Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

スペインの旅 (18) アルカラ・デ・ロス・ガザレス(Alcala de Los Gazales)

2010-10-14 12:50:05 | キャンパーヨーロッパ 2010年

2週間ぶりにWiFiのあるキャンプサイトへやってきたので、このブログを再開する事ができた。ここはポルトガルのクェイテイラのサイトで、クリスマス前からお正月まで過ごしたところ。ポルトガルは安く、暖かく住みやすいところだ。このサイトで1週間、ブログを Up to Dateまで書き込み来週は次のサイト(WiFi が無い)へ移動する予定。

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ロンダは歴史豊かな見所いっぱいのすばらしい町だがなにぶん高所に在るため寒い。おまけにキャンプサイトが高くて一泊23ユーロ、ここに4泊もしたが観光に繰り出したのはたったの一日だけだった。2週間前に書いたロンダのブログの後からは、天気が崩れ寒風吹き荒れ、町を取り囲む山々は雪で真っ白になってしまった。5日目の朝、雨模様の寒い日でとうとう諦めて、来年機会が在れば又来ることにし、この地を去ることにした。ひとまずこの山を降りなければならない。






郊外のオリーブ畑を通って山脈にさしかかった。それまではなだらかな丘陵地帯で、オリーヴの木が整然と並んでいる。これで青空だったらどんなにすばらしいだろうとため息をつきながらここを通り過ぎた。







この道は山越えの道路ではなく山脈の中腹をどこまでも走り、途中に岩山にへばりついたような村が現れる。村の周囲はアーモンドの花盛りでいろいろな濃さのピンクで彩られていた。





道路も最高部辺りに石器時代の洞窟絵画が有名なところが在り周囲はアーモンドの花が満開だった。せっかくこんな辺鄙な道を近くまで来たのに、今夜のキャンプサイトに早く着きたい一心で余所見をしない亭主は停まってくれない。ここも来年来ることにと固く心に誓った。







山脈の中腹は行けども行けども果てしなく、道の両側はコルク樫の木が整然と並びそれが全部皮を剥ぎ取られている。新しく皮をはがれたコルク樫の幹は赤っぽい塗料が塗られで木を保護して在るらしい。まるで傷口に赤チンを塗ったみたいだった。それも古くなると赤色が黒さを増し、若しこれらの木が皮を再生しなかったらどうなるのだろうと心配しだした。






アルカラ・デ・ロス・ガザレスの町近くなると道路はぐんぐん下り坂になり、身に感ずる冷気がずっと和らぐ。小高い丘の上の教会を取り巻くスペインのどこにもあるような町で、たった1軒だけ開いていたスーパーマーケットで食料を買い込み、4Km離れたキャンプサイトへ向かった。



この夜は一晩中雨が降り続き、もともとぬかるんでいたサイトからキャンパーの車が沈み抜けられなくなった。親切なスペイン人のお兄さんが二人で押したり引いたり、最後は彼らのヴァンに紐をつけて救助してくれた。



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ポルトガルの旅 (28) 再びポルトガルへ

2010-10-12 14:19:37 | キャンパーヨーロッパ 2010年



朝10時過ぎ、スペイン最後のキャンプサイトを出発、高速道路でセルビアの環状線からポルトガルへ向かった。まるで逃亡者だ!!!

スペインで安いものといえばガソリン・ディーゼル類、ポルトガルの国境でタンクを満タンにして午後も早くにオルニャオのキャンプサイトに着いた。このサイトはスペインへ向かうときに3泊した今までで一番大きなサイトで、キャンパーの駐車場だけでも700箇所以上在る。おまけにバンガローも多いから、トイレ、シャワー洗濯場などの設備が10箇所もあるマンモスキャンプ場で、入り口から最奥まで歩いて10分以上かかる。
このサイトにはWiFiが無いので誰にもコンタクトできないまま12日間も過ごしてしまった。









スペインからポルトガルはどこもアーモンドの花が満開で、それにもましてアゼダスの黄色の花が咲き誇っている。この町はコウノトリの夫婦があらゆる高い所(煙突、電柱)に巣をつくり数えるだけでも10組の夫婦ものが落ち着いている。コウノトリは生涯結婚相手を変えることが無く、この暖かい地で雛を育てるために大きな巣を作っている。その巣は木の枝が多いがなぜか一組の夫婦の巣はぼろのようになったビニールが多くぶら下がっていて真に見苦しい。そして巣つくりの嫌なすずめが借家していて、巣の下方から出入りしている。夫婦は愛情表現として嘴をパクパクさせるが、その音は大きく高いところからカツッカツッと音が降ってくるときは、コウノトリが求婚しているのだ。
スペインからポルトガルへの高速道路脇の電柱にもコウノトリの巣がズラーと並んで作られていた。まるで人間と同じで群れを作る動物らしい。






キャンプサイトから港や魚市場、野菜市場は歩いて30分もかかるが、晴天の下海辺を歩くのは本当に気持ちのよいものだ。港の桟橋から魚市場の赤いレンガの建物はよく見える。この市場は毎朝開いているが、寝坊の私たちは午前中の一番にぎやかなときに訪れたことが無い。







魚市場の横からは椰子の木に囲まれた公園になっていて、たいていおじいさんが何人かベンチで日向ぼっこしているが、このおじいさんは下を見るのがつらいだろうな。アズレージョで飾られた公園のベンチがいい。







海岸べりのレストランで食べた鯵のフライが忘れられなくて、又行って注文したがこの日は鯵も鯖も無いという。がっかりして亭主と同じ子牛のステーキにしたが、やっぱり魚が食べたかった。午後になると港の海水がどんどん引いて、潮干狩りの人たちが砂地をかき回していた。








町の西側も郊外は塩田が作られていて、冬の間は休業しているが、昨年からの塩の山がみえる。色とりどりの野の花が咲き誇るポルトガルの春!!!!






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ポルトガルの旅 (29)オルニャオ土曜マーケット 

2010-10-11 11:11:54 | キャンパーヨーロッパ 2010年

オルニャオのキャンプサイトは大きすぎて、長期にわたってその地に住んでいないとサイトの住人から無視されてしまう。
それで12日間も住んでいたが毎日顔を合わせおしゃべりできたのは、隣のキャンパーに一人で住んでいるオランダ人のおじいさんだけだった。彼は毎朝自転車に乗ってマーケットへ買出しに行く。そして彼から土曜日は魚・野菜市場の周囲に土曜市が開かれることを聞いた。

雲ひとつ無い青空の下、二人でテクテク歩いてマーケットへ向かっていたら、おじいさんがおはようの挨拶と共に自転車で追い越していった。

土曜市はどこからこんなに人が湧き出てきたかと思うほどの賑わい。魚・野菜市場の建物の後ろの広場に屋台を出した近隣のお百姓さんやマーケット専門の屋台のお店屋さんでいっぱいだった。ここのマーケットは以前に行ったクェイテーラの水曜マーケットよりぐんと大きく、見て歩くだけでも楽しい。














今一番シーズンなのはオレンジで1Kg50セントから、そしてポルトガル産のアーモンド、胡桃、乾燥いちぢく、はちみつが売られている。オリーヴの塩漬けと殻を取ったアーモンドの実など野菜と一緒にしっかり買い込み、お菓子の元をぐるぐる搾り出して油で揚げた面白いもの(下の写真)を買ってみた。ローカルの人たちは上げたてをすぐ砂糖にまぶしているが、それは遠慮してそのまま紙に包んでもらい熱いのをかぶりつく。まるでヨークシャプディングを油で揚げたような味だったが、油でギトギトになった。





魚市場も大盛況、写真を写していたら魚屋のお兄さんが ”はい、チーズ ”とポーズをとってくれた。新鮮な鯖や鯵が安い。先日レストランで食べ損ねた鯵のから揚げをしようと1Kg買って3ユーロ、骨が嫌で魚が食べられない亭主の為にマグロの切り身700g--赤身のマグロは刺身にしてもトロほど美味しくないことが初めて判った。
新鮮な鯖はしめ鯖にしようと2Kg も買い、残りは3枚におろして冷凍に。これだからマーケットはやめられない。


















オルニャオの町は意外と大きく、新市街地に新しいショッピングセンターが建っている。1-2階はお店が並んでいて、地下は駐車場、三階がフードコートになっていて、最近はやりのテント様式の屋根がモダンだ。この3階はテントの屋根とガラスの仕切り戸の間が開いていてすずめが出入りしているし、全体に暖房がまったく無い。雨は降り込まないが風は通り抜ける。寒い北国では信じられないような公共の場だった。






ここで昼食を食べることにした。くるくる寿司も在るが食指が沸かない。亭主はサンドイッチのお店でトーストサンドなるものを注文し、私もほかに何かを注文しようとしたら、お店のお兄さんが”これはとっても一人で食べられないよ、二人分はあるから”と言ってくれた。
中に薄い肉とチーズ、それにサラダが挟まっていて6ユーロ、暖かくとってもおいしかった。この巨大なトーストサンドイッチ!!!!



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ポルトガルの旅 (30) リア・フォーモーザ自然公園

2010-10-11 10:51:49 | キャンパーヨーロッパ 2010年



キャンプサイトから歩いて5分くらいのところに自然公園が在った。毎日すばらしい青空だったから、一日この公園で過ごそうとサンドイッチに飲み物も準備して出かけた。
公園の入り口で入場料二人5ユーロを払い、公園の地図をもらった。
ここはファーロからタヴィーラまでの海岸線が長い砂丘と小島で防波堤のようになった内海で、遠浅の海は潮の満ち干が特に激しい。

そしてアフリカへ渡る渡り鳥が一時翼を休めるところであり、潮の満ち干を利用して延々と続く塩田は、夏には働く人たちで賑わっているであろう。









磯しぎやオイスターキャッチャー、千鳥の群れがいたるところに見られ、特に気に入ったのがスプーンビル(ヘラサギ)これらは20羽ほど群れになり人を恐れてだんだん遠くへ行ってしまい、望遠でもやっと写った位だった。バードウオッチングのおじいさんが一人、日焼けして赤くなった鼻をテラテラさせて挨拶していった。






この公園の海岸べりには巨大な湖が2つありそれが一部で海水を引き込むようになっている。ちょうど引き潮時で水門から海へ流れ出る水の早さには驚いた。どんどん水が減ってゆき湖はほとんど干上がりそうになっていった。その満ち干の激しさを利用して、この地では昔から小麦の精製などしていたから、この公園内に説明案内が設置されていた。
ウームーー昔からここの人たちは偉かったんだ。





繁華街の真ん中の騒音の中に巣を作っているコウノトリだが、地上に降り立ったときには極端に臆病になり、決して近寄らせてくれない。コウノトリも鶴の仲間だなーと思ったのは彼らが飛んでいる時の姿がまるで日航のサインと同じだったから。







公園内の砂浜に自転車を停めた土地の人たちは遠浅の海を横切ってゆく。20-30分もすると公園と向かいの島の真ん中に砂地が現れ、潮干狩りの人たちがせっせと掘り起こしているのが見える。彼らは採ったアサリをマーケットや道端で売っていた。








公園内の中心に立派なインフォメーションセンターがあり、その玄関広間にマグロ漁業の模型が在った。それでスペインのロッシェで赤さびた膨大な数の碇がこれに使われていたことを知った。最近スペイン・ポルトガルのマグロ業は乱獲の為に不振が続いていて、港に放置されていたのだ。




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ポルトガルの旅 (32) アーマセル・デ・ペーレ(Armacao De Pere)

2010-10-10 15:31:24 | キャンパーヨーロッパ 2010年



まず初めに訂正しなければならないのが、この町の名前で、今までアーマカオ・デ・ペレと呼んでいたが、キャンプサイトで初めてアーマセルと呼ぶのだと教えられ、ポルトガル語のなんと複雑なこと。この町は2004年の冬にフランス、スペイン、ポルトガルを周ったときにすっかり気に入って、2週間も落ち着いたところだ。町から1Kmほど離れたキャンプサイトで2週間楽しんだものだが、今回は町の入り口のキャンプサイトに決めた。ここのほうがショッピングに行くのは便利だし、サイトの値段も変わらない。以前はこの便利なサイトは1Km離れたサイトより高かった。

たった6-7年間のこの町の変化にはとっても驚いた。町のサイズが2倍になっているし、古くて汚らしい建物が,一掃されてどこを見ても真新しい高層建築ばかり。ほとんどがホリディフラットらしいが、一般住民のフラットもきれいになっている。旧市街は総タイル張りの壁の住宅地が並んでいて、この辺りを歩いてみて昔をおもいだした。












この町の中心はこの小さくてきれいな教会で、カソリックのこの国では、聖母マリア信仰が篤い。きれいな聖母マリアの絵が飾られていた。ここは日曜日に開いているが牧師様を見かけたことは無かった。その下の小さなチャペルは城砦の真ん中に建っていて、中は3人ほどしか入れない。






観光客があふれる夏にはこのおもちゃのような列車が町を練り歩く。キャンプサイトは年寄りばかりで、ほとんどが自転車を乗り回しているから、この列車はサイトの駐車場で夏の来るのを待っていた。道端にタイル張りのテーブルと丸イスが設置されている。出来るなら海岸通りだとよいのに、排気ガスの多い主要道路の脇なのが惜しい。





一年の300日は晴天といわれるこのアルガーヴ地方は、2月中の3週間の内、雨や曇りで出かけられなかったのは3日だけで、雲もほとんど無い青空に太陽がぎらぎら輝き、半そでにショーツで歩き回ったものだ。毎年このサイトで越冬しているイギリス人によれば、一昨年の11月から昨年1月までの3ヶ月は雨と寒風で悩まされ、そのため今年のキャンパーが異常に少ないのだという。










日曜日ともなれば、プロムナードから長い砂浜はサンデーディナーの食後の散歩をする人たちで賑わっていた。








教会の近くに小さな市場が在り魚や野菜の屋台が数軒づつ開いているが、これが土曜日になるとこの市場をぐるっと取り囲んで、あらゆる屋台が店開きする。その中でも珍しかったのがこのケーキらしきもので、アーモンドがぎっしり入っていてどうしても食べてみたかった。4分の1サイズのがおまけしてもらって5ユーロ、ずいぶん高いと思ったけれど早速味見してみて、これはケーキではなく干しイチジクとアーモンドを蜂蜜で押し固めたものらしい。どっしり量感のある珍しいものだった。



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ポルトガルの旅 (31) 2月の下弦の月

2010-10-10 15:14:59 | キャンパーヨーロッパ 2010年

2月6日まだ完全な闇に包まれていない西の空に白っぽい下弦の月が浮かんでいた。英国の冬空では2月にこれほどきれいな月を見たことは無く、大感激。一時間後、真っ暗な空に浮かぶ月は地球の陰がほとんど月を覆って、陰の黒い月の部分さえはっきり見える。私の立っているこの地球の裏側は太陽が輝いているのだなと実感できた。この2週間ほど毎晩星は降るほど夜空を覆って夜遅く歯を磨きに洗面所へ行くのにしばし夜空を見上げていたものだ。






それから毎晩月が少しずつ太ってゆくのを見ることが出来た。下3枚は7日、8日、9日の月で確実に目に見えて太ってゆくのがわかる。月日のたつのは早いというけれどこれほど日々に変わってゆくものなのだ。








クエテイラーのキャンプ場はたくさんのユーカリの大木が生えていて、シャワールームから出るといつもユーカリの花の香りがただよう。1月はじめにこのサイトを去って、1ヶ月ぶりに戻ってみればミモザの大木もあちこちに在ったのだ。只花が咲いていないとなんの木かわからないものだ。ほとんどのミモザは花も終わりかけで、遅咲きらしいこの一本はいまや盛りと咲き誇っている。





ミモザの花を探しながらキャンプサイトを一回りして下のすばらしい花の木を見つけた。この見事な木いっぱいに咲く花にミツバチが群がっているらしい。木の近くへやってくると、ミツバチのうなりで辺りの空気さえ振動している様に思えた。花の形もはの形もミモザの花と違うが、フランスに住んでいるというイギリス人のアンに聞くとこれらはオーストラリア産のミモザだそうだ。










このサイトにたった1本生えているコルクの木はずいぶん昔に皮をはがれたものらしい。そして新しい皮が幹を覆い始めているのが判った。ここでは木の生命力の強さがよくわかる。



クエテイラーのキャンプ場はそれまで居たオルニャオの半分ほどのサイズで、キャンプしている人たちも大変友好的、私たちの到着と同時に以前から居た人たちが歓迎してくれた。中でもスエーデンから来てもう2ヶ月半ここにいるという婦人二人はメールアドレスを交換したくらい友達になってしまった。
12月に居たアイルランド人夫妻のキャンパーが見えないので、亭主は ”おかしいなー、4月までここに居てキャンパーを置いて一時帰国すると行っていたのに・・・”と不思議がっていたら、インターネットがつながるサイトのレストランでばったり出会った。
なんと彼らが3週間ほど一時帰国していた1月に雷がキャンパーに落ちてすべての電気系統が焼けてしまったのだという。なんとアンラッキーな人たちだろう。特におじさんがとっても陽気で楽しい人なのに。只一つラッキーだったのは彼らがキャンパーの中に居なかったことだ。スエーデンの女性によれば、落雷のあったときは轟音と同時に地面が揺れたというから恐ろしい。
キャンパーを修理するにもエンジンからキャンパー内のすべての配線を更新しなければならないし、落雷は自然現象で保険の対象からはずされるので、彼は連日、キャンパーのメーカーや保険会社との連絡で大騒ぎしている。その間彼らはキャンプサイトのバンガロー(一泊30ユーロ)に落ち着いてキャンパーはファーロの修理工場へ引き取られていったそうだ。







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ポルトガルの旅 (33) サンタマリア・ダ・ロッシェ(Santa Maria Da Rocha

2010-10-09 16:00:45 | キャンパーヨーロッパ 2010年

晴天の一日、町の海岸線から西へ向かって散歩に行くことにした。海岸線にはレストランが無いからサンドイッチとお茶をリュックに入れて出かけた。2004年にも海岸線を歩きに歩き小さな岬にある小さなサンタマリア教会にたどり着いた。ところがこの7年で海岸の浸食が激しく海岸への道を探して通りを歩いたが、ホテルの庭や大きなお屋敷の庭などでその向こうの細道は海に落ちてしまったらしい。まだ新しい郊外の道を歩くと途中で行き止まりだったり、一回りして元に戻ったりしてなかなか西へ進めない。





大きなお屋敷の垣根から今まで見たことも無いきれいな花が咲き零れていて、しっかり写真に写した。本当はお花一房が欲しかったが殺してしまうようで諦めた。







通りは高級住宅街で垣根からしてすばらしい。それに純白の煙突が林立していて面白い眺め。









やっとたどり着いたサンタマリア教会の岬の突端ではドイツ人の一団が集まって昼食を食べていた。彼らは私がかぶっていた折り畳みの帽子(カンボジアで買ったもの)が気に入って大いに褒め称えてくれ気恥ずかしい思いをした。この教会はもちろん聖母マリアを祭っていて、鉄格子の間からマリア像を写すことができた。






岬の突端やこのような高い崖から魚釣りをしている人たちを見かけるが本当につれるのだろうか。これははなはだ疑問で、高さ20メータぐらいもある崖で、海底は遠浅だから本当に魚を釣り上げた人を見たことが無い。




この海岸の周囲にはミモザの花が満開で、何度見ても感激ものだ。通りのお屋敷の庭に鈴なりのレモンがなっていて収穫しないまま腐らせるのかしらと心配になった。






帰り道のフラットの垣根にまったく見たことの無い変わった木を見つけ何枚かの写真を撮ったが一体なんの木だろうか?亭主が一番気に入ったのがこの写真だった。なんと面白い自然の創作だろう。道端に咲いていた雑草は英国で見るキャンピオンに似ているが親戚ぐらいかもしれない。




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ポルトガルの旅 (34) サルガドス湖 (Lagoa dos Salgados)

2010-10-08 23:35:34 | キャンパーヨーロッパ 2010年

サルガドス湖はアーマセルとアルブフェーロの間に広がる浅い湖で、渡り鳥が翼を休める休息地であり、湖の周囲に生い茂る葦や雑草の種を食料にする小鳥たちの食卓だ。私たちはアーマセルに居た3週間の間に4回もこの湖を訪れ湖畔を散歩したり、湖でえさをあさるフラミンゴや青鷺などの観察をしていた。英語でエグレッツと呼ばれる小さな白鷺はほとんど集団の行動していて彼らがいっせいに飛び立つとどんなに遠くからでも目に付く。







湖の南側は砂丘と長く延びる砂浜そして真っ青に晴れ渡った大西洋が広がる。砂丘と湖の間には長い板敷きの歩道が設置されていて、一箇所にはバードウオッチのための二階建ての高台が作られている。





小鳥たちは人馴れしているせいか、散歩道のロープに止まったり、周囲の葦の茎に止まってわが世の春とさえずっている。しっかり見ればなんと賢そうな目をしている小鳥だろう。






初日に訪れたときは、湖の水がほとんど干上がり、6羽のフラミンゴがいただけだった。2回目には50羽近くに増えて居て、一体どこから集まってきたものだろうと思ったが、最後に行った3月上旬には80羽ぐらいがえさをあさって湖をかき回している。写真を撮ろうとしてもほとんどが頭を水の中に突っ込んでいるから、写真のほとんどはフラミンゴのお尻ばかり写しているみたい。






三角関係の3羽はけたたましい声で叫びあっていたが、話がついたのか2羽と一羽に分かれてえさアサリをしていた。下の写真はまるで恋人を抱きしめんばかりのフラミンゴでなんだかとっても人間的な鳥じゃないか?





何かに驚いていっせいに飛び立ったフラミンゴは羽の色彩がよく見える。羽の赤い色合いは食べるものによって変わるといわれる。










臆病なパープル・ガリヌル(Purple Gallinule)は葦の根元に隠れていて決して全身を見せてくれない。この鳥はこの地域でしか繁殖しないまれにしか見ることの出来ない鳥で、リア・フォーモザ自然公園のシンボルになっている。

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ポルトガルの旅 (36)サルガドス湖畔その2

2010-10-06 20:23:53 | キャンパーヨーロッパ 2010年

3月18日夜4ヶ月半にわたったポルトガル・スペインの旅行から帰ってきました。一週間前の金曜日の朝日本の未曾有の国難のニュースを知り、それ以来今までの楽しかったいろいろなことが、風船がしぼんでしまったようにしょぼんとしてしまい、このブログを書くのも遠慮したいような気持ちです。でも後6回分だけ記録して今回の旅行記を終わりますので我慢してください。


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アーマセルからサルガドス湖畔への間には広い畑地と湿地帯、そして横幅3-4メーターの小川が横たわる。いつもは内陸の立派な車道とコンクリートの橋を渡って湖畔に向かうと片道1時間くらいかかってしまう。サイトの住人から聞いたところによれば車道のある内陸と小川が海に流れ出ている砂浜との中間に牛や羊が渡れる橋が在るという。
ある晴天の朝この橋を探しに出かけた。畑地や湿地帯を歩き回り諦めかけた頃に見つけたのがこの完全に壊れている橋だった。いつ支えが折れるか判らないが、4点歩行でやっと対岸にたどり着いた。最近はバランスがおぼつかない亭主は完全にビビッてしまい渡れないという。あの手この手で説得してやっと渡ったが、渡ってしまってからこんなひどいところをよくもと我ながら感心してしまった。




サルガドス湖畔までの丘陵地帯はいつも羊が放牧されているから草もほとんど食べつくされてまるで草刈り機で刈ったようになだらかで歩きやすい。対岸に広がるアーマセルの町はどんどん発展し拡大しているのがよくわかる。







砂浜に流れ込む川は意外と急流で、波の激しさで流れを変える。靴を脱いで歩けば対岸へたどり着けるが砂がついた足で靴を履くことを考えるとあまりその気にもなれない。丘陵地帯は白いエニシダが今を盛りと咲き誇っている。まるで雪柳の様みたいだが白い花は黄色ほどインパクトが無い。








この日、羊の群れは土ぼこりの立つ車道の両側に広がり悠々と草を食んでいた。子羊が多いので近づいて写真を撮っていたが、白い母親羊の双子の子羊は一匹が白もう一匹は黒のコンビネーションが多いのに気づいた。この子羊たちはまだ生まれて2-3日しかたっていないらしい。乾いたへその緒が下がっているのが見える。







そのうち羊飼いのおじさんがまだ濡れている子羊2匹をぶら下げて湖畔の方からやってきた。死んでいるのかと思いぎょっとしたが、草の上に2匹を横たえるとすぐ手足をぴくぴくさせて起き上がり、おじさんを親と思ったのかよろよろ近づいて行った。すると湖畔のほうから母親羊が異様な声を上げて走ってきてすぐわが子を認めたらしく子羊を舐め回していた。やっぱりわが子は舐めるほどかわいいというのは、動物の親を見ての表現なのかなー。ちょうど生まれたばかりの子羊だったのだ。母親は出産と同時に子供たちを連れてゆかれて相当あせっていたに違いない。子羊のへその緒は臍帯そのままの大きさが下がっている。











下の羊たちはサルガドスの羊と種類が違うらしく、毛の長さからしてまったく違う。一群れの羊に白鷺がたかっていて上に乗っても、足元でうろうろしても全然気にしていないらしい。羊飼いのおじさんが近くにいるが、白鷺はおじさんの存在さえも気にしていないように見えた。




ポルトガルの1-2月は出産の時期、10頭の牛の内かわいい子牛が2頭いて母親の周りにまとわりついていたが、おっぱいよりも人間に興味が在るらしい。ジーと私を見ていた。



帰路は内陸の橋を渡って帰ってきたが、高い橋のうえから見える草むらで、コウノトリの夫婦がえさを漁っていた。



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ポルトガルの旅 (37)アーマセル・キャンプサイトとエボラへの道

2010-10-04 21:58:21 | キャンパーヨーロッパ 2010年

アーマセルのキャンプサイトは一泊10ユーロ、電気代も含まれた金額でこんなサイトで長期に滞在していればそのほかの出費は食費だけ、ずいぶん安く越冬できる。ということでこのサイトには毎年ここに来ている各国の元気な年寄りでいっぱい。ほとんどがグループでアーマセルの町や郊外をサイクリングして楽しんでいた。一週間に一回は広場に集まってボーリング競技をやっていたり,毎週木曜夜はキャンプ場内のバーに集まりラインダンスをするという。夕食後バーまで行ってみた。ほとんどの人たちは仲間同士で飲んだりおしゃべりをしたりしている。ダンスはほとんどが女性だったが皆毎年やって来て年季の入った人たちらしく、次々と踊りまくって私に教えてくれる人も居ない。見よう見まねでやってもついていけないから諦めて帰ってきた。





住み着いている人たちもいるのだろう。キャンパーやキャラバンに付属テントを張り出し、その周囲を取り囲んで自分の場所を主張している。ずいぶんいろいろな人たちがいるものだとサイトを一回りしてあれこれ写真を撮ってみた。






私たちのキャンパーの近くに駐車しているイギリス人のメアリーとエリックはこのサイトの常連で、毎週金曜日の朝は本の交換が行われるという。このサイトに居た3週間の最後の日に行って見た。バーの横の小部屋に3つの大きな本立てが在り英語、ドイツ語、オランダ語の本に分けて納まっているが金曜日朝は英語の本の交換会。もって行った分だけしか換えられないかと思ったが、好きなだけ持っていってよいという。前日夜中の2時までかかってやっと読み終えた一冊の英語の本を持っていって、5冊もらってきた。メアリーがいろいろな人たちを紹介してくれ、ドイツ人の老女は昔デュッセルドルフで日本人駐在員の奥さんたちと一緒に英語学校へ通ったものだと懐かしそうに話してくれた。





バーの玄関では自分たちで作ったカードや諸工芸品を売っており、ポケットサイズに折りたためるバッグを亭主の為に買ってきた。






ポルトガルの町の道路わきに往々にしてある直径1.5メータもあるゴミ入れの容器は、地面に掘られた深い穴(2-3メータは在るかと思われる)で初めて見たときはどんなか驚いてゴミがいっぱいになったらどうやって空けるのだろうと思っていたが、ここも相当機械化が進んできている・・・・ムムム。




町の片隅の空き地にキャンパーが集まって野宿しているところが在るがそこの入り口の看板は駐車禁止、罰金が29,927-87ユーロと書いてある。一体この金額はどこから割り出したものだろう。どうして端数を切り上げないのか本当に不思議だ。



さて丸3週目の土曜日の朝このサイトを出ていよいよ帰国の途についた。6年前にも行ったエボラを目指す。6年前もアルガーヴを去る日から天気が崩れエボラの町は雨で寒くあまりしっかり見ないで先を急いだ。エボラのサイトにはWiFiが在るから大いに期待していった。
なだらかな丘陵地帯はコルクの林や、オリーヴ畑が連なる。時時はブドウ畑がどこまでも伸びていたりする。







頂上に城砦を抱く街角はPostelという城下町で時々こんな中世の城下町が現れた。




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ポルトガルの旅 (38) エボラ (Evora)

2010-10-03 18:16:55 | キャンパーヨーロッパ 2010年



エボラは世界遺産の町で2004年に訪れた時は12月の雨の日で寒く、一泊してスペインへ向かったものだ。今回はキャンプサイトにWIFIが在るのを知っていたから初めから3泊の支払いをしたのに初日は使えたインターネットが翌日午後から壊れてしまい、帰国するまでどこにもWIFIに出会うことがなかった。2004年の12月はキャンプ場に私たちだけだったのに今回は10数台のキャンパーで、ちょうど北からアルガーヴへ向かう人たちとここからスペインへ向かうヨーロッパ人たちの休息地点になっているらしい。

キャンプサイトから町の入り口の門までは2Km、この町はローマ時代から栄え、町をぐるっと取り囲む高い城壁は2000年もしっかり建っている。ここは1986年に城門内が世界遺産に登録され、観光地として賑わっている。



ジラルド広場がこの町の中心で、3月初旬の日曜日、この広場には観光客ばかりでなくたくさんのポルトガル人の家族連れで賑わっていた。多くの子供たちがいろいろ仮装をしているのでこの日は特別な日だったらしい。日曜日はほとんどのお店が閉まっているがお土産店だけは別。ポルトガルのお土産では私もファーロで買ったコルクのハンドバッグが一番多く売られている。





ローマ時代のディアナ神殿のすぐ前にエヴォラ美術館が在り入ってみた。日曜日は入場料無料で一階がほとんどローマ時代からの考古学品や彫刻、2階は全部宗教画だった。なぜかオランダからの宗教画が多く最後の晩餐など3人の画家によって描かれた3枚の絵があった。私が一番気に行ったのが3人の裸の子供が喧嘩している彫刻で3人の表情を見ると思わず笑ってしまう。この作家は本当にユーモアのセンスがある。






町の西側からローマ時代の水道橋が延びており、城壁内部ではこの橋の下を住居にしたり玄関にしているところもあった。




カテドラルが12時から2時間閉まったためその近くのレストランで昼食、大変なご馳走で亭主の喜ぶこと。翌日キャンプサイトで出会ったイギリス人夫妻にお勧めして彼らも大満足だった。カテドラルのタワーから見下ろすエボラの町はすばらしい。城壁外に延びている水道橋がはっきり見える。こういうのを見るとローマ人の土木工事のレベルの高さにいつも感心してしまう。






このカテドラルは12-13世紀に建てられた大聖堂で、1584年エヴォラを訪れた天正遣欧少年使節の二人の少年はこのカテドラルでパイプオルガンを演奏、腕前を披露したといわれる(地球の歩き方による)。聖堂内はやや暗くあまり華やかな装飾がさえて見えない。







この日は割りと天気もよかったので旧市街を歩き回ったが通りがでこぼこの石畳で歩きにくいこと。こんな道を歩くときは靴底の厚いスポーツシューズが一番よいと思う。教会の多い街でそれもやたらと大きい教会があちこち目に付いた。






サン・フランシスコ教会も大きな教会で内装が地味だからなーんだと思ったが、この祭壇の右横にある人骨堂が不気味。入場料に写真撮影料も入って5ユーロ、只一部屋の壁から天井全部を覆う人骨3千体という。頭蓋骨と大腿の骨をならべて模様にしているなど一体どんな人たちの発想なのだろうか?この人骨はエボラ周辺の墓地から持ってきたものだというが、中に”あなたの骨を待っています。”という看板が在りあまりうれしい気持ちにはなれなかった。





帰り道城壁脇の遊園地で仮装した子供たちがいっぱい集まっていた。今から仮装行列でもするのかなと思ったけれどだれにも聞けず帰ってきた。道端にきんもくせいのような花の咲く大木が在り木の葉がベイリーフ(月桂樹)だと知った。こんなきれいな花が咲くとは知らなかった。



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ポルトガルの旅 (39) イダンヤ・ア・ヴェルヤ(Idanha a Velha)

2010-10-03 12:38:32 | キャンパーヨーロッパ 2010年



夜中から降り出した雨はエボラのキャンプサイトを出発したときも止まず、カースル・ブランコの北イダンヤ・ア・ノーヴァの郊外のキャンプサイトに落ち着いた夕方まで降り続けた。ここは2004年にオービエトのチェーンに買収された湖のほとりのキャンプサイトで3月上旬のこの時期寒くてアルガーヴと比べると花の時期が1ヶ月は遅い。
このサイトから18Km 程離れたところにポルトガルで一番美しいといわれるモンサントの村が在る。雨は上がったものの厚い雲の広がる田舎道をモンサント(下の写真で後ろに見える高い山がそれ)めがけて走っているときに、急にこのすばらしい村が現れた。



主道路から枝分かれした村への細道を行くと、高い塀に囲まれた村の外側に観光バスや、観光客が駐車できる広い駐車場が在るが、誰も居ない。観光客の車一台もなく冷たい風が吹きすさんでいた。この立派な門は通過できないように塀で行き止まりになっているが金属の階段が門の上から塀の上に伸びていて、歩いて行くといつの間にか村の広場に着いた。
2人のおばさんが石畳を掃除しているが、ほかには誰も居ない。







観光案内所も見当たらないので二人で写真を取りながら一回りして裏門へ行ってみた。





裏門から周囲は牧場で羊の群れが草を食んでいるが羊飼いも見えない。 澄んだ水が流れる底の浅い川に行き着き飛び石を渡っていると、あちこちで小魚がジャンプする。







インターネットでこの村を検索してみると、人口79人、ポルトガルでも非常に古い町のひとつで、ローマ時代にさかのぼる。だからいたるところに崩れた巨石の山が在り、あれはローマ時代の名残であろう。紀元後16年にローマ人がここの落ち着き、近代に至るまであらゆる征服者に蹂躙されたという。したがって建築物も古く下の写真は16世紀のカテドラル(大聖堂)で内部は柱のほかには何も無い。









この大聖堂の近くにモダンな博物館があったがここも閉まっていた。まるで死に絶えた村のようで静寂が辺りを覆っている。






動いているものは数羽の醜い七面鳥と煙突の上に巣を作っているコウノトリだけだった。




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ポルトガルの旅 (40) モンサント(Monsanto)

2010-10-02 21:45:30 | キャンパーヨーロッパ 2010年



平野の向こうにそそり立つごつごつした岩山の中腹に赤い屋根がひしめき会っているのがモンサントの町。初めて目にしたとき亭主は”絶対山頂まで上らない。”と宣言した。私だってあんなそそり立つ山へ登るのは嫌だと思ったけど、何も言わない。
ふもとの町の広場にキャンパーが6台も駐車している。きっとここでフリーキャンピングをしているのだろう。そこから道はぐんぐん上り坂になり、ふもとの町や村があまりにきれいで途中の道端にキャンパーを停めてもらった。




巨石がごろごろしていてこれでは誰にも動かせないだろう。よくも上手に道路を作ったものだと思う。この辺り一体にミモザの花が満開でこのヨーロッパ産のミモザはオーストラリア産と葉の形が全然違う。そしてアルガーヴではヨーロッパ産のミモザはオーストラリア産より早く花が咲き、1月末で花の盛りは終わってしまった。それが1ヶ月以上も遅く今盛りのミモザを見ると今年は何回春を味わえるのだろうとうれしくなる。




モンサントは1938年に最もポルトガルらしい村に選ばれたというが、ポルトガルらしさとはなんだろう。山全体にごろごろ転がっている巨石の間を利用して住居を作り、または巨石を屋根にしていたりと驚きで満ちあふれているのがこの町。




巨石を一方の壁にし三方を高い石垣で囲った豚小屋が町の一角にあった。人恋しそうな豚がカメラを向けるとポーズしてくれる。彼はきっとすべての観光客に愛想を振りまいているに違いない。



この町は小さくてゆっくり坂道を登っていくうち町を過ぎてしまい、山頂の立派な城砦が見えてくる。上らないと宣言したはずの誰かさんは文句も言わずに岩の間の山道を登っていった。途中の崖から見下ろすモンサントの町はすばらしい。




この山は先史時代から聖なる山としてあがめられ12世紀イスラム教徒を撃退した初代ポルトガル王の統治下で13世紀に再建されたのがこの城砦。岩と城砦が渾然一体となっているから遠くから見るとごつごつした岩山に見える。なかなか頑丈な造りでアーチや石の階段なども崩壊が少ない。










亭主は息を切らしながらも山頂に立って大満足、大いに自慢していた。モンサントの町を見下ろすと町の外側の墓地までがよく見える。








再び町へ戻り細い路地を歩き回っているうち、二つの巨岩にはさまれたこの奇妙な家についた。毎日暮らしていて圧迫感を感じないものだろうか?











昔は包囲され使ったであろう大砲が観光用に飾られていた。
ふもとの広場まで下りて昼食を食べ、このふもとにも巨石が多くうまく利用して観光業に使っているのがほほえましい。



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ポルトガルの旅 (41) グアルダ(Guarda)

2010-10-01 18:26:54 | キャンパーヨーロッパ 2010年



イダンヤ・ア・ノーヴァのサイトを出発する日は、アルガーヴと同じようによく晴れた気持ちのよい日だった。サイトの近くの湖も青空を映して真っ青、夏はこの辺りにハイキングに来る人が多くキャンプサイトは超満員になるという。




サイトの管理人が若い人で英語を話せるので近隣の見所を聞いたところ、10Km程行った小さな村にオリーヴ油を絞るところを見せてくれるところがあるというので、ちょうど進行方向、寄り道をしてみた。大きな農家を博物館に改造したもので、昔の手動の絞り機や、ロバがぐるぐる回って絞るなどの写真と図解がされていて、実際の道具などを見せてくれた。亭主と案内人の持って入る網の袋につぶしたオリーヴを入れ、それを何段にも重ねて上から圧縮するという。オリーヴは実が実ってもそのまま食べると苦いので、きっと何かを入れて中和させているに違いないが案内人が英語を全然話せないので残念だった。ここでは出来たオリーヴ油を売っているのかと思ったら、スーパーで買いなさいといわれてがっかりした。









ここからグアルダの町までなだらかな田舎道を走る。牧場は牛や羊が放牧され、時々通り過ぎる田舎の町はどこも道路よりは高台に造られている。これは12世紀ポルトガル初代王アルフォンソがそれまで君臨していたイスラム教徒を破り、ポルトガルの要所に防衛のための城砦を築いたためだ。








この辺りいったいはヨーロッパ産のミモザが満開で、それも谷間に多くたぶん種が川岸について繁殖したものだろう。いたるところにミモザの林が出来ていて辺りを黄金色に染めていた。



ポルトガルの北部地方もモンサントと同じ様に巨石の不毛地帯が多く見られた。






グアルダはポルトガルでも海抜の一番高いところにある町で、気温も低い。お昼過ぎにはキャンプサイトに落ち着き、サイトから歩いて2kmくらいの旧市街を見物に行った。
お城の残骸は学校の敷地にあり生徒たちが丘の上を走り回っていた。、すぐ近くの大聖堂は誰も居なくてひっそりと静まり返っていた。







旧市街を囲む城壁の外にモダンなショッピングモールを見つけ、ポルトガル最後の土産にオリーブ油を買ってきた。




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