冷蔵庫が、すっからかんの空っぽになったので、意を決して買い物に出かけた。
まずは、野菜コーナーからまわる。
天候不順と天災によって、野菜の収穫がおぼつかないと聞いてはいたが、一週間前より3割くらい値が上がっていた。
しかたがないことでも、財布に痛い。
大好きなトマトは、更に値上がって、手の届かないところにいた。
トマトの水煮缶で、トマトの味覚を補おうと、いっそう覚悟を決めた。
それでも、野菜を欠かすことは出来ないので、汎用性の高いものを買い物かごへ入れる。
それから、調味料、乾物、パスタ類、パンに乳製品へと、カートを進める。
この辺りの食品も、これから順に値上げになるのだろうと、少し暗い気持ちに。
日頃、口にする食品のほとんどが、何らかの形や割合で輸入に頼っているものばかり。
食肉用動物の飼料も、外国からの輸入品で、間接的に海外に依存している。
これから寒くなってからのハウス野菜の栽培には、化石燃料が欠かせない。
これも100パーセント輸入。
脅威の円高でも、この値上がりかたなのだ。
はてさて、どうしたものだろう。
日本は、自国で消費する食糧生産に、もっと積極的にならないといけない。
安く買える外国に頼ればいいばかりでは、今に憂き目を見るだろう。
日本の国際的位置が、いまのままでいられる保障など、何処にもない。
いつまでも、江戸時代の悪しき流れを放って置いていいはずはない。
農家が、自信を持って生産に励み、農業一本で豊かな暮らしを営める社会にして、就農者増える環境整備をしよう。
世代が変わるごとに、農家では生活するのにままならないと、離農をしていくようではいけないだろう。
また、効率が美徳であるならば、廃棄される食料を極限まで減らせるシステム作りも必要だ。
乱立する小売店の安売り合戦は、消費者にとって有難くもあるが、度を過ぎた安売りは、悪でしかないと思う。
安さに踊らされ、つい買い込みすぎて、腐らせたりはしていないだろうか。
そんなにたくさんの店が抱え込んでいる食品は、余すことなく消費者の元へ買われていくのだろうか。
たまたま、ここ数年、世界的に天災が頻発して、食糧生産に支障をきたしているのかもしれない。
でも、来年以降は天災に見舞われないなんてありえない。
状況が悪くなる可能性だってもちろんあるのだ。
耕地面積が狭い日本、得意な集約的効率のよい市場システムの整備をして、いっきには増産できない食糧生産をフォローしていこう。
これは、”もったいない”という、日本のよき文化風習に倣ってもいる。
自然の恵み、それを取り出してくれる生産者、賜った命の糧、対価を払って糧を手に入れ、美味しく頂くために料理する、全てに感謝して余すことなく平らげる、この美しい循環を、個人から社会が採り入れる、新時代を作っていくのだ。
生きるために食べ、食べるために生きる者たちよ。
まずは、野菜コーナーからまわる。
天候不順と天災によって、野菜の収穫がおぼつかないと聞いてはいたが、一週間前より3割くらい値が上がっていた。
しかたがないことでも、財布に痛い。
大好きなトマトは、更に値上がって、手の届かないところにいた。
トマトの水煮缶で、トマトの味覚を補おうと、いっそう覚悟を決めた。
それでも、野菜を欠かすことは出来ないので、汎用性の高いものを買い物かごへ入れる。
それから、調味料、乾物、パスタ類、パンに乳製品へと、カートを進める。
この辺りの食品も、これから順に値上げになるのだろうと、少し暗い気持ちに。
日頃、口にする食品のほとんどが、何らかの形や割合で輸入に頼っているものばかり。
食肉用動物の飼料も、外国からの輸入品で、間接的に海外に依存している。
これから寒くなってからのハウス野菜の栽培には、化石燃料が欠かせない。
これも100パーセント輸入。
脅威の円高でも、この値上がりかたなのだ。
はてさて、どうしたものだろう。
日本は、自国で消費する食糧生産に、もっと積極的にならないといけない。
安く買える外国に頼ればいいばかりでは、今に憂き目を見るだろう。
日本の国際的位置が、いまのままでいられる保障など、何処にもない。
いつまでも、江戸時代の悪しき流れを放って置いていいはずはない。
農家が、自信を持って生産に励み、農業一本で豊かな暮らしを営める社会にして、就農者増える環境整備をしよう。
世代が変わるごとに、農家では生活するのにままならないと、離農をしていくようではいけないだろう。
また、効率が美徳であるならば、廃棄される食料を極限まで減らせるシステム作りも必要だ。
乱立する小売店の安売り合戦は、消費者にとって有難くもあるが、度を過ぎた安売りは、悪でしかないと思う。
安さに踊らされ、つい買い込みすぎて、腐らせたりはしていないだろうか。
そんなにたくさんの店が抱え込んでいる食品は、余すことなく消費者の元へ買われていくのだろうか。
たまたま、ここ数年、世界的に天災が頻発して、食糧生産に支障をきたしているのかもしれない。
でも、来年以降は天災に見舞われないなんてありえない。
状況が悪くなる可能性だってもちろんあるのだ。
耕地面積が狭い日本、得意な集約的効率のよい市場システムの整備をして、いっきには増産できない食糧生産をフォローしていこう。
これは、”もったいない”という、日本のよき文化風習に倣ってもいる。
自然の恵み、それを取り出してくれる生産者、賜った命の糧、対価を払って糧を手に入れ、美味しく頂くために料理する、全てに感謝して余すことなく平らげる、この美しい循環を、個人から社会が採り入れる、新時代を作っていくのだ。
生きるために食べ、食べるために生きる者たちよ。