rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

落ち葉を掃いて、焚き火をする

2011-10-17 23:17:39 | 植物たち
ケヤキの枯葉が、庭にうっすらと舞い落ちている。
竹箒を持ち出し、「ザーッザーッ」と掃き集めていく。
篠竹の藪近くを掃いていると、薮蚊があの不快な音を立て襲い掛かってくる。
いまごろの蚊は、百戦錬磨、見事に毒液を注入していく。
そこで、一刻も早く蚊を追い払う為にも、掃き集めた枯葉に火をつけて、煙を上げる。
ちりちりちり、ぱちぱちぱち、と音を立てて、マッチの火が枯葉に燃え移り、拡がっていく。
ケヤキの葉の焼ける匂いは、あまり印象に残らない。
茶色く硬く渇いた小さな葉が、赤くちりちりと火に舐められ、それからきれいな白っぽくふんわりとした灰になって残る。
周りの燃え残っている枯葉を、そっと竹箒で寄せ集めると、煙と一緒に白い灰が舞い上がっていく。
この土地に住むようになってから、十数年、庭の枯葉を掃き集めては、焚き火をしてきた。
田舎ならではの、長閑な風物詩といえるだろう。
広い庭と、大きな木たちの枯葉には、てこずることもしばしばだが、この作業を愛してきた。
しかし、今年の作業は、なぜか気が重い。
人が、核をおおっぴらに使い始めてこの方、60年以上にわたって、人工的な放射性物質は地球にばら撒かれ続けている。
既に、大なり小なり汚染されてしまっている地球だが、それでも身近に起きてしまったことに狼狽しないではいられない。
高さ10メートルを超えるケヤキの木は、芽吹いてよりずっとこの土地で生きている。
この木がいつ死ぬか分からない。
火事に遭うかも知れないし、雷に打たれるかもしれない。
でも、そうした災厄にあわなければ、人よりも長く生きられる。
ケヤキの木は、その長いだろう生きている時に、周りにいる動植物達がどのように生きていくのかをじっと見守っていくのだ。
いったい、どのようなことが、ケヤキの周りで起こっていくのだろう。
年輪などに刻み込まれるものから、木の記憶が読み取れるとしたなら、世界中の古木を調べてみたい。
1945年以降の年輪に、恐怖の記憶が刻み込まれていたなら、それは生命の悲痛な叫びと警告といえよう。
そして、人間が滅んで後にも、その記憶は毎年のように何万年にもわたって刻み込まれ続けていくかも知れないのだ。