○ガリミール弦楽四重奏団(新)(vanguard)
この演奏はウィーン時代のガリミール四重奏団の録音を知っていたらまるきり違うことに驚かれるだろう。しかし、まるきり違うのは当たり前で、ガリミール四重奏団は戦争をはさんでまったく二期に分かれる。それを説明するには主催者であり唯一のオリジナルメンバーであるフェリックス・ガリミールについて少々説明を加えないとなるまい。
フェリックス・ガリミールはウィーン生まれウィーン音楽院出身のヴァイオリニストである。カール・フレッシュに師事しておりソリストとしてもデビューしているが、既に19歳から姉妹と弦楽四重奏団を組織しており、それが家族を中心とした最初期のガリミール四重奏団の母体となっている。初期から一貫して20世紀音楽の紹介につとめ、特に新ウィーン楽派との親密な関係は抒情組曲の録音で聞かれるとおりである。同年ラヴェルの監修のもとラヴェルの初録音も行っているが、このときガリミールはまだ26歳であった。いずれ極めて即物的な演奏として特異な位置を占めるものである。
1936年当時まだウィーン・フィルに所属していたがナチの影がさし楽団はおろかオーストリアから市民権を剥奪、単身フーベルマンの招きでイスラエル・フィルへ向かい2年をすごすが、その間家族はパリで辛苦をなめたと言われる。
38年NYにわたったガリミールはソリストとしてアメリカデビューを果たすとともに室内楽活動を再始動させる。これが息の長い現代音楽紹介の活動を続けることになるガリミール四重奏団(新)という形になる。WQXR放送における活動の一方でトスカニーニ下のNBC交響楽団のファーストヴァイオリニストとして過ごし、54年まで所属。シンフォニー・オブ・ジ・エアーになってからはコンサートマスターとして2年を勤め上げる。NY市立カレッジで教鞭をとるようになったのが室内楽指導者として有名になっていくきっかけとなる。NYPに所属する一方で長く続くことになるバーモントのマールボロ音楽祭を組織、現代作品を中心に毎年演奏にも加わっていた。
62年ジュリアード音楽院でも教鞭をとりフィラデルフィアのカーティス音楽院では72年来室内楽を指導。室内楽のエキスパートとして各地に招かれ指導を行った。ヒラリー・ハーンも生徒の一人である。その間にも演奏活動は継続し、デッカ、コロンビア、ヴァンガード、ピリオドの各レーベルに録音を残している。99年11月10日にNYでこの世を去った。
つまりガリミール四重奏団は29~39年のウィーン期(ポリドールのSP録音)、1944年以降のNY期に完全に分かれるのである。ウィーン期のものは限られているが、これだけがクローズアップされがちなのは残念なことである。後期では特に幅広いジャンルの弦楽四重奏曲を演奏し、デジタル初期の名盤として知られたのがこのヴァンガードのラヴェル・ドビュッシーの演奏である。セカンドヴァイオリンは日本人。
そしてラヴェルの話に戻るのだが・・・これが「普通」なのである。ドビュッシーよりも盛り上がるし、一部大昔の演奏を思わせる即物的な解釈がみられるが(終楽章の5拍子をここまで正確にとれている録音も無いのではないか!)おおよそ一般的なイメージ内におさまるロマン性を表現した演奏になっており、教科書的に読み解けばじつに有意な内容を引き出せる端正な録音だと思う。現役でもいいくらいだが、ラヴェルの演奏というとアルバン・ベルクをはじめいくらでも「エキスパート」が録音しているわけで、因縁的な部分を知らないと、余り特徴のない、でも引き締まった演奏だぐらいの聞き流しになってしまうのはせんかたないことかもしれない。とにかく、正確であり、しかし客観に落ちていない。音的にやや魅力に欠けると思われるのはおそらく全般としてアメリカナイズされた音にならざるをえなかったというところに尽きるだろう。まあ、この4楽章を聞いてびっくりしてください。バスク舞曲とかそういう問題ではなく実にきっかり5拍子をはめてきているのが驚き。○。