rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

新緑が溢れて心弾む季節

2013-04-25 21:58:20 | 植物たち
今まさに、野山を新緑が彩り、若々しい緑がまぶしい季節だ。
緑が濃くなるってしまうと、遠目には全て同じく、様々な木が混生しているとは気が付かない。
しかし、秋の紅葉よりも春の新緑のほうが、色にずいぶんと幅があり、ただの雑木林や山といっても実に多くの種類の木が生えていることが見て分かる。
雨のあとに晴れると、空気が澄んで遠くまで見渡すことができる。
半月ほど前は山桜で賑わっていた雑木林が、今日あらためて注意して見ると、木々の若葉がずいぶんと繁り、ニュアンスの違う優しい緑色たちに溢れかえっていた。
こうして生命の息吹を感じると、自分の気持ちもウキウキとして足取りも軽く、サウンド・オブ・ミュージックよろしく主人公のマリアの如くに思わず歌を口ずさんでしまう。
庭に寝そべるねこも察してか、ずいぶんとよく大きな声で話しかけてくるのだ。
きっと、ねこも気分がよいに違いない。

明日は、天気が荒れ模様になる予報。
晴れ間が見えたら、是非とも新緑の写真を撮らなくては。


頂いたサツマイモでスウィートポテト

2013-04-24 22:29:52 | 食べ物たち
先日、知人にたくさんのサツマイモを頂いた。
家人が天ぷらを食べたがっていたのと、家計が火の車状態だったために、大いに助かり有難い。
昨日は、買い置きのお菓子も尽きて、子供たちが学校から帰っての楽しみがないのを不憫に思い、ホットケーキを焼いておいた。
案の定、学校から帰ってすぐさま、匂いにつられて吸い込まれるように台所に入り、貪り食べる姿がいじらしい。
そして今日、この頂き物のサツマイモの中の小ぶりなものを使って、スウィートポテトを作る。
オーブントースターで第一回目のものが焼きあがった丁度そのときに、、小さい人が帰ってきた。
小さい人が、台所で何かをしている私を探してやってくると、熱々のスウィートポテトを見て大喜び。
熱い熱いと言いながらも、はふはふと口に頬張るところを見ていると、やっぱり作ってよかったと思うのだ。
飾り気のない地味なお菓子だけれど、親が作るものはちょっと特別なお菓子になるのだろうか。
中くらいの人も学校から帰ってくるなり、スウィートポテトをぱくっと一口に頬張っては、勢い余って咽ている。
彼らの幸せ貯金ができるならば、時には手作りお菓子もいいものだ。
親も無理せずできるときにちょっとした手間を惜しまないこういうことが、子供の心にゆとりと温かさを与えることができるのだろう。
無理をしない気遣いが、相手に幸せを感じさせ、その相手の幸福感を見て自分も幸せを感じる、幸福感の応酬、なんと素晴しいことか。

スウィートポテトに照りを与えるとき卵が少し余ったので、それに砂糖と牛乳、バニラエッセンスを加えて4等分にした食パンを漬け込み、フライパンでバターで焼き、中くらいの人の夜食?にした。
甘く優しい香り漂う温かい食べ物は、気持ちをやわらげる効果がありそうだ。
中くらいの人が食べている顔つきは、とてもリラックスし、また一頑張りするエネルギーが湧いてきたように思えた。

自分はちっとも親らしいとは思えないが、できるだけ慈しみをもって彼らに接したいと思っている。
彼らが、自分の足で人生をしっかりと歩んでいけるようにと願いつつ。


丸々と太った青虫が

2013-04-23 23:06:46 | 生き物たち
バラの赤みを帯びた柔らかい葉を食べている、丸々と太った青虫を、2日続けて発見した。
この程度の青虫ならつまんでとることができる。
「私の可愛いバラを食べる悪党め、容赦はしないぞ」とばかりに摘み上げポイと地面に落とした。
そして、バラの敵とばかりに、ぶちっと踏み潰す。
他にもいるかとバラを調べると、小さな可愛い赤ちゃん蕾が、あちこち食べられているではないか!
青虫の仕業か、はたまた他の虫なのか、つきとめるには至らなかった。
一昨日は凍えるばかりの真冬の天気、加えて2日続けての強い霜が降りるなどの厳しい環境を耐え抜いていた青虫を不憫と思ってもみるが、バラを食い荒らすのを黙ってはみていられないのだ。
無残にも踏み潰された青虫は、早速斥候のアリがやってきて命のサイクルの輪の中に組み入れられてしまった。
すると、バラの蕾も柔らかい葉も、青虫の命を繫ぎ、青虫の死骸はアリの命を繫いでいる。
命のサイクルのうちにあるならば、無駄な命とはいえない。
じゃあ、無駄な命とはなんだろう。
確かなことは、無駄な命が存在するということだ。
いや、これでは語弊がある、”無駄にされる命”は確実に存在していると言ったほうがよいだろう。
それは、様々な姿形をとって、どこにでも存在するのだ。



いまさらだけれど不信感、いや絶望感か

2013-04-22 22:39:01 | つぶやき&ぼやき
テレビでは、あるワイドショー的番組で、諸外国の消費税のかけ方について面白おかしく揶揄する内容を流していた。
一律課税ではなく、品目ごとに細かく税のかけ方を加減したり、購買量によっても税率を定める事が、効率を無視したとんでも課税方であるような伝えぶり。
どうしてどうして、それこそ労を惜しまない、低所得者や大家族への負担軽減策であり、どのみち絶対的公平な課税方などないながらの、苦肉の策といえるだろう。
一律課税の消費税は、公平ということを勘違いした者達のためのもの。
宝石貴金属、高級車、デザイナーズブランドのファッション、高級レストラン、旅行・・・など、比較的経済に余裕のある者たちが利用するものには、贅沢税のような具合に、消費税率を高く引き上げてもいいのではないか。
それが、経済格差を是認して階層をはっきり分けるというなかれ、いつの時代でも格差は存在し、金持ちも貧乏人もあるのだから。
階層の固定化を憂うならば、教育の差を経済の差でつけないシステムを確立し、一生懸命努力するものにはステップアップの機会をきちんと与える社会意識を根付かせ、個人の努力が報われやすい世の中にすべきだろう。

少子化対策に保育園等の待機児童解消と3年間の育児休暇をと言っている一方で、経済成長戦力の要は女性の社会進出とのたまう。
チャンチャラおかしい、これでは、人をまるで家畜扱いしているではないか。
女は子を産んで大いに働け、男には種付けと育児をサポートできる補助員、子供は次世代労働力との容赦ない役割分担。
確かにその面があることは否定できない。
しかし、人が作る人のための生きるに値する社会とは、それだけではないはずだ。
女性労働力を社会に多く取り込みたいならば、育児世代の労働時間は男女共に残業はもってのほか、6~8時間労働、完全週休2日にして、家族が揃う時間を増やすことで、家事育児の分担をしやすくしたらいいのではないか。
安心して働け、親たちにゆとりがあれば、子供の精神面に安定をもたらし、たとえ0歳児保育をしたとしても余りあるメリットがありそうだ。
また、近年、様々な要因が重なり影響して、精子が少なく活発でない男性が増え、女性も排卵が不定期だったり妊娠しても流産しやすいなどの、子を授かるのが難しい人が多くなっている。
そこで不妊治療をするわけだが、精神的苦痛もあれば医療が高額で、子を持ちたいものにとって困難な時代になっている。
そこで、不妊治療、出産関連の医療費は、保険適用にするか思い切って医療費の自己負担をなくすることも考えなくてはいけないところまできているように思う。
ただし、生物学的に安全性の高い年齢までとし、そして、倫理的にも問題のある代理母出産には適用されないなど制限を設けることも必要だ。
家族神話ではないにしても、育てる者と育てられる者が、物質面においても生きるに厳しくない環境をもつことは、社会の末永い安定に不可欠ではないだろうか。

他には、TPPや大胆な日銀の金融緩和による円安株高についても、その政策の進め方に大きな不安と不審が増すことはあっても減ることはない。
辺境の仙人のような暮らしを営みながらも、気概を持って日本を明るい未来へと導こうととする者がいないように思われ、日々憂いている。
そして、確実に人口は減りつつあるのであった。

スペインの中の誇り高きバルセロナ

2013-04-20 11:31:33 | 街たち
「にじいろジーン 地球まるごと見聞録」スペインの北東部、地中海に面したバルセロナは、カタルーニャ地方の中心都市。
それより北のフランス国境に位置するバスク地方と並び、今もカタルーニャ語を日常的に使い古来よりの伝統文化を重んじる誇り高い地域だ。
また、スペインを代表する偉大な芸術家、ミロ、ダリ、ピカソ、ガウディを輩出した土地でもある。
市内には、ピカソ美術館、ガウディの建築物のサグラダ・ファミリアやカサ・ミラにグエル公園、モンジュイックの眺めのいい丘にはミロ美術館があり、街全体が美術館といった具合。
旧市街地を上空から望むと、碁盤の目の区画に中庭の配置された建物が整然と並び、整列したエスカルゴのようで面白い。

海に面したバルセロナは、新鮮な魚介に恵まれ、食に大いに期待が持てる。
「カルピンチョ」は、トマトベースのスープでイカ・パン粉・・魚介などを煮込んだコクのあるスープ”サルスエラ”がオススメ。
「シウタ・コンタル」は、スペイン発祥の絶品タパス料理を提供する。
「キメ・キメ」は立ち食いタパスの店で、”モンタディート”は、小さなパンの上にいろいろなものをのせるオープンサンドイッチが人気だ。
サーモン&ヨーグルト&ハチミツや、トマト&ホタテ&キャビアなどの組み合わせは様々。
また、タパスは観光にも一役買っていて、タパス&サイクリングというものまである。
小型バスのようなペダルをこいで走る自転車に8名ほどで乗り込み、タパス料理に舌鼓を打ちながらワインなどの飲み物を飲んで市中を走る。
飲みすぎるとこぐのがおろそかになるせいなのか、2ドリンクまでらしい。
そういえば、アムステルダムあたりでもビールを飲みながらのサイクリングツアーがあったような覚えが・・・アイディアは、国境を越えるということだ。
「ブボ」は、数々のケーキコンクールで賞を獲ったパティシエが作るケーキの店。
”サビーナ”というチョコレートケーキは、国際グランプリを獲得したケーキで、甘さとほろ苦味が絶妙の大人味のケーキ。

巨匠を生み出した土地柄か、ファッションも熱い。
「トウス」は、バルセロナ発の世界的ジュエリーブランド。
日本のもののようにソフィスティケートされた可愛らしさを持つデザインが、ちょっと意外だ。
デザイナーが、クマのぬいぐるみからインスパイアされたというだけに、ニュートラルでほんとに可愛い。
「クスト」は、蛍光色などの鮮やかな色彩とヴィンテージ風のデザインがポップでキュートだ。

バルセロナ近郊のペネデスには、日本でも御馴染みの「フレシネ」というスパークリングワインのワインセラーがある。
1920年から始まり、地下20メートルには1億5000万本のワインが保管されている。
「エル・ハルディ」という地元のレストランでは、名物の”カルソッツ”が食べられる。
春先までが旬で美味しいカルソッツは、長ネギの一種で、それを炭火で表面が黒く焼け焦げるようになるまで焼き、黒い部分を取り除くと、真っ白で柔らかくジューシーで甘みのあるネギがあわられる。
それを、トマトとナッツで作った”ロメスコソース”をたっぷりとつけて、持ち上げ、口に落とすようにして食べるのだ。
甘いネギとソースの酸味が絶妙な、冬から早春の食べ物。
そのネギを焼くのは専門の職人のおじさんで、この道25年、素手で火加減が分かるくらいに、その両手はがっしりとたくましく職人の手付きをしていた。

バルセロナに限ったことではなく、ヨーロッパの各地で見られるらしいが、小さな子供の首に琥珀のネックレスを付ける風習がある。
歯が生えてくる頃、歯茎がむず痒くなったり痛くするので、それを和らげるおまじないの意味があるそうだ。

バルセロナオリンピックの開かれる前の年だったか、バルセロナに行ったことがある。
市内には、オリンピックを盛り上げようとする垂れ幕のようなものがちらほらあったかもしれないが、まだ、のんびりとした雰囲気だった。
今日の画面からは、今ひとつ街全体の様子が伝わってこなかったけれど、ひどく様変わりしたようには見受けられない。
地元のサッカークラブの活躍で、そこそこ活気があるだろうし、たくましく誇り高いカタルーニャ気質は健在と思える。
自分達の生まれた土地に誇りがもてることは素晴しい。
先人達の偉業も、その存続に貢献しているはずだ。
まずは、自分に自信を持って価値を信じられることが、他の存在と価値を認めるためのパスポートとなる。
不屈のバルセロナ、カタルーニャ気質に見習うこと大有りではないだろうか。