rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

夏の夜の寝苦しさは、フュースリ”夢魔”

2011-08-25 23:04:54 | アート
 夢魔

幼い頃に、小さな図版で見たフュースリの”夢魔”は、夏の夜の寝苦しさを連想させた。
体温で暑くなった布団から、畳に半身を落として、それが頭の場合には、この絵の女性のよう反り返って、なんとも辛いものだ。
そのイメージか重なるからなのだろう、夏の夜の寝苦しさと”夢魔”はセットになって、感覚に結びついてしまった。
おまけに、何の弾みでか、片手が胸の辺りに乗っているときには、さらにリアルな感じになる。

フュースリは、200点以上も油絵を描いたらしいのだが、知っている作品は、この”夢魔”2点のみ。
スケッチやデッサンは800点にも上り、油彩画よりも優れているらしいのだが、残念にも見る機会をまだ得ていない。

フュースリも、ウィリアム・ブレイクやアーノルド・ベックリンに通じる、幻想、しかも暗い神秘性に満ちている。
目に見えないものに重きを置いているとでも言おうか。
しかも、ルドンやモローより、もう少し暗いところを好んでいる。

最近は、”夢魔”の状態にならないけれど、夏の夜には、いつそうなるか分からない。
いや、先日、実に嫌な夢を見てうなされたことがあった。
体の状態ではなく、心に刻み込まれた嫌な記憶が悪さをしたのだ。
子供の頃の、無邪気な”夢魔”には、もう出会えないのかもしれないと、少し寂しい気持ちになる。
”夢魔”ではなくて、”悪夢”となって。

 夢魔

雨の尾瀬

2011-08-23 23:43:01 | 旅先から
 白樺と池塘

関東地方上空に寒気が下りてきて、久しぶりに酷暑から開放された日に、標高1400メートルの高地にある湿原の尾瀬に行ってきた。
尾瀬に行く道すがらからして、雨がぱらつき、鈍い灰色の雲は重そうに低く垂れ込め、これからの旅がうまくいくかどうか不安になった。
尾瀬戸倉に車を置いて、バスで鳩待峠に向かった。
車窓から見える沢の景色のところどころ、7月の新潟・福島豪雨の爪あとが深く刻まれていた。
もちろん、鳩待峠から湿原の入り口山ノ鼻への下り坂も、土砂崩れやなぎ倒された木々が沢に落ち込んでいる。
10年以上前はなかった石段や木道が整備されていたが、何箇所か新しく補修している様子にも、集中豪雨の恐ろしさを思いやった。
また、熊避けの警鐘が設置され、水芭蕉が更に巨大化していたり、尾瀬の環境も初めて訪れた30年前とは、随分と変わった尾瀬の姿に驚いた。
山ノ鼻から牛首分岐所、東電小屋へ歩く。
至仏山や燧ケ岳は、すっぽりと雲に覆われて、濃い山すそがそのありかを暗示するに留まっている。
今の時期、花の盛りは過ぎて、秋への準備に入っているような植物達。
あと2週間もすると、草の紅葉が始まるらしい。
木道を歩いて感じたのだが、一様に植物の草丈が高くなっている印象を受けた。
ヨッピ橋から竜宮へと行く木道沿いに、シダ類なのか子供の背丈ほどもある草が威圧感たっぷりに生い茂っていた。
それ以外にも、ワタスゲなのか、細い葉も、草原のように湿原を埋め尽くしていた。
それで、池塘が草に隠れて見えにくくなっている。
おそらく、緩慢な自然の変化によるものではなく、気候と人の来訪によって、湿原の環境が変わったせいであろう。
確か、山ノ鼻にあった案内に、”梅干の種が多く捨てられています。自然物とは言えども、捨てないでください。”の内容があった。
それから、山小屋を利用する者の暗黙の了解に、”石鹸の使用禁止”がある。
もちろん、山小屋の利用案内に、書き添えられているのだが、全ての人が守ることはない。
本来ならば、動植物の世界に分け入れさせて貰って、自然を楽しんでいるのだから、彼らの領域を荒らしてはいけないのだ。
自然を汚さない最低限度の行動をとるべきなのに、なんとも傲慢な人間は、どこまでも自分ルールを押し通してしまう。
水や土を変え、富栄養化した土壌が植物の巨大化を生み、エサが豊富になった湿原にツキノワグマが出没する。
もっとも、熊に関しては、他の理由もあるのだが。
だから、この素晴しい尾瀬の自然を長く楽しませてもらう為にも、細心の注意を払って入山させてもらおう。
自然が何万年の年月をかけて生んだ湿原を、あと数十年か百年後かに失わさせてはならない。
30年間に変わった尾瀬の姿を目の当たりにし、そぼ降る雨の中、木道を踏みしめながら考えたことである。

 イワショウブ

 ワレモコウ

マスコミ諸氏をはじめ、全ての人に捧ぐ、アントニオ・タブッキ”供述によるとペレイラは・・・”

2011-08-18 23:47:26 | 本たち
イタリアの作家アントニオ・タブッキは、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアを信奉する所以で、ポルトガルを舞台にした作品を数点書いている。
以前読んだ”レクイエム”もそうだが、”供述によるとペレイラは・・・”もポルトガルが舞台だ。
ある調書に書かれている設定で、文章のいたるところに「供述によるとペレイラは・・・」のフレーズがちりばめられている。
それだけで、何か不穏な雰囲気が読み手に伝わるのだ。

以前は、一流新聞紙で社会面の優れた記者をしていたペレイラも、いまではしがない大衆紙の文化面編集長兼たった一人の記者として、自分の好みで紙面を作る、社会情勢の圏外にいる存在として過ごしていた。
さすがに一人で何もかもこなすのは無理があるので、安く使える見習い探していた矢先に、大学を卒業したばかりの男が書いた”死”についての論文の批評に目を留めた。
そこから、彼の人生が、徐々に大きく変わっていく、劇的なまでにも。
はじめは、なにやらただならぬことに巻き込まれているとおぼろげに感じつつも、自分はカトリック教徒ではあるがノンポリだ、だから、困ったことになるはずはないと高をくくっていた。
ドイツのナチズムや、スペインのフランコ政権、イタリアのムッソリーニの影が、ポルトガルにも及んできた時代設定。
狂気が、市井の人々の暮らしにも暗い影を投げかけていたリスボン。
マスコミの第一線を退き、社会情勢に興味を持たなくなったペレイラの心に、若い男との出会いは、小さな小石を投げ入れたのだ。
自分の心に現れた変化に戸惑い、名誉ある大学教授をしている旧友にあって相談をしてみるが、それにきな臭い匂いを嗅ぎ取った友の事なかれ主義的反応に、大きく失望するペレイラ。
そんな折に、心臓に負担をかける極度な肥満を解消すべくいった療養所でであった医師が、彼に決定的変化をもたらすことになる。
それからは、ペレイラを取り巻く環境が、ペレイラ自身の意思が、大きく変化していくのだ。
魂の、崇高な真の自由を求めて。
そして、ペレイラは、本当の意味でのジャーナリストになった。

この世の中に、言論統制、思想統制が行われないところがあるのだろうか。
大なり小なり、それはいたるところで行われている。
理想としてマスコミは、厳正中立な立場を持って、政治権力・企業を監視して、報道しなくてならない。
だが、それはありえないのが現実だ。
しかし、度が過ぎると、もうその時代は、国は、末期状態にあるといっても過言ではないだろう。
真実は、いつも闇の中。
片鱗を垣間見ることが出来れば、運が良いといわなくてはならない。
さて、今の日本、世界は、どこへ向かおうとしているのだろうか。
何によらず、真の自由な立場で、人々が安寧に暮らせる未来を、人として正しい生き方を、見据える者が一人でも多く現れんことを、強く、強く願うのであった。

※この作品は、1995年にロベルト・ファエンツァ監督で映画化されているという。主人公ペレイラにマルチェロ・マストロヤンニ、迷うペレイラの背中を押すきっかけとなったカルドーゾ医師をダニエル・オートゥイユが演じた。
大好きな俳優マストロヤンニのペレイラを見てみたいが、日本では未公開のようだ。DVDも無いようで、残念至極であった。

故郷カタロニア民謡をチェロで奏でる、パウ・カザルス”鳥の歌”

2011-08-17 23:00:25 | 音楽たちークラシック
<object width="480" height="390"><param name="movie" value="http://www.youtube-nocookie.com/v/qKoX01170l0?version=3&amp;hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube-nocookie.com/v/qKoX01170l0?version=3&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="480" height="390" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object>

カザルスの故郷カタロニアは、画家のピカソやダリ、建築家のガウディなどを輩出し、しかもまた年代的にもかぶっている。
ちょうど、芸術的才能の現れるホットスポットだったスペイン:カタルーニャ地方。
しかも、ピカソ、ダリとはほぼ同世代といってもよいだろう。
そして、二度の世界大戦を経験し、フランコの圧政により亡命を余儀なくされた経緯もある。
その戦争の惨禍が、ピカソに”ゲルニカ”を描かせ、カザルスに故郷の民謡”鳥の歌”をチェロで演奏するように促した。
双方、故郷を思慕し、二度と戦争という狂気に故郷が蹂躙されないことを願って、己に出来る精一杯の声を出したのであろう。
芸術が、世界を救えるのか?
その投じられた一石は、はじめは小さくとも、波紋は次第に広がりを見せ、人々にやすらぎと平和を愛する心をもたらすかもしれない。
これが、平和とは戦争とは、何が大切でそうでないかを考えさせるきっかけになれば、十分役に立っている。
カザルスは、”鳥の歌”で、心情から理性へと働きかけを行っているのだ。
平和、脆くもかけがえのないこの平和を、人々の心に呼びかけることを。

麦茶を煮出す

2011-08-16 23:01:13 | 食べ物たち
暑さにめげずに、毎日麦茶を煮出す。
時には、日に二度三度、煮出すこともある。
年がら年中、麦茶を煮出している。
水出し麦茶が一般的ご時世にもかかわらず、麦茶を煮出している。
煮出した麦茶は、まろやかな味わいがする。
我が家は、生水、井戸の水。
冷蔵庫で冷やして、がぶがぶ飲むには、煮出した麦茶が安心だ。

煮出した麦茶には、母の思い出がある。
さらしで作った袋に煎り麦を入れて、後には金網でできた煎り麦かごで、毎日麦茶を煮出して、冷蔵庫に常備してくれていた。
子供は、学校から帰ったといっては、遊んで咽喉が渇いたといっては、食事とともに、母の作った麦茶を、当たり前のこととして飲んでいた。
子供が巣立ってからは、麦茶の減りも遅くなり、いつしか麦茶を煮出さなくなった母。
その習慣は、母の子へと引き継がれ、こうして毎日麦茶を煮出している。
これが、次へと引き継がれるかどうか、分からない。
でも、麦茶を煮出している後姿、控えめで優しい麦茶の記憶は、中くらいの人たちの味覚に残ることだろう。

ささやかなことだけれども、手間をかけて成されたことを、当たり前のように受け取る。
だからこそ、心にじんわりと沁みこんで、子供達の大切な土台を作っていく。
彼らが大きくなり、愛を持って何気ないささやかなことを成し続けられるようになれば、それはまた誰かに引き継がれるに違いない。
愛は、地味で目立たないものだ。
しかし、人にはとても必要なもの。
小ぬか雨が、大地の深くまで確実に浸透し潤すように、地味で目立たない愛が、人々と全てのものに遍く行き渡るよう、小ぬか雨の一粒にも満たないが、これからも麦茶を煮出していこう。
暑くても、寒くても。