湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ストラヴィンスキー:バーゼル協奏曲(弦楽のための協奏曲(ニ調))

2018年09月27日 | ストラヴィンスキー
ブール指揮ストラスブール室内管弦楽団(forgotten records他)1950年代

室内交響曲的な迫力をもつ新古典主義のスタイルによる戦後作品。ストラヴィンスキーのマンネリズムから脱して汎世界的な聴き応えある作品に仕上げようというブールの意思を感じる。やや古めかしく曇った楽想を重心の低いリズム表現で、スピードは失わずに表現しており、ブールがマーラーなど指揮したのも頷けるドラマが内包されている。ベルクを想起する艶めかしいフレーズも出てきて、また、リズムは不規則でストラヴィンスキーそのものではあるが、小洒落た響きとあいまってオネゲルのように聴こえてくるところもある(ザッヒャーの委嘱)。三楽章はバルトークなど連想させる駆け巡るヴァイオリンは同時代性だろう、ブールはかなりまとまりよく仕上げ、この楽団がけして下手ではないことを証している。巧妙な響きの変化を小気味よく不協和なものを交えて自然な流れのうちに聴かせる。
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ストラヴィンスキー:ダンバートン・オークス協奏曲

2018年09月27日 | ストラヴィンスキー
ブール指揮ストラスブール室内管弦楽団(forgotten records他)1950年代

録音が古びているのと、楽団のせいなのか指揮のせいか、雑味が入る。ギクシャクして軋んで聴こえる箇所が多い。リズムの複雑な箇所など楽曲起因と思われる。前衛音楽指揮でならした技巧家でこの新古典主義の楽曲の数学的な構造と白い響きに合っていると思われるが、この時点ではやや力んだ若々しさも残っていたか、演奏スタイルを使い分けるほどこなれていなかったか、ちょっと生乾きで、厳しさが徹底しない感もある。
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未CD化ピエルネ指揮記録ついにSLSから復刻開始、文藝評論家の音楽評論について思うところ・・・

2018年09月25日 | Weblog
確か既出の廉価「全集」より収録数が少なく初出は無いと思われる(1812年を一挙まとめたのは初かも)。ゴロワノフは何度か新発見の断片を加え全集としている。しかしこれはHMVの長大な解説に価値あり。この太古の指揮者についてまだこれだけ書ける人がいたとは。>ニコライ・ゴロワノフの芸術(26CD) http://www.hmv.co.jp/product/detail/9208858… @lt_hmvから
posted at 19:43:45 

SLSからピエルネ指揮のペトルーシュカ組曲、さらに別の抜粋版が復刻。SLSはダウンロード配信を薦めているが3カナダドルしか違わないので送料を鑑みても実物購買。今後オデオンSP復刻が続くならぜひドビュッシーをまとめてお願いしたい。
posted at 19:57:31 

読みにくい…古風な感じもするな(表層的な意味ではなく、試しに口語で置き換えてみると内容の濃淡はわかる)嫌ライヴだった自分は視野に入れてなかったんだろう http://blog.livedoor.jp/theclassi***
posted at 23:15:05
文芸方面からの音楽へのアプローチはもう古いとおもうんだ。その世代はとっくに退場されている。
posted at 23:16:17 
ライヴは再現性がない。検証できないことへの批評には、当事者以外共有すべき内容はないと今も思う。
posted at 23:18:10 
理知的な分析に基づくすぐれた批評性にくわえて高度の芸術的観照による感情の文学的高揚を表現している、てとこ、つまり文芸的音楽評論は評論として一級であることに加え文学としても一級であることを求められる。中身に首を傾げても吉田秀和さん等々には後者の香りが一風したものだ。。
posted at 23:24:50 

誰が買うんだ、、、(笑)altusらしい復刻。値段と内容を見極めてどうぞ。ベートーヴェン:交響曲第7番 レオポルド・ストコフスキー&読売日本交響楽団(1965年ステレオ) http://www.hmv.co.jp/product/detail/9221317… @lt_hmvから
posted at 19:12:01
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ヤナーチェク:狂詩曲「タラス・ブーリバ」

2018年09月23日 | Weblog
クーベリック指揮ACO(RCO)1951/6/16live・CD

録音はモノラルで不明瞭。曲が鮮やかなので十分楽しめるが、曲の細部までの技巧、色を楽しむには不足のある録音。色、という意味ではクーベリックは情熱的であっても艶めかしさは皆無なので、特にこの時代好まれたであろう即物的なスタイルにおいては乾燥した詰まらない印象を持たれるかもしれない。ヤナーチェクとしてはシベリウス、リヒャルト・シュトラウスからドビュッシーを経てきた作品であるため、より現代的な響きと大胆な楽器法を用いることができたぶん、ほとんどバルトークと同等に聴ける作品ともいえる。内容的にも三楽章ぜんぶ死で終わる嗜虐的ともとれる採用(原作ゴーゴリ)ぶりは世紀末過ぎても世紀末的なものを、しかしロマン主義的な要素は清新な響きとその進行によって「ほぼ」払拭されており、一楽章など筋書きを知らずに聴くとディーリアス以降の穏健なイギリス音楽に聴こえるくらいだ。どうしてもヤナーチェクというとブラスを聴くくらいの印象をもつが、実際三楽章の弦などほぼ伴奏で終わってしまうが(劇音楽のようなものなのでそうなるのだろうが)、簡潔だが必要十分な書き方をしているから楽しめる。印象派的な一楽章おすすめ。
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マルタン:管弦楽のための四つのエチュード

2018年09月20日 | Weblog
アンセルメ指揮ハンガリー国立交響楽団(放送)1965/9/20live

ネット配信されている音源。良好なステレオだが放送ノイズが入るところが多い。ショスタコが始まったかと思いきやいきなりのバルトーク楽章にずっこける。換骨奪胎しているが発想やリズムや響きはほぼまんまなピチカート楽章。ここはしかしオケががんばり、鋭く、なかなか圧を感じる。緩徐楽章は似たものを知らないが、よくある晦渋な「クッション楽章」といえるかもしれない。四楽章はやっとマルタンらしさが出るかと思いきや、このリズムに曲想は…オネゲルだ。もっともここは換骨奪胎度が高く、また一楽章のショスタコぽいメロディ(マーラーぽい付点音符リズム)が現れる。三楽章で休んだけれどかなり厳しい弦楽。だが、ここは個性的な上り詰め方をし輝かしい長大な音符をもって弾ききっている。アンセルメにとってはバルトークもオネゲルも好きな曲だろうし、マルタンはパクリというか「換骨奪胎」しているので解析的には「オリジナル」と言えよう。蒼く燃え立つ焔の如し。この日のライヴでは最も好き。客席反応は比較的良い。
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ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2018年09月20日 | ドビュッシー
アンセルメ指揮ハンガリー国立交響楽団(放送)1965/9/20live

ネット配信されている音源でベト7,マルタンの管弦楽のための4つのエチュードの後、という変則的な順番の放送。アンセルメだからドビュッシーをメインとしたのか。オケがやや弱く、それに晩年アンセルメ自身の現代的な解釈も加わって固く融通のきかない演奏に聴こえる。融通無碍にされすぎた曲だから、あと、客演だけに解釈を堅くしたのか、面白みは無い。透明感ある響きは水晶のような輝きを放ち、それは一楽章で顕著だ。オケのせいか解釈か、稀に奇妙なバランスの解釈はあるも、終盤を除けば(ここはアンセルメの別の顔を見せている)熱気より精度をとったが如くで、それにもかかわらずオケが熱してしまい軋みを生じている。ライヴにしては堅牢に出来上がっている演奏なのでステレオ良録音であることも加え楽しめないとは言わない。客席反応はすこし良い程度。
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プーランク:4手のためのピアノ・ソナタ

2018年09月18日 | Weblog
ゴールド&フィッツデール(P)(columbia/sony)1953/1・CD

「フレンチ・アルバム」と称するこのモノラルレコードの最後を飾る名品で、プーランクのピアノ曲でも1、2を争う小品ではないか。都会的で洗練されミヨーともサティともドビュッシーとも違う。世俗性を理知的な音楽に昇華させている。よく指が回るコンビが、この1分あまりの3曲が循環構造でしっかり書かれていることを理解した上で、プーランクのソナチネ的にわざと書かれた(サティ的)2曲目を綺麗に聴かせ、あとは両端楽章で指の強さと靭やかさを示せば曲になる。このコンビは自作自演ではないかと思わせる板につきよう。しかしもっと指が強いからぐっと引き込まれる。良い配列だ。
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ルーセル:ヘ調の組曲

2018年09月18日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO)1958/3/8放送live・CD

3曲からなる小品だが、ほぼ3番交響曲のミニチュアなのでミュンシュ向き。ミュンシュのルーセルは構造的に明確に書かれた作品に、肉付けし直して重量感ある前進力で聴かせきってしまう唯一無二の境地を示すもので、もっと録音の良いものもあるだろうが、どの録音も同じ、壮大なカタルシスを与えるものとなっている。ボロボロの音ではあるが一応ステレオで楽しめる精度の高い記録。二楽章サラバンド(およそイメージ通りの新古典主義的なサラバンドではない)のような晦渋な音楽はミュンシュはあまり得意ではないが、そのあとの祝祭的な行進曲への序奏部のジョリヴェ的な神秘が美しい。突進はややオケが危なっかしく感じる。ミュンシュの求心力が少し弱まり、纏めに走ったようなところもあるが、この楽章は楽天的になったオネゲルが書き散らかした作品といっても通用しそうな強固な構造があるので、打楽器で増強されるようになると気にならなくなる。主観的な崩しはできないが、弱音部の美しさはミュンシュがラヴェルの新しいセッション録音でみせたリリシズムを思わせる。客席反応はまあまあ。
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ドビュッシー:古代のエピグラフ

2018年09月16日 | ドビュッシー
ゴールド&フィッツデール(P)(columbia/sony)1953/1・CD

前奏曲集を彷彿とさせる人好きしそうな神秘的な曲集なのにあまり聴かない。このコンビは全く危なげなく、やや強めに弾ききっているが残響が多いので冷えた幻想味がよくつたわる。後半強くなるスペイン風のメロディや、ゴリウォーグのケークウォークを思わせるリズムはオリエンタル(死語か)な情緒を醸すための装置で、それらを彩るハーモニーや動きは全てを石化させるように、蒼く輝いている。この異化作業を否定してミヨーやサティが(一時期)アイデンティティを確立したことを考えると、たしかにこのやり方は袋小路でマンネリになりそうではあるが、とにかくドビュッシーこそコレ、というそのもので、このコンビは過不足なくドビュッシーを提示することに成功している。これはマッチしている。
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サティ:馬の装具で

2018年09月16日 | サティ
ゴールド&フィッツデール(P)アンサンブル(columbia/sony)1953/1・CD

四手作品としてはもっとも有名なもの。少なくて硬い音響の羅列、サティの美学が標題と切り離されて存在する。ニ手作品とくらべて私個人的には音が多すぎるというか、掴みづらい小品感があり好んで聴く曲ではないものの、この演奏がことさら醒めているから却ってサティ的過ぎて聴きづらい面もあるが、とても個性的である。私のレコードではミヨーとドビュッシーに挟まれているが、三者三様、強いて言えばやはりドビュッシーに近い世界にも感じる。本質的に世俗性をはらんだミヨーからは遠い。
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ミヨー:秋のコンチェルティーノ

2018年09月16日 | Weblog
ゴールド&フィッツデール(P)アンサンブル(columbia/sony)1953/1・CD

弦楽と木管のかもすくすんだ寂しげな秋の幕開けから、ピアノの意外と躍動的な音線が収穫祭の喧騒に聴くものを誘う。ピアノ協奏曲の中間楽章と終楽章を合わせたような曲で、末尾にまた寂しげな枯れ落ちるメロディがとつとつと世界を閉じていくところまで、量産家ミヨーの作曲の腕前に感服する。ラヴェルが嫉妬(?)するわけだ。ことなる4つの楽器のための四季、というまとまりではなく、寄せ集めなのであり、対比的に聴くと明らかに「春」が突出しているがこれも作曲時期が違うからで、このように一曲ずつ楽しむべきものだろう。フランスの楽団がやると、あるいはシェフがさばくとこの曲は木管にひなびた味わいがこと更に加えられフランスの田舎風の響きによって「いつものミヨー節ね」となってしまう。この演奏は木管が音色的に主張しないから本来のあるべき冷えた響きが浮き彫りにされ、サティふうに捻った旋律線の味わいがよく伝わる。けして正面からいかない、スタイルは違うがヒンデミットの作品のように二十世紀的な「崩し」を敢えて入れている。地味だが、個人的にはおすすめ。しかしこの曲に二人のソリストはいるのか問題(単に書法上の都合だろうけど)。
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評論家は選ばれた者がプロの目で目利きするもの

2018年09月16日 | Weblog
岡林リョウ @ryookabayashi  7月17日久々に完全聴衆派(演奏も作曲もしない)音楽評論家の評を読んだ。私も大人になったものだ。一欠片も響いてこない。自慢たっぷりの感情的な趣味の文章を金を出して読むきはもはやしない。ライヴ至上主義というのが昔からいるが、その手合は二度と体験できないもの、超高額コンサートを褒める。読む者はいまさらどうしたらいい?権威があるとレコード会社の希望なんて無視する。莫迦だ。
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エール大学アイヴズ初演コレクション一部公開、偽盤再販される

2018年09月14日 | Weblog
まじか。エール大学アイヴズ初演記録コレクション(一部)ココ公開 ※独自ストリーミング配信です
https://web.library.yale.edu/news/2018/09/rare-charles-ives-recordings-now-available
posted at 12:15:34 

イワーノフのレニングラードと称する偽物は5年前にも出て廃盤にされた。まさか廃盤にされたものをデータを変えてまた出すとは。廉価盤レーベルaltoは良い物もあるが、そもそも販元も気をつけてほしい。
参考 "偽イヴァーノフのショスタコーヴィチ" http://dsch1975.blog75.fc2.com/blog-entry-737.html
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バルトーク:ミクロコスモス組曲(シェルイ弦楽編曲)

2018年09月13日 | Weblog
ディッタ・バルトーク(p)シェルイ指揮弦楽アンサンブル(vibrato)1944liveニューヨーク・ブルックリン博物館

5曲からなる組曲で、ほぼ民族的な荒々しい曲からなる。シェルイはよくこういうことをしていた。ピアノ協奏曲第3番の末尾補筆もやったのではなかったか(うろ覚え)。これは録音が貧弱すぎる。ピアノだけならまだしも、民生SP録音機もしくはテープ録音機を素人が使っているのだろう、アンサンブル以上の規模になると音量も音程もバランスも狂ってくる(原盤はSPであるようだ)。特有のリズムと響き、それを支える安定した技巧がライヴで提示されている、そのくらいしか言えない。
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マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2018年09月12日 | マーラー
スヴェトラーノフ指揮NHK交響楽団(king,nhk)1999/2/11live・CD

やっと出てきたか、というスヴェトラN響のマーラーライヴである。一気に中期純管弦楽交響曲三曲が、収録時期はばらつくが発売されたということで、「当時の思い出を聴きたい向き」にはすすめられる。同じライヴではないが7番などTV放映もされているので、このシリーズの売れ行き次第で映像として発売されるかもしれない。またマーラーは90年代中盤の9番ライヴ(評論家の評判は悪かった)を嚆矢として日本では人気の演目であり、スヴェトラ自身も(バンスタを好んでいたという)当時一番力を入れていたと言っていい作曲家ゆえ、興味深く聴ける人はほかにもいるかもしれない。すでに全集化していたものはまさに最晩年様式というような、弛緩したテンポの薄味のものだったが、さらにその先にこのような生き生きとしたマーラーをやっていたわけである。ただ往年の粘り腰は無い。4楽章の一部を除きスヴェトラにしてはさらさらしてオーソドックスであり、テンポが速く、普通に聴きやすいのだが過度に期待すべきものではない。わかりやすくドラマティックな交響曲で形式的にも整っているから、慣れていない楽団や一期一会のコンサートには向いており、N響とスヴェトラの相性が良いといってもこれを聞く限り踏み外した棒にまでついていけるような感じはしないので(4楽章後半にはミスが目立つ)、「6番が最も良かった」という印象は「6番だから良かった」とするべきと思う。1楽章の提示部の繰り返しを行っているが、繰り返しに入るまでの序盤がじつに固い。かなり低カロリー。1楽章は旋律主体なのでそれを思いきりうたわせればなんとかなるものの、ここではそこまでの歌いこみはなく、ちょっと冷めている。中間楽章ではスケルツォがまとまっていて、リズミカルで聞きやすいが、この2,3楽章も「スヴェトラでなければならない」というものはない。4楽章、これが出来ていれば他の楽章はどうでもいいとまで言ってしまうが、このドラマの作り方はさすがに上手い。ロンド形式のように同じ楽想の緩急バリエーションを配置してうねらせていく交響詩、長い楽章はスヴェトラ本来の腕が生きてきて、シェフにより巧拙極端なN響がやっと本腰を入れたような技巧的なアンサンブルやソロを聴かせてくる・・・が前述のとおり後半で息切れ。弦がずれたりソロがとちったり、それでも難曲であることを感じさせずに終焉へ向かうのだが、気になる人は気になるだろう。スヴェトラの悲劇的としては正規録音より上かもしれないが、過度な期待は禁物。圧倒されてブラヴォが出ない、という聴衆反応でもなく、普通の拍手がさっさと入ってくる、そういうものだ。
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