1944年、女学校三年生の7月、15歳の私たちは
学徒動員をされ、昭和飛行機工場で働きました。
私は倉庫係に配属され、鉄の棒や鉄管を
受注伝票を見て,切り出しリヤカーに載せて
注文された職場に運びました。
空襲警報が出ると防空壕に退避しましたが
立川に近いこの辺は敵機は来ず
壕から出て東京都内の空を見ました。
米機が一機二機と東京に飛来すると
友軍機【日本機】が体当たりして
墜落するのを何度も見ました。
昨日1941年からの16冊の日記帳を出して読んだので
戦時中の重い雰囲気の文になってしまいました。