rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

4ヶ月経っても

2011-07-11 22:02:52 | つぶやき&ぼやき
3.11から、4ヶ月経ってしまった。
なのに、一向に被災地の復興も、原発作業員の待遇と安全の改善も、放射能汚染対策も、予算も何もかも宙ぶらりんのまま。
誰とかが居座っているからなどと、呑気な言い訳をしている場合ではないのに。
今年は、例年になく早々とやってきた酷暑が、被災者を苛んでいる。
衛生的で落ち着いた生活環境がなかなか得られなく、心身の疲労が回復困難なまでに進行していて、気力だけで毎日を送っているだろう状況に、更に追い討ちをかけている。
原発の事故終息作業は、現場作業員の命を張った仕事のおかげで、わずかながらに前進しているみたいだが、政府と東電の場当たり的な態度が彼らの努力をないがしろにしている。
放射能汚染に関しての、国民の安全を第一にした指針が、なにか問題がおきてからの対処ばかりで、未来の国民国家を勘案していないのが明白だ。
しかし、これとは違う長期的に国家を破滅させるかもしれないことでは、国民の見えないところでどんどんと決まり実行されている、この行動力決断力の差はいったいなんだ。
これらのながれは、善によって成されているのだろうか、甚だ疑問がある。
人の中に必ずや備わっていると思いたい「善」が、深い霧に巻かれ、その目が見えなくなっているのではなかろうか。
その深い霧が、どこから出てくるのか、なかなか探り当てられないでいる。
一つの大きな意志によるものか、はたまた同時発生的に湧いてきた利益に惑わされた矮小な悪魔なのか、それとも他の何ものなのか。
小さく非力であろうとも、「善の種」が、いっせいに芽吹いて育つのを、願うばかりの愚者であった。

国立科学博物館と国立博物館

2011-07-11 15:47:28 | 旅先から
クレー展を観たその日、国立科学博物館と国立博物館も訪れた。
どちらも20年ぶり。
上野公園の木々たちは、よく手入れされていて、梅雨明け直後の強烈な太陽から、行き交う人々を守っていた。
梢には、暑さから避難したカラスが、その羽を休めていた。
葉を揺らし木々を縫って吹き渡る風は、全てのものに精気を与える。
建物ばかりでは、こうはいかない。

科学博物館では、特別展「恐竜博2011」を開催していた。
期間は、7月2日から10月2日まで。
開催て1週間経った土曜日とあって、親子連れが多い。
ティラノサウルス(バッキー)とトリケラトプスの巨大な骨が、迫力満点で子供はもちろんのこと、大人たちも興奮していた。
日本初の化石も多く展示されて、この古代生物が気球に君臨していた遠い昔を映像を交えて解説しているところは、子供にとって理解の足がかりになる。
充分恐竜に感動してから、常設展にむかった。
いつ頃リニューアルしたのか、展示方法が大幅に変更されていた。
アクリル樹脂で固めた魚類・海草類が、ブロックになって壁を造り、両面から標本を観察できる。
近年の流行なのかもしれないが、コンパクトにまとめられ、省スペース化・3次元展示方法で、天井や足元にも標本が飾られていた。
科化学のブースの体験コーナーでは、子供たちが目を輝かせ遊びながら、スイッチを押し、ハンドルを回し、様々な疑問を楽しんでいた。
そのほか、宇宙史、博物史など、どのブースも心地よく好奇心を刺激してくれた。
できるなら、じっくり時間をかけて回りたいところだ。

国立博物館。
本館だけを一通り見る。
小さい人にとって、まだ、学校で習っていない日本の歴史文化。
知識の下地がないだけに、いささか無理かとも思ったが、展示方法が、縄文からの工芸品が流れをつくって並べられていたので、興味のある絵や服飾品をさしながら、観て歩いた。
今の生活で、日本的文化に触れる機会が少ないためか、やはりものの真価を理解し感動するには、知識がないといけないのか。
以前はなかなかその美しさ素晴しさが伝わってこなかった刀剣に、初めて心が震えたのは、経験を重ねて得た何ものかがそうさせたのだろうと思った。
すると、小さい人も今は無理でも、そのうちにはこれらの美しさ素晴しさを感じられるときが来るのだろう。

この科学博物館や博物館は、派手な演出もなくキャラクターなどを通して親近感を持っていない、地味な場所だ。
しかし、少しの忍耐を必要とするが、頭と心の栄養を存分に補給できるところ。
大人はいまさらと思わずに、子供は好奇心を全開に貪欲にいろいろ吸収することを面倒くさがらずに、博物館へ足を運んでみよう。
きっと、普段の生活が今までとは違ったものになるから。