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国宝の修復は国費で賄うべきでは?狩野永徳”檜図屏風”

2013-04-17 12:04:15 | つぶやき&ぼやき
衝撃のニュースを見た。
国宝に指定されている安土桃山文化の至宝狩野永徳”檜図屏風”の劣化が激しいために、このたび修復されることとなった。
ここまでは、貴重な文化財保存のために必要不可欠で異論はない。
外部の技術者の参加も、外国に散らばる日本美術の保全を学ぶためにありえるだろう。
しかし、ここからが問題なのだ。
アメリカの金融大手バンクオブアメリカ・メリルリンチの文化保護プロジェクトの助成を受けるとある。
どの程度の助成なのかはっきりしたことは判らないが、日本の国宝の修復に海外の助成を受けるとは、情けない限り。
意地と見栄を張る精神論が好きで、無言の強要を迫る国民性にしては、このようなことには合理的過ぎはしまいか?
歯を食いしばって踏ん張るところが違いやしませんかね?
自国の文化に誇りを持たなかったら、あなた方は一体誰なんですか?
あきれて物も言えない。
根幹の大事なところを抑えないから、この国はますます体たらくのぼろぼろになっていくよ。
民族主義の右翼的なことと思わないで頂きたい。

生れ落ち育った根っこのところをしっかりと、文化・風習・言葉を学んで身につけ、立ち居地をはっきりさせなくては、自分が何者でどんな背景を背負ってそこにいるのかという誇りを持たなくて真の国際人となれるのだろうか。
顔形、髪や肌の色に違いがあっても、日本に生まれて日本で育ち日本語を使うものならば、それは日本人といえるのではないだろうか。
もっとも、もともとの出身地域のコミュニティーを作って閉鎖的にしているならば、たとえ日本生まれ日本育ち日本語を話しても、日本人といえるかどうかははなはだ疑問だが。

この国は、日本人としての誇りを持たせないように国民を誘導している。
太平洋戦争の反省というには、あまりにもお門違いと思うのだ。
日本人であるということが卑しいという感覚を、誰しも少なからず植えつけられているように感じている。
先人の成した偉業を修復するのに、自分たちの金と労力をつぎ込まないなどということは、まさにその現われなのだと考えられはしまいか?



狩野永徳 檜図屏風