昨日が仕事始め。
案の定、身体が重たかった(-_-;)
ま、そんなことはこっちへ置いといて、気分転換も兼ねて
仕事とは無関係なことを(笑)
1982年・年末。
僕は中学1年生だった。
冬休みをまじかに控えて、少し気分も高揚していた頃だった。
僕らの中学校では、掃除時間に放送部の連中が音楽を流していた。
もっとも、そのほとんどがお行儀の良い曲ばかりだったが。
ポール・モーリアとかね(笑)
だから今でも“恋は水色”とかを耳にすると、反射的に掃除がしたくなる(爆)
しかし、その日は全く違う歌が流れた。
ポップスだった。
しかも、洋楽。
それも最新の、当時ヒットチャートを席巻していた曲だった。
それが、ホール&オーツの「Maneater」だった。
きっと、放送部の連中も目の前に迫った冬休みに心が高鳴っていたのだろう。
彼らなりの、僕ら生徒に対する出血大サービスだったのかもしれない。
僕は校舎の屋上で竹ぼうきを持って掃除をしていた。
突然、流れてきたその曲に、僕は竹ぼうきを振り回してはしゃいだ。
僕のはしゃぎっぷりの意味が分からず、呆れた目で僕を見ていた
同級生の女の子の顔を今でもよく憶えている。
ホール&オーツ。
このフィラデルフィアが生んだ、稀代のブルーアイドソウル・
ユニットに熱中したミドルエイジって、たぶん、僕らよりもう
少し上の世代だろう。
だって、僕が彼らを知ったのはこの曲だったから。
僕は、当時洋楽を聴き始めて、ホントにまだ間もない頃だった。
だから、僕らはホール&オーツに関しては“シッポ”のような世代だ。
5年ほど前、初めてホール&オーツのライブに行った。
収容人数1800人程度のホールだったが、僕はナント1階の最前列だった!
その時のオープニングの曲が、奇しくもこの曲だった。
今から28年前。
1982年暮れから1983年初頭にかけて、ビルボードのヒットチャートNo.1に
輝いた曲である。
そして彼らにとっても、最大のヒット曲でもある。
昨夜、今年初めてのウォーキングをした。
28年後の年初に、この曲をウォークマンで聴きながら・・・。
Hall and Oates - Maneater
案の定、身体が重たかった(-_-;)
ま、そんなことはこっちへ置いといて、気分転換も兼ねて
仕事とは無関係なことを(笑)
1982年・年末。
僕は中学1年生だった。
冬休みをまじかに控えて、少し気分も高揚していた頃だった。
僕らの中学校では、掃除時間に放送部の連中が音楽を流していた。
もっとも、そのほとんどがお行儀の良い曲ばかりだったが。
ポール・モーリアとかね(笑)
だから今でも“恋は水色”とかを耳にすると、反射的に掃除がしたくなる(爆)
しかし、その日は全く違う歌が流れた。
ポップスだった。
しかも、洋楽。
それも最新の、当時ヒットチャートを席巻していた曲だった。
それが、ホール&オーツの「Maneater」だった。
きっと、放送部の連中も目の前に迫った冬休みに心が高鳴っていたのだろう。
彼らなりの、僕ら生徒に対する出血大サービスだったのかもしれない。
僕は校舎の屋上で竹ぼうきを持って掃除をしていた。
突然、流れてきたその曲に、僕は竹ぼうきを振り回してはしゃいだ。
僕のはしゃぎっぷりの意味が分からず、呆れた目で僕を見ていた
同級生の女の子の顔を今でもよく憶えている。
ホール&オーツ。
このフィラデルフィアが生んだ、稀代のブルーアイドソウル・
ユニットに熱中したミドルエイジって、たぶん、僕らよりもう
少し上の世代だろう。
だって、僕が彼らを知ったのはこの曲だったから。
僕は、当時洋楽を聴き始めて、ホントにまだ間もない頃だった。
だから、僕らはホール&オーツに関しては“シッポ”のような世代だ。
5年ほど前、初めてホール&オーツのライブに行った。
収容人数1800人程度のホールだったが、僕はナント1階の最前列だった!
その時のオープニングの曲が、奇しくもこの曲だった。
今から28年前。
1982年暮れから1983年初頭にかけて、ビルボードのヒットチャートNo.1に
輝いた曲である。
そして彼らにとっても、最大のヒット曲でもある。
昨夜、今年初めてのウォーキングをした。
28年後の年初に、この曲をウォークマンで聴きながら・・・。
Hall and Oates - Maneater