湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

リムスキー・コルサコフ:スペイン奇想曲

2019年02月06日 | リムスキー・コルサコフ
ストコフスキ指揮CSO(vai)1962/1/3放送live・DVD

視覚的にはストコフスキーのものがいちばん期待できる。だが少し古すぎたか、ぼやけている。カメラワークは後年のカラヤンを思わせる「もの」で映画的なものが好きな人は見応えあるだろう。併録のヒンデミットのへっぽこテレビカメラより格段にプロだ。曲はソロの数珠つなぎだけにカメラマンの腕がなる。そして音があまりにストコフスキーで、笑ってしまった。最初の玩具のような音(録音機性能含め)!しかしそれは高音を極端に重視し派手で拡散的な音響を志向するからで、その独特の効果は認めねばならない。スネアとピチカートと開放弦打音の瑞々しさ!木管、ハープのフランスのような雰囲気…案の定精度は下がり、他の指揮者の映像に比べてすこし耳のレベルを落とさないと聞いてられない箇所はあるが、慣れるとこのプラスマイナス引っくるめて一つの芸術とかんじられる。コンマスはじめソロの技巧的な演奏は、オケより重視されているように見える。ソロに合わせてオケをドライヴする!曲がそうなのかもしれない。それにしても、ヒンデミットの地味なドイツ臭い音と、このハデハデなフィラデルフィア臭い音の差といったら。リムスキーはこっちのほうが向くかな。奏者は明らかにこちらのほうがノッている。ラストでは血沸き肉踊るでしょう。ストコの指揮は背筋が伸びて地味ですよ。白髪の老人はこのあとまだ十年以上振り続ける。静止画で終わるが無観客か。
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リムスキー・コルサコフ:ロシアの復活祭序曲

2018年08月01日 | リムスキー・コルサコフ
ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades/Universal)1957-59・CD

チャイコフスキーと共通の主題が使われたりなど国民楽派の色濃い曲だが、この後期ロマン派音楽をロザンタールはドガシャーンドガシャーンと、まさにロシアのお祭りを国民楽派ふうに演奏し立派に聴かせる。やかましいのは曲のせい、フランス音楽からこれに立ち戻ると飽きてしまうのも曲のせい、そこは堪えて。立体的で曖昧さのない組物として聴くと、一本一本に野太さが要求され、そうしないとボリュームの出ない古い曲であることはわかる。
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リムスキー・コルサコフ:歌劇「サルタン王」〜くまんばちの飛行

2018年08月01日 | リムスキー・コルサコフ
ロザンタール指揮パリ国立歌劇場管弦楽団(Ades/Universal)1957-59・CD

スマートさがなくゴージャス過ぎて、ちょっと重い。くまんばちじゃなくヘリコプターの飛行が華麗に描かれた演奏か。
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☆リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード

2017年12月28日 | リムスキー・コルサコフ
〇シュヒター指揮北ドイツ交響楽団(MHS)LP

珍しい録音をいろいろ出していた新しい会員頒布制レーベルからのこれは再発か。オケ名も不確か。がっちりした構成でしっかり聞かせる演奏。まさに純音楽指向で艶や感興とは無縁。このストイックさにごく一部のマニアは惹かれるのだろう。N響時代のことなんて誰も覚えちゃいないだろうが、統率力の大きさと無個性な解釈のアンバランスさに、忘れられても仕方ないかな、と思う。いつも後期ロマン派以降の曲の演奏でみせる杓子定規的な表現は、この珍しいステレオ録音では意外と悪い方向へ向かわずに、曲が本来持っている生臭さをなくして非常に聴きやすくしている。はっきり言って「普通」なのだが、そのまま気持ち良く聞き流せてしまう、何も残らないけど気持ち良い、そんな演奏もあっていいだろう。〇。

※2005-08-02 09:11:54の記事です
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☆リムスキー・コルサコフ:交響曲第2番「アンタール」

2017年12月06日 | リムスキー・コルサコフ
○コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(gramophone)1933/3/15・SP

リムスキーがこの曲を一気に書きあげたとき、ボロディンは2番シンフォニーやイーゴリ公に取り掛かっており、ムソルグスキーは結婚を書きかけていたと記している。まさにクーチカが偉大な作品を生み出しつつあった中でリムスキーはむしろ後塵を拝したような形であったようにも見える。当時聴いた「ローエングリン」への挑戦的な態度を示しつつ、実はワグナーのほうが先をいっていたのだ、と述懐しているが、前衛と言えるような和声上の冒険、オリエンタリズムをふんだんに盛り込んだアンタール(初期において交響曲とされたが後年自身で内容から交響組曲として編んだ)について自身でほとんど触れていないのは、霊感の差を感じてのことかもしれない。確かにシェヘラザードや禿山の編曲を彷彿とさせる煌びやかな管弦楽法が駆使されてはいるものの、交響曲としても叙事詩としても構成感に欠け冗長であり、まとめるさいには演奏者による積極的解釈が求められる。現在もあまり演奏されない。

同演奏は(しかしながら)世紀初頭までパリにてもてはやされた同曲の最初期の録音になる。煌びやかな響きと古めかしい奏法が魅力的に聞こえるが、コッポラの颯爽として緩まない棒によって素っ気無いほどにまっすぐ進められていく。このコッポラのやり方は同曲に限ったものではなくある程度収録時間制約を前提とした録音媒体ありきの表現であった可能性は高いが、この曲のようなちょっとだらだらとしたものには向いているかもしれない。なにぶん編成を絞って無理にラッパに吹き込んだものなので曲の内包する開放的で派手な魅力はほとんど伝わらないし、下手とも聞こえてしまうところがあるが、いくぶんの想像力をもってホール残響を脳内添加して聴くと違って聞こえるかもしれない。○。

こちらより1楽章を聴くことができます
http://www.youtube.com/watch?v=kVnTovOWXas

※2010/12/7の記事です
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☆リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード

2017年12月02日 | リムスキー・コルサコフ
○ハラバラ指揮チェコ・フィル(SUPRAPHONE/Columbia River Ent.)1953・CD

今はシャラバラと呼ぶのか?ずっとハラバラと呼んでいたので・・・ここではハラバラと呼ぶ。シェラザードだってシェヘラザードと呼んでるのでいいんです。千夜一夜物語と書いたら誰にも伝わらないし。LP時代の名盤で、数多い同曲の録音、とくに旧東側の録音としては聴き応えがある。お国ソヴィエトの演奏のようにばらんばらんに豪快でソリストが主張してばかり、でもなくかといって緊密すぎて面白みがなくなることはない、ソリストは誰もかれもオケプレイヤーとして非常にすぐれて必要な機能だけを発揮しており、ケレン味は必要なだけ盛り込まれ、ふるい録音なりの録音の雑味が山葵となってきいている。デロデロの甘甘になりがちな3楽章が重くも軽くもなり過ぎず音楽としてよく聴かせるものとなっていて印象的だった。ハラバラはリズムもさることながらテンポ運びが巧い。ルバートをルバートと感じさせないスムーズさで独自の揺らしを加えてくる。それがすれっからしの耳にも好ましく響く。4楽章がいささか冗長で、トータルでは○だが、いい演奏。ネットでは手に入るよう。

※2009/12/23の記事です
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リムスキー・コルサコフ:スペイン奇想曲

2017年07月24日 | リムスキー・コルサコフ
○ピエルネ指揮コンセール・コロンヌ管弦楽団(ODEON)SP

最初と最後の祝祭的盛り上がりは華やかでいいのだが、組曲ふうにつながっていく曲なので、おそらく録音も跡切れととぎれにやったのだろう、ツギハギのように聴こえ、少し興を削ぐ。元の録音がしっかりしているようで再生の音量もちゃんと出ており、その点は異論はない。ラ・ペリの盤を思い出す。余った部分に熊蜂の飛行が入っているのは既に書いた。フランスの楽団はロシアの曲をよくやったし、これもその意味ではこなれてはいるのだが、最後の方が撚れてしまい膝折れしてしまった。や、原因は盤かもしれないが。ピエルネも手練の専門指揮者ではないからこういう古い曲はやりやすそうだ。
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☆リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード

2017年05月30日 | リムスキー・コルサコフ
○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1962/5/21live

非常に臨場感のあるステレオ録音で、いちいち楽器配置を変えて演奏しているのか、音楽が意表を突いたところから聞こえてきたりといった面白さもよく聞き取れる。多分、会場で聴いているアメリカ人に最もわかりやすいように、どぎついまでに表現を色彩的にしようとしたのであろう。ソリストのメドレーのようにメロディラインが強調され、それがまた物凄いうねり方をするために(スタジオ盤もそうだったが相手が最強のパワー楽団(しかもオーマンディ時代のボリューム・アンサンブルを誇ったメンツ)なだけに尚更!)1楽章くらいは「青少年のための管弦楽入門」のように楽しめたが、3楽章では「もういい・・・」と苦笑。しつつ結局いつものアタッカ突入で楽章変化すら定かじゃない流れで物凄い終局にいたるまで聴いてしまった。弦楽器はいくらなんでも反則だよなあこの力感。。まあ、会場は喝采だろうなあ。録音の限界というものを「逆方向で=どぎつさが更に強調されるようなキンキンした音で」感じさせられた次第。いや、ストコ/フィラ管のステレオでこの曲を聴けるというだけで最大評価されても不思議は無いと思う。○。

※2006/12/25の記事です。
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☆リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード~Ⅰ抜粋、Ⅲ

2017年04月30日 | リムスキー・コルサコフ
イザイ指揮シンシナティ交響楽団(SYMPOSIUM)CD

しかし変な盤だな。イザイ晩年(昭和初期ね)のアメリカオケの指揮記録だが、粘らずさっさと進むだけの軽い1楽章後半抜粋、テンポは遅くついているが何故か重い響きの(速い場面はなかなかリズミカルだが)3楽章、お世辞にもプロらしさはなく、まあオケのアメリカぽさのせいもあるがシェヘラはこんなんか?というところもある。3楽章は速いとこはいいんだが、ロマンティックな揺れを入れようとして人工的になっちゃってるんだよなあ。コンマスソロが意外とうまいがイザイじゃないだろう。○。
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☆リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード

2017年04月23日 | リムスキー・コルサコフ
◎ベイヌム指揮ACO(movimente musica,warner)1957/4/30アムステルダムlive

イワーノフのシェヘラザードを手に入れ損ねて不完全燃焼の状態にふとこの盤を手にとる(イワーノフはかなりリムスキーをいれているのだが復刻が進まない。時代が悪かった、スヴェトラ前任者でモノラルからステレオの過渡期にいただけに陰が薄くなってしまった)。びっくり。

物凄い力感である。そうだ、アムスはこんなオケだった。シェフ次第ではこんなに剛速球を投げる名投手だったのだ。もちろん音色的には必ずしも目立ったものはなくソリストも特長には欠ける(ヴァイオリンソロのとちりには目をつぶれ!)。しかしベイヌムという非常に求心力の強い指揮者のもとにあっては、ひたすらケレン味も憂いもなく、アグレッシブに(3楽章でさえも!)強烈な音力をぶつけてくる。録音も非常に強い。撚れなどもあるが生々しさこの上ない。とにかく気分を発散できる演奏で、まるでライヴにおけるドラティのように「中庸でも玄人好みでもない」ヘビー級の剛速球を投げつけてどうだ、と言わんばかりの感じ、もちろんリムスキーの色彩のフランスライクな側面が好きな「音色派」や、解釈の起伏を楽しみたい「船乗り型リスナー」には向かないが、単彩なコンセルトヘボウを逆手にとった「とにかくこれが俺のシェヘラちゃんなんだよ!オラ!」と言わんばかりの男らしい演奏、私は決してこれが一般的に名盤とは思わないが、個人的に◎をつけておく。飽きません。コンドラシンですらこざかしい。
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☆リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード

2017年04月04日 | リムスキー・コルサコフ
○ストコフスキ指揮モンテ・カルロ・フィル(DA:CD-R)1967/7/26live

オケは集中力が高くまとまっていて、各ソリストの技量も高い。ギトギトの脂ぎった光沢をはなつストコの音楽を実に忠実に勢いよく表現しきっている。拡散的で非常に色彩豊かな音響を作るストコの特徴が過度にならず出ていて面白い。ライヴなりに精度には限界があり、ストコらしい彫刻の雑さも耳につく。録音はエアチェックにしてはおおむねよいほうだが撚れや電子雑音が目立つ箇所もある。従ってけしてストコの録音として万全とは言えず、別にこれを取り立てて聴く必要はないが、ダイナミックで異様な迫力に満ちた派手派手なこの音楽が、80台半ばを迎えた老人の指先から生まれてきていることを思うと感動すらおぼえる。耳の確かさ、頑丈さは尋常ではない。これは手兵による演奏ではない。なのにここまで指示が行き届き実演にて統制がとれれば十二分である。下振りによる入念なリハや勝手な指示が山ほど書き込まれた譜面が配られていたにせよ。○。
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☆リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード

2017年03月19日 | リムスキー・コルサコフ
○チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(euroarts)DVD

恐らく70年代後半の映像か。見た目の「窮屈さ」と音にみなぎる覇気の間に少し違和感をおぼえるがテンシュテット同様そういうものだろう。まさかカラヤン方式(別録り)ではあるまい。スピードも縦の強さもチェリ壮年期のかっこよさを体言しており、スタジオ収録映像にもかかわらず掛け声をかけたり気合が入りまくりである。シュツットガルトもかなり精度が高い。まあ、チェリのシェヘラザードはたくさんあり、その芸風の範疇におさまる記録ではあるので、見た目にこだわらなければこれを入手する必要はないとは思うが、生気ある白髪チェリを拝みたいかたはどうぞ。モノラル。
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☆リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード

2017年02月02日 | リムスキー・コルサコフ
○ズーク(Vn)イワーノフ指揮モスクワ放送フィル交響楽団(THEATRE DISQUES:CD-R)1978/3/16LIVE

これはMELODIYAで流通していたLP原盤なのだろうか?何故か縁無いうちに裏青化したので買ったが、明らかな板起こしである。取り立てて名演ではないが何故中古市場にそれほど出回らなかったのか?

1楽章は落ち着いたテンポで足取りしっかりとドイツっぽさすら感じさせる。この人はベートーヴェン指揮者であることをしっかり意識して、余り拡散的な灰汁の強い表現をしないときのほうが多い(もちろんするときもある)。楽器の鳴らし方は全盛期スヴェトラとまではいかないが豪放磊落で倍音の多い分厚い音響を好む。だがこの頃のメロディヤのステレオ盤は盤質のこともあり心持軽く薄い響きがしがちで、これも例えばミャスコフスキーの新しい録音で聞かれたものと同じ、ロシア人指揮者にしては相対的に個性が弱く感じるところもある。中庸ではないが中庸的に感じられるのである。

中間楽章では1楽章ほどに遅さは感じず、でも常套的な気もする。ブラスの鳴らし方は思ったとおり、といったふうでロシア式。ヴァイオリンソロはすばらしい、D.オイストラフを思わせる安定感もあるし変なケレン味を持ち込まないのがいい。3楽章はでろでろしているのだが、生臭くない。これは不思議だが中低音域を強く響かせる少し中欧ふうの感覚の発露かもしれない。

4楽章は想定どおりの大団円をもたらしてくれる。これは勿論この人だけではなく同じような盛り上げ方をする人はいくらでもいるんだが、素晴らしく盛り上がる、とだけ言っておく。○か。強くインパクトを与える感じはしない。強いて言えばラフマニノフのシンフォニー2番と同じようなスタンスの録音と思った。
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☆リムスキー・コルサコフ:シェヘラザード

2016年10月02日 | リムスキー・コルサコフ

◎クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1946/4/6live


怒涛の剛速球、凄まじい名演。とにかく速く、カットがあるのかと思うほど。ラフマニノフのシンフォニー2番ライヴに近いスタイルで、これは弛緩した楽曲にはうってつけのやり方である。ボストン黄金期の機能性と馬力が最大限に発揮され、ミュンシュライヴと聴きまごうほど。統制が凄く、専制君主的な存在であったことを伺わせるが、聴く側にとっては清清しい。ミュンシュのような柔軟な統制ではなく一直線なので確かに単調な側面はあるのだが、ロマンティックなグズグズの曲やパズルのような構造をきっちり組み立てないとならない現代曲にはこのような直線的スタイルはあっている。ほんとにあっという間に聴き終わり、終演後の大喝采も演奏の成功を物語る。ロシア臭が無いというわけでもなく、濃厚な味がぎゅっと凝縮。3楽章ではねちっこいまでの自在なルバートが詠嘆のフレーズに織り込まれる。いや、私はこのシェヘラザードなら何度でも聴ける。録音がかなり悪いが、◎。

クーセヴィツキーについて>
20世紀前半の25年間ボストン交響楽団に君臨した亡命ロシア人指揮者。音楽キャリアの最初をコントラバス奏者として始め、ソリストとして名声を確立してのち指揮に転じた。夫人の財力を背景にオーケストラを組織し既に現代作品の擁護者としても活動していたが、革命後ロシアからフランス経由でアメリカに活躍の場を移してからはボストンに居を据え、中欧指向の強い市民に対してロシアものやフランスものを積極的に紹介し、周辺国作品の十字軍的役割を果たす。ボストン交響楽団の中興の祖であり、五大オケに持ち上げた功績は大きい。その技術力を背景に新作初演をストコフスキと争い、委属を大量に行ったことでも知られる。中でもラヴェルの展覧会の絵編曲やバルトークのオケコンは有名。未だ黎明期であった作曲におけるアメリカ・アカデミズムを盛り立てた功労者ともなっており、新作擁護のクーセヴィツキー財団の存在は国内外に対して絶大であった。

ボストンの聴衆には尊敬されていたが、プロフェッショナルな指揮技術を学んでいなかったため解釈表現には賛否あった。他聞に漏れず専制君主的でありスクリアビンやプロコフィエフとは交流が深かったものの余り好感を持たれていなかったようでもある。元来ショウマンシップを持ち合わせた自由人であったことが芸術音楽指向の強いプロには余り受けなかったということもあろう。その態度ゆえんか演奏都合で曲をどんどん変えていく調子にはラヴェルも好感を持たず、晩年のバルトークも同様であったとも言われる。

ただこの時代そういった指揮者は珍しくなかった。教育において高い能力を持っていたことは夏季教育プログラムの主催に言及するまでもなく結果が証明している。バーンスタインは弟子にあたる。幅広いレパートリーを持っている中で中欧作品の演奏でも評価を得ていたが、リヒャルト・シュトラウスより後の前衛作品には手を出していない。50年代に亡くなりライヴに活動の重心を置いていたため活躍の割りに正規スタジオ録音が少なく、音質も悪いものが多いことから現代は余り評価されていないが、極めて集中度が高くそれでいて理知的に整理された演奏ぶりは、ラヴェルやシベリウスの作品において特に今も愛好されている。
シベリウス:交響曲第2番, 第5番(クーセヴィツキー )(1935-1936)
シベリウス
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バルトーク:管弦楽のための協奏曲/ムソルグスキー:展覧会の絵(ボストン響/クーセヴィツキー)

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ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)/ラヴェル:ボレロ/他(クーセヴィツキー)(1930-1947)
ムソルグスキー;ラヴェル
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シベリウス、オケコンとラヴェル集をどうぞ。
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リムスキー・コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」

2013年08月12日 | リムスキー・コルサコフ
◯ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(FKM:CD-R)1962/2/6live

ホワイトノイズが多いが音は明晰でステレオ。デロデロなのだがそれが最も際立つのはやはり三楽章。ストコの手綱さばきもなかなかのものでフィラ管を自由自在に動かして極限の伸び縮み歌を聴かせている。弦のアンサンブルがこれで崩れないのはすごい。解釈が行き届き過ぎている。ストコの掌中に戻ったフィラ管のパワーを魅せつけるのに最も適した曲、四楽章冒頭の異常な迫力から、ストコここにありというような音楽の洪水を楽しみましょう。
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