りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

サウスポー。

2012-03-03 | Weblog
ボクは、左利きだ。

ボクのことをよく知る人にこれを話すと、たいていは驚かれる。
なぜなら、普段の生活では、ほとんど右手で生活しているから。

ちなみに、箸、鉛筆、マウスなどは、右手。
そして、投球、はさみ、握手などが、左手。

なぜこうなったかというと、理由はたったひとつ、お袋のせいだ。
これは責任転嫁でもなんでもなく、本人がそう言っていたのだから事実なんだと思う。

誤解を恐れずに言えば、ボクが幼い頃は“左利き”というのは、おそらく障害に近い感覚だった
ように思う。
今のように“左利き用”という道具はほとんどなかったし、左利きの人の仕草に、“行儀が悪い”と
眉をひそめる人も多かった。
実際、明治生まれだったボクの祖父母は、テレビに左利きの人が出ると、“なんじゃ、この人は
・・・みっともない”と、ブラウン管に向かってよく文句を言っていた。

そんな祖父母を間近で見ていたからか、ボクが生まれて間もない頃、左利きだと分かった母親は、
強制的にボクの利き手を右手に矯正しはじめた。
しかしどうしてなのか、しばらくして、箸や鉛筆など、人として最低限度のところだけ矯正して、
突然それをやめてしまったらしい。

その結果、中途半端なボクが出来上がってしまった(笑)

おかげで、自分でもどっちが利き腕なのかよく分からなくて苦労した。
折り紙は死ぬほど苦手だったし(今でも苦手だ)、家庭科全般も苦手だった。

野球も、苦手だった。
野球をはじめた頃、ボクは右手でボールを投げていた。
でも周りの友だちのように遠くへ高く投げられなかった。
おかげで“下手くそ~”とはやし立てられて、半べそ状態になっていたボクに、一緒にいたどこかの
オジさんが“ボク、試しに左手で投げてみろ”と言うので、ダメ元で投げてみたら、友だち連中を
軽く超える飛距離が出て、その場にいた全員が声を失って呆気にとられた(笑)

でも悪いことばかりでもなかった。

6才くらいの頃、ピアノを習っていたのだけど、左右の手を使って演奏できるようになったのは、
意外と早かった気がする。(ちなみに今はまったく弾けない・・・
同じ頃、巨人の王貞治(左打ち)がホームランの756号をかっ飛ばした時は誇らしく思ったものだし、
その王選手をモデルにしたピンクレディーの「サウスポー」はまるで自分のテーマ曲のように思っていた(笑)

数日前に“右足の調子がおかしい”という日記を書いたけど、疲れがたまると、ボクの身体は全般的に
右半身がおかしくなる。
肩こりも腰痛も、右側の方が酷い。
もしかしたら、これらも全部、幼少の頃の中途半端な利き腕矯正が関係しているのかも知れない。

今日も、右の肩や足に湿布やアンメルツを付けて、お仕事がんばっています。
コメント (4)
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