rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

16世紀よりポルトガルの文化が流入した、中国:マカオ

2011-07-02 10:06:06 | 街たち
”にじいろジーン・地球見聞録”、中国:マカオ。
珠江口の湾の東対岸に香港をのぞみ、香港よりさらに狭い街。
16世紀からポルトガルの居留地として、19世紀には、ポルトガルの植民地となり、20世紀末をもって中国に返還された。
年間観光客2000万を超え、カジノでは、アメリカ:ラスベガスを抜き、いまや世界一の売り上げを誇るまでになり、中国の経済特区として、香港と共に外貨を稼いでいる。
通貨も特別で、マカオ・パタカが通用している。

長いことポルトガルの影響を受けたので、街並みはポルトガル風の建物が、色鮮やかに黄色オレンジなどに塗り分けられ、中国のアジアテイストも加味され、独特の様相だ。
ポルトガル式の石畳カルサーダスと、青と白の絵付けを施されたタイルで装飾された外壁アズレージョが、異国情緒を醸し出す。
観光に重点を置いていることもあって、街は綺麗に整備してある。
しかし、ところどころに、派手なピンクの店構えと赤に金文字の看板などが、中国風のハレーションを起こし、賑々しく活気に満ちたアジアン気質を垣間見せるところが、面白い。

隣接するコロナン島は、マカオほど派手ではなく、ひなびたポルトガルの漁村といった趣で、散策するにはうってつけのようだった。
なんでも、エッグタルトが有名だそうで、濃厚なカスタードの味を楽しめるらしく、かなり興味深々。
マカオ名物に、鶏肉をトマトカレーベースで煮込んだ”アフリカンチキン”や、好きな具材をカレー風味のスープで食べる”カレーおでん”、豚肉の粉末とネギを練りこんだ”肉入りクッキー”が紹介されたが、一番きになるのはエッグタルトだろう。
ほかにも、マンゴーを使ったスイーツに、ポルトガル料理の影響を受けた食べ物も多くありそうで、食いしん坊にとってもマカオは魅力満載のようだ。

昼間のマカオは、太陽の日差しを燦々と浴びて南国の雰囲気を漂わせていたが、一転、夜のマカオは、ネオンきらめく不夜城のように毒々しく、あまり好きになれそうにもない。
中国に返還されてから、いっそうきらびやかに電飾を施されたのであろうか?
なんだか、店換えをした遊女のように、虚飾の上塗りをされているみたいで、痛々しく感じたエンディングであった。

悠久の時を今も刻み続けているシルクロードの出発点、中国:西安

2011-07-02 00:39:36 | 街たち
「世界ふれあい街歩き」中国:西安。
厚さ20mはあろうかという堅牢な城壁に囲まれた、かつての長安、秦の時代から千年以上にわたり都が置かれた古都、シルクロードの出発点でもある。
その古都の名にふさわしく、文化芸術が今も盛んなようだ。

”書院門”をくぐると、そこは書画に関する筆や硯、紙などを売る店が、軒を連ねている。
また、中国の切り絵”剪紙(せんし)”を売っている店も多くあった。
中国では、書画や剪紙を気軽に飾る習慣があるという。
価格も比較的安く、割と頻繁に飾り換えをする。
剪紙には、縁起のよい図案が一般的で、招福の願いを込めて飾るのだ。
そう、筆。
筆屋で品定めをしていた年配の男性が、試し書きをしていたが、なんとも流麗な筆捌き。
以前、黒竜江のハルビンを紹介していたときの事、河に面した広場の石畳に、特製の水筆でさらりさらりと李白だったかの詩を書いていた、やはり年配の男性がいた。
好きな詩の書道愛好家が集い、めいめい練習に励む一場面だったのだ。
中国では、書をたしなむのが教養の一つになっているようだ。
もっとも、漢字の生まれた国だもの、当然のこと。

”西羊門”という門があった。
その字面からしても推察できるように、門をくぐると、イスラムの帽子をかぶった人を、多く目にする。
回族の集まる地区だ。
さすが、シルクロードの出発点の街だけはある。
商人として、商いをするうちにたどり着いたのであろうし、彼ら商隊の東側の基地として街を形造ったのだろう。
ナツメを売っている男性がいたが、ナツメには砂漠の乾燥したイメージがある。
タクラマカン砂漠をラクダに揺られて旅してきた、遥か昔の思い出を、一日5回の祈りと共に、ナツメの実は背負っている。
築300年以上の屋敷に、親族9件と住んでいる男性は、家宝?と思しい刀を持っていた。
”春秋大刀”という、ナツメでできたの柄の刀の一振り、これも悠久のロマンを感じられる。

”鼓楼”という、唐時代に一日2回の鐘で時を知らせていた城郭がある広場では、凧揚げに興じる人が数名いた。
しかも、連凧。
凧も、中国発祥といわれている。
竹を骨に使い、紙で本体を作る、竹も紙も中国が本家本元、伝統が脈脈と受け継がれているようだ。
”凧名人”これも年配の男性、変わり凧・仕掛け凧を得意とする。
元エンジニアのスキルを生かして、風を回転に変換して動力とすし、目玉や舌・顎を動かす竜の頭を作ったりしていた。
伝統で上手く遊び、後世に伝えていくやり方は、確実に存続できるだろう、見習うべきもののように思える。
一つ一つのものに見せるこだわりの強さ、ユーモアの見せ方は、秦の時代からすでにここの気質なのか?
「秦始皇兵馬俑(へいばよう)」にある、6000対にも及ぶ臣官の一人一人の顔や服装を違える、気の遠くなるような工夫に、すでに現れているだろう。

中国は、急激な近代・現代化をしている。
経済的にももう先進諸国に引けをとらないばかりか、いまや堂々と君臨している。
極端な面を持っているから、経済的ではないから切捨てごめんと、北京のように古い街並みを再開発のために、壊したりするのではないかと、危惧する。
新しくするばかりの経済活動ではなく、伝統を採り入れ、現在と融和させながら、国をかえていって欲しい。
もっとも、これについては、日本にも通じるところである。