3.近江鉄道ミュージアム-がちゃこんと保存されている電気機関車
高宮まで乗ってきた列車はここで終着となり、本線との接続時間を利用して駅取材する。
ここから9分で彦根まで戻り、西口で駅取材して11:00a.m.を待ち、
西口駅前にある「ちゃんぽん亭総本家 彦根駅前本店」で近江ちゃんぽん・野菜並盛り702円喰う。
近江ちゃんぽんは長崎ちゃんぽんとは全く違う食べ物であり、
魚介系のダシと野菜を一緒に煮込んだスープがベースになっている。
上に載っている野菜の量で値段が変わる。
彦根駅西口には「井伊直政公像」が設置されており、
さらに駅前ロータリーの端には「彦根縁起(神代~現代)」が設置されている。
「古事記」の冒頭には、太陽を神とする天照大神(伊勢神宮)が、
国生みの神である伊邪那岐の命、伊邪那美の命(多賀神社)の御子として生まれたと記されており、
また天照大神の御子である天津日子根の命と活津日子根の命の兄弟神が、
悠久の昔にこの彦根の地に鎮座して国造りをしたとするのだが、
この地方に伝承されている神話であります。
奈良時代、日本最古の法典「大宝律令」を完成させた藤原不比等とその子藤原房前が、
永年彦根の地を治めたことにより、
平城京にも劣らぬ地方都市がこの彦根の地に造営されていたのであります。
平安時代中期、末法思想の広がりと共に、全国各地に観音信仰が生まれ、
現在彦根城のある彦根山(彦根寺)には、
金の亀に乗った、一寸八分(約六センチメートル)の観音さまがおられたことから、
別名を金亀山とも呼び、後に築城された彦根城は、金亀城とも呼ばれております。
また、当時、霊験あらたかな観音霊場として、彦根山参拝ブームを巻き起こし、
京都方面からの参詣道は、巡礼街道と呼ばれ、
現在も通称として残り往時を偲ばせております。
江戸時代、藤原鎌足の子孫である井伊家が彦根に入り(入府)、
初代彦根藩主となった井伊直政公(騎乗姿)は、
現在静岡県引佐町井伊谷にて生を受け、十五歳で徳川家康に見いだされて以降、
武田勝頼との戦いを初陣に、関ヶ原の戦いなどに数々の大功を立て、
慶長六年(一六〇一年)、一八万石を賜って佐和山城主となりますが、
関ヶ原の戦いで島津軍から受けた鉄砲傷がもとで四十一歳の若さで亡くなりました。
彦根城と城下町は、直継公(途中分家)から二代藩主直孝公にかけ、
二十年の歳月を経て完成したのでありますが、
井伊家中興の祖と言われる直孝公の大坂冬の陣、夏の陣の大功により三十五石となり、
これより以降、近江国の政治、経済、文化の中心地として永く栄えることとなったのであります。
また、東京世田谷の豪徳寺が井伊家の菩提寺となったのも直孝公の時からであります。
彦根の地は誰れ言うこともなく、「一に大老、二に佐和山城殿」として、
井伊直弼と石田三成公を、彦根が輩出した偉人として市民の敬慕となり象徴となっているものであります。
井伊家が彦根のまちを開き、平成十三年(二〇〇一年)が、丁度四百年目の年となり、
「彦根開府四百年」記念事業の一つとして、彦根市民有志の手により、
本石碑が建立されたのであります。
十分に駅取材したあと、「近江鉄道ミュージアム」に行く。
鉄道資料館の中で入場料200円を払い、硬券切符形の入場券を貰う。
近江鉄道はかつて石灰石や石油などの貨物輸送を実施していて、
それに使用されていた電気機関車が貨物輸送廃止後も多く保存されている。
ED14形1号機、ED14形2号機、ED14形3号機、ED14形4号機、
ED31形3号機、ED31形4号機、ロコ1100形1101号機。
他に保存電車が220形223号車、220形224号車、220形225号車。
保存貨車は有蓋車ワ34、ワ35、無蓋車トム200形トム206など。
他に留置車両などもクモハ291、クハ1301、クハ1303、モハ304、
車籍のない起動モーターカー、500系501編成は近江鉄道が経営する保育園の遊び場として使用される。
近江鉄道のマスコットキャラクター・がちゃこんも来ていた。
マスコットキャラクターの名前はかつて近江鉄道がガチャコン電車と呼ばれていたことに由来する。
ここで十分に保存車車両取材を堪能し、彦根駅に入場して12:35発の列車を待つ。
貴生川行きの列車を八日市で下車する。
ここから八日市鉄道を買収した八日市線に乗り換え近江八幡を目指す。
高宮まで乗ってきた列車はここで終着となり、本線との接続時間を利用して駅取材する。
ここから9分で彦根まで戻り、西口で駅取材して11:00a.m.を待ち、
西口駅前にある「ちゃんぽん亭総本家 彦根駅前本店」で近江ちゃんぽん・野菜並盛り702円喰う。
近江ちゃんぽんは長崎ちゃんぽんとは全く違う食べ物であり、
魚介系のダシと野菜を一緒に煮込んだスープがベースになっている。
上に載っている野菜の量で値段が変わる。
彦根駅西口には「井伊直政公像」が設置されており、
さらに駅前ロータリーの端には「彦根縁起(神代~現代)」が設置されている。
「古事記」の冒頭には、太陽を神とする天照大神(伊勢神宮)が、
国生みの神である伊邪那岐の命、伊邪那美の命(多賀神社)の御子として生まれたと記されており、
また天照大神の御子である天津日子根の命と活津日子根の命の兄弟神が、
悠久の昔にこの彦根の地に鎮座して国造りをしたとするのだが、
この地方に伝承されている神話であります。
奈良時代、日本最古の法典「大宝律令」を完成させた藤原不比等とその子藤原房前が、
永年彦根の地を治めたことにより、
平城京にも劣らぬ地方都市がこの彦根の地に造営されていたのであります。
平安時代中期、末法思想の広がりと共に、全国各地に観音信仰が生まれ、
現在彦根城のある彦根山(彦根寺)には、
金の亀に乗った、一寸八分(約六センチメートル)の観音さまがおられたことから、
別名を金亀山とも呼び、後に築城された彦根城は、金亀城とも呼ばれております。
また、当時、霊験あらたかな観音霊場として、彦根山参拝ブームを巻き起こし、
京都方面からの参詣道は、巡礼街道と呼ばれ、
現在も通称として残り往時を偲ばせております。
江戸時代、藤原鎌足の子孫である井伊家が彦根に入り(入府)、
初代彦根藩主となった井伊直政公(騎乗姿)は、
現在静岡県引佐町井伊谷にて生を受け、十五歳で徳川家康に見いだされて以降、
武田勝頼との戦いを初陣に、関ヶ原の戦いなどに数々の大功を立て、
慶長六年(一六〇一年)、一八万石を賜って佐和山城主となりますが、
関ヶ原の戦いで島津軍から受けた鉄砲傷がもとで四十一歳の若さで亡くなりました。
彦根城と城下町は、直継公(途中分家)から二代藩主直孝公にかけ、
二十年の歳月を経て完成したのでありますが、
井伊家中興の祖と言われる直孝公の大坂冬の陣、夏の陣の大功により三十五石となり、
これより以降、近江国の政治、経済、文化の中心地として永く栄えることとなったのであります。
また、東京世田谷の豪徳寺が井伊家の菩提寺となったのも直孝公の時からであります。
彦根の地は誰れ言うこともなく、「一に大老、二に佐和山城殿」として、
井伊直弼と石田三成公を、彦根が輩出した偉人として市民の敬慕となり象徴となっているものであります。
井伊家が彦根のまちを開き、平成十三年(二〇〇一年)が、丁度四百年目の年となり、
「彦根開府四百年」記念事業の一つとして、彦根市民有志の手により、
本石碑が建立されたのであります。
十分に駅取材したあと、「近江鉄道ミュージアム」に行く。
鉄道資料館の中で入場料200円を払い、硬券切符形の入場券を貰う。
近江鉄道はかつて石灰石や石油などの貨物輸送を実施していて、
それに使用されていた電気機関車が貨物輸送廃止後も多く保存されている。
ED14形1号機、ED14形2号機、ED14形3号機、ED14形4号機、
ED31形3号機、ED31形4号機、ロコ1100形1101号機。
他に保存電車が220形223号車、220形224号車、220形225号車。
保存貨車は有蓋車ワ34、ワ35、無蓋車トム200形トム206など。
他に留置車両などもクモハ291、クハ1301、クハ1303、モハ304、
車籍のない起動モーターカー、500系501編成は近江鉄道が経営する保育園の遊び場として使用される。
近江鉄道のマスコットキャラクター・がちゃこんも来ていた。
マスコットキャラクターの名前はかつて近江鉄道がガチャコン電車と呼ばれていたことに由来する。
ここで十分に保存車車両取材を堪能し、彦根駅に入場して12:35発の列車を待つ。
貴生川行きの列車を八日市で下車する。
ここから八日市鉄道を買収した八日市線に乗り換え近江八幡を目指す。