |
スヴェトラーノフ指揮スウェーデン放送交響楽団&合唱団(WEITBLICK)1999/5/7live・CD
牧神二十年後の同じ組み合わせによる晩年の演奏になる。すでにエキセントリックさは目立たなくなってはいるが、解釈の基本は意思的なままであり、伸縮もする。ただより「響き」に重点を置き、過激な煽り方はしない(予定調和なとき以外は案外煽らない人だけど)。この曲のどこを聴きたいかによって好悪分かつだろう。私は「祭り」を聴きたいので、これはあまりに遅く、拍節感もいまいちで、いやこういう美に徹した演奏スタイルなら他にもやる人はいるよねと思ってしまった。両端楽章はそのぶんたっぷり繊細な夜景の移ろいを味わうことができる。晩年スタイルだ。音のボリュームより調和を求めていることもわかる(とはいえ一つ一つの楽器にはハッキリ太く発音させている)。シレーヌは佳演といっていい。依然特徴的なスタイルであり、スヴェトラーノフ好きなら楽しめるだろう。祭りが惜しい。
SSS0224 ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、夜想曲、交響詩「海」 スヴェトラーノフ(指揮)スウェーデ... | |
エフゲニー・スヴェトラーノフ,ドビュッシー,スウェーデン放送交響楽団 |
SSS0224 ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、夜想曲、交響詩「海」 スヴェトラーノフ(指揮)スウェーデ... | |
エフゲニー・スヴェトラーノフ,ドビュッシー,スウェーデン放送交響楽団 |
アンゲルブレシュト指揮ORTF、ガロン(語)ミショー(sp)他(SLS)1964/2/18live
本来なら五時間かかる曲だが、あまりに長々しく、管弦楽のみによる共同作業者カプレが編んだ交響的断章か、アンゲルブレシュトが編集した「オラトリオ版」が使われる。一時間半弱である。これは当然後者による。切り詰められたといっても語りが長く、フランス語のわからない者にはかなり忍耐を強いられる。音楽全般の印象はダイナミックであり、繊細な和声の部分より雄弁なメロディや派手なオーケストラが目立つ。だがそれはやはり声楽を伴うから、そういう音楽になるのだろう。曖昧な声楽など存在しないのである。語りや台詞をバッサリカットしたらさぞカッコいいだろうと思う。交響的断章は短すぎる。ドビュッシーは案外くどいこともある(ミニマル風でもなく)、アンゲルブレシュトはドビュッシーのオーソリティとして、これでも上手くハイライトをまとめたのだろう。演奏はアンゲルブレシュトがよくやる透明で客観的なスタイルではなく、適度に激しさを演じさせ、手練たところをみせる。精度はけっして落ちないが、良好な録音がたまに撚れるのは非常に気になる。モノラル。
ブーレーズもよくわからない芸風で、部分的にはみずみずしく繊細な音ではあるが、底深いロマンティックな、言い換えれば分厚く重くスクリアビンのような音楽になっている。遊戯は前衛的とも言われた音楽だが、これだと「海」よりもわかりやすすぎて前期作品のようだ。言い換えればスコアを整理するとここまで単純なスペクタクルになりうる音楽だ、ということかもしれない。ブーレーズのものとしてドイツのオケより私は好き。かなり迫力ある庭球絵巻(?)になっているので、スケール感を求める人には向く。
思うがままに大揺れに揺れて極端に変化する、作曲家の特権だろう。デジタルな音しか出ないロールによるデジタル録音なので(ピアノロールは蘇演時の録音条件に影響される部分が大きい)ひときわ極端に聞こえてしまうのかもしれないが、先生的にはダメダメを言われる演奏スタイルであっても、正直面白い。陰影濃い冒頭の沈潜から急に夢見るような、船揺れのような(ロール特有のヨタリもあいまって)、そこで突然ダッシュしたり、立ち止まって呆然としたり、この動きを忠実に再現するピアニストに演奏してもらったら面白いであろう。まあ、録音として楽しむものではない。音が冷たく硬くてきつい(warnerの1991年録音で聴取)。これら一連のロールはCD時代になってさえ再三発売されてきた。ここ10年で3,4回か。前奏曲集第1番より五曲、レントより遅く、子供の領分、スケッチブックから。すべて同日、ロールはこれがすべてである。
この小品、L.40にきてはじめてドビュッシーを聴いた思いがする。1880年代初期にわずかな期間をおいただけでいずれも音楽院時代の習作めいたものだが、素直に聴き心地がよく、それは新しい音楽を聴いているときのそれだ。ピアノの書法的にはすでにいろいろやっていたというドビュッシーがちゃんと音にしてきている、まだそれでも「小組曲以前」ではあるものの、リズミカルで軽くすっきりした作品は学校の試験のために書かれたとは思えない出来だ。演奏はこのコンビだけあってこういう曲では胸がすく。
7分半の連弾曲で色彩的な華々しさがあるが依然、ドビュッシーらしさというものには至らない。「小組曲以前」という感じではある。吹奏楽で編曲演奏されることが多く、そちらのほうが有名だが、ピアノできくとちょっと特長のつかみづらい初期ドビュッシーの感がある。演奏は豆をまくようにパラパラパキパキして聴きやすい。音が多いほど明瞭であるほうがわかりやすい。「森のディアーヌ」とは別だが主題に関連性はあるとのこと。L33とあるのは誤り。
かなり陶酔的でグダッとなっているところもあるが、ドビュッシーらしい緩い内声部がよく聴こえ、古い録音のように旋律だけを追うような単純な楽しみ方だけではなく色々面白がることができる。