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故郷とは、スメタナ「わが祖国」より「モルダウ」

2013-07-28 10:31:23 | インポート

Bedřich Smetana: Má Vlast Moldau (Vltava) [City of Prague Philharmonic Orchestra]

19世紀のチェコの作曲家スメタナの作品、連作交響詩「わが祖国」第二曲モルダウは、郷愁を持って語るボヘミアの壮大な叙事詩の一節だ。
自分は、チェコに行ったこともなくモルダウ川を知ることがない。
しかし、幼い頃住んでいた札幌の豊平川の緩やかにうねる流れを思い出し、懐かしみを覚え、スメタナの気持ちを思いやれる気がする。
まさに、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」なのだ。

自分は、正しく故郷を持つものだとはいえない。
数年ごとに住むところが変わると、薄いなじみの土地が点在し、はてどこが故郷なのかと特定するのが難しい。
かといって、家人のように青年期の一時だけ生家を離れたほかは、ずっと生まれた家に住み続けていると故郷という感覚はありえない。
思うに、故郷とは、ある一定の場所に青年期までを過ごし、その後そこから遠く離れ長い時を過ごす場合において発生するものではないだろうか。
だから、故郷は日本ではなく、○○国○○県○○市○○町ぐらいまで絞り込まないと故郷とはいえない。
漠然としたイメージではいけないのだ。
街並み、細い道の具合、近所の人々や飼い犬や野良猫などにいたるまでの細部がしっかりとなければ、思い出にリアリティーがかけてしまうから。

スメタナは、「わが祖国」を書き上げているとき、水面の変わりゆくさま、木々の梢にそよぐ風、川に行くまでの道の具合、街の通りの両側にあるドアや店先からの匂い、住まいの玄関を押し開ける重さ、さまざまなものが脳裏を過ぎったに違いない。
過ぎ去った日々への哀愁が、この曲に深い色味を与えている。

もう少しでお盆時期、故郷に帰る人たちも多いだろう。
故郷に向かう間、住処に帰るとき、人々の胸に多くのものがこみ上げる。
もしかすると幾人かに、このスメタナの曲が脳内音楽として流れるのではないかと想像している。