湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

鷺沼の湯治場〜有馬療養温泉旅館(自然鉄泉)立ち寄り可能

2021年09月06日 | 東京温泉
寒いので普通のスーパー銭湯に行こうと思っていたのですが、鷺沼駅でふと降りてみました。ここは昔の近在の人ならプールでおなじみの駅、しかしだいぶんに開発され東急田園都市線の他の駅と見分けのつかない駅前ロータリーです。バスに乗ります。徒歩だと厳しいかもしれない、停留所4つほどで降りてそのまま進行方向に大通りを歩くと左手低い舌状台地(龍宿山)の先から旅館があります。手前に八幡社があり、由来が書いてある。ここが有馬療養温泉、立ち寄りも可能なホテルになっています。


歴史は古く聖武天皇の時代にはお寺付属の霊泉として湧いていたとのこと。「有馬西明寺霊泉(誠の湯)」といい、滝としてあったものを役小角が拓いたとされますが、聖武天皇の王子が湯治に来たという記録があるとのことです。のち天皇源氏北条家の名だたる大物が訪問したといいますが、詳しくは公式サイトにありますので参照ください。西明寺は858年円仁により影向寺の末として小杉に移転し、現存します。あちらの周辺は黒湯が出ますが、こちらはまるきり違う単純冷鉱泉、炭酸を含む鉄泉です。源泉は緑がかった透明、炭酸が抜け酸化すると明るい茶色となり、硫黄などは含まれませんので当たることはありませんが、浴槽を染めるほどには赤い沈殿物を生じています。西明寺から近在の行場に薬湯として運び湯(当初から冷泉であったようですが)されたりはしたようです。常楽寺にも記録があるそうで、薬用された療養泉としては日本有数の古いものである可能性があります。鉄分が黄金に輝くので、運ぶ途中でこぼれたものすらありがたがられたそう。

災害で長らく絶えたと思われたものが昭和四十年に今の旅館敷地から湧き出たというので、八幡様の霊験とし祠が設けられたとのこと。時の大臣園田直氏が通い霊光泉と命名して建碑されました。


ちょっとびっくりするほど温泉旅館風情が漂い、レトロな部分はレトロで残していますのでそういうのが好きな向きには受けるでしょう。昔はもっと湯治場ふうだったようです。宿泊客も場所のわりに多いですが、湯を見ればこれは湯治向きとわかります。前記したように湯の状態が酸化の程度で変化します。加温以外手を加えないので毎日全部入れ替え(調節して源泉かけ流しもされています)し、そのため夜中や早朝は入れないそうですが、一番風呂は加温によって冬場は表面に鉄分の膜が張ることがあり、炭酸が抜けるさい泡がわき、今どきは人気の炭酸泉にもなるらしい。時間が経つに連れて茶色が濃くなり透明度はなくなります。私は茶色でしたがこういう個人経営の東京温泉としては比較的広いと思われる浴槽周縁部の透明度が少し高く、循環湯や成分の異なる濁り湯との違いは感じました。


私は湯あたりしやすいのですが、かなり長い時間入っていられました。浴室は綺麗にリフォームされており成分の濃い温泉としてはかなり力を入れて掃除されてますが、どうしても鉄分が上の方まで赤味を被せてしまう模様。でもそこがまた温泉気分を盛り立てます。なぜこんなに上まで、とも思いますが源泉をぺろりとしたら強烈な鉄味。透明な源泉がかかっても赤くなってしまうのですね。ほぼスーパー銭湯的なからん設備(シャンプー等完備)は時に湯が出にくいですが、見ていたら湯治の人は何度も入っているのであまり洗い場を使わない。コロナ対策はしっかりとられていますが脱衣場など日時によっては混むと入りにくいかもしれないな、というところもありますので、こういうところはゆっくりしたほうがいいので、そこは考えて行くといいです。


休憩室は畳敷き。道と社に接した部屋です。1200円でタオルセット込み。鉄泉は子宝の湯といいますね。入ってすぐ浴槽まで辿り着けるので、気分で行くのがまた良し。
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