悔い改めるマグダラのマリア
いかさま師
フランスの17世紀前半の画家ジョルジュ・ラ・トゥール。
ロレーヌ地方で活躍したためか、100年以上も忘れ去られていた。
しかし、20世紀になって再び見出され、評価が高まったという幸運な画家でもある。
暗闇に一筋の蝋燭が浮かび上がらせる祈りの世界と、平明な光の下に暴かれる人の俗な部分の、2つの世界を描き続けた。
暗黒の世にあっても、蝋燭の明かりに象徴される神もしくは人の良心は、導き手でもあり希望でもある。
光に向いて心から祈り、神の慈悲に報いるために行いをすれば、救いが差し伸べられるという比喩であろうか。
かたや、欲望のままに愚かな行為をし、人を欺こうとしても、神を欺くことはできない。
光は全てを暴き出し、神は何でもお見通しだといっているようだ。
どちらにしても、かなり宗教色が濃い作品なのではないか。
彼の作品が、しばし人の関心を引かなくなったのは、時代の流れに逆行した濃い宗教性にあるのではないかと考える。
彼の作品は、バロックのダイナミズムも新古典主義のロマンチシズムもなく、来るべきロココの優美さも持ち合わせてはいない。
画面に満ちる静謐な深い宗教性を敬遠する時代が、到来したのだ。
誰しも自分の中にある暗くよどんだ負の部分を見たいとは思わない。
それを容赦なくさらしてしまう神聖なものから遠ざかり、悔悛の念を呼び覚ますものから逃げようとする。
一見明るいはずの時代の暗闇に、ラ・トゥールの絵は沈んでいったのだ。
今、ラ・トゥールの絵を見るには、どこか良心が痛むような時代であるかもしれない。