1.近江鉄道と再開した信楽高原鐵道-びわこ京阪奈線の夢想
近江鉄道は東海道本線が開業した時にルートから外れた近江盆地に敷設された地方私鉄で、
1898年6月11日に彦根から愛知川までが部分開業、
1900年12月28貴生川まで延伸された。
その後も1914年3月8日には多賀線が開業、
1931年3月15日には米原-彦根間が開業して本線が全通した。
電化のため1926年10月1日に宇治川電気の系列となるが、
戦時中の電力統制政策で宇田川電気から分離し、箱根土地の系列下となった。
1944年3月1日には八日市鉄道を傘下とするが、一部は後に廃止された。
現在でも西武鉄道が74.5%、西武建設が20.5%の株式を所有する西武鉄道系列である。
路線は米原から貴生川までが本線、高宮から分岐して多賀大社前までが多賀線、
買収した八日市鉄道の路線だった八日市線は近江八幡から八日市までを結ぶ。
信楽高原鐵道は国鉄地方交通線だった信楽線を引き受け、
1987年2月10日に設立された第三セクター鉄道である。
信楽線は1933年5月8日に国鉄によって貴生川から信楽までが一気に全通した。
戦時中は一時、不要不急線として休止したが、1947年7月25日には再開した。
しかし1981年8月10日に第1次特定地方交通線として廃止が承認、
これを受けて第三セクター方式で継続が決定、
同社が1987年7月13日、JR西日本より転換された。
1991年5月14日に貴生川から紫香楽宮跡までの小野谷信号場付近で、
JR西日本の臨時快速との衝突で42名が死亡するという事故を起こし、
同年12月8日まで全線運休となった。
2013年4月1日に鉄道事業再構築実施計画により上下分離方式に移行され、
信楽線は信楽高原鐵道が第二種鉄道事業者、鉄道施設を譲渡された甲賀市が第三種鉄道事業者となった。
しかし同年9ずつ15日にこの付近を襲った台風18号により全線が運休、
翌日16日には杣川橋梁の橋脚が流失して長期運休となった。
信楽高原鐵道が鉄道施設の所有と運営を同じ会社が行う第一種鉄道事業者だったら、
もしかしたら信楽線はそのまま廃止になってしまったかもしれないと思うが、
鉄道施設が甲賀市の所有だったため、信楽高原鐵道が復旧費用を負担する事がなかったため、
1年後の2014年11月29日に運行が再開された。
この運行再開のニュースを受けて信楽高原鐵道の取材を計画した。
最初は青春18きっぷで関西本線乗り潰しを決行する時に、
大津に宿泊することにして草津線を移動するついでに貴生川で下車して乗り潰そうと考えた。
しかし近江鉄道も全区間が未乗車であり、無理すれば日帰りで両鉄道の取材が可能であると思い、
近江鉄道と信楽高原鐵道を一日で取材することにした。
最初は近江鉄道のホームページを見て一日乗車券「1デイ・スマイルチケット」880円を購入、
信楽高原鐵道は乗車券を普通に購入するつもりだったが、
信楽高原鐵道のホームページに「びわこ京阪奈線フリーキップ」1,030円というものを見つけた。
これは「びわこ京阪奈線」の周知のために設定された割引切符で、
近江鉄道全線と信楽高原鐵道全線が一日乗り放題になるというもの。
ちなみに「びわこ京阪奈線」とは近江鉄道、信楽高原鐵道を経由して、
JR学園都市線京田辺を結ぶ新線を建設するというものである。
これが実現すれば近江や甲賀が京都、大阪、奈良へのアクセス時間が短縮されるとしている。
新線区間は約9.8kmの予定であるが、それでもコストが見合うのかは不明だし、
滋賀県側にとっては大きなメリットであるが、京都側はそれほど乗る気はないという。
近江鉄道は米原、彦根、近江八幡で東海道本線と接続するし、貴生川では草津線と接続する。
「びわこ京阪奈線」の実現性はともかく、この切符の存在は有り難い。
この計画に合わせて予定を組み、幕張から米原までの往復の乗車券と、
東京から米原までの新幹線の指定席特急券を4日前に幕張駅の指定席券売機で購入した。
近江鉄道は東海道本線が開業した時にルートから外れた近江盆地に敷設された地方私鉄で、
1898年6月11日に彦根から愛知川までが部分開業、
1900年12月28貴生川まで延伸された。
その後も1914年3月8日には多賀線が開業、
1931年3月15日には米原-彦根間が開業して本線が全通した。
電化のため1926年10月1日に宇治川電気の系列となるが、
戦時中の電力統制政策で宇田川電気から分離し、箱根土地の系列下となった。
1944年3月1日には八日市鉄道を傘下とするが、一部は後に廃止された。
現在でも西武鉄道が74.5%、西武建設が20.5%の株式を所有する西武鉄道系列である。
路線は米原から貴生川までが本線、高宮から分岐して多賀大社前までが多賀線、
買収した八日市鉄道の路線だった八日市線は近江八幡から八日市までを結ぶ。
信楽高原鐵道は国鉄地方交通線だった信楽線を引き受け、
1987年2月10日に設立された第三セクター鉄道である。
信楽線は1933年5月8日に国鉄によって貴生川から信楽までが一気に全通した。
戦時中は一時、不要不急線として休止したが、1947年7月25日には再開した。
しかし1981年8月10日に第1次特定地方交通線として廃止が承認、
これを受けて第三セクター方式で継続が決定、
同社が1987年7月13日、JR西日本より転換された。
1991年5月14日に貴生川から紫香楽宮跡までの小野谷信号場付近で、
JR西日本の臨時快速との衝突で42名が死亡するという事故を起こし、
同年12月8日まで全線運休となった。
2013年4月1日に鉄道事業再構築実施計画により上下分離方式に移行され、
信楽線は信楽高原鐵道が第二種鉄道事業者、鉄道施設を譲渡された甲賀市が第三種鉄道事業者となった。
しかし同年9ずつ15日にこの付近を襲った台風18号により全線が運休、
翌日16日には杣川橋梁の橋脚が流失して長期運休となった。
信楽高原鐵道が鉄道施設の所有と運営を同じ会社が行う第一種鉄道事業者だったら、
もしかしたら信楽線はそのまま廃止になってしまったかもしれないと思うが、
鉄道施設が甲賀市の所有だったため、信楽高原鐵道が復旧費用を負担する事がなかったため、
1年後の2014年11月29日に運行が再開された。
この運行再開のニュースを受けて信楽高原鐵道の取材を計画した。
最初は青春18きっぷで関西本線乗り潰しを決行する時に、
大津に宿泊することにして草津線を移動するついでに貴生川で下車して乗り潰そうと考えた。
しかし近江鉄道も全区間が未乗車であり、無理すれば日帰りで両鉄道の取材が可能であると思い、
近江鉄道と信楽高原鐵道を一日で取材することにした。
最初は近江鉄道のホームページを見て一日乗車券「1デイ・スマイルチケット」880円を購入、
信楽高原鐵道は乗車券を普通に購入するつもりだったが、
信楽高原鐵道のホームページに「びわこ京阪奈線フリーキップ」1,030円というものを見つけた。
これは「びわこ京阪奈線」の周知のために設定された割引切符で、
近江鉄道全線と信楽高原鐵道全線が一日乗り放題になるというもの。
ちなみに「びわこ京阪奈線」とは近江鉄道、信楽高原鐵道を経由して、
JR学園都市線京田辺を結ぶ新線を建設するというものである。
これが実現すれば近江や甲賀が京都、大阪、奈良へのアクセス時間が短縮されるとしている。
新線区間は約9.8kmの予定であるが、それでもコストが見合うのかは不明だし、
滋賀県側にとっては大きなメリットであるが、京都側はそれほど乗る気はないという。
近江鉄道は米原、彦根、近江八幡で東海道本線と接続するし、貴生川では草津線と接続する。
「びわこ京阪奈線」の実現性はともかく、この切符の存在は有り難い。
この計画に合わせて予定を組み、幕張から米原までの往復の乗車券と、
東京から米原までの新幹線の指定席特急券を4日前に幕張駅の指定席券売機で購入した。