絵画 1946年
20世紀を代表するアイルランドの具象画家、フランシス・ベーコン。
暴力的で醜悪的な画面に一瞬戸惑いもするが、人間の根源にある破壊の衝動にリークして、忘れることの出来ない絵画になる。
”絵画 1946年”は、ロートレアモンの”マルドロールの歌”の詩の一節「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」にインスパイアされたらしいという説がある。
確かに、”マルドロールの歌”に充満しているのは、まがまがしく残忍な狂気と悪だ。
しかし、人間の内部にもとより巣くっている性質でもある。
ベーコンは、狂気と暴力を内在させる人間の皮をむいて露わにし、簡略化された空間に暴き出して据えたのだ。
目を反らせたくなりつつも、何処までも注視してしまうのは、怖いもの見たさか、あるいは自虐的快感があるのかもしれない。
どんなに着飾り、美辞麗句を並びたてたとて、一皮むけば汚物もつまっている人間の本性。
これをまともに凝視して、冷静かつ客観的に己が臓腑を見極め、軌道修正を施していかないと、本性むき出しの野獣となり、他者を圧迫していくだろう。
ベーコンは、この肉塊の絵を持って、人の性の忌まわしい悲しみを悼んだのかもしれない。
それは、愛というものなのか。
三連作 1979年中央パネル
20世紀を代表するアイルランドの具象画家、フランシス・ベーコン。
暴力的で醜悪的な画面に一瞬戸惑いもするが、人間の根源にある破壊の衝動にリークして、忘れることの出来ない絵画になる。
”絵画 1946年”は、ロートレアモンの”マルドロールの歌”の詩の一節「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい」にインスパイアされたらしいという説がある。
確かに、”マルドロールの歌”に充満しているのは、まがまがしく残忍な狂気と悪だ。
しかし、人間の内部にもとより巣くっている性質でもある。
ベーコンは、狂気と暴力を内在させる人間の皮をむいて露わにし、簡略化された空間に暴き出して据えたのだ。
目を反らせたくなりつつも、何処までも注視してしまうのは、怖いもの見たさか、あるいは自虐的快感があるのかもしれない。
どんなに着飾り、美辞麗句を並びたてたとて、一皮むけば汚物もつまっている人間の本性。
これをまともに凝視して、冷静かつ客観的に己が臓腑を見極め、軌道修正を施していかないと、本性むき出しの野獣となり、他者を圧迫していくだろう。
ベーコンは、この肉塊の絵を持って、人の性の忌まわしい悲しみを悼んだのかもしれない。
それは、愛というものなのか。
三連作 1979年中央パネル