作曲家指揮トロント交響楽団(vai)1967(6/17?)live・DVD
「85歳のストラヴィンスキー」というDVDにおさめられている。ややこしいのは本番とリハーサルが有機的に切り貼りされているところだ。チャプターを参照にすると1,2が本番、3楽章スケルツィーノが途中でリハーサルに切り替わり、4、5ときてリハーサル休憩、6,7ときて8楽章メヌエット&フィナーレからリハーサル終了となると急にフィナーレ本番に切り替わる。一楽章、雑然とした弦の響き、切れないリズムなど最初の方ははらはらする。これはオケがストラヴィンスキー向きではないのかもしれないと思う。このてのストラヴィンスキーは平準化された音がスコア通りデジタルに音量を変え織り上げられていくことで成立する(弦や低音金管楽器は絵面的にも不利、楽器の性格と逆の指示になるなどで、全てを制御して1部品たらんとせねばならない)。この曲は新古典主義の初期でイタリアの古楽に材をとっており、擬古典主義とも言うべき音楽にはなっているが各曲それぞれストラヴィンスキーの刻印が押された新しい難しさを抱えている。この映像は7割方リハーサルなのでよくわかるが、それぞれの曲でストラヴィンスキーの穏やかな檄が飛んでいる。リズムは数学的に複雑(正しく数えるよう指示を重ねる場面がある)、装飾音を多用するのに非感情的に主音の明確な表現を擦弦楽器に要求する難しさ等々。リハーサル休憩では酒をあおり機嫌良く始めるが、後半の方が厳しい。リハーサルで無観客なのに拍手が入ってから終曲の本番映像、のちストラヴィンスキーを椅子に座らせてのコメンターのカナダ芸術協会メダルの記念「朗読」まで入っている(トリビュートバースデーコンサートというから6/17か)。この終わりの方はストラヴィンスキーの表情同様どうでもいいとして、リハーサル、英語字幕が出るらしいのだがうまく出せず物凄い訛りのストラヴィンスキーの言葉をわかる範囲で聞いていくと、上記等々の揉める場面はあるもののまあ、おおまかには普通のリハだと感じる。ストラヴィンスキーの独特さを掴むのも難しいうえに、掴んだとしても根本的にスコアの誤読を指摘される(とにかくスコアだ)。後半で調性のことで困惑が広がる場面はこの老いた異才の未だ鋭敏な耳の凄みを感じた。ただ、どうしてここは引っかからず、どうしてここはこだわるんだろう、とか、出来の良さとリハーサルの軽重がシンクロしてなさげとか、そういうところはあるが、そもそもリハーサルとはそういうものである。さらにストラヴィンスキーは理詰めの人だが根本的には情に依っているように思う。この人の自作自演の独特で掴めないところである。今の目で見ると85歳にしてはかなり衰えているように見えるが、座って指揮をするスタイルで問題はなく、リハーサルにいたってはよく喋る。まだ命はつづく。