15.東海道本線鴨宮と戸塚の駅取材
二宮で駅取材して2つ先の鴨宮を目指す。
14:37は「遅れ5分」と電光掲示板に表示されていた。
構内アナウンスによると、「平塚、茅ヶ崎間の踏切で、
人立ち入りの影響で遅れが発生しています。」とのこと。
この電車を待って鴨宮まで行く。
鴨宮でここまで乗ってきたE231系近郊形を見送り、
ここから駅取材を開始する。
JR鴨宮駅は島式1面2線の地上ホームを有する。
1番線は上り東京方面、2番線は上り熱海方面が使用する。
画像は南口で、橋上駅舎化されている。
東海道本線は当初は現在の御殿場線経由で国府津と沼津の区間は結ばれていた。
国府津から熱海までは1920年10月21日に熱海線として開業、
この時、現在の鴨宮の場所に酒匂川信号所が開設された。
酒匂川信号所は1922年4月1日に酒匂川信号場に解消、
この信号場が1923年6月1日に駅に昇格して鴨宮となった。
丹那トンネルの完成により、1934年12月1日に熱海と沼津の区間が直通、
熱海線を含むこの区間が東海道本線となり、
御殿場経由の山線は御殿場線として東海道本線から分離された。
駅名は駅所在地の神奈川県小田原市鴨宮に由来する。
鴨宮は「新幹線の発祥地」とされている。
そのことを表す0系がトンネルを出てくるモニュメントも設置されていた。
脇の解説には以下のように書かれていた。
新幹線の歴史
新幹線は日中戦争時の一九三〇年代、
輸送力増強の手段に「弾丸列車計画」として発案され、
昭和十五年に計画が承認され工事がスタートしたものの、
その後、太平洋戦争の戦況悪化で工事が頓挫しましたが、
現在の新幹線は土地の買収や工事が進展していた区間を利用しました。
鴨宮区間もその一つでした。
昭和三十九年十月十日の東京オリンピックの開催に合わせるように、
十月一日に開業しました。
新幹線は昭和三十七年、鴨宮と綾瀬を結ぶ区間が試験線となり、
この試験線は開業に際し、新横浜-小田原の一部として、
現在、使用されています。
東海道線鴨宮駅に隣接された試験基地は「鴨宮モデル線区」と呼ばれ、
現在「新幹線発祥之地」と制定された記念碑が建立されています。
夢の超特急と言われた東海道新幹線が昭和三十九年に開業して、
早や四十五年の月日が経とうとしています。
しかしながら、鴨宮が日本の新幹線の発祥地である事を知る人が、
段々と少なくなって参りました。
そこで、私共は、世界一早い・世界一正確で・世界一安全な乗り物、
夢の超特急と言われた東海道新幹線の歴史を正しく、
後世に伝えていく為に『新幹線発祥の地・鴨宮』の記念碑を建立し、
地域のシンボルとして、
又、世界にも誇れる歴史的にも貴重な遺産を風化させない為に、
ここに記念碑を建立いたします。
又、事業基金は全額を皆様方からの温かい浄財によって賄われました。
ご協賛を賜りました方々のお名前を碑に刻み未来永劫その証を称えます。
平成二十一年四月吉日
「新幹線の発祥地・鴨宮」碑建立事業実行委員会
会長 高橋 隆一郎(下府中地区自治会連合会会長)
鴨宮で北口、南口を取材し、再入場する。
ホームからはビル越しに微かに富士山を見ることも出来る。
15:15鴨宮発の上野東京ライン・高崎行きに乗り込む。
ダイヤは乱れていたが、この列車はほぼ定刻通りにやってきた。
これに乗って戸塚まで戻る。
定刻通りに来たが、平塚で遅れている特急の通過待ちで、
定刻より4分遅れで発車し、戸塚まで行った。
JR戸塚駅は島式2面4線の地上ホームを有する。
また、横須賀線も接続していて、方面別ホームを採用している。
1番線は横須賀線上りと湘南新宿ライン北行、
2番線は東海道本線と上野東京ラインの上り東京方面が使用する。
3番線は東海道本線下り熱海方面、
4番線は横須賀線下りと湘南新宿ライン南行が使用する。
戸塚は1887年7月11日に、
横浜から国府津まで開通したのと同時に開業した。
横須賀線開通後は横須賀線直通も停車するようになる。
駅名は駅所在地の神奈川県横浜市戸塚区戸塚町に由来する。
この地は東海道の戸塚宿のほぼ中心地であった。
地下には横浜市営地下鉄ブルーラインの駅がある。