祖母が、転院した。
どうしてそういう規約があるのか分からないが、
今まで入院していた市民病院は、3カ月間しか
入院できないそうなのだ。
そういうわけで、先週末、祖母は市民病院から
別の病院に転院した。
今度の病院は、僕の実家の近くの病院だ。
僕の暮らす自宅からも近く、双方から歩いて
行けるような至近距離だ。
土曜日に、お見舞いに行った。
相変わらず祖母は、喉に人工呼吸器を装着していた。
熱が下がらないらしく、枕の上にアイスノンをしていた。
そして、眠っている。
いや、もう“意識がない”という表現をした方が
いいのかもしれない。
耳元で声をかけると、たまにうっすらと両目を開けることは
あるが、もう、それだけだ。
口を動かすことはもちろん、耳元で呼んだ人間の顔を確かめる
こともできない。
ただ、薄い意識を戻すだけだ。
そんな祖母を見ていると、思う。
五感をフルに使って生活することが、どれだけエネルギーを
消費する行為なのかということを。
祖母には、もう目を開ける力も、わずかしか残っていないのだ。
以前にも書いたが、鳥人間コンテストを思い出す。
湖水面は、近づいている。
先週よりも。昨日よりも。確実に。
昨日の日曜日。
僕は自宅でのんびりと過ごした。
夕方、実家に電話した。
目的は、ふたつ。
ひとつは、祖母のこと。
もうひとつは、「母の日」ということで・・・。
電話の向こうで母に、祖母の容体について尋ねる。
異口同音。
母も僕と同じようなことを僕に告げた。
「もう、ハッキリと目を覚ますことはないかも知れんね・・・」
独り言のように、受話器の向こうで母はそう呟いた。
僕は、以前より病院が近くなっていること、そのおかげで、
父や母はもちろん、僕の妻や子どもたちも見舞いに行きやすく
なった・・・という母も分かりきったことを口にすることしか
出来なかった。
その後、他愛もない雑用事を話して、電話を切った。
結局、母の日について話すことは出来なかった。
そして電話を切って、ある当たり前のことを僕は思い出した。
祖母は、母の母親だということを。
毎年「母の日」になると、僕の母は、一輪のカーネーションを携えて、
祖母の家・・・つまり母の実家に帰っていた。
ずいぶん前に祖父に先立たれ、諸事情で一人暮らし同然の生活をしていた
祖母にとっても、それは嬉しい一日だったと思う。
やがて祖母が高齢になり、数年前から僕の実家で一緒に暮らすようになって
からは、毎年「母の日」に、母が何か祖母にプレゼントしていたのかどうか、
逆に僕はよく知らない。
これは推測だが、むしろ一緒に暮らすようになってからは、そんな特別な
記念日は、母にも祖母にも必要なくなったのかもしれない。
いわば、毎日が母にとっては「母の日」であり、祖母にとっては「娘の日」
だったのだろう。
もしかすると・・・。
母にとっては、今年の「母の日」が、誰かの“娘”として過ごす、
最後の「母の日」になるのかもしれない。
口には出さないが、僕の母のことだ。
きっとそんな思いが頭をよぎってもおかしくはない。
母は、昨日も祖母の見舞いに行った。
祖母の“娘”である母は、病床の祖母にどんな言葉をかけたのだろう。
うちでは娘と息子が、妻に「母の日」のプレゼントを渡していた。
娘は小物入れとハンカチ。
息子はチョコレートで作ったお菓子。
夕方の、おやつの時間にしては少し遅めの時間に出来あがった、
息子手製のチョコレートのお菓子。
板チョコを溶かして作った、スイーツと呼ぶには、あまりにも
稚拙で不格好な食べ物。
「母の日」のプレゼントなのに、家族4人分作り、しかも自分の分が
一番大きかった(笑)
口の中に入れると、甘い味が広がり、そしてあっという間に溶けて消えた。
祖母にも食べさせてあげたい。
ふと、そう思った。
喉に人工呼吸器をつけているがために、たぶん、もう二度と口から
ものを食べることができない祖母に食べさせてあげたい。
溶けてゆくチョコレートの味を喉の奥に染み込ませながら、
そう思った。
どうしてそういう規約があるのか分からないが、
今まで入院していた市民病院は、3カ月間しか
入院できないそうなのだ。
そういうわけで、先週末、祖母は市民病院から
別の病院に転院した。
今度の病院は、僕の実家の近くの病院だ。
僕の暮らす自宅からも近く、双方から歩いて
行けるような至近距離だ。
土曜日に、お見舞いに行った。
相変わらず祖母は、喉に人工呼吸器を装着していた。
熱が下がらないらしく、枕の上にアイスノンをしていた。
そして、眠っている。
いや、もう“意識がない”という表現をした方が
いいのかもしれない。
耳元で声をかけると、たまにうっすらと両目を開けることは
あるが、もう、それだけだ。
口を動かすことはもちろん、耳元で呼んだ人間の顔を確かめる
こともできない。
ただ、薄い意識を戻すだけだ。
そんな祖母を見ていると、思う。
五感をフルに使って生活することが、どれだけエネルギーを
消費する行為なのかということを。
祖母には、もう目を開ける力も、わずかしか残っていないのだ。
以前にも書いたが、鳥人間コンテストを思い出す。
湖水面は、近づいている。
先週よりも。昨日よりも。確実に。
昨日の日曜日。
僕は自宅でのんびりと過ごした。
夕方、実家に電話した。
目的は、ふたつ。
ひとつは、祖母のこと。
もうひとつは、「母の日」ということで・・・。
電話の向こうで母に、祖母の容体について尋ねる。
異口同音。
母も僕と同じようなことを僕に告げた。
「もう、ハッキリと目を覚ますことはないかも知れんね・・・」
独り言のように、受話器の向こうで母はそう呟いた。
僕は、以前より病院が近くなっていること、そのおかげで、
父や母はもちろん、僕の妻や子どもたちも見舞いに行きやすく
なった・・・という母も分かりきったことを口にすることしか
出来なかった。
その後、他愛もない雑用事を話して、電話を切った。
結局、母の日について話すことは出来なかった。
そして電話を切って、ある当たり前のことを僕は思い出した。
祖母は、母の母親だということを。
毎年「母の日」になると、僕の母は、一輪のカーネーションを携えて、
祖母の家・・・つまり母の実家に帰っていた。
ずいぶん前に祖父に先立たれ、諸事情で一人暮らし同然の生活をしていた
祖母にとっても、それは嬉しい一日だったと思う。
やがて祖母が高齢になり、数年前から僕の実家で一緒に暮らすようになって
からは、毎年「母の日」に、母が何か祖母にプレゼントしていたのかどうか、
逆に僕はよく知らない。
これは推測だが、むしろ一緒に暮らすようになってからは、そんな特別な
記念日は、母にも祖母にも必要なくなったのかもしれない。
いわば、毎日が母にとっては「母の日」であり、祖母にとっては「娘の日」
だったのだろう。
もしかすると・・・。
母にとっては、今年の「母の日」が、誰かの“娘”として過ごす、
最後の「母の日」になるのかもしれない。
口には出さないが、僕の母のことだ。
きっとそんな思いが頭をよぎってもおかしくはない。
母は、昨日も祖母の見舞いに行った。
祖母の“娘”である母は、病床の祖母にどんな言葉をかけたのだろう。
うちでは娘と息子が、妻に「母の日」のプレゼントを渡していた。
娘は小物入れとハンカチ。
息子はチョコレートで作ったお菓子。
夕方の、おやつの時間にしては少し遅めの時間に出来あがった、
息子手製のチョコレートのお菓子。
板チョコを溶かして作った、スイーツと呼ぶには、あまりにも
稚拙で不格好な食べ物。
「母の日」のプレゼントなのに、家族4人分作り、しかも自分の分が
一番大きかった(笑)
口の中に入れると、甘い味が広がり、そしてあっという間に溶けて消えた。
祖母にも食べさせてあげたい。
ふと、そう思った。
喉に人工呼吸器をつけているがために、たぶん、もう二度と口から
ものを食べることができない祖母に食べさせてあげたい。
溶けてゆくチョコレートの味を喉の奥に染み込ませながら、
そう思った。