母と弟たちを残して9月23日に父と私と妹は疎開先から東京に発ちました。
昭和三大台風と言われた枕崎台風が9月17日に上陸し広島では2012人の
死者と行方不明者の犠牲者が出ました。
父が25日の会社の会議に出るため台風後の23日に出発です。
山陽本線の河内駅が乗る駅ですが、上りの次の本郷駅の間が不通で本郷駅まで
台風後の8里の道(32キロ)を歩いて本郷駅に着き、2日かかって東京駅に着いたのでした。
東京駅は戦災で屋根がなくトイレに入っても空が見えたのです。
写真の東京駅は5月の大空襲で焼けたあとです。
32キロ歩いた記憶は今でも忘れられません。
道路は荷車も動けないのですから、親戚の若者3人に自転車に重い荷物を載せてもらい
私たちはボストンバックを持ち肩掛けカバンをかけて歩いたのです。
田舎のおじ様たちから東京に帰るなとずいぶん言われましたが
私と妹は早く帰りたい一心で危険を覚悟しても帰ることにしたのでした。
洪水になった村の家の屋根だけしか見えないすさまじい光景
川の石橋が落ちて命がけで川を渡った思いは忘れられません。
本郷の旅館に1泊し、翌朝7時に乗った汽車は駅に着くたびに
復員兵や疎開から帰る人で満杯になり、どの窓からも乗り込んできます。
男性は汽車の屋根の上の両側に並んでいます。
トンネルの中ではさぞひどかったでしょう。
大阪で一度おろされましたが、東京に着いたのは次の日の朝でした。
東京駅について本当に安心したものです。