昨日の日記に書いたとおり僕は初詣に行ったけど、
家族はまだ行ってなかったので、妻と子どもたちを
初詣に連れて行ってあげた(なんか、変な表現だ)
行った神社は、となり町の八幡神社。
それなりの市街地の北端の丘の上にある神社。
実はその神社のふもとに、僕と妻が新婚当時に暮らしていた
借家がある。
今回、神社はもちろん、久々に家族で昔暮らしていた町へ訪れた。
今年7歳になる息子は、生まれて1年足らずしかこの町で暮らして
いないのでまったく記憶がないが、今年の夏で11歳になる娘は
保育所時代までこの町で暮らして友達もいたので、娘なりに懐かし
がっていた。
僕と妻が借りた家は、古い家だった。
外壁や内装をリフォームされてはいたが、明らかに築30年は越えていた。
風呂は狭いし、当然断熱材など使用されておらず、間取りも一応3DKだったが、
そのうちのひとつの部屋は、なんと3畳間でクローゼット扱いしかできず、
実質2DKだった。
でも、その家に決めた。
家賃が安かったとか、交通の利便性がよかったとか、メリットも色々
あったのだが、そんな具体的な理由よりも、
“まぁ、僕らにはこんな家で、いいんじゃない?”
・・・という、上手く言葉で説明できない“何か”を、二人とも感じて
いたのだ。
娘が生まれた。
車を買い換えた。
病気をした
喧嘩した。
仲直りした。
息子が生まれた。
この家で暮らしたのは約6年間だったけど、その間に色んなことがあった。
人間とは不思議なもんで、時間が過ぎれば辛く悲しい出来事は、
キレイに浄化されて、楽しい出来事しか思い出せないようにできている。
そういう出来事だけを思い出して、人間は懐かしむ。
そんな想いを胸に、かつての僕らの家を、外から覗いてみた。
少し、緊張が走った。
しかし次の瞬間、その緊張は瞬時に融けた。
玄関に幼児が乗って遊ぶ小さな車が置いてあったのだ。
それを見ただけで、僕も妻も頬が緩んだ。
理由もなく、少し嬉しかった。
その後、神社へ参拝した。
娘は小吉。
息子は大吉。
息子はおみくじを持って帰ると言って駄々をこねたが、
なんとか説き伏せて境内の木の枝に巻かせて、
僕たちは神社を後にした。
奇しくも今日、1月3日は、5年前に売りに出されていた、
とある中古の家を妻と一緒に見に行った日だ。
なかなか、いい家だった。
・・・というか、当時の暮らしていた借家と比較すれば、ある程度の
家はすべて良い家に見えた(爆)
それが今、僕らが暮らしている家である。
家族はまだ行ってなかったので、妻と子どもたちを
初詣に連れて行ってあげた(なんか、変な表現だ)
行った神社は、となり町の八幡神社。
それなりの市街地の北端の丘の上にある神社。
実はその神社のふもとに、僕と妻が新婚当時に暮らしていた
借家がある。
今回、神社はもちろん、久々に家族で昔暮らしていた町へ訪れた。
今年7歳になる息子は、生まれて1年足らずしかこの町で暮らして
いないのでまったく記憶がないが、今年の夏で11歳になる娘は
保育所時代までこの町で暮らして友達もいたので、娘なりに懐かし
がっていた。
僕と妻が借りた家は、古い家だった。
外壁や内装をリフォームされてはいたが、明らかに築30年は越えていた。
風呂は狭いし、当然断熱材など使用されておらず、間取りも一応3DKだったが、
そのうちのひとつの部屋は、なんと3畳間でクローゼット扱いしかできず、
実質2DKだった。
でも、その家に決めた。
家賃が安かったとか、交通の利便性がよかったとか、メリットも色々
あったのだが、そんな具体的な理由よりも、
“まぁ、僕らにはこんな家で、いいんじゃない?”
・・・という、上手く言葉で説明できない“何か”を、二人とも感じて
いたのだ。
娘が生まれた。
車を買い換えた。
病気をした
喧嘩した。
仲直りした。
息子が生まれた。
この家で暮らしたのは約6年間だったけど、その間に色んなことがあった。
人間とは不思議なもんで、時間が過ぎれば辛く悲しい出来事は、
キレイに浄化されて、楽しい出来事しか思い出せないようにできている。
そういう出来事だけを思い出して、人間は懐かしむ。
そんな想いを胸に、かつての僕らの家を、外から覗いてみた。
少し、緊張が走った。
しかし次の瞬間、その緊張は瞬時に融けた。
玄関に幼児が乗って遊ぶ小さな車が置いてあったのだ。
それを見ただけで、僕も妻も頬が緩んだ。
理由もなく、少し嬉しかった。
その後、神社へ参拝した。
娘は小吉。
息子は大吉。
息子はおみくじを持って帰ると言って駄々をこねたが、
なんとか説き伏せて境内の木の枝に巻かせて、
僕たちは神社を後にした。
奇しくも今日、1月3日は、5年前に売りに出されていた、
とある中古の家を妻と一緒に見に行った日だ。
なかなか、いい家だった。
・・・というか、当時の暮らしていた借家と比較すれば、ある程度の
家はすべて良い家に見えた(爆)
それが今、僕らが暮らしている家である。