湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆ポポフ:交響曲第2番「母国」

2018年03月07日 | ロシア・ソヴィエト
○アーベントロート指揮ライプツィヒ放送交響楽団(urania/Hector:CD-R)1952

一楽章は何とも暗く前時代的な、教会音楽的な趣も持つ音楽で聴きどころはないが、二楽章はいきなり祝祭的でアメリカ風ですらある派手な音楽。これは楽しい。三楽章は一転して今度はショスタコを思わせる一楽章とは違う暗さを孕む音楽。不協和音を忍ばせるなど、保守的でいながらも何かを訴えかけようとしている。最後は僅かに希望を感じさせる。四楽章は弦の律動に率いられ不安さの表現がしばらく続くが、次第に明るさも織り混ざり旋律性が取り戻されていく。独特で見事な書法だが、重厚に迫りくる迫力といいアーベントロートやオケの腕によるところも大きいに違いない。ロシアオケ特有のだらしない響きや独特の音色が混ざらないぶん、曲の価値がしっかり伝わる。明らかに文学的背景を持った内容だが、それを気にしなくても壮麗で悲劇的なフィナーレを楽しむことは可能だろう。典型的な凡庸なソビエト交響曲かと思いきや、なかなかに複雑で汎世界的価値を感じさせる。光がさして終わるところが録音上ブツ切れになっているのは残念。

※2013-05-02 18:21:39の記事です
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☆ムソルグスキー:展覧会の絵(ラヴェル管弦楽編)

2018年02月22日 | ロシア・ソヴィエト
○ゴロワノフ指揮ソヴィエト国立放送交響楽団(Arlecchino)1947・CD

派手だが筋肉質の演奏で頭初こそ乱れはみられるもののこの録音状態では気にならない。やはり放送エアチェックものとちゃんとした録音は時代が旧くても安定感が違う・・・なんてことも思いつつだが、ラヴェル編曲といいつつ自分でどんどん手を入れる世代というのはあって、ゴロワノフなども(ストコのように全部ではないが)ブラス増強パーカス追加なんてバンバンやってしまう感じではあるのだが、ニュートラルに譜面も思い浮かべずに聞くと全く違和感はない。チャイコ寄り(最後などはプロコ晩年的でもあるが)にいじったというか、曲によってはラヴェルのリリシズムをはっきり表現しつつも、きほん「バレエ音楽」として、つまりチャイコのバレエ音楽を意識したような響きの輪郭の明瞭でリズムを強く打ち出すような作りをしており、この曲が拡散的で苦手な私でもその音楽にゴロワノフなりの求心力が注ぎ込まれていることにより最後まで飽きずに聞きとおすことができた(じっさい短いのでは?)。そういえば「クラシックの奥のほそ道」にはまり込む前はよく聞いてたものだが、そのときの遠いイメージを思い出すと、確かに同曲に聞きなれた人には違和感があるかもしれないなーとは思う。だって最後なんて序曲1812年だし。○。三回くらい録れているはずだが手元にはこれとあと有名な最晩年の録音がある。それはまたいずれ。

※2007-03-01 09:35:49の記事です
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☆スヴィリードフ:悲愴オラトリオ

2018年02月22日 | ロシア・ソヴィエト
◎ヴェデルニコフ(b)イサコワ(msp)コンドラシン指揮モスクワ・フィル、ロシア室内合唱団(melodiya他)1975・CD

極めて美しい叙情的な歌で、ヴォーン・ウィリアムズやアメリカ・ネオロマンチシズムの作曲家を思わせる平易さとカッコよさのバランスのとれた素晴らしい作品に仕上がっている。また演奏がいい。録音も何度かの復刻の末かなりよくなっていて申し分ない。ディーリアスのオラトリオを思い浮かべる人も多いであろう。主題がレーニン賛歌であれどうであれ作曲技法的に目新しいものが見当たらなかろうが作品の美しさにはいささかの曇りにもならない。初曲の暗さでショスタコを思い浮かべたらぜんぜん違うことに驚かされるだろう。いい曲にいい演奏。◎にします。

※2005-03-19 19:48:50の記事です
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☆フレンニコフ:交響曲第2番

2017年11月23日 | ロシア・ソヴィエト
○コンヴィチュニー指揮ソヴィエト国立交響楽団(melodiya)LP

引き締まった演奏で聴きやすい。拡散的なスヴェトラよりよほど本質を理解しやすいだろう。この人はまだご存命だが周知の通り「戦犯」であり、ショスタコの寿命を縮めポポフやシェバーリンの命運をたった人である。本人によればそれも時局柄仕方がなかったという言い訳になる。ただ一つ、フレンニコフは決して才能がなかったわけではない。ここにきかれるのは悪名高い「社会主義レアリズム」の手本ではあるが、凡作ではない。耳なじみよく、なおかつ控えめな響きの面白さ(まシロホンくらいだけど)も盛り込まれた秀作なのだ。冒険することだけが芸術の目標ではない、確かに社会の比較的低い位置にいるかたがたの耳を楽しませることは重要であり、それを伝統楽器を使って表現することには何の問題もない。フレンニコフは自分ひとりでやればよかったのだが・・・歴史は翻らない。しょうがない。コンヴィチュニーがこれを振ったのも恐らく上からの命令だろう。だからといって(個性的な構築性は聞かれないが)手を抜かない。力強いロシアの響きがコンヴィチュニーの一歩引いた感じ、ドイツ的な重さを軽減し、前進的にまとまる方向に持っていっている。私などスヴェトラ盤より求心力があり余程わかりやすかったのだがいかがだろうか。曲的にはカバレフスキーの交響曲を想い起こせばそれである。○にしておく。傑出してはいないし、演奏家の個性的なものもないが、悪くはないというレベルである。ドイツのスタジオ録音がある(MEMORIESで復刻)。

※2006/11/2の記事です
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☆カバレフスキー:ピアノ協奏曲第2番

2017年11月22日 | ロシア・ソヴィエト
○ペトロフ(P)キタエンコ指揮モスクワ・フィル(venezia)1984live・CD

プロコフィエフをロシアで染め直して灰汁抜きした平易な曲で、初心者受けすると思うがこれといった鮮烈な印象は残さない。シンプルさという点ではカバレフスキーの手腕が発揮されているし、同時代の群小作曲家のピアノ協奏曲に比べれば図抜けてはいようが、私は露骨なロシア臭が気になった。キタエンコのうまさが意外と光る。ペトロフは難なくこなし集中力がすごいとか技術がすごいとかそういった感じはしないのだが、オケが突出も引っ込みもせず融合して綺麗に音楽的にまとまったものを提示している。これは特筆すべきか。この指揮者はどうも一時期の荒れた芸風でイマイチ評価が定まらない感があるが、割とこの時期までは一定の評価を受けていたと思う。○。

※2012/10/15の記事です
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☆ボリス・チャイコフスキー:チェロ協奏曲

2017年06月15日 | ロシア・ソヴィエト
◎ロストロポーヴィチ(Vc)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(RUSSIAN DISC)1964/3/13モスクワ音楽院大ホールLIVE・CD

これは名演!ボリチャイは数珠つなぎの線的な音楽を書くが、ここでは点線でしかないオケ部を終始ソリストが実線でつないでいく、いわばソリストの音楽の効果音的補強をオケがやる、といった風情であり(曲名はチェロと管弦楽のための協奏曲、が正式名称だが)ロストロの見事に一貫した表現がともすると浅薄なカリカチュアのパッチワークになりかねない作品をきちんと音楽的にとりまとめている。とにかくこの大作をよくやりきった、というかんじだ。フィナーレ最後の音を吐き出すときの何とも言えない気合い声に並みならぬ力の入れ具合も窺い知ることができる。3楽章など乱れなくもないがそういうところで高いテンションでバックオケがサポートするあたりコンドラシンらしさもある。長大な新作にしては客席反応もよい。◎。

※2008/1/30の記事です
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☆グリンカ:ルスランとリュドミラ序曲

2017年05月11日 | ロシア・ソヴィエト
※2007年の記事です

ロストロポーヴィチ指揮パリ管弦楽団(EMI)1976/11・CD

うーん、流され易い性格になったな俺。ちっともクラシックを聴く感じじゃなかったのに、テレビで「のだめ」をやってたらききたくなった。スラヴァ追悼の意をどっかに示したくてこの小曲をプレイヤーに落としてはいたのだが。つかさっき右手のアップのために楽譜を片端からあさってて其の中でこれも初見してみたから書くわけだが。グラズノフは三分の二はじつに弾き易く書いてあってさすがアウアー監修だなあ。冷静になってみると、あほみたいになるファンファーレ以降は純粋に練習で乗り切れるものだ。三分の一、前半のほぼカデンツァ的重音トリルウニョウニョパセージの羅列はしろーとはとても演奏しこなすのが不可能。プロはカンタンに弾けるはず。でも、頭で理解不能なヘンなゆがみのある音線なので、技術的にはできても体が拒否ることもあるだろうなあ。

左手はやはり長く弾くのをやめていたせいかかなりよくなったみたいで、師匠を離れ大学入学以来一番調子がよくなっているかんじすらするが、右手が決定的にダメで、これはもう基礎練地獄しかなかろう。。でも意志弱いから一人じゃやらないんだよなあ。ブランクは(しろうとレベルでは)筋力を除けば左手には大して影響しない。弾いていなくても耳と脳で音楽を捉え続けていれば、結局脳がおぼえていて冷静でいれば指は譜面どおり動くので、いい演奏を広く深く聴かないで、ただだらっとオナニ弾き続けただけよりもぜんぜん訓練になるものなんだと実感。しかし耳コピ能力とか(譜面に落とすんじゃなくて再現弾きね)は純粋に弾き慣れてないとダメなので、格段に落ちる。うろおぼえモーツァルトとかうろおぼえカントリーとかうろおぼえジャズとか前はよくやってたのを弾いてみたら、脳は忘れてるわ指は自動再生しないわでぜんぜんあかんかった。読譜力はすぐ回復するけど(反応速度回復は若干時間がいる)譜面のないものは難しい。

右手は一日たりとも怠ってはダメなもので、とくにいくつか奏法を学んだあとだと、ブランク明けは型がどっちつかずで決まらなくなりやすい。独習まで入ってたら無茶苦茶だ。とにかく「型」が崩れたらおしまい。練習譜の登場である。うううう。だいたい部屋にカーテンをたくさん吊ったら弓がいろんなとこにぶち当たり、ただでさえ長期借用中のド高い弓先がもっと割れてますます返却できなくなってしま・・・むにょむにょ。体と楽器を歪んだ空間の隙に入れて弾いてても意味ないなあ。。広いとこで禁じ手?の右腕の肘を入れて人差し指深く斜め差してロシア弾き、とにかくリハビリなので、のびのび弾き易い奏法に決めてしっかり弾きたいなあ。譜面台も奪われて床上の譜面を遠く見くだしながら弾く哀しさ。いいのさどうせ遊びだ。

この演奏解釈自体は余技の範疇を出ず、鈍重で大仰大雑把。いわゆる天才的ソリスト出身の指揮者が初期にやるような解釈だが、メロディだけを追ってロストロ先生のソロを聴く気持ちでいれば楽しみは見出せよう。スヴェトラに似てなくもないがスヴェトラはもっとプロフェッショナル。素朴とも言えるかもしれない。ロストロ先生が大変だったころの指揮記録。75歳記念CDセットより。

コノ曲、ボロディンに受け継がれるロシア音楽のメカニカルな面を象徴するようなじつに単純明快しっかり掛け合うアンサンブル曲になっている。ルスランは序曲だけが知られるがけっこう他の部分も録音されている。しかしやはり、国民楽派の先駆として序曲に最もいいものが簡潔に提示されている。
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☆グリンカ:ルスランとリュドミラ序曲

2017年05月09日 | ロシア・ソヴィエト
○クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(BSO他)1944/4/1NYハンターカレッジlive・CD

クーセヴィツキーはこの曲をわりと落ち着いたテンポで四角四面にやるが、その中でもこの演奏は弛緩なくわりとスムーズに通っているほうだと思う。こういう演奏を聴くとクーセヴィツキーが余り棒が得意でなくメトロノームにあわせて一生懸命練習したという伝説も納得する部分はある(そんな訓練はごく初期のことだと思うが)。クーセヴィツキーがノると演奏が飛びぬけてリズミカルに楽しく進み、マジメにやろうとすると演奏は実直にドイツ的な固さをもった演奏になる。この差異は曲目でかなりはっきりわかれる。出来不出来とはリンクしないが、後者はけして面白い演奏にはならない。しかし共通して見通しいいスコアのあるていど透けて見えるような整理された音楽になるという点はある。色彩的・立体的というのはそのへんに起因する。この演奏も見通しはいい。まあ、○にしておく。アンコールだし多少の弛緩も仕方ない。
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☆サルマノフ:交響曲第3番

2017年05月01日 | ロシア・ソヴィエト
○ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(DREAMLIFE他)1965/11/24live・CD

一つ言えることは、この作曲家の曲の録音のほとんどがムラヴィンスキーによるということだ。私情をはさんでいると言ったら言い過ぎかもしれないが、親友ではあった。作風はまったくこの時代の「歪んだソヴィエト音楽」そのものであり、ショスタコやミャスコフスキーなど(ボリス・チャイコフスキー寄りかもしれない)同時代の腹に一物持つ交響曲作曲家のくらーい作品に似通ったかんじで、旋律があっても美しく聞こえず畸形化し、終楽章も死ぬように終わる。唯一聴けるのが3楽章のスケルツォで打楽器系の特殊な響きとリズムが面白いし独特の民族性を煽る。ムラヴィンにしてはそんなに巧いと言うほどの演奏ではない気もする普通の演奏。曲的に3楽章だけを評価して○、マイナスがないという点で○。よって○。
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☆シェバーリン:マヤコフスキーの詩「ウラジミール・イリーチ・レーニン」による劇的交響曲

2017年03月24日 | ロシア・ソヴィエト
○ガウク指揮ソヴィエト国立放送交響楽団他(OLYMPIA)1960・CD

録音状態はモノラルだが良好。ガウクにしては最上のたぐいだろう。曲はレーニン賛歌で特に意識して歌詞を聞く必要はないというか、聞かないほうがいい。音楽の本質を捉えるのにしばしば歌詞は邪魔である。曲的にはほんとに劇的って感じ。ブラスが吼えまくりチャイコフスキー的な盛り上がりやミャスコフスキー的な感情の揺れをわかりやすく聞かせてくれる。派手だし、比較的短いのも聞きやすさを助長している。これまたプロレタリアート賛歌な歌唱が入ってくると結構マーラーの千人を思わせる雰囲気が漂う。壮大でかつ神秘、というと誉めすぎ以外の何物でもないが、確かに聞かせる技は持っている。総じて技巧に優れたロシア音楽の優等生、という感じ。モダンな時代の人だから19世紀民族主義物が苦手なクチでも聞けると思う。もっともショスタコ中期も受け付けない人には無理だが。○。ガウクいいですよ。
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☆アファナシエフ:弦楽四重奏曲第1番「ボルガ」

2017年03月20日 | ロシア・ソヴィエト
○モスクワ放送弦楽四重奏団(melodiya)LP

演奏は鋭く立派なのだが、

もんのすごーくロシア。

って感じの曲。それもそのはず、ニコライ・アファナシエフは(ピアニストじゃないですよ)1821年生まれの古い世代の人で、この作品にかんしては「ロシア民族楽派初の弦楽四重奏曲」と呼ばれるほどなのだ。これは「追随者」のものではなく「先駆者」のものに近いんですね。ロシア音楽協会コンペの第1回優勝作品だそうで。民謡旋律に貫き通された楽曲はボロディン2番に通じる簡明さとチャイコに通じる鮮やかな手腕が感じ取れ、「追随者じゃなくて先駆者ですよ」と言われれば「えっあのまだまだ中欧的なチャイコ以前の作曲家が活躍していた同時期にこんな作品が??」と驚き賞賛する気持ちもわかる。グラズノフみたいな変な臭気もないしマニアックな作為もない、垢抜けた民謡音楽です。個人的には聞き飽きたたぐいだがロシアマニアにはたまらないでしょう。○。1898年に亡くなっているのでチャイコとほぼ同世代といっていいのかな。
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☆ダルゴムイシスキー:ボレロ

2016年10月08日 | ロシア・ソヴィエト
○シャリアピン(B)P.コッポラ(P)(EMI/HMA)1933/1/9パリ

今はどうだか知らないが当時未発売の音源をわざわざSP(相当の回転数、この歌は77RPM指定)で出したというEPサイズの企画盤。ボレロという名に惹かれたのが正直なところだがフランス録音でピエロ・コッポラが伴奏というところも魅力的だった。歌は古めかしいというよりは素直で楽しく、溌剌としたシャリャーピンの歌いっぷりは実に若々しい。コッポラは軽やかにリズムをかなで、ロシア語なのにフランスの歌を聞かせようとしているかのようだ。かなり音がよく、回転数だけのことはある。○。
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☆フレンニコフ:交響曲第1番

2016年09月17日 | ロシア・ソヴィエト
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(MELODIYA)1959/11ボストンlive・LP

珍しい録音でモスクワ録音とされたこともあるようだがボストンと明記されている。メロディヤではモノラルだが原盤はRCAでステレオの可能性が高い。モノラル末期の比較的良好な録音だがライヴなりのぼやっとしたところは残り、裏面の協奏曲(コーガン、コンドラシン)のほうが数倍クリアである。最初から最後まで焦燥感に満ちたえんえんと続く激しい愚痴、といった曲だがソヴィエトのリアリズム作家に典型的な作風が発揮されているともいえる。ただ、オケが洒落ているのと指揮者が統制力のある人であるために曲の価値が数倍上げられている感があり、ソヴィエト特有のお定まりの盛り上がりもショスタコ的な骨ばったものではなくかといってピストンやらアメリカ・アカデミズムの平易で安易なものでもない、「フレンニコフってなんだかんだいって独特の才能があったんだなあ」とまで言わしめる起承転結を曲想にあわせしっかりつけた演奏になっており、ブラヴォー大拍手も「いつもミュンシュが浴びているたぐいのものではなく」真にこの珍曲を名曲に仕立て上げたミュンシュとBSOへの賛辞と受け取れる。けしてミュンシュは洗練された指揮者ではないと思うのだがここではやはりロシアの指揮者と比べて数段スマートでまとまりいい演奏をする人、という印象が残った。○。
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☆チェレプニン:交響曲第4番

2016年09月11日 | ロシア・ソヴィエト
○ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1958or9/12/5live

名教師チェレプニンらしい緻密さとすぐれて洗練されたさまのみられる曲で、ウォルトン二番を彷彿とさせる垢抜けたオーケストレイションをスリリングに聴かせる一楽章、オネゲルっぽい西欧ふうに書き込まれたアンサンブルに加え、野蛮主義的に単純化された打楽器表現、チェレプニンらしさの骨頂たる鳥のさえずりをまじえた効果的な起伏をもつ二楽章は、ミュンシュなのでいくぶん鈍重でテンポが前にむかわないものの勢いはなかなか、この作者特有の繊細な響きを鋭敏にとらえて秀逸である。しかし終幕へむけてほとんどショスタコ中期の退嬰的な交響曲に類似した楽想に落ち着いてしまうと、ミュンシュの得意分野から音楽が外れていってしまうというか、平凡に落ちる感もある。録音はすばらしい。○。
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☆コンスタン・イワーノフ:宇宙交響曲~ガガーリンの思い出に

2016年09月05日 | ロシア・ソヴィエト
作曲家指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA)LP

ソヴィエトを代表する「体制側指揮者」イワーノフが権勢にモノを言わせて?録音した自作自演で、正直こんなアマチュアリスティックな「作品」をこのレベルのオケが真剣に国家的に録音したことは、今となってはどうでもいいことだが、真摯な専門作曲家にとってはやりきれない思いであったことだろう。確かに響きに対する感覚はソヴィエトの「レアリズム」に沿った範疇での現代性が新鮮に捉えられる、しかしオーケストレーションは殆ど単線的な、古臭い合唱曲のような簡素なものしか聴かれない。苦笑を禁じえない。もちろん珍曲を面白がる、という意味では価値はあるし、演奏自体は立派。理想主義に燃える「60年代的宇宙」・・・2001年宇宙の旅が公開される前の、アポロが月に行く前の、手塚治虫が「火の鳥」で描いたような、スター・トレックのテレビシリーズが示したような宇宙・・・を描写的に落とした「音楽」として、この三楽章制の表題交響曲を、一度聴いたら十分。冒頭のフラジオが、地球との交信電波を示すということからしてゲッソリ。ちょうどアメリカとソ連の宇宙船がドッキングに成功した(懐かしい)70年代後半に出た当盤、ライナーには放送初演が「熱狂的に受け容れられた」とあるが、党員には表面上、という前提をつけるべきかもしれない。

ちょっと謎めいた晦渋な部分もあるが、ショスタコの爪の垢程度、ということはつまり単なる時代性。イワーノフはプロフェッショナルな作曲法は学んでおらず、歌曲については実際に評価を得ていたようだが、この裏面に入っているコントラバスのための曲の評価などは殆ど「強制された歓喜」であったと思われる。曲マイナスで無印。
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