湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

某オーケストラにメールを送ってみた

2005年07月26日 | Weblog
一分後に返信が来た。
・・・たぶん間違い返信(相手が違う)。でも・・・英語じゃないから内容がさっぱりわからん・・・これじゃ指摘してあげることすらできない・・・ちなみに私は英語で送りました。英語読める人たちだと思うんだけど。ううう。

語学は重要です(キッパリ)
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ヴォーン・ウィリアムズ:弦楽四重奏曲第2番

2005年07月26日 | ヴォーン・ウィリアムズ
フィーデル弦楽四重奏団(fontec)1979/4/24

この団体は(このデビュー後10数年時点では)柔らかく暖かい音がどうにも出せないというか、でも、RVWの曲はかなり明瞭で鋭角的な音を要求する場合が多いからどうしてもしょうがないのかもしれないが(ここらへんまさにラヴェル的なのだが)二楽章の荒涼はそういう鋭角的な音でいながら遠く霞むような・・・非常に、非常に難しいのだが・・・灰白色の霧の世界を描かねばならない、その点、ちょっと4本が不揃いということもあって(RVWが折角構造的に書いているのだから内声部にもっと頑張って欲しいものだ)いかにも巷にありがちな表現に止まってしまった。だからこれを聴いてRVWってどの程度の作曲家かわかった、というのは大間違いである。4楽章にはがらっと変わって温もりが欲しい。このコントラストが肝の曲なのだから。クリスマスの夜の小さな思い出のようなこの暖かい誕生日プレゼントは、もっと素直に感情を入れないと余りに軽すぎてバランスが悪い。全般感情の起伏が巧く音に出ていない。だが1、3楽章の焦燥感に満ちた音楽は確かにある程度成功はしているので、マイナスにはしないが、やはり、本国物には負けるのか・・・日本人奏者がんばれ。ム印。
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ラヴェル:弦楽四重奏曲

2005年07月26日 | ラヴェル
フィーデル弦楽四重奏団(fontec)1979/4/23

先入観で聴いてはいけないと思うのだ。確かに現代日本ではこれより巧くラヴェルを紡ぎだす団体はいる(だろう)し、音色的にもやや硬く金属質で柔軟性がないから個人的には人のぬくもりがなくアウトなのだけれども、ラヴェルにはまさに金属質な正確な音程でピアノ的とも言える音価の正確さだけが求められる。それならもっとボロディン並みに磨き上げられた演奏なんていくらでも、と言いたいところもあるが、ちょっと面白かったのは譜面にない表現をつけるところが若干見られたことである。そういうワサビの効いた演奏が私はとても好きだ。それならもっと創意を、と言いたいところもあるが、でも、全般になんとなく、若いけれど、よかったです。ム印。
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J.シュトラウスⅡ:こうもり序曲

2005年07月22日 | その他古典等
○サモスード指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(melodiya)LP

音色変化は少ないが音量や技巧的な変化はばっちり。それほど踏み外した発声もなく、技巧だけでいってもロシアの標準的なレベルには十二分に達している。いきなり唐突に雪崩れ込む始まり方には抵抗を感じるかもしれない。スノブ様の中にはいちいちザッツが揃わず表現の粗さが聞くに堪えないと一蹴する向きも多いと思うが、こんなの録音条件次第だ。マイクセッティングや会場設定でこのくらいのザッツの揃わなさは十分吸収されるものであり、通常客席の人の耳には届かない。その点一本マイクが固定的で弦楽に近くリアルに捉えられすぎているのである。ベルリン・フィルなりN響なり、ソリストでない弦楽器奏者の演奏を間近で聴いてみ。少なくとも20年近く前までは、お上品な人にはとても聴くに耐えないであろう雑味の多さだった。雑味を取り除くのは「会場の役目」でもある。雑味は強靭でしなやかな生命力を生み出すうえで飛び散ってしまう埃のようなもの、音響的にうまく操作すれば・・・たいていのホールでは普通に何もしなくても・・・弓の弦にぶつかる音とか指盤の軋みとか野太い音に弾かれたギリギリガツンガツンいう雑音なんて壁や天井に吸収されてしまう。そういう音を出さないと、アンプなんてものを使わないアコースティック楽器では表現できないものってのがあるのだ。大抵の曲には一,二箇所いやもっとそういう個所がある。弱弱しい音で綺麗に聞きたい耳のヤワな人は自分でそういう演奏をしてみ。人を集められたらの話だが。ちなみに、私はかつてそういうスタンスで結局ソロしかないという結論に達し、ソロとしては余りに下手すぎるので断念し聴く専門の側に回りました。
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コンドラシンの小組曲なるもの

2005年07月22日 | Weblog
本当に存在するんでしょうか?組合せがガウクのドン・キホーテ、ロジェストベンスキーのオネゲルでステレオ最初期、青のMELODIYAで恐らく初出C465。あ、もちろんドビュッシーです。

入手しそこねました(T-T)

聞きたい!!!!!
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スヴェトラ/モスクワ・フィルのシンフォニックダンスなるもの

2005年07月20日 | Weblog
ラフマニノフの交響的舞曲、スヴェトラーノフとモスクワ・フィルのセッション記録があるという情報を元に某店店頭にて確認したところ思いっきり記載ミスでした。USSRsoで多分1972年スタジオ録音でしょう。ちなみに以下のLPです。
CM4011(メロディヤ)stereo
モスクワ・フィルとの盤なんて、やっぱりそんなもの存在しなさそうなので。。

音飛びがなければ買っておいてもよかったのだけれども。店員の不明瞭な回答ぶりと盤面のあまりの悪さに断念しました。。
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ガーシュイン:ラプソディー・イン・ブルー

2005年07月07日 | アメリカ
◎フィードラー指揮ボストン・ポップス、ネロ(P)(RCA)CD

ちょっと聴いただけでアメリカ、それもセミクラシック(セミジャズ)の相当の手練れによる演奏だということがすぐわかる。フィードラーのガーシュウィンは、まずこれを聴けというくらい板につき、特に創意が凄い(ソリストの力かもしれないが)。ガーシュウィンはジャズ的な創意を演奏者に要求する。そのまま演奏しても面白いが、数少ない旋律を繋いだだけでつまらない曲、という誤解を招きやすい。この演奏では、特にピアノの表現において、一音一音に実に俊敏な創意が篭められている。それはクラシック音楽に比べて(あくまで譜面上)単純に書かれている音楽ジャンルでは極あたりまえの行為なのだが、元来この曲がシンフォニック・ジャズという概念を実現しようとしたポール・ホワイトマンが自分の理想を余りにクラシック側にアピールしすぎたために、今だにクラシカルなアプローチ、つまり楽譜の忠実な再現に予定調和的解釈といったやり方が優先されすぎている。まるで飽きてしまうたぐいの、旋律と楽器用法の新奇さだけしかない曲にされてしまっている。この演奏には閃きがある。実は勿論予定調和であるのだけれども、それでも瞬時の閃きが音符の一つ一つから眩く放たれているのである。理解という点で、クラシックしか聞かないかたは是非フィードラー盤を聴いてみていただきたい。ここにはライヴではないにも関わらずライヴの熱気溢れる音楽が溢れ生き生きと躍動している。明確な打鍵と胸のすくような解釈で魅せるソリストにも拍手を贈りたい。このような大規模編成のジャズ風音楽で拡散的にならずここまで凝縮されまとめられるというのも凄い。名演。但し、録音が悪いのが生憎・・・ステレオではあるが篭もる・・・でも◎!ちなみに前に書いたフィードラーの別演にかんしてのコメントと全く正反対のことを書いているのは楽曲受容方法の多様性を示すものとして許してくださいね。人間ずーっと同じ感覚ではいられない、だから何度も書きなおす演奏もあります。
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プロコフィエフ:バレエ音楽「道化師」~ダンス・フィナーレ

2005年07月07日 | プロコフィエフ
○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(RCA)1947/11/25LIVE・CD

クーセヴィツキーはロシア人指揮者らしくやはり表現が荒々しい。現代的なアンサンブルを聞きなれている向きにはばらけすぎ、あまりにアバウトに聞こえてしまうかもしれない。でも、一貫した強固な表現にはそれを補って余りあるものがある。粗さが気にならないのだ。聞かせどころのソロヴァイオリンなど非常に強い弾き方で、しかしだからゆえぎごちない感じもしなくもない。暴力的な推進力がとにかく聴きものだが、何しろこの指揮者の録音は音が悪すぎるので、実は精妙な音響感覚というものが耳を澄ませないと聞こえてこないのは痛いか。好きな演奏だが○に止まる。
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ドヴォルザーク:チェロ協奏曲

2005年07月06日 | 北欧・東欧
フルニエ(Vc)コリン・デイヴィス指揮BBC交響楽団(BBC)1973/3/14live

BBCレジェンズの比較的新しい盤。面白くない。物凄くステレオタイプで(強引だな)物凄く控えめな演奏。臭い演奏が嫌いな向きは無臭ニンニクのようなこの演奏に惹かれるだろうし、それでもなお魅力を放つメロディに心打たれる人もいるだろう。しかし、私はとても、面白くなかった。何も残らなかった。美麗で、技術的に完璧な演奏であるにもかかわらず。この時期にしては録音がかなり篭もり悪いのも原因かもしれないが、音が悪くても強烈な演奏というものは訴えかけてくるわけで、その強烈さをこの曲に求める私には全くあわなかったというわけだ。全楽章。無印。終演後の拍手は物凄い。
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ヤナーチェク:シンフォニエッタ

2005年07月05日 | 北欧・東欧
○テンシュテット指揮ハンブルグ北ドイツ放送交響楽団(En Larmes:CD-R)1980/3/3

ライヴらしいが拍手は消されている。やや荒い。勿論とても私など弾きたいとは思わない複雑民族怪奇な無茶を要求する曲なだけによほど機能的なオケでないと完璧に吹きこなすことは無理だと思うのだが、特にこの演奏ではがっしりしたフォルムを造ろうとしてはいるものの、トリッキーで奇矯な動きを振りまく旋律線の底をしっかり支えるべきリズムセクションがもともと弱く書かれているために、根本的にまとまりづらいからどうやっても軋みが避けられない。可塑性に富む不規則なリズムの多用、またそのリズムを担う楽器が低音とは限らないため何か間が抜けたような感じに聞こえがち。グダグダになりやすく、聞いていて辛くなる演奏も多い中、まだこの演奏は聞かせるだけの芯の強さを持ち合わせており、弛緩を辛うじて避けヤナーチェクの先鋭裏腹弱みを何とかカバーしているのは評価できると思う。既に紹介した演奏とおそらく違うもので、こちらのほうがミスや不整合が目立つように感じるが、いちおう○をつけておく。ギリギリで。
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