○フィテルベルク指揮ポーランド国立交響楽団(LYS)1947/11/2・CD
時代なりとも言えないくらい茫洋とした音だが荒々しいこの指揮者の粗雑さが和らげられ「融合的な音響」が形作られており、調和して聴きやすく、より楽曲自体の本質と思われるものが見える録音となっている。これを聴いて思うのは必ずしもリヒャルト・シュトラウスではなく寧ろフランツ・シュミットの趣味に近似しているということである。もちろん実験性の方向(後者は楽曲形式的・和声的な実験にのみ向かっていたように見える)や嗜好性の違いはかなり大きいし、オーケストレーションにはおのおのの独特の部分がある・・・ピアニストであったシマノフスキのほうが細かく構造的密度が高くチェリストでもあったフランツは旋律とそれに寄り添う和音進行にのみ集中しているように聴こえる・・・が、ともに同じ空気を吸った、ロマン派の末期の水をとるような生暖かい雰囲気はなかなかである。
時代なりとも言えないくらい茫洋とした音だが荒々しいこの指揮者の粗雑さが和らげられ「融合的な音響」が形作られており、調和して聴きやすく、より楽曲自体の本質と思われるものが見える録音となっている。これを聴いて思うのは必ずしもリヒャルト・シュトラウスではなく寧ろフランツ・シュミットの趣味に近似しているということである。もちろん実験性の方向(後者は楽曲形式的・和声的な実験にのみ向かっていたように見える)や嗜好性の違いはかなり大きいし、オーケストレーションにはおのおのの独特の部分がある・・・ピアニストであったシマノフスキのほうが細かく構造的密度が高くチェリストでもあったフランツは旋律とそれに寄り添う和音進行にのみ集中しているように聴こえる・・・が、ともに同じ空気を吸った、ロマン派の末期の水をとるような生暖かい雰囲気はなかなかである。